毎年、夏場になるとお馴染みの“夏の甲子園”、すなわち全国高等学校野球選手権大会が開催されますが、その第1回目の大会=第1回全国中等学校優勝野球大会が催された大正4年(1915)から今年で100周年目を迎えようとしています。
私自身、高校野球ファンで、小学校4年生の夏(=第56回大会・昭和49年=1974)の頃から昭和63年(1988)のは第60回選抜高等学校野球大会までは春夏連続で甲子園球場まで観戦に通ってた程でした。
一番盛り上がっていたのが故尾藤公監督率いる和歌山県立箕島高等学校が活躍した頃である昭和52年(1977)から同55年(1980)の時期でしら。予選の頃から新聞記事をスクラップブックに貼って整理したり、本大会が始まると注目する試合はスコアブックを付けたり、と一番熱中していた感じで…(笑)
そうした状況でも歴史好きな自分の一面が生じてしまうのは仕方のない話で…やはり高校野球の歴史っていうか、過去の大会はどんな盛り上がりを見せたのだろうかというのが気になって調べたりもしたんですよね(笑)
今回はそんな過去の大会の歴史から―
時は中等学校野球大会が開催されていた時分、日本が大日本帝国と名乗っていた頃のお話です。
この頃は、植民地して、朝鮮半島、満洲地区(関東州)や台湾などの外地も領有していましたので、大会には外地からの出場校もありました。
- 朝鮮代表 → 第7回大会(大正10年=1921)から参加
- 満洲代表 → 第7回大会(大正10年=1921)から参加
- 台湾代表 → 第9回大会(大正12年=1923)から参加
そんな外地からの出場校のうち、一際異彩を華って輝いたのが、
- 第12回大会(大正15年=1926)の満洲代表・大連商業学校(現在の大連三十六中学校)の準優勝
- 第17回大会(昭和6年=1931)の台湾代表・<台南州立strong>嘉義農林学校(現在の国立嘉義大学)の準優勝
さて、昨年、台湾で1つの映画が上映されました―
KANO(KANO 1931海の向こうの甲子園)というタイトルの映画です。すなわち、上記に挙げた台湾代表・台南州立嘉義農林学校が準優勝した際のエピソードを取り上げて物語化したものです。
あらすじはこんな感じ―
海を越え、民族を超えて、僕らは同じ夢を見た。
1931年、甲子園、台湾代表。
日本中を感動で包み込んだ伝説の試合。
台湾から、まだ見ぬ甲子園、そして決勝へ。
弱小チームが起こした奇跡の実話。
1931年、日本統治時代の台湾から甲子園に出場し、決勝まで勝ち進んだ伝説のチームがある。嘉義農林学校野球部。KANO。それまで1勝もしたことのなかった弱小チームが甲子園を目指し、大人たちや他校の嘲笑をよそに予選で快進撃を始める。その陰には、かつて名門・松山商業を監督として率いた近藤兵太郎の特訓があった。守備に長けた日本人、打撃力のある台湾人(漢人)、俊足の台湾原住民。それぞれの強みを生かし、分け隔てない指導で育てられた彼らは、ついに甲子園への切符を手にする。
多感な少年時代の叶わぬ恋、夢半ばに去る卒業生、厳しい生活に野球を続けることを悩む者―。様々な思いを背負い、彼らは海を越える。無名のは甲子園でも強豪を破り勝ち進んだ。そのひたむきなプレーは、やがて多くの観客の共感を呼び起こす。迎えた決勝戦。一球たりともあきらめない渾身の姿にスタンドから熱い声援が拡がる。「天下の嘉農、天下の嘉農」。皆が、心からのエールを送りながら、一球一球に固唾をのみ、試合の行方を見守っていた―
嘉義農林の出場登録メンバーは、
- 部 長・濱田次箕
- 監 督・近藤兵太郎
- 投 手・呉明捷 選手(台湾人)…主将
- 捕 手・東和一 選手(アミ族…本名ラワイ)
- 一塁手・小里初雄 選手(日本人)
- 二塁手・川原信男 選手(日本人)
- 三塁手・真山卯一 選手(アミ族…本名マヤウ)
- 遊撃手・上松耕一 選手(プユマ族…本名アシワツ)
- 左翼手・平野保郎 選手(アミ族…本名不詳)
- 中堅手・蘇正生 選手(台湾人)
- 右翼手・福島又男 選手(日本人)
- 補 欠・崎山敏雄 選手(日本人)
- 補 欠・里正一 選手(日本人)
- 補 欠・谷井公好 選手(日本人)
- 補 欠・積真哉 選手(日本人)
- 補 欠・劉蒼麟 選手(台湾人)
それでは、嘉義農林の甲子園までの戦績及び甲子園での戦績を詳しく視ていきましょう!
昭和6年(1931)第17回中等学校野球
○台湾予選
1回戦(7/19)○15- 0 台中一中
2回戦(7/21)○17-10 台中二中
準決勝(7/22)○14- 3 台南一中
決 勝(7/23)○11-10 台北商業
嘉義農 123 011 010 2=11○本大会
台北商 000 420 003 1=10
1回戦(8/15)○3-0 神奈川商工(甲神静代表=山梨、神奈川、静岡)
嘉義農 000 000 210=32回戦(8/18)◯19-7 札幌商(北海道代表)
神商工 000 000 000=0
札幌商 300 010 300=7準決勝(8/20)◯10-2 小倉工(北九州代表=福岡、佐賀、長崎)
嘉義農 430 004 26X=19
小倉工 000 000 020=2決 勝(8/21)●0-4 中京商〔現、中京大中京〕(東海代表=愛知、岐阜、三重)
嘉義農 210 000 25X=10
嘉義農 000 000 000=0
中京商 002 200 00X=4
映画の中で使用されている主題歌がすごくいいです。歌詞を載せてみました!
◎主題歌「勇者的浪漫〜風になって〜」
作曲:Rake
作詞:Rake、嚴云農(中文)
歌:Rake、中孝介、范逸臣、舒米恩(中文)、羅美玲(中文)
一人泣いた 胸の奥
一個人哭泣的時候 胸口的深處
ちっぽけな プライド震えてる
顫動著微小的驕傲
言葉にしたら 何かが 壊れそうだから
唯有沉默能讓一切不再崩壞
音もなく そっと流れてる 涙を握り締め
我會強忍住眼淚 無聲的泛流
風になって 僕らは奔り出す
乘風奔跑的時候
夢で見た 光の指す方へ
我們奔向夢中的微光
いつかきっと キミに出会うために 旅は続いていく
這旅程將不斷前進 直到與你相遇
風になった 僕らは空高く
在高高天際 我們轉瞬為風
舞い上がって 時の橋を渡る
飛舞翻越時光之橋
明日また 君と笑いたくて心 未来を見つめてる
我的明日 期待有你的微笑陪伴 一起邁向未來
一つ痛み知るたびに
痛苦的時候
優しさにまたそっと包まれる
總有莫名的溫柔守護著我
言葉にしたら 思い出になってしまうから
已述說的都將成為回憶
今はそっと少し遠くから 昨日に触れていたい
現在我只想遠遠回顧昨天 再輕輕地被觸動
風になって 僕らは奔り出す
乘風奔跑的時候
夢で見た 光の指す方へ
我們奔向夢中的微光
いつかきっとキミに出会うために旅は続いてく
這旅程將不斷前進直到與你相遇
風になった 僕らはそうさ ほら
看吶 轉瞬為風的我們
愛を知って こんなにも強くなる
因為學會愛而彌堅
明日また 君と笑いたくて心 未来を見つめてる
我的明日 期待有你的微笑陪伴 一起邁向未來
LA~LA~LA~
LA~LA~LA~LA LA LA
LA~LA~LA~
LA~LA~LA~LA LA LA
We Are Going Together
You Are Feeling Forever Love
We Are Going Together
You Are Feeling Forever Love Love Love
起風的時候 我們用奔跑 追逐期待
qi feng de shi hou wo men yong ben pao zhui zhu qi dai
チーフェンタシーホウ ウォーメンヨンベンパオ ツゥェイツゥチータイ
前進的時候 手指向遠方 就該吶喊
qian jin de shi hou shou zhi xiang yuan fang jiu qai na han
チェンチンタシーホウ ショウツィーシャンユゥェンファン チウクァイナーハン
勝利的時候 當我們並肩
sheng li de shi hou dang wo men bing jian
ションリータシーホウ タンウォーメンビンチェン
我不會忘記 那天陽光的燦爛
wo bu hui wang ji na tian yang quang de can lan
ウォープーファイワンチー ナーティエンヤンクァンタツァンラン
想哭的時候 我們用仰望 止住遺憾
xiang ku de shi hou wo men yong yang zhi zhu yi han
シャンクータシーホウ ウォーメンヨンヤン ツィチゥーイーハン
寂寞的時候 手指向天空 就有蔚藍
ji mo de shi hou shou zhi xiang tian kong jiu you wei lan
チームォタシーホウ ショウツィーシャンティエンコン チゥーヨウウェイラン
有你的陪伴 帶著傷與驕傲去
you ni de pei ban dai zhe shang yu jiao ao qu
ヨウニーターペイバン トゥァイツェシャンユーチァオアオチュー
未知的未來 是勇者間的浪漫
wei zhi de wei lai shi yong zhe jian de lang man
ウェイツィタウェイライ シーヨンツェチァンタランマン
LA~LA~LA~
LA~LA~LA~LA LA LA
We Are Going Together
You Are Feeling Forever Love
「KANO 1931海の向こうの甲子園」、大注目です‼
※(参照)元箕島高校野球部監督・尾藤公氏死去!
※(参照)「幻の甲子園~戦時下の球児たち~」
※(参照)「出口のない海」