「青燕―あおつばめ―」

「青燕―あおつばめ―」

CSの衛星劇場で映画「青燕―あおつばめ―」を観ました。

2005年に公開された作品で 朝鮮人初の民間人女性パイロットであるパク敬元キョンウォン(Pak,Kyongwon)さんの生涯を描いた作品です。主なあらすじはこう―

幼い頃から空を飛ぶのが夢だったパク・キョンウォン(チャン・ジニョンさん)は、丘の上から、大きな鳥のような飛行機を初めて見た日に、飛行士になる事を決心する。彼女は飛行士になるために日本に渡航し、飛行学校に通うようになるが、学費を捻出するためにタクシーの運転手になる。そんなある日、キョンウォンのタクシーに、韓国人留学生ハン・ジヒョク(キム・ジュヒョクさん)が乗車する。ジヒョクは、堂々としていて、自分の夢のために努力するキョンウォンに惹かれるが、父に叱責され、やむを得ず軍に入隊する。

「青燕―あおつばめ―」

数年後、キョンウォンは初飛行を無事に終え、有名な2等飛行士になる。故国の朝鮮にまで広く名前が知られたキョンウォンは、彼女に憧れて日本へやってきたジョンヒ(ハン・ジミンさん)と、実の姉妹のように暮らす。ジヒョクは、キョンウォンがいる飛行学校の将校に志願し、キョンウォンと再会し、互いの愛を確認する。飛行大会への出場を目指していたキョンウォンは、日本最高のモデルで、外務大臣という強固な後ろ楯を持つ木部雅子(※)(ユミン=笛木優子さん)のために飛行大会に出場できなくなる。キョンウォンは、実力を競う練習試合の途中で事故に遭った木部を助け、それ以後木部は、キョンウォンの友人であると同時に強固な後援者となる。キョンウォンは木部に出場権を譲ったが、同僚操縦士セギ(キム・テヒョンさん)の不慮の事故により、高度上昇競技に代わりに出場し、危険な飛行で難関を潜り抜け、大会で優勝する。キョンウォンは、故国訪問飛行の基金を準備するために募金運動を始め、木部は、そんなキョンウォンを支援する。1人の男の為に、女として生きるには、夢への希望が大きかったキョンウォンは、ジヒョクの求婚を断る。ジヒョクは、愛よりも、恋人よりも、空に向けた夢をより大切にするキョンウォンを理解しながらも、辛い想いをする。

いよいよ一生の夢だった故国訪問飛行を目前にしたキョンウォン。だが、彼女にはどうする事もできない問題がたくさん起きていた。愛、友人、同僚、全てのものを失ったキョンウォンに残されたのは飛行だけ。全ての事を忘れるために、夢を叶えるために、キョンウォンは悲しみを打ち破り、彼女の飛行機「青燕あおつばめ」に乗り、青い空へ力強く翼を向ける―

― ◇ ◇ ◇ ―

パク敬元キョンウォンさんは、光武5年(1901、明治34)6月、慶尚キョンサン北道ブット大邱テグ府徳山町(現、大邱広域市に生まれ、大正2年(1913)に信明シンミョン女学校に入学。同4年(1916)同校高等科に入学しますが、同5年(1917)には中退。横浜技芸学校に入学して自動車の運転をマスターするなどして、同9年(1920)に同校を卒業します。同年、大邱の慈恵医院助産婦看護婦学校に入学。同11年(1922)同看護婦学校を卒業の後、インターンとして2年間務める。

大正13年(1924)日本飛行機学校自動車部に入学。更に、同15年(1926)に日本飛行機学校立川分校操縦科に入学。

昭和2年(1927)1月に3等操縦士免許資格を取得し、 朝鮮の民間人女性としては初めての女性パイロットとなったのです。

更に翌3年(1928)には日本で3番目の2等操縦士免許(女性には1等操縦士免許が認められていませんでした)を取得します。

彼女は数々の競技大会にも参加して入賞するなど、その優れた技量を示したと云います。なかでも、昭和3年(1928)5月に代々木練兵場で開かれた競技大会では3位入賞を果たしました。

折しも、時代は世界各地で女性が飛行機で空を開拓する事が話題になっていた頃でもあって、昭和5年(1930)11月、イギリスの女性パイロット・ヴィクター・ブルース(Victor,Bruce)さんが単独操縦での世界一周を計画・実行された折に来日された時、日本を代表してブルースさんを出迎えるウエルカム・フライトを担当したのも彼女で、歓迎式典ではブルースさんと並んで記念撮影をされています。

ここまで見ると、彼女は当時を代表していたモガ(モダンガール)の1人で裕福な家庭に育った女性の様に感じますが、実のところは苦学生だったらしく、看護婦時代に働いて貯めた僅かな資金だけでは、やっていけず、親類・縁者に援助を求めてもソッポ向かれる有り様でした。

そうした彼女の苦境を見かねた朝鮮の新聞社(東亜日報や京城日報)が3回にわたって「朝鮮初の女性飛行士をめざす朴嬢を助けよう!」という記事を書きました。すると…

僅かながらも寄付金が集まったり、中には内密に支援してくれる人が現れたのです。

その人は旧李王朝の皇太子の李垠殿下でした。しかも、殿下に彼女への援助を懇願されたのは、方子まさこ妃殿下だったと云います。

そして、前述の3位に入賞した競技大会での賞金を元手にして、昭和6年(1931)9月、陸軍払い下げの中古だが、フランスで設計されたという、当時最新鋭の機体を購入します。この機体の名前は朝鮮の伝説で“幸せを運ぶ”と云われている青い燕に因んで「青燕号」と名付けられました。

彼女は常々パイロットの免許を取ったら、海峡を越えて祖国の空を飛びたいという夢がありました。

その想いは日満親善・皇軍慰問飛行という形で実現し、昭和8年(1933)8月7日、東京から満州の新京(現・長春)まで約2500kmの距離を操縦する、女性としては初の横断飛行に挑みました。

ところが、午前10時35分に離陸してから50分位経った頃、彼女が搭乗した「青燕号」は静岡県田方郡多賀村(現熱海市)の玄ヶ獄山辺りでそのまま墜落死したのです。

朴敬元機の墜落現場

その日、8月7日の羽田の東京飛行場近辺は、雨が降ったり止んだり、とかなり気象条件が悪かったようです。ましてや、当時はレーダーなどなく、目視だけが頼りの飛行技術であったので、相当な困難が予想されました。

しかも、夏場の伊豆半島付近の山脈帯は強い下降気流が発生するらしく、視界を覆う様な気象条件に強い下降気流の中で、「青燕号」は方向を見失い、山に近づき過ぎたため、無残にも斜面に叩き付けられてしまった様です。

午前11時17分、箱根測候所で機体の爆音が確認されています。

翌8日午前8時10分、静岡県田方郡多賀村玄ヶ獄山中で大破した機体が発見されました。

当時の状況を熱海市が市制施行60周年記念で製作した『熱海歴史年表』の記述を参考にすると、

昭和8年8月8日の朝、多賀村の人々は快晴の玄岳山頂付近に光るものを見つけた。すぐ、前日東京飛行場を発った飛行機ではないか、ということになり警鐘が鳴らされた。小松勇次村長の指揮の下、消防団、青年団に網代からの応援も加わり現場にたどり着くと、操縦席でハンドルを握ったまま、パク敬元キョンウォンは息絶えていた。腕時計は11時25分30秒を指し、愛用のハンドバックには拓務大臣(=永井柳太郎)などから「満州国」へ託された3通のメッセージが入っていた。…(中略)…敬元の遺体は村の火葬場で荼毘だびに付され、機体は多賀小学校に寄付されました

とあります。

パク敬元キョンウォンさんの一周忌の際、当時の多賀村長・西島弘さんが「鳥人霊誌」という題字の慰霊碑を建て、また日本飛行機学校の彼女の後輩たちによる追善飛行が行われ、墜落地点辺りに花束がまかれました。更に、7回忌には慰霊祭が行われています。

神奈川県熱海市梅園町にある熱海梅園の中に平成14年(2002)に造られた韓国庭園の一隅にパク敬元キョンウォンさんの記念碑「朴飛行士記念碑」があります。

記念碑には、

朴敬元女史 1901年 慶尚北道大邱府に生まれました。1925年に日本飛行学校へ入学して飛行機の操縦を学び大韓民国初の女性飛行士として二等操縦士免許を取ると、かねてからの希望であった故郷への訪問飛行を計画し、1933年8月7日その日を迎えることになりました。飛行機は単発小型機で、「青燕号」と命名されました。女性としては初めての長距離飛行となり、羽田空港では官民多数の盛大な見送りを受け、午前10時35分離陸しましたが、気象変化の激しい箱根上空で密雲に阻まれ方向を失い、熱海市側の玄岳頂上よりわずか50メートル下の山腹に激突し、不幸にも33歳の若さで墜落死してしまいました。
翌8日、女史の遺体は地元の多賀村の人々の手によって荼毘にふされ、翌年8月7日には、元多賀村長西島弘氏が私費で墜落現場に鳥人霊誌碑を建立し、そして1961年春には地元町内会の手で朴敬元嬢遭難慰霊碑が建立されました。地元の人々は、夢半ばにして破れた朴敬元女史の心安らかなる事を願い、毎年定期的に墜落現場までの草刈や慰霊碑の保全を行う等、大切に護持しています。

と刻まれています。

因みに、日本人初の民間人女性パイロットはというと、兵頭ひょうどうただしさんという方ですね。明治33年(1900)愛媛県北宇和郡東仲村(現、鬼北町東仲)の農家の四女として生まれた彼女は、お父さんの影響で飛行機に憧れ、済美高等女学校(現済美高等学校)を卒業後、上京し飛行家を目指します。

大正8年(1919)から11年(1922)7月まで、4年間津田沼海岸の伊藤飛行機研究所で、慣れない飛行機に取り組み、滑走練習、次いで滑走機練習を積み重ね、途中墜落事故(高度300mからエンジンを止めて滑空降下する飛行練習中、ミスを犯して墜落)を経験しながらも、翌10年(1921)4月、日本で航空取締規則が公布されて操縦免許制になった後の同11年(1922年)3月、3等飛行機操縦士免状を取得し、免許取得直後の同年6月、帝国飛行協会主催の飛行競技に出場しました。

そう言えば、昭和51年(1976)に放送されたNHK朝の連続ドラマテレビ小説「雲のじゅうたん」で主役だった小野間真琴(演じたのは、浅茅陽子さん)は、兵頭さんをはじめとして、当時数十人程おられた女性パイロットたちのエピソードを拾い集めたドラマでしたね。

― ◇ ◇ ◇ ―

彼女の想いは中途で潰えましたが、その志は後輩たちによって受け継がれていきました。でも、天国で彼女はこう言っているのではないでしょうか…

私の方がまだまだ飛べるわよ!って―

― ◇ ◇ ◇ ―

※ ユミン=笛木優子さんが演じた木部雅子という女性のモデルは木部シゲノという女性で、明治36年(1903)11月、福岡町築上郡八屋町に生まれ、3歳の時に両親と共に朝鮮平安道の鎮南浦に移住されたそうです。昭和55年(1980)他界されました。奇しくも、兵頭精さんと同じ年に亡くなられておられますね。(御二方ともご自身がモデルとなられたNHK朝の連続ドラマテレビ小説「雲のじゅうたん」を観てらっしゃって、どうお感じになった事でしょうね?)

― ◇ ◇ ◇ ―

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この「青燕―あおつばめ―」パク敬元キョンウォンさんを演じられたチャン・ジニョンさんが9月1日に胃癌のためお亡くなりになってらっしゃいました。享年37歳という短い生涯でした。

チャン・ジニョンさんに哀悼の意を表します―

あなたが「青燕―あおつばめ―」で演じられたパク敬元キョンウォンさんの業績をここにしっかりと刻み込み、それを知る事ができたあなたの演技に感謝します


「天皇の料理番」

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懐かしい番組を再び観る事ができます。

それは「天皇の料理番」という作品で、昭和55年(1980)10月から翌56年(1981)3月まで全19話がTBS系列で放送された作品です。

宮内省大膳職主厨司長(総料理長の事、現在では宮内庁管理部大膳課主厨長をさす)を務めた秋山徳蔵氏の青年期から主厨司長になるまでを描いた作品となっています。

※(参照)秋山徳蔵氏の略歴
明治21年(1888)、福井県南条郡武生町(現・越前市)で料理屋を営む高森家の二男として生まれ、明治37年(1904)、華族会館料理部に就職。以降、同38年(1905)、精養軒料理部に就職、同40年(1907)、三田東洋軒料理部に就職などを経て、同42年(1909)、本格的な西洋料理修行のため渡欧。まず、ベルリンのホテルアドロン料理部へ就職。翌43年(1910)、パリに渡航し、在仏日本大使館付きの安達峰一郎参事官の推薦で、ホテルマゼスチィック料理部、次いで同45年(1912)にはレストランカッフェドパリ料理部に就職。帰国後、大正2年(1913)東京倶楽部料理部長に就職。同年6月、『仏蘭西料理全書』を刊行。同年7月、秋山俊子と結婚し、秋山篤蔵と名乗る。同年10月、宮内省大膳寮に就職。同年12月、厨司長に就任。同6年(1917)、宮内省大膳寮主厨司長となって以降、大正、昭和の2代にわたって天皇家の食事、両天皇即位御大礼の賜宴、宮中の調理を総括。昭和47年(1972)に辞任するまで、「天皇の料理番」と通称された。同48年(1973)、正四位、勲三等瑞宝章授賞。翌49年(1974)没、享年86歳。


(あらすじ)
明治36年(1903)、場所は福井県南条郡武生町(現・越前市)。旧家の次男坊として生まれた少年・秋山篤蔵(堺正章さん)は10歳の時に禅寺に入門していました。

或る日、禅寺の和尚の御供として鯖江の連隊(→鯖江だから陸軍歩兵第36連隊ですよね?)へ出かけた時の事。将校の集会場辺りから漂う香ばしい匂いが篤蔵の鼻先をとらえました。

今まで嗅いだ事もない素晴らしい匂いの元を料理担当の田辺伍長(目黒祐樹さん)に訊ねる篤蔵。それは「カツレツ」という西洋料理だったのでした。篤蔵は一口御馳走になり、余りの美味しさに驚きの声をあげる。そして、この出来事以来、篤蔵の西洋料理への憧れが大きくなっていきます…

東京へ出て、料理の勉強をしたいと願う篤蔵ですが、両親はそれを許しません。その上、トシ子(檀ふみさん)と否応なく見合いをさせられ、強引に祝言を挙げさせられてしまいます。所帯を持った>篤蔵は、初めは大人しかったものの、その胸の内には「東京に出て、一流の料理人になる」という夢が膨らみ続けるのです。

そして到頭とうとう17歳の時、篤蔵はトシ子を1人残し夜逃げ同然の形で上京を果たすのです。時に、明治37年(1904)5月の事でした―

東京に上京した篤蔵は、西洋料理の道を只管ひたすら究めようと努力し、幾つかの名店で修行を積んだ後、フランスへ修行に赴きます。

本場フランスに渡った篤蔵ですが、最初は見習いからスタートし、その腕をどんどん蓄えて伸し上がり、やがてシェフにまで上り詰めます。

そんな折、天皇ために料理を作らないかと日本大使館から誘われた篤蔵は、フランスでの修行を終え、宮内省内での料理人としての人生が始まります。

そして、60年余りもの長きにわたり皇室の、いや天皇のために料理を作り続けていった…

ってな感じ!

(主な出演者)
  • 秋山篤蔵…堺正章さん

  • 篤蔵の妻、トシ子…檀ふみさん

  • 高村新太郎…鹿賀丈史さん
  • 新太郎の妻、フランソワーズ…セーラさん
  • 山本辰吉…明石家さんまさん
  • 辰吉の先妻、キミ子…田中裕子さん
  • 辰吉の後妻、みつ…朝加真由美さん

  • 篤蔵の父、周蔵…織本順吉さん
  • 篤蔵の母、お初…三條美紀さん
  • 篤蔵の兄、周一郎…近藤正臣さん

  • キミ子の父、松五郎…高城淳一さん
  • キミ子の母、あき…野村昭子さん

  • 新太郎の父、久次郎…小池栄さん
  • 新太郎の母、さよ…久松夕子さん

  • 田辺伍長…目黒祐樹さん
  • 倉橋八千代…山口いづみさん

  • トシ子の再婚相手、坂口勝五郎…山田パンダさん

  • 仙之助…穂積隆信さん
  • 梅…服部まこさん

  • 桐塚弁護士…柳生博さん
  • 華族会館グラン・シェフ(総料理長)、宇佐美…財津一郎さん
  • 華族会館シェフ、荒木…志賀勝さん

  • 在仏日本大使館参事官、安達峰一郎…平幹二郎さん
  • 在仏日本大使館事務官…東野英心さん

  • 精養軒シェフ、前田…木村元さん

  • 宮内省事務官、浅井…佐原健二さん
  • 宮内省大膳寮大膳頭、福羽逸人…鈴木瑞穂さん
  • 宮内省侍従、松平慶民…久米明さん
  • 宮内省事務次官…滝田裕介さん
  • 池田菊苗…穂高稔さん

  • 昭和天皇…中村芝雀さん

  • 語り…渥美清さん
(各話のサブタイトル)
  1. カツレツと二百三高地
  2. 夜汽車とコック帽
  3. じゃがいもと別離
  4. スープと紙風船
  5. オムレツと堪忍袋
  6. アイスフライと誘惑
  7. 爆弾とスペシャル・ディナー
  8. おかゆとジゴマ
  9. 熱い涙と大福餅
  10. フランスパンと娼婦
  11. 恋とゲテモノ料理
  12. 水飴とかけがえのない女
  13. すっぽんスープと短刀
  14. 紅マスと砲弾
  15. おでんと帰らざる時
  16. シャンパンと関東大震災
  17. ザリガニと天皇の料理番
  18. 蛙のフライと見果てぬ夢
  19. カツレツとパリ祭(完)
― ◇ ◇ ◇ ―

実に懐かしい!ほぼ30年ぶりですしね…

実は、初めて鹿賀丈史さんという俳優さんの存在を知ったのがこの作品でした。

また、志賀勝さんの役どころは、料理の種類こそ違え、「前略おふくろ様」を想い出してしまっちゃいますよ(笑)

ドラマの見処としては、西洋料理のシェフを志す篤蔵の奮闘ぶり、そしてそれを見守る妻・トシ子との夫婦愛を軸に、様々な人々との出会いや別れに注目ですよ!

そうそう、番組のEDテーマだった堺正章さんが唄う「遥かなるレディー・リー」も良い曲です。たまにカラオケで唄ったりするんですよ!

CSのTBSチャンネルにて、あの再び感動を味わいたいと思います。

NHK金曜時代劇「寺子屋ゆめ指南」

CSの時代劇専門チャンネル「寺子屋ゆめ指南」の放送が始まりました。

平成9年(1997)9月から翌10年(1998)3月までNHK総合で金曜時代劇枠で全24話放送された作品で、江戸時代の後期、寺子屋の師匠を引き受ける事になってしまった旗本の次男坊が、生徒たちとぶつかりながらも互いに成長していく“学園ドラマ”チックな時代劇です。

主な配役には、
  • 寺子屋の師匠、泉水道場の師範代、桂木正二郎=高橋和也さん

  • 正二郎の幼馴染み、同心、森川源之助=東幹久さん
  • 正二郎の幼馴染み、公人くにん朝夕人ちょうじゃくにん、宍倉兵之進=畠中洋さん
  • 又十郎の娘、泉水美雪=西田尚美さん

  • 正二郎の兄、桂木新一郎=伊藤洋三郎さん
  • 正二郎の義姉、里織=吉宮君子さん
  • 髪結い、徳次=中条きよしさん
  • 徳次の女房、お吉=小林幸子さん
  • 桔梗屋の女将・おりん=美保純さん
  • 正二郎の乳母、卯女うめ=中村玉緒さん
  • 道場の師範、美雪の父、泉水又十郎=千葉真一さん
  • 蘭方医で寺子屋「白雲堂」の経営者、良庵=愛川欽也さん

  • 小助=伊藤隆大さん
  • お絹の弟、仁吉=中倉健太郎さん
  • お末=須藤美咲さん
  • 伝蔵=車邦秀さん
  • 留吉=明石亮太朗さん
  • お菊=上脇結友さん
  • 弥吉=清水佑樹さん
  • おたね=末広ゆいさん
  • 政太郎=山田一統さん
  • お咲=井上真央さん
  • 庄助=湯前慶大さん
  • お京=西秋愛菜さん
  • 平太=高村祐穀さん
  • お駒=石川由佳子さん
  • 清吉=小川一樹さん
  • お染=大野美苑さん
  • 健吾=西谷有統さん
  • お絹=清野優美さん

  • 松丸=青柳翔さん

  • お咲の父、清兵衛=三遊亭楽太郎さん
  • 伊佐次=堤大二郎さん
  • 平太の父・辰三=徳井優さん
  • 平太の母・お豊=広岡由里子さん
  • お京の母・お勢=花井紫さん
  • 健吾の父、市次郎=大橋吾郎さん
  • 小助の父、玄朴=鴈龍太郎さん

  • 又十郎を父の仇と恨む、垣内志乃=真瀬樹里さん
各話タイトルは以下のとおり―
  1. お師匠様がやってきた
  2. 将軍のおしっこ
  3. 道場破り
  4. 留吉がみていた?
  5. めだかの手習い
  6. 居残り正二郎
  7. なみだ雨
  8. 兄の背中
  9. 美雪の縁談
  10. いじめっ子
  11. 侍にっぽん
  12. 女剣士と女盗賊
  13. 寺子屋やめます
  14. 大晦日(おおつごもり)の人質
  15. 正二郎と二人の母
  16. はぐれもの
  17. 北斎まんが
  18. 果たし合い
  19. 巣立ち
  20. いちばん大切な人
  21. ほつれた夫婦
  22. 時の壺
  23. 又十郎最期
  24. 夢まっしぐら(完)
― ◇ ◇ ◇ ―

この作品で印象的だったのは、やはり桂木正二郎役の高橋和也さんでしょうね。元男闘呼おとこ組のメンバーでしたが、この「寺子屋ゆめ指南」が初の時代劇出演でしたからね。

現在では、韓流ドラマ「オールイン 運命の愛」でのイ・ビョンホンさんの声の吹き替えなどが有名ですね。

他に、宍倉兵之進役の畠中洋さんもNHKの時代劇初出演ですね。この後のNHK大河ドラマ「徳川慶喜」での松平容保役もすごく印象に残ってます。

さらに、泉水又十郎役の千葉真一さんもこれがNHK時代劇初出演だったんですよね。しかも、娘さんの真瀬樹里さんが垣内志乃役で親子共演なされていますし…(確か、NHK大河ドラマ「風林火山」でも共演されましたね…)

それ以外で注目なのは、お咲役の井上真央さんもそうなんですが、僕にとってはお菊役の上脇結友さんですね。

ちょうど同じ時期に放送していた「ぽっかぽか」での田所あすかちゃん役で好感持ってましたからねぇー。
あすかちゃんと同時期に同じ年頃の役どころなので、イメージがかぶっちゃって…(笑)

ドラマのエンディングに流れる五木ひろしさんが唄う「雑草」も耳に残るテーマソングですね(…しかも、作曲が永井龍雲さんなので余計に良いんですよね。

主題歌:五木ひろしさん「雑草」(1番の歌詞のみ!)
♪空の青さに
 叶うような
 一途な心で
 いたかった

 誰かのために
 できることを
 自分の夢に
 したかった

 つまずいた石さえ
 拾ってやれる
 大きな手しか
 ないけれど…

 笑わば笑え 笑えばいい
 どんな道に咲く 雑草でもいい
 ふりむかないで ふりむかないで
 まっすぐ空に 手をかざし♪

― ◇ ◇ ◇ ―

さて、正二郎たちが活躍した時代は江戸時代のどの辺りだったのでしょう?

確証できるシーンとして、

第1話おける「文化・文政の頃」という台詞
第22話における「シーボルト事件」
が挙げられるでしょう。

先ず、「文化・文政の頃」と言えば、西暦で言うと1804~1830年。源之助が言っていたロシアの船がしきりにどうこう…というのは主立って、文化元年~2年(1804~05)のロザノフの長崎来航や文化8年~10年(1808~1)にかけての「ゴローニン事件」を指すと思われます。

しかし、「シーボルト事件」が状況を更に狭めてくれます―

小助の父であり、良庵の弟子でもある玄朴が、文政11年(1828)9月から10月にかけて発覚した「シーボルト事件」に巻き込まれちゃんですね。

そう考えると、文政11年(1828)頃ってのが妥当かな?

― ◇ ◇ ◇ ―

ラスト、正二郎は長崎に向けて勉学の修行に旅立ちます。その先には前途洋々な夢が―って感じでエンディング。

まさに、福沢諭吉の言葉ではないけど、「ペンは剣よりも強し!」って時代が明けようとしてくるのです。

ところが…

いざ現実的な話ですが、蘭学を志す人たちは大いなる試練が訪れます。

前述した「シーボルト事件」(文政11年=1828)以降、「蛮社の獄」(天保10年=1839)という言論弾圧があり、ついには「蘭書翻訳取締令」が嘉永2年(1849)が幕府から発令されます。

ましてや…

開国の途が拓くと同時に、時代は洋学へと移り変わっていくのです…

NHK金曜時代劇「十時半睡事件帖」

十時半睡事件帖

現在、CSの時代劇専門チャンネルにて放送中の十時ととき半睡事件帖」についていささか―

この「十時半睡事件帖」はNHK総合で平成6年(1994)9月から同7年(1995)3月まで「金曜時代劇」の枠内で全23回放送された作品です。

白石一郎氏の原作で、江戸時代後期の筑前黒田藩において要職を歴任し、一度は致仕(=隠居)するも、糟糠の妻の死後、総目付として思いがけず再出仕を命ぜられた十時半睡が藩内で起こった様々な事件に対して、その老練で味わいのある対処を施す―というストーリーです。

主な配役陣として、

  • 黒田藩総目付、十時半睡(一右衛門)=島田正吾さん
    • 現在、65歳。
    • 80石御馬廻組の家に生まれるが、寺社奉行、郡奉行、勘定奉行、町奉行、大目付などあらゆる要職を歴任。禄高は600石を最高としてそれ以上は受けなかった。
    • 致仕した際、家禄のうち400石を返上し、残り200石を嗣子の弥七郎に譲っている。(御馬廻組の平均禄高が200石だから…らしい)
    • 62歳で隠居後は“半分眠って暮らす”という洒落っ気から「半睡」と号した。
    • 隠居した翌年(63歳の時)妻に先立たれる。
    • 直後 藩内の職制改革に伴い、再出仕を命ぜられ総目付となる。
  • 飛脚問屋・井筒屋の女将、多喜=池内淳子さん

  • 十時家の下僕、八助=坊屋三郎さん

  • 十人目付筆頭、松原藤十郎=河原崎長一郎さん
  • 十人目付、竹田新之助=内野聖陽さん
  • 十人目付、寺田勘右衛門=伊藤高さん

  • 半睡の遠縁の姪、矢田部絹=羽野晶紀さん

  • 黒田藩中老、立花平左衛門=小松方正さん

― ◇ ◇ ◇ ―

さて、「十時」という苗字からイメージが浮かぶのが、戦国時代の立花道雪に所縁のあった人たちです。

例えば、“道雪四天王”の1人、十時摂津守連貞つれさだという人物。

この連貞はその後、道雪の養嗣子・宗茂にも仕える訳ですが、関ヶ原の合戦の論功行賞で所領没収となって柳川を離れて以降も、陸奥棚倉、そして筑後柳川に復帰するまでの浪人中においても、大坂の陣では大坂衆(豊臣方)の誘いを頑なに拒み通し、主君への節を曲げなかった人物として知られています。しかも、復帰し家老になって後、81歳で島原の乱に出陣しておられるってのは、まさに猛将ですよね。

「十時氏」は豊後国大野荘(大分県豊後大野市北部)にあって、土着の「豊後大神おおが氏」の流れを汲む氏族にようで、源平争乱で西国に進出してきた中原氏(のち大友氏)らにより勢力圏を圧迫され、その支配下に吸収されます。

戦国末期、その大友氏も立花氏も改易されると、新たに進出してきた黒田氏に請われた「十時氏」の一族もいるようで、筑前黒田藩の家臣として仕官していた事になりますね。

各話のタイトルは、
  1. 丁半ざむらい
  2. 逃げる女
  3. かんなざむらい
  4. 妖しい月
  5. 合わせて一つ
  6. 人形妻
  7. 走る男
  8. 人まね鳥
  9. 奉行たちの宴
  10. 観音妖女
  11. 千本旗
  12. 閉門志願
  13. 庖丁ざむらい
  14. 楽しい男
  15. 女たらし
  16. さむらい志願
  17. 犬を飼う武士
  18. 勘当むすこ
  19. 鴫と蛤は漁師がとる
  20. 島定番
  21. 奇妙な仇討ち
  22. 老乃夢恋道行
となっています。

― ◇ ◇ ◇ ―

次に、ちょこっと分かる範囲で、活躍中の十時半睡さんの時代背景を考えてみました。


まず、第2話「逃げる女」で目安箱に投書された書状を総目付・十時半睡さん以下、十人目付の方々が目を通す、というシーン―

筑前黒田藩に目安箱が設置されたのが享保18年(1733)の事。

続いて、第3話「刀」で、登場した筑前黒田藩中老・立花平左衛門の存在から―

この立花平左衛門という人物は、筑前黒田藩で代々、家老職を受け継いだ家柄とか…

とある史料を発見!―文化12年(1815)10月、立花平左衛門さんが吉田六郎太夫という人物に、
私儀当冬江戸御留守詰被仰付候処、世帯向不覚悟之次第ニテ、於爰許旅用金難相整、…(中略)…依之奉恐入候得共、当時金子四百両拝借之儀、奉願候
と借金の申入れをしています。その時の借金申入書の記載の中に
同歳十月廿九日、立花平左衛門(中老)…(中略)…対談致セシ処
との記載ありました。(『立花平左衛門横折』)

ここでいう、立花平左衛門(中老)どうやら、は立花増毘ますひでという人物が該当します。

以上の点から、
目安箱が設置された享保18年(1733)以降で、
立花平左衛門が隠居している文化12年(1815)10月まで
十時半睡さんが活躍している時代かな!?と思うのですが、いかがなもんでしょうね!

白石一郎氏の『十時半睡事件帖』シリーズですが、文庫本として
  1. 『庖丁ざむらい』
  2. 『観音妖女』
  3. 『刀』
  4. 『犬を飼う武士』
  5. 『出世長屋』
  6. 『おんな舟』
  7. 『東海道をゆく』
の7作品が出版されています。

「殿さま風来坊隠れ旅」

「殿さま風来坊隠れ旅」

CSの時代劇専門チャンネルにおいて「殿さま風来坊隠れ旅」が放送されます。(時代劇専門チャンネルでは2度目の放送となるので、同チャンネルではあと残り1回の放送で見納め!ですね)

この作品はテレビ朝日系列で平成6年(1994)4月から10月まで全21話放送されました。

徳川幕府第10代将軍徳川家治、そして側用人&老中の田沼意次の御代。次代将軍にとの呼び声が高い紀州大納言・徳川治貞尾張大納言・徳川宗睦むねちかが、互いに将軍の座を嫌い藩邸から抜け出し、それぞれ町の人の暮らしを実体験するための旅に出ます。

2人は往く先々で、はびこる悪人たちを成敗します。悪役を成敗する際、鷹の鋭い鳴き声が響き、破邪顕正の鏑矢が突き刺ると、2人が登場!

最初は普段の格好だが、いざ成敗となると、衣を脱ぎ捨て、

「紀州大納言・徳川治貞、参上!」「尾張大納言・徳川宗睦、見参!」

決め台詞を言って大変身!殺陣シーンでは悪人どもをばっさばっさとぶった斬ります。

成敗した後には、鷹の羽が残され、2人の噂を聞きつけて駈け付けた甚左や鶴姫が途方に暮れる…

といったお決まりでエンディングロール―ってな感じなのですが…

◇主な配役陣

  • 紀州・徳川治貞(春田治之進)=三田村邦彦さん
  • 尾張・徳川宗睦(尾張屋宗太郎)=西岡徳馬さん

  • 村垣市蔵(家治の命を受け、2人を助ける公儀隠密)=京本政樹さん
  • 安藤甚左衛門(紀州藩江戸留守居役)=神山繁さん

  • お京(板東松之丞一座の役者)=岡本夏生さん
  • 坂東染吉(板東松之丞一座の役者)=石井洋祐さん
  • 平賀源内=火野正平さん

  • 鶴姫(宗睦の妹)=五十嵐いづみさん

  • 田沼意次=遠藤太津朗さん
  • 田沼意知=原田大二郎さん
  • 松平定信=ひかる一平さん

  • 水戸・徳川治保はるもり=深江卓次さん
  • 清姫(治保の妹)=松本友里さん

  • 徳川家治=仲谷昇さん


◇各話タイトル

  1. 青年藩主失踪‼次期将軍の座を捨て、混乱の市中へ!田沼悪政に正義の鷹が翔ぶ!
  2. 命も売ります⁉大名行列あと始末
  3. 仇討ち大好き!殿、ご乱心
  4. 日本一の殿様宣言
  5. 泣き虫男の超激安戦争!
  6. おらんだ遊女の夢
  7. あやしい街 乙女の涙
  8. 治之進、一世一代の恋
  9. 世にも高貴な用心棒!
  10. 闇を走る鉄仮面!
  11. 渡る世間は泥棒ばかり
  12. 二人の夫を持つ女
  13. 魔神の山!黄金の裸女
  14. 女剣豪・赤頭巾ちゃんの冒険
  15. 初恋探し・宗太郎おんな道中
  16. お京が怒った!天晴れ仇討ち
  17. わがままナマイキ松平定信
  18. 女を捨てた⁉天才女医
  19. 惚れたらダメよ・極道のお姫様
  20. 消えた大名行列⁉
  21. 次期将軍は誰⁉御三家女の乱(最終回)

― ◇ ◇ ◇ ―

この「殿さま風来坊隠れ旅」ですが、元ネタがあります。

それは東映の時代劇作品で、

  • 「殿さま弥次喜多 怪談道中」(昭和33年=1958)
  • 「殿さま弥次喜多 捕物道中」(昭和34年=1959)
  • 「殿さま弥次喜多」(昭和35年=1960)

の三部作がそうです。

尾張の殿様・徳川宗長を中村錦之助(のち萬屋錦之助)さんが、紀州の殿様・徳川義直には中村賀津雄さんを演じられ、2人が東海道五十三次を珍道中するといった内容。

京都に住んでいると、KBS京都で嘗ての東映時代劇を観る機会も多々あるわけですが、この作品については観た事がありません。

観られる機会があれば、チェックしなきゃ!(そう考えたら、東映作品のリメイク候補っていっぱいあるもんですよね…)

― ◇ ◇ ◇ ―

実のところ、この「殿さま風来坊隠れ旅」という作品で徳川治貞徳川宗睦という人物を初めて知りました。

治貞の方は、紀州宗家の分家筋にあたる伊予西条藩の出自で初めは頼淳よりあつと称していたのですね。しかし、紀州宗家の当主・重倫が素行不良で早々に隠居させられた事もあり、重倫の実子・治宝はるとみへの中継ぎとして紀州宗家を相続します。

治貞が藩主になった頃の紀州宗家は吉宗が藩主だった頃よりも財政が窮しており、そのため治貞は質素倹約に勤しみます。

治貞が亡くなる頃には財政も安定し、多額の蓄えも有しますが、その財力を背景に大奥とパイプを通じ、幕末期には“南紀派”と呼ばれる勢力を形成してゆくのです。

一方、宗睦は、こちらは宗春の代の景気の悪化&財政赤字の煽りをまともに食らった藩主さんで、結局は鳴かず飛ばずの改革状況、財政赤字は解消されないまま、次の代に移ってしまいという不遇な人だったりします。

しかも、宗睦の実子は全て早世、さらに尾張宗家の分家筋の美濃高須藩からの養子も早世、という事で尾張宗家は一橋家から来た養子が相続します。

つまり、宗睦をもって徳川義直以来続いた尾張宗家の血筋は絶えてしまします。そういう意味では、宗睦は公私ともに不遇な人といえるでしょうね。