「王と私」観賞基礎ノート(2)―内侍府―

金処善

BS日テレにおいて「王と私」(全63話)が現在放送されていますね。

私自身は以前、スカパーのLaLaTVで放送された際に視聴し終えているのですが、その際にまとめ切れなかった事、またBS日テレにて「女人天下」の視聴以降、すっかりハマってしまった父と母に分かり易い様に予備知識を作成しようと思うので、以下まとめてみました。

― ◇ ◇ ◇ ―

この「王と私」の時代背景としては、朝鮮王朝の初期にあたり、第6代国王で、端宗タンジョン3年(1455)に起きた「癸酉靖難ケユジョンナン」によって叔父である首陽大君スヤンテグン(第7代国王・世祖セジョン)に譲位させられてしまった端宗タンジョンが、世祖セジョン2年(1457)に復位を図ろうとした事件(「端宗タンジョン復位事件」)が失敗した辺りから、第10代国王で「戊午士禍ムオサファ」(燕山君ヨンサングン4年:1498)や「甲子カップチャ士禍」(燕山君ヨンサングン10年:1504)など、その行き過ぎた施政により、「中宗反正チュンジョンバンジョン」(燕山君ヨンサングン12年:1506)と呼ばれる朝鮮王朝史上最初となる“臣下によるクーデター”で廃位された燕山君ヨンサングンまでの物語です。

その間、端宗タンジョン世祖セジョン睿宗イェジョン成宗ソンジョン燕山君ヨンサングン5代の国王に至るまでの朝鮮宮中を管掌していた内侍ネシたちにスポットを当てています。

― ◇ ◇ ◇ ―

1.内侍府の成立

内侍府、恭愍王五年、改宦官職、設内詹事、内常侍、内侍監、内承直、内給事、宮闈丞、奚官令、後置内侍府、秩比開城府、判事一人、正二品、検校二十八人、同知事二人、従二品、検校三十二人、知事一人、正三品、検校三十八人、僉事一人、従三品、検校二十八人、同知事二人、正四品、同僉事二人、従四品、左承直二人、正五品、右承直二人、従五品、左副承直一人、正六品、右副承直一人、従六品、司謁一人、正七品、謁者一人、従七品、宮闈丞一人、正八品、奚官令一人、従八品、給事一人、正九品、通事一人、従九品、辛禑罷之、恭譲王復之、階三品
(『高麗史』巻77、百官志)

内侍府ネシブは高麗王朝第31代国王・恭愍王コンミンワンの代、すなわち恭愍王コンミンワン5年(1356)に成立した官衙(官庁)で、一旦は次代の王禑ワンウの代で廃止されますが、第34代国王・恭譲王コンヤンワンの代になって改めて復活します。

その職員構成を見ると、成立当初は、
  • 内詹事
  • 内常侍
  • 内侍監
  • 内承直
  • 内給事
  • 宮闈丞
  • 奚官令
その後改変されて、
  • 判事 1人…正二品相当
  • 検校 28人…従二品相当
  • 同知事 2人…従二品相当
  • 検校三 32人…正三品相当
  • 知事 1人…正三品相当
  • 検校 38人…従三品相当
  • 僉事 1人、従三品相当
  • 検校 28人…正四品相当
  • 同知事 2人…正四品相当
  • 同僉事 2人…従四品相当
  • 左承直 2人…正五品相当
  • 右承直 2人…従五品相当
  • 左副承直 1人…正六品相当
  • 右副承直 1人…従六品相当
  • 司謁 1人…正七品相当
  • 謁者 1人…従七品相当
  • 宮闈丞 1人…正八品相当
  • 奚官令 1人…従八品相当
  • 給事 1人…正九品相当
  • 通事 1人…従九品相当
といった構成員になります。

2.内侍府の職掌

やがて、朝鮮王朝が開かれると太祖テジョ元年(1392)に官制改革が施され、

定文武百官之制…(中略)…文武流品之外、別置内侍府為宦官職…(中略)…皆別其散官職事之号、不使雑于流品(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖元年(1392)7月丁未(28日)条)

の様に、宦官ファングァンの職務として内侍府ネシブが改めて設置されます。

これにより、宦官ファングァンによる内侍府ネシブが朝鮮王朝においても制度上、明文化された事になります。

朝鮮王朝における内侍府ネシブは、「王后与、内侍府」(『朝鮮王朝実録』世宗実録、世宗15年癸丑(1433)5月甲寅(2日)条)とある様に、後宮に所属する官衙でした。

朝鮮王朝後期、高宗コジョンの代に国王の生父である興宣君フンソングン昰応ハウン大院君テウォングン(興宣大院君)となって政治的実権を握ると、勢道セド政治や朋党プンダン政治を改め、王権を強化するための施策の1つとして編纂された『大典会通』(高宗2年:1865)を基に内侍府ネシブの職掌を見てみると、

内侍府
掌大内監膳伝命守門掃除之任
大内(大内裏?)内の食事の監督、王命の伝達、守門・掃除に関する任務を管掌する

共一百四十員四都目
≪全部で140人。1年に4回、都目政事ドモクジョンサ(毎年6月と12月に行われる官員の勤務評定=勤務態度を評価し、異動や任免などを行っていた)を行う

○四品以下依文武官仕数加階三品以上則有特旨乃授
○四品以下は、文武官の勤務日数に準じて昇級させる。三品以上は、王の特旨があれば任命する

<原従功臣則例加至通訓>
<原従功臣ウォンジョンコンシン太祖テジョ成桂ソンゲの朝鮮建国に尽力した人々)の場合、定例によって通訓大夫トンフンデブ(正三品堂下)まで昇級させる>

長番及出入番者毎日給仕一
長番チャンボン(交替勤務ではなく、宿営しながら長期期間、勤務する事)及び出入番チュルイプボン(交替で輪番勤務をする事)の者は、毎日1日分の勤務日数を加算する

<出番亦給>
出番チュルボンにも加算する>

講所読書通給別仕二略通一粗通半不通削仕三
経書(儒教で特に重視される文献)を読ませて解釈試験を行い、「通」で及第すれば特別に2日分の勤務日数を加算し、「略」で及第ならば1日分、「粗」で及第ならば半日分とし、「不通」で落第した場合は、3日分の勤務日数を減算する

<誦亦同>
<経書暗誦試験でも同じ>

講四書中自願一書三処小学三綱行実並三処得通五者加階免学
四書(=『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』)のうち、自分の希望する1つの中から3か所、『小学』・『三綱行実』から合計3か所を解釈させ、「通」を5つ得た者は、品階を昇級させて試験を免除する

<年満三十五亦免>
<年齢が35歳に達しても免除とする>

○聴講日給別仕一毎朔一度講三処依上項給仕毎都目講者則七処誦者則八処倶通倶誦者六品以上則準職七品以下則守職四通三略以上者当受職則陞授其余給仕
○経書解釈試験日は、特別に1日分の勤務日数を加算し、毎月1回3か所を解釈させて、上項に依って勤務日数を加算する。毎回の都目政事において、経書解釈試験で7か所、経書暗誦試験で8か所を全て「通」で及第・暗誦した者は、六品以上ならば準職(品階は昇級せずに俸禄額のみを増やす事)、七品以下ならば守職(品階に相当官職が実際の自分の品階よりも高い状態の官職)に任命する。「通」が4つで「略」が3つ以上の者は、官職を受ける事になっていれば品階を昇級させて任命する。それ以外は、勤務日数のみを加算する

<雖六通七誦有粗則給仕>
<「通」で及第が6つ、暗誦合格が7つだとしても、「粗」が含まれれば勤務日数のみを加算する>

○尚膳二員従二品
尚膳サンソン(定員)2人、従二品相当。宮中において妃嬪ビビン大妃テビ世子セジャなどの食事に関する業務を管掌する者が1人、内侍府の総監する長官が1人

尚醞一員正三品
尚醞サンオン(定員)1人、正三品相当。王室の世話などを管掌する

尚茶一員正三品
尚茶サンダ(定員)1人、正三品相当。王、妃嬪、世子、世子嬪、大妃などの茶菓を接待する業務を管掌する

尚薬二員従三品
尚薬サンヤク(定員)2人、従三品相当。宮中で使用される薬に関する業務を管掌する

尚伝二員正四品
尚伝サンジョン(定員)2人、正四品相当。王命を伝達する業務を管掌する

尚冊三員従四品一鷹坊逓児二大殿薛里酒房対客堂上王妃殿承伝色薛里逓児止此
尚冊サンチェク(定員)3人、従四品相当。うち1人は鷹坊ウンバン(狩猟のための鷹を飼育し、鷹狩に関する業務を管掌する)の逓児職チェアジクとし、2人は大殿テジョン薛里ソルリ(各宮・殿において、王族の傍に近侍する)・酒房・対客堂上(外観上堂上官の様に装い、外国の使節の接待を担当)や王妃殿ワンビジョン承伝色スンジョンセク(王妃の命令を取り次ぐ業務を管掌する)の薛里とする。これらの者の逓児職はここで止まる

尚弧四員正五品大殿鷹坊弓房王妃殿酒房文昭殿薛里世子宮長番逓児止此
尚弧サンホ(定員)4人、正五品相当。大殿の鷹坊・弓房グンバン(政府の武器調達部署である軍器寺クンギシの傘下にあり、戦闘武器としての弓矢などの備品を製造する)、王妃殿の酒房、文昭殿ムンソジョン(太祖李成桂の妃・神懿王后韓氏を祀った殿舎)の薛里、世子宮セジャグンの長番とする。これらの者の逓児職はここで止まる

尚帑四員従五品大殿廂庫灯燭房多人薛里監農世子宮薛里逓児止此
尚帑サンタン(定員)4人、従五品相当。宮廷の財貨を管理する業務を管掌した。大殿の廂庫(宮中の物品を保管する倉庫)1人、灯独房ドゥンチョクバン多人ダイン多人房ダインバンに属する宦官)1人、監農(農事に関する事を管理・監督する宦官)1人、世子宮の薛里1人とし、輪番で業務し、勤務期間中のみ俸禄を受ける。これらの者の逓児職はここで止まる

尚洗四員正六品大殿掌器掌務火薬房司鑰房掌内苑王妃殿灯燭房文昭殿進止世子宮酒房嬪宮薛里酒房逓児止此
尚洗サンセ(定員)4人、正六品相当。大殿の掌器(宮中の器物を管理する業務を管掌する)・掌務チャンム(宮中の一般事務を管理する業務を管掌する)・火薬房ファヤクバン司鑰房サヤクバン(宮城門の鍵を管理する業を管掌する)・掌内苑(宮城の庭園を管理する業務を管掌する)、王妃殿の灯燭房、文昭殿の進止、世子宮の酒房、嬪宮ピングンの薛里・酒房とする。これらの者の逓児職はここで止まる

尚燭四員従六品大殿門差備王妃殿門差備掌務世子宮灯燭房逓児止此
尚燭サンチョク(定員)4人、従六品相当。大殿の門差備ムンチャビ(門番を担当する宦官)、王妃殿の門差備・掌務、世子宮の灯燭房。これらの者の逓児職はここで止まる

尚烜四員正七品世子宮門差備各宮薛里門差備逓児止此
尚烜サンフェ(定員)4人、正七品相当。世子宮の門差備、各宮の薛里・門差備。輪番で業務し、勤務期間中のみ俸禄を受ける。これらの者の逓児職はここで止まる

尚設六員従七品
尚設サンソル(定員)6人、従七品相当。宮殿の補修や宴席を設けるなどの業務を管掌する。輪番で業務し、勤務期間中のみ俸禄を受ける

尚除六員正八品
尚除サンジェ(定員)6人、正八品相当。宮中の掃除業務を管掌する

尚門五員従八品
尚門サンムン(定員)5人、従八品相当。宮門グンムンの守直を担当。輪番で業務し、勤務期間中のみ俸禄を受ける

尚更六員正九品
尚更(定員)6人、正九品相当。王、世子、妃嬪、大妃の日常の世話などの業務を管掌する

尚苑五員従九品≫
尚苑サンウォン(定員)5人、従九品相当>宮廷の庭を育てる業務を管掌する

[増]大殿長番<無定数>出入番<四十二>
[増]大殿長番<定員は設けない>出入番<(定員)42人>

王妃殿出入番<十二>
王妃殿出入番<(定員)12人>

世子宮長番<無定数以大殿長番兼>出入番<十二>
世子宮長番<定員は設けない、大殿長番に兼任させる>、出入番<(定員)12人>

嬪宮出入番<八○各処上直小宦九十>
嬪宮出入番<(定員)8人、○各宮で上直する小宦ソファン(若い宦官)(定員)90人>(「内侍府」『大典会通』巻1、吏典)

3.まとめ

朝鮮王朝における内侍府ネシブは「宮中にて使役される内官」とされ位置付けられ、その職掌は国王(大殿)・妃嬪(中宮や側室)・大妃テビ世子セジャにそれぞれ配属され、侍従と雑務を担っていました。それらの要点をまとめてみると、
  • 内侍府ネシブの定員は140人
  • 職掌は16部門
  • 二品階級の尚膳サンソンから九品階級の尚苑サンウォンまで59人
  • 内侍ネシは、1年に4回、都目政事(毎年6月と12月に行われる官員の勤務評定)で人事査定がなされていた
という事が判っています。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考)「大典会通 巻1 吏典【内侍府】」『大典会通』日本語訳(「The Korean Peninsula Blog」)
※(参考)矢木毅「高麗時代の内侍と内僚」『高麗官僚制度研究』
※(参考)朴孝信「高麗時代の『内侍』―その独自性と別称―」『駿台史学』19
※(参考)西川孝雄「高麗時代の『宦者伝』研究―立志人物の分析―」『愛知学院大学文学部紀要』34

「王と私」観賞基礎ノート―内侍&宦官について―

金処善

BS日テレにおいて「王と私」(全63話)が現在放送されていますね。

私自身は以前、スカパーのLaLaTVで放送された際に視聴し終えているのですが、その際にまとめ切れなかった事、またBS日テレにて「女人天下」の視聴以降、すっかりハマってしまった父と母に分かり易い様に予備知識を作成しようと思うので、以下まとめてみました。

― ◇ ◇ ◇ ―

この「王と私」の時代背景としては、朝鮮王朝の初期にあたり、第6代国王で、端宗タンジョン3年(1455)に起きた「癸酉靖難ケユジョンナン」によって叔父である首陽大君スヤンテグン(第7代国王・世祖セジョン)に譲位させられてしまった端宗タンジョンが、世祖セジョン2年(1457)に復位を図ろうとした事件(「端宗タンジョン復位事件」)が失敗した辺りから、第10代国王で「戊午士禍ムオサファ」(燕山君ヨンサングン4年:1498)や「甲子士禍カップチャサファ」(燕山君ヨンサングン10年:1504)など、その行き過ぎた施政により、「中宗反正チュンジョンバンジョン」(燕山君ヨンサングン12年:1506)と呼ばれる朝鮮王朝史上最初となる“臣下によるクーデター”で廃位された燕山君ヨンサングンまでの物語です。

その間、端宗タンジョン世祖セジョン睿宗イェジョン成宗ソンジョン燕山君ヨンサングン5代の国王に至るまでの朝鮮宮中を管掌していた内侍ネシたちにスポットを当てています。

― ◇ ◇ ◇ ―

1.内侍とは?

さて、国王が公的な事や私的な事をする場を「宮廷」と云います。(因みに「廷」は「庭」の意味があります)

その「宮廷」内で政治的・公的活動の場を「外廷(外朝)」または「府中」と呼び、国王の私生活としての場を「内廷」または「宮中」と呼称します。このように質的に区分された2つの場において―
  • 公人としての国王に奉仕する外廷官(官僚)と、
  • 私人としての国王に奉仕する内廷官(内僚)が、
或いは対立し、或いは補完し合って国政が展開されて行ったのです。

― ◇ ◇ ◇ ―

朝鮮王朝の初期の頃は、高麗王朝の政策の反省点を活かした官制改革の様態が随所に見られるので、高麗王朝期から遡ってみる必要がありますが…

内廷官、すなわち内僚を構成する役職として、主に次の3つが存在したようです―

内侍ネシ
高麗王朝初期には首都・開京ケギョン(現在の朝鮮民主主義人民共和国・開城ケソン市)へ人質に出された有力家門の子弟たちで構成されていましたが、4代国王・光宗クァンジョンの時に科挙クァゴ制度が初めて導入され、5代国王・成宗ソンジョンの時以降はその人質にされていた子弟たちのうち科挙クァゴに及第した者が次第に官僚化(知職に輔弼する文官と身辺の警護をする武官)されて構成されます。

高麗王朝期の内侍ネシは、王命の草案作成や儒教の経典の講義、王室の財政管理全般を担当し、場合によっては、国王に代わって宮廷の外の民性を探る事などもしていました。

任期を終えた優秀な者は新たに地方官や品官に任命される事があったため、人々の間では栄職であると考えられていました。

しかし、高麗王朝末期には武官が内侍ネシを兼任する様になったり、軍役を忌避しようとした者が争うなど、売官が横行します。

内豎ネス宦官ファングァン
宮中の掖庭署エクジョンソ(「掖庭エクジョン」とは皇宮中の宮女の居住する場所を指し、主に宮女の簿籍の管理などを掌ります)に所属する内廷の員僚で構成されていました。

「王と私」では、キム処善チョソンという宦官ファングァンを中心に描かれていますが、燕山君ヨンサングンの代に専横をふるったキム子猿ジャオンという人物については、『朝鮮王朝実録』によればその身分は内豎ネスとなっており、宦官ファングァン内豎ネスにはどういった差異があったのか、今後に究明すべき点だと思います。

― ◇ ◇ ◇ ―

上記の様に、高麗時代前期においては、宮中の侍従と王命の出納(雑務)を掌る内侍ネシには、去勢された宦官ファングァンではなく、科挙に合格した名門家子弟など優れた人材で構成された、いわば最高のエリート官職だったのです。

例えば、“韓国の孔子”と呼ばれるチェチュンの孫で、高麗第11代国王・文宗ムンジョン
の代に活躍したチェ思諏サチュ、高麗第24代国王・元宗ウォンジョンの代に朱子学を導入し、成均館ソンギュングァン(朝鮮時代最古の教育機関で、現在の成均館ソンギュングァン大学校)の振興を図ったアンヒャングなどが内侍院ネシウォンに召され、内侍ネシ職を歴任した人物たちです。

崔思諏…(中略)…冲之孫自少力学工文文宗朝登第王以思諏名家子博学多聞召入内侍省(『高麗史』巻96、列伝巻第9)

安珦…(中略)…少好学元宗初登第補校書郎遷直翰林院属内侍…(中略)…奉使西道以廉称召喚内侍院(『高麗史』巻105、列伝巻代18)

しかし、武臣政権以降は武臣が内侍ネシを兼任する様になり、尚且つ軍役を忌避しようとする者の売官行為が蔓延はびこったり、更には宦官が国王の寵愛によって内侍ネシに任命されるなど、質の低下が見られ出します。

そんな中で高麗王朝後期に至り、内侍ネシ同様に宮中の侍従と王命の出納(雑務)を掌っていた内豎ネスの存在が目立って大きくなってきます。

内豎ネスは殆んど賤隷民出身者によって構成されており、「以内僚口伝及内侍院伝請」(『高麗史』巻104、金周鼎伝)とある様に口伝で王命の出納(雑務)にあたるという点で内侍ネシとは異なる存在でした。

そもそも、賤隷民出身者による政界進出は、モンゴルへの服属以降に増加していった傾向にあります。

それは、高麗国王の立場が常に不安定なものであったため、国王は側近が絶対の忠誠心を持っている事を最重要視し、賤隷民出身者も寵愛を受けるためにより一層の忠誠を誓い、国王のために必死で功を立てようとするなど、相互の利害関係が一致し深い信頼関係が結ばれた結果、賤隷民出身者はより出世をする事が可能になり、且つ国王は自身の立場の安定を図る事ができたという要因も絡んでいます。

賤隷民出身者の政界進出は、高麗王朝後期のモンゴル服属という背景が国王と忠臣の間の関係をより密接なものにしたために頻繁に起こり得た現象だったのです。

2.宦官とは?

宦官ファングァンとは、去勢(=生殖器を切除する事)を施された官吏の事を云います。「ファン」は「神に仕える奴隷」という意味があり、転じて王宮に仕える者と解され、宮中で用いられた官吏を宦官ファングァンと呼称する様になります。

その存在は、古代中国に始まり、朝鮮やヴェトナムなど、主に中国の版図であった東アジア圏に広まりました。

日本においては、一般的風習としては広がりをみせていませんが、男性器(陰茎と陰嚢)を去勢した例(「羅切らせつ」と呼んでいた…)はあった様です。

例えば、『宇治拾遺物語』第6「中納言師時もろときが法師の男根をあらためた事」での記載や、後鳥羽上皇が熊野参詣中の建永元年(1206)、法然ほうねんの弟子で後鳥羽院の女房たちと密通を働き女犯にょぼんの罪に処された安楽房あんらくぼう遵西じゅんさいは宮刑として「羅切」されています。

また、『後太平記』によれば「建武式目」には宮刑の記述があり、男性は「ヘノコ(陰核)を裂き」(=陰茎や陰嚢を切除)、女性は膣口を縫い潰して塞ぐとあります。

元々、中国において刑罰によって去勢された者や異民族からの捕虜、或いは献上奴隷の者たちが去勢を施された後、皇帝や後宮に仕えるようになったのが宦官ファングァンの始まりと云われています。

皇帝やその寵妃たちに重用され、権勢を誇る者も出現する様になると、自宮じきゅうといって、自ら去勢して宦官ファングァンを志願する者たちも現れるようになります。(但し、去勢した後の傷口から細菌が入って死ぬケースがみられるなど、生存率は約3割弱であったようですが…)

中国で有名な宦官ファングァンといえば、
  • 趙高(戦国末期~秦の政治家)
  • 司馬遷(前漢の歴史家、『史記』の著者)
  • 蔡倫(後漢の宦官ファングァン、製紙法の製造技術を改良)
  • 十常侍(後漢末期に専権をふるった宦官ファングァングループ)
  • 黄皓(蜀漢の宦官ファングァン
  • 鄭和(明の武将、南海への大航海を行使)
らが挙げられますね。

ドラマの舞台である朝鮮では、現存する朝鮮最古の歴史書『三国史記』の巻10『新羅本紀』には、

興徳王立…(中略)…冬十二月 妃章和夫人卒…(中略)…王思不能忘 悵然不楽 群臣表請再納妃 王曰 隻鳥有喪匹之悲 况失良匹 何忍無情遽再娶乎 遂不從 亦不親近女侍 左右使令 唯宦竪而己

とある様に、新羅の第42代国王・興徳王フンドクワンが、王妃の章和チャンファ夫人が興徳王フンドクワン元年(826)に即位後2か月で死去してからは、後妃を迎えず、ましてや後宮の侍女も近づけず、「宦竪」、すなわち宦官ファングァンに身の回りの世話をさせた、記述があり、9世紀頃には既に宦官ファングァン制度が存在した事が判ります。

その後の高麗王朝や朝鮮王朝にも宦官ファングァン制度は存続しています。

また、自国の官僚として使用しただけではなく、自国民を宦官ファングァンにして宦官を宗主国(=歴代の中国王朝)や従属を認めた北方民族(契丹→遼)などに朝貢品の1つとして貢進していた事でも知られています。

元王朝の順帝(トゴン・テムル)時代に皇后ファンフの腹心となり、後宮に権勢を振るったパク不花ブルファという人物は、高麗王朝から貢進された宦官ファングァンであり、また太宗テジョン3年(1403)には、

乙亥朔/朝廷使臣韓帖木児、与還郷宦官朱允端来。有宣諭、選年少無臭気火者六十名以遣。上郊迎、至闕設宴。(『朝鮮王朝実録』太宗実録、太宗3年(1403)11月乙亥(1日)条)

庚申/使臣韓帖木兒還。率被選火者三十五人而赴京也。上餞于西郊、宦者等皆涕泣。(『朝鮮王朝実録』太宗実録、太宗3年(1403)閏11月庚申(17日)条)

の様に、明王朝の皇帝(永楽帝)より「年齢が若く、容姿閑雅、性質利発な「火者」(=宦官ファングァンの別称)60名を選抜して貢進せよ」との聖旨が奉られ、まず35名が選ばれ、以降も人数が選ばれたという記録が残されている。

宦官ファングァンになる者には、
  • 異民族の捕虜に対して雑役に使うために去勢してしまう場合
  • 外国からの貢進や奴隷貿易によって得た奴隷を労役に使うために去勢してしまう場合
  • 罪によって宮刑に処せられ、罰として宮廷に送り込まれる場合
  • 個人的な理由から自ら志願、或いは親の命令によって手術を受け、宮廷に入る場合
などに分別できますが、「王と私」の場合、貧しい者でも内侍になれば王宮に勤める事ができるため、生活に困窮した庶民が幼い息子を内侍に差し出す様子が描かれています。また、宦官ファングァンになって運良く出世すれば、一気に富貴の身になれるし、形式的に妻を娶り養子をとる事で家門を繁栄させている様が描かれていましたね。

去勢の方法としては、
  • 完全去勢
     中国(陰茎と睾丸を切除)、日本(陰茎と陰嚢を切除)、イスラム諸国(陰茎と陰嚢及び睾丸を切除)

  • 不完全去勢
     朝鮮(睾丸のみ切除)、イスラム諸国(陰嚢または両方の睾丸のみ切除)
がありました。朝鮮での去勢は不完全去勢(睾丸のみ切除)だったので、実際に性交渉は可能だったようですね。

刀子匠

現在の大韓民国ソウル特別市永登浦ヨンドンポ区を流れる漢江ハンガンの中州・汝矣島ヨイド龍湫ヨンチェという池の傍に、「王と私」でいう内子院ネジャウォン(私設内侍養成所)とまではいかないけど、内侍が量産された施術所があったそうです。そこでは、
  • 政府公認の去勢手術を行う施術者である刀子匠トジャチャンという職人が従事していた
  • まず白い紐などで志願者の下腹部と足の付け根部分を紐で縛り、次に熱い胡椒湯で性器を念入りに洗う
  • 刀子匠トジャチャンは志願者に対して最後の念押しをする(「後悔するか?、しないか?」とか…この時、少しでも躊躇ためらいの表情が顔に出れば施術は行われない)
  • 本人が納得していれば、刀子匠トジャチャンは鎌状にやや反り返った小さな刃物で根元を緊縛して勃起させた性器を切除し、熱した灰で止血します熱い砂の中に埋めたり、油を塗って止血をする
  • 白蝋はくろう(銅と亜鉛の合金)などの金属の針などを尿道に押し込んで栓をし、傷口は冷水に浸した紙で覆い、注意深く包み込む(傷口が盛り上がって尿道を塞いでしまうのを防ぐため)
  • 介助者に抱えられて2~3時間、部屋の中を歩き回った後、横臥させられる
  • 術後、水を呑まないまま3日間寝たままで過ごす(喉の渇きや傷の痛みのため、相当な苦痛を経験するのだとか―)
  • 3日経って尿道から栓を抜いた時に噴水の様に尿が出れば成功(尿が出ないと場合、施術は失敗で尿毒症による死が待っている…)
  • 刀子匠トジャチャンはかなり高い技術水準だったようで、成功率は97~98%だった模様
  • 術後、傷が癒えて起き上がるまでに100日程度を要したらしい
  • 切除された性器は、刀子匠トジャチャンにより腐敗しない様に加工され、小さな壺に収められる(この壺が宦官ファングァンにとっての身分証明になる)
  • 施術料には身元保証人が必要で、希望者が貧困民の場合、出世払いというケースが多かった
  • 施術料が払えない場合、性器が入った壺が未払いの担保として没収されるという
  • 8歳より前に性器を切除された場合、稀に新しい性器が成長する可能性があるらしい
「王と私」内子院ネジャウォンの生徒の中では唯一、チョン漢守ハンスだけが去勢手術を受けていますよね。去勢後3日間は水が飲めず、地下牢で苦しんでいたシーンが想い出されます。

そんな漢守ハンスは生存率約3割弱を克服した強者と云えましょう(まぁ、お母さんに楽をさせたい一心ってのもあったし…)…しかし何と言っても、刀子匠トジャチャンが腕の確かなケドチだったのも幸いしたのかな!

また、チェ自治ジャチみたく、男性器が生来の不具だったり、切除したのにも拘らず、新しく性器が成長しちゃった挙句に、宦官ファングァンの中には女官と密通しちゃう(=「テサリ」)ケースもよく見かけられたとか―

※余談ですが、ヴェトナムでは1945年に廃止されるまで宦官ファングァン制度が残っていたそうですよ。

3.その後の内侍と宦官

最終的に、内侍府ネシブ宦官ファングァンの職となっていく過程を見ると、

内侍府、恭愍王五年,改宦官職、…(中略)…辛禑罷之、恭譲王復之、階三品(『高麗史』巻77、百官志)

  1. 恭愍王コンミンワンの代、すなわち恭愍王5年(1356)に宦官ファングァンが改変され、成立した官衙(官庁)であった
  2. 王禑ワンウの代になり、廃止したが、恭譲王コンヤンワンの代になり、復活した
恭愍王コンミンワン宦官ファングァンたちを重用するのに対し、

凡宦官職、…以宦官参朝官、無古制…(中略)…宦者、自国初、至慶陵朝、不得参官、近来、以宮中伝命之任、…(中略)…願遵慶陵之制、不許拝朝官、…(中略)…祖宗之制度、宦寺無官、文廟之世、宦寺給事、不過十数人、亦未嘗食禄、忠烈王朝、亦不拝参官、至于玄陵、使宦寺、…(中略)…今復立内侍府、階三品、…(中略)…願宮中給事者、只給衣食、罷内侍府、判曰、自今、不許朝官、毋革内侍府(『高麗史』巻75、選挙志、銓注)

宦寺、本以宮内掃除為職、無与外事、…(中略)…在我祖宗之制、宦官給事、不過数十人、亦未嘗食禄、至于玄陵、刑余熏腐、布列朝班、卒致万生之変、亦殿下之所親見也、殿下即位、復立内侍府、階三品、是殿下以中興之主、復踏亡国之轍也、願自今、宮中宦官給事者、只給衣食、罷内侍府、不聴(『高麗史節要』巻34、恭譲王元年12月条)

として、
  1. 宦官ファングァンは制度上の職制にはなかった
  2. 宦官ファングァンは数十人しかおらず、無給だった
  3. 宦官ファングァンは宮中の掃除など、雑役を担っていた
などを引き合いに立て、内侍ネシを廃止するようにと上疏する者もいたが聞き入れられず、恭愍王コンミンワンの代で宦官ファングァンが国政を議する様になったのです。

定文武百官之制…(中略)…文武流品之外、別置内侍府宦官職、掖廷(庭)署内豎職…(中略)…皆別其散官職事之号、不使雑于流品(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖元年(1392)7月丁未(28日)条)

やがて、朝鮮王朝が開かれると太祖テジョ元年(1392)に官制改革が施され、掖庭署エクジョンソ内豎ネスのみの職務となり、宦官ファングァンの職務として新たに内侍府ネシブが設置されます。

これによって、内侍ネシたちによる内侍院ネシウォンと、宦官ファングァンたちによる内侍府ネシブが並び立つ訳ですが、「大王与、内侍院;王后与、内侍府」(『朝鮮王朝実録』世宗実録、世祖セジョン15年癸丑(1433)5月甲寅(2日)条)の様に、内侍院ネシウォンは国王に所属する官衙、内侍府ネシブは後宮に所属する官衙とされたのです。

議政府拠吏曹呈啓「内侍院内侍府、名号相同、請改内侍院内直院」従之(『朝鮮王朝実録』世宗実録、世祖セジョン27年(1445)4月庚午(27日)条)

ところが、内侍ネシが勤務する内侍院ネシウォン宦官ファングァンが勤務する内侍府ネシブが名称が混同するので、内侍院ネシウォン内直院ネジクウォンという名称に改められます。この内直院の主な職務は、宦官ファングァンの権力を牽制、監視するために設置された機関です。

吏曹啓「内直司樽別監、皆已革罷、其所任諸事、請令兵曹、用忠義、忠贊衛差定」從之(『朝鮮王朝実録』世祖実録、世祖12年(1445)正月壬子(9日)条)

しかし、結局のところ、行政刷新の波により、内直院ネジクウォンの職務分掌の全てが丞政院、忠義衛、忠贊衛にそれぞれ分離され、高麗初期から続いた内侍院ネシウォンは役割を終える事になります。

4.まとめ

朝鮮王朝における宦官ファングァン「去勢された男子が内侍府ネシブに所属し、宮中にて使役される内官」と規定できます。その内容は国王(大殿)・王妃(中宮)・大妃テビ・(王)世子セジャ(世子宮)に配置され、使命と雑務を担うものでした。初期の頃は僅か数十人に過ぎませんでしたが、その数は140人にも達した程でした。

朝鮮における宦官ファングァン制度光武グァンム皇帝ファンジェ高宗コジョンの時代に行われた甲午改革カボゲヒョク高宗コジョン31年~光武グァンム元年:1894~97)によって廃止されるのです。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考)宦官列伝
※(参考)矢木毅「高麗時代の内侍と内僚」『高麗官僚制度研究』
※(参考)朴孝信「高麗時代の『内侍』―その独自性と別称―」『駿台史学』19
※(参考)西川孝雄「高麗時代の『宦者伝』研究―立志人物の分析―」『愛知学院大学文学部紀要』34

昭和20年8月、樺太の悲劇―その2 ドラマ「天北原野」と三船殉難事件

私が初めて昭和20年(1945)8月の樺太からふと(現在のロシア連邦サハリン州)の悲劇について知ったのは、あるドラマがきっかけでした。

それは、昭和52年(1977)4月6日~8月31日に全22話で放送された天北てんぽく原野」というドラマで、三浦綾子さんの同名小説『天北原野』が原作のドラマでした。

ちなみに、天北原野とは、北海道北オホーツク一帯に属する、天塩川と頓別とんべつ
川の下流から北方の平野地帯を指し、道北地区側のサロベツ原野(豊富町とよとみちょう幌延町ほろのべちょうの海岸線沿いに200k㎡に及ぶ広大な湿原)とオホーツク地区側の猿払さるふつ原野(稚内市、猿払村、浜頓別町、枝幸町えさしちょうの海岸線沿いに500k㎡に及ぶ湿原帯)を指し、北海道にかつて存在した旧塩国と旧見国から一字を採って呼んでいます。

ドラマのあらすじは―

舞台は大正末期から昭和の敗戦直後に道筋を置いており―
北海道ハマベツ。
貧しいこの土地で生まれ育った美しい少女貴乃きのと、小学校校長の息子孝介は、お互いに愛し合い、結婚の約束を結んでいた。
しかし製材所の息子完治の恐ろしいたくらみによって、孝介は遠い樺太へと旅立ち、残された貴乃には完治の執拗な求愛が続く…
激しい運命の嵐に翻弄される貴乃と孝介。二人の仲が引き裂かれるほど、心の奥で愛は静かに燃え上がる。完治はあくどい方法で財をなし、その妹あき子はロシア人の青年イワンとの不倫の恋に苦しむ。
平和に見えた樺太にも戦争の影は近づき、やがてソ連軍が侵入してくる…

といった展開。主な配役は、
  • 菅井貴乃=山本陽子さん
  • 池上孝介=北大路欣也さん

  • 須田原完治=藤岡琢也さん
  • 須田原あき子(完治の妹、孝介の妻)=松坂慶子さん

  • 須田原伊之助(完治の父)=小沢栄太郎さん
  • 須田原フク(完治の母)=赤木春恵さん
  • 須田原達吉(完治の兄?弟?)=松山英太郎さん
  • 須田原加津夫(完治と貴乃の子)=佐久田修さん
  • 須田原弥江(完治と貴乃の子)=杉田かおるさん

  • 池上太郎(孝介の父)=加藤嘉さん
  • 池上定子(孝介の母)=三宅くにこさん
  • 池上京治(孝介の養子、実はあき子とイワンの子)=ジョナサン・クラウセンさん

  • 菅井兼作(貴乃の父)=三国連太郎さん

  • 梅香(完治の愛人)=倍賞美津子さん

  • 五郎治後家(樺太の網元)=清川虹子さん

  • 石田=山本麟一さん

  • イワン・シーモノフ(あき子の浮気相手、京治の実父)=デニス・ファレルさん

  • ナレーション=森繁久彌さん
が演じられています。それぞれ、各話タイトルは、
  1. 冬の花びら
  2. 恋ごころ
  3. 今日をかぎりの
  4. さいはての便り
  5. かなしい再会
  6. 恋の残り火
  7. 女ふたり
  8. 愛の行方
  9. 白夜の宴
  10. 満たされぬ日々
  11. 女のしあわせ
  12. かえれない女
  13. ばらの散る日
  14. 罪の子
  15. 秘密
  16. 孤閨の女たち
  17. 日蔭の女
  18. 別れ
  19. その前夜
  20. 戦火のさなかに
  21. いのち哀し
  22. 海の墓(完)
となっています。

― ◇ ◇ ◇ ―

このドラマの中で、樺太の悲劇を描いたのが第20話以降になりますが、こちらは樺太でも最南端の大都市・豊原とよはら(現在のロシア連邦サハリン州ユジノサハリンスク)が舞台で、まさにソ連軍から避難しようとする樺太在居留民たちの悲劇がまざまざと描かれているのです。

第二新興丸の積み荷で、多数の犠牲者の血で染まっていた「血染めの米」

その主な歴史的事象は「三船殉難事件」が挙げられます。

「三船殉難事件」というのは、昭和20年(1945)8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの婦女子や老人を主とする引揚者を乗せた日本の引揚船3隻(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)が国籍不明の潜水艦による攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没し、第二新興丸が大破したという、判明しているだけで1708名以上が犠牲となった事件です。

まず、8月22日午前4時20分頃、逓信省の海底ケーブル敷設船小笠原丸が留萌沖の海上で国籍不明の潜水艦の雷撃により撃沈され乗員乗客638名が死亡。生存者はわずか61名でした。

続いて午前5時13分頃、大泊おおどまり(現在のロシア連邦サハリン州コルサコフ)からの引揚者約3400名を乗せていた特設砲艦第二新興丸が留萌沖北西33kmの海上で、同じく国籍不明の潜水艦の魚雷が右舷船倉に命中し、重油が漏れ出します。さらに浮上した2隻の潜水艦により銃撃を受けたため、応戦します。

しかし、第二新興丸は船体に大きな損害を受けたものの機関に異常はなかったため留萌港に入港。船内で確認された遺体は229体。行方不明者も含めると400名近くが犠牲となりました。

同日午前9時52分には、引揚者を乗せていた貨物船泰東丸が北海道留萌小平町沖西方25kmの海上において、浮上した国籍不明の潜水艦の砲撃を受けます。同船には武装設備がなかったため戦時国際法に則り白旗を掲げたのですが、潜水艦はこれを無視して砲撃を続けられて沈没。乗員乗客約780名中、667名が死亡しました。

― ◇ ◇ ◇ ―

さて、「天北原野」の中では、「三船殉難事件」は次の様に描かれています。

貴乃は孝介の母・定子と息子の京治、自分の娘である弥江と共に上記の第二新興丸で樺太からの緊急疎開を図りますが、貴乃と京治が乗り遅れ、定子と弥江が先に乗船して本土に向かったのです。そこに潜水艦による攻撃で第二新興丸が大破し、定子は死亡、弥江は海にさらわれて行方不明となってしまいます。

実際のところ、樺太からの緊急疎開に成功したのは、全樺太住民の1/4以下しか避難できなかったと云われています。

その後、海域はソ連軍により封鎖されてしまい、自力で帰国する術はほとんどなくなったのです。

これらのシーンを観ていた訳ですが、当時小学校6年生だった自分としてはかなり強烈なインパクトがありました。ちょうどまた、歴史の授業を習い始めた学年でもあったので、余計心に残ったのでしょうね!

私の母方の祖母も実は樺太に住んでいた事があって、その親戚の皆さんは稚内や留萌に住んでおられますが、樺太から本土に帰って来られたんですよね。

最初に視聴した時から33年の年月が経ちましたが、再び観てみたい気がします。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)北海道新聞社編『慟哭の海―樺太引き揚げ三船遭難の記録』

― ◇ ◇ ◇ ―

※(関連)昭和20年8月、樺太の悲劇―その1 映画「樺太一九四五年夏 氷雪の門」と真岡郵便電信局事件(1)
※(関連)1945年8月15日
※(関連)北方四島の話

昭和20年8月、樺太の悲劇―その1 映画「樺太一九四五年夏 氷雪の門」と真岡郵便電信局事件(1)

hyosetsu_no_mon_001.jpg hyosetsu_no_mon_002.jpg

別件で昭和20年(1945)8月の樺太からふと(現在のロシア連邦サハリン州)の悲劇について調べていたら、「樺太一九四五年夏 氷雪の門」という映画が公開されている、という情報を知りました。

この映画は、現在から36年前の昭和49年(1974)、封切り直前でストップがかかり、一般公開が中止となったのです。

当時としては製作実行予算が5億数千万円を超える超大作映画として話題を呼び、戦闘シーンは陸上自衛隊が全面協力。企画・製作に9年もの時間を費やし、文部省選定や各種団体の推薦も受けていました。また、試写会や調査やアンケートを重ね、史実に忠実に作られ、前評判や口コミからなどから前売り券の売上も何と70万枚に達していたと云われています。

一般公開直前になり、配給元の東宝が公開中止を決定。その背景として「反ソ映画の上映は困る」とのソ連政府による抗議&圧力がありました。

その後、東映洋画配給によって北海道と九州で2週間程の劇場公開がなされ、以降、殆んど発禁映画扱いとなってしまったのです。(一部の地域では、学校教育映画という形で見ている世代の方もおられるようですが…)

しかしながら、ソ連に没収されてしまったとの噂もあったフィルムが平成18年(2004)に発見され、、フィルムをデジタルリマスター化して、当時は上映時間が156分でしたが、それを119分にまとめて、漸く全国順次劇場公開が決定したのです。

舞台背景は、太平洋戦争末期の樺太です。当時は北緯50度を境界線に南半分が日本領、北半分がソ連領でした。

昭和20年(1945)8月、ソ連赤軍の突然の南下により、樺太を舞台に日本で最後の地上戦が行われるたのです。

しかも、日本は敗戦に伴う、戦闘行為の停止を命ぜられていた状況を縫う様にソ連赤軍は侵攻をはかり、多くの民間人がその犠牲になったのです。

中でも、樺太の西海岸の要衝の地、真岡郡真岡町(現在のロシア連邦サハリン州ホルムスク)の地で郵便局の電話交換業務に当たっていた9人の女性交換手たちが服毒自殺を遂げた(「真岡郵便電信局事件」)という悲しき運命をモチーフに描かれたのが、この映画なのです。


ストーリーあらすじは、

1945年夏、太平洋戦争は既に終末を迎えようとしていたが、戦禍を浴びない樺太は、緊張の中にも平和な日々が続いていた。しかし、ソ連が突如として参戦し、日本への進撃を開始した。北緯50度の防御線は瞬く間に突破され、ソ連軍は戦車を先頭に怒涛のごとく南下してきた。

戦禍を被った者たちは、長蛇の列をなして西海岸の真岡の町をめざした。

真岡郵便局の交換嬢たちは、4班交代で勤務に就いていた。彼女たちの中には、原爆を浴びた広島に肉親を持つ者がいる。最前線の国境に恋人を送りだした者がいる。戦火に追われて真岡をめざす姉を気づかう者がいる。刻々と迫るソ連軍の進攻と、急を告げる人々の電話における緊迫した会話を、彼女たちは胸の張り裂ける思いで聞くほかになすすべがなかった。

8月15日、全く突然に終戦の報がもたらせられた。敗戦国の婦女子がたどる暗い運命、生きられるかもしれないという希望、様々な思いが交錯する中で、樺太全土に婦女子の疎開命令が出た。一人、また一人と、交換嬢たちも引き揚げて行く。だが、その中には命令に従わず、“決死隊”としてその編成に参加し、交換手として職務を遂行しようと互いに励ましあい、責任を果たそうと心に誓う20名の乙女たちがいた。ソ連の進攻は依然として止むことなく、むしろ、激しさを増した。戦争は終わったのではないか?人々は驚愕し、混乱した。

8月20日、霧の深い早朝。突如、真岡の町の沿岸にソ連艦隊が現われ、艦砲射撃を開始した。町は紅蓮の炎につつまれ、戦場と化した。

この時、第一班の交換嬢たち9人は局にいた。緊急を告げる電話、町の人々への避難経路を告げ、多くの人々の生命を守るため、彼女らは職場を離れなかった。じりじりと迫るソ連兵の群。取り残された9人の乙女たち。胸には青酸カリが潜められていた。

局の窓から迫るソ連兵の姿が見えた。路上の親子が銃火を浴びた。もはや、これまでだった。班長はたった一本残った回線に「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」と告げると静かにプラグを引き抜いた…(「パンフレット」より)

といった感じ!主な配役は、

  • 関根律子(第一班班長)=二木てるみさん
  • 藤倉信枝(第一班副班長)=鳥居恵子さん
  • 斎藤夏子(第一班副班長)=岡田可愛さん
  • 石田ゆみ=野村けい子さん
  • 鳥貝啓子=今出川西紀さん
  • 堀江正子=八木孝子さん
  • 神崎泰子=相原ふさ子さん
  • 青木澄子=桐生かほるさん
  • 仲村弥生=木内みどりさん
  • 林田千恵=北原早苗さん
  • 手塚美沙子=大石はるみさん
    …亡くなられた交換手の高石ミキさん(24歳)、可香谷よしがだにシゲさん(23歳)、伊藤千枝さん(22歳)、志賀晴代さん(22歳)、吉田八重子さん(21歳)、高城淑子さん(19歳)、沢田君子さん(18歳)、渡辺照さん(17歳)、松橋みどりさん(17歳)らの8月20日当日のそれぞれのエピソードがモチーフ!
  • 香取知子=岡本茉利さん
    …三船殉難事件(実際には2日後の22日だが…)がモチーフ!
  • 坂本綾子(第4班班長)=藤田弓子さん
    …上野ハナさんがモデル?
  • 三好とく=真木沙織さん
  • 北野早苗=藤園貴巳子さん
  • 植中賢次(真岡郵便局長)=千秋実さん
    …上田豊三局長がモデル
  • 久光忠夫(向地視察隊日の丸監視哨隊長)(中尉)=若林豪さん
  • 仁木第八八師団長(中将)=島田正吾さん
    …峯木十一郎中将がモデル
  • 鈴木参謀長(大佐)=丹波哲郎さん
    …鈴木康大佐がモデル
  • 吉崎大尉=三上真一郎さん
  • 清水連隊長=藤岡重慶さん
  • 田尻第五方面軍参謀(中佐)=岸田森さん
  • 村口歩兵二五連隊第1大隊副官(中尉)=黒沢年男さん
    …村田徳兵中尉がモデル
  • 岡谷俊一(王子製紙樺太工場勤務のバレーボールコーチ)=佐原健二さん
  • 関根辰造(関根律子の父)=今福正雄さん
  • 関根しず(関根律子の母)=赤木春恵さん
  • 森本きん=七尾伶子さん
  • 藤倉亮介(藤倉信枝の父)=伊沢一郎さん
  • 安川徳雄(藤倉信枝の義兄)=田村高廣さん
  • 安川房枝(藤倉信枝の姉)=南田洋子さん
  • 鳥貝オサム(鳥貝啓子の弟)=水野哲さん
  • 中西清治(堀江正子の恋人、鉄道省樺太鉄道管理局機関士)=浜田光夫さん
  • 斉藤秋子(斎藤夏子の妹、太平炭鉱病院看護婦)=岡田由紀子さん
    …大平炭鉱病院の看護婦集団自決(8月17日)がモチーフ!
  • 菅原良子=柳川慶子さん
  • 菅原美保子=栗田ひろみさん
  • 小松慶市=見明凡太朗さん
  • 梅津勝介=柳谷寛さん
  • 神崎雄一(神崎泰子の父)=織本順吉さん
  • 手塚美沙子の父=中条静夫さん
  • 仲村悦子(仲村弥生の母)=鳳八千代さん
  • 柳田=久野四郎さん
  • 高木=城山順子さん
  • 渡部(泊居とまりおる郵便局長)=久米明さん

― ◇ ◇ ◇ ―

という事で、京都みなみ会館(京都市南区)で22日まで上映中との情報を入手したので、早速観てきました!(気持ち、20日までに観たかったので…)

前もって下調べをしてから観たので、意外とスムーズに映画のシーンの状況が呑み込め易かったです。戦闘シーンは迫力があったし、何といっても真岡郵便局の女性電話交換手たちのいじらしい面と職務を全うな心持ちがすごく共感できます。

途中の交替・休憩時間中に女性電話交換手たちのみんなで唄っていた♪椰子の実♪がラストシーンで再び来た時は思わず涙腺がポロポロ…状態でしたよ。

周りを見ても、映画が終了した後、暫く立ち上がれない人で一杯でした!

個人的な話、僕の母方の祖母の実家の人たちも樺太帰りで稚内に住み着いたそうなので、すごく遠い縁なんだけれども、近き運命を感じられる…そんな気分でこのエピソードを想っています。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(関連)昭和20年8月、樺太の悲劇―その2 ドラマ「天北原野」と三船殉難事件
※(関連)1945年8月15日
※(関連)北方四島の話

「Dr.トラッパー/サンフランシスコ病院物語」


久々、というか何とも懐かしい番組を探し当てました!

昔、中学生から高校生にかけての頃に放送していた海外ドラマで、ちょうどKBS京都の夜の10時くらいに放送していた「Dr.トラッパー/サンフランシスコ病院物語」(原題は、Trapper John, M. D.)というタイトルでした。

1979年(昭和54)からアメリカのCBSで7年間にわたって放送された医療ドラマ(アメリカではメディカルドラマと呼ばれている)で、日本では昭和57年(1982)に放送が開始しました。(おそらく、シーズン4以降だったような…)

この「Dr.トラッパー/サンフランシスコ病院物語」は―

朝鮮戦争において、最前線から韓国側へ6kmの地点に置かれたMASHと呼ばれるアメリカ陸軍第4077移動野戦外科病院(Mobile Army Surgical Hospital)に配属していた経験を持つ外科医トラッパー・ジョン・マッキンタイア(Trapper John McIntyre)大尉のその後を描いた作品となっています。

朝鮮戦争から28年後、サンフランシスコ・メモリアル病院の外科主任となっている“トラッパー”ことジョン・マッキンタイアは昔のような無鉄砲さはいくらか影をひそめ、物事に動じず、ユーモアのたっぷりな性格の医師です。

その“トラッパー”の相棒なのが、ヴェトナムの野戦病院から戻ってきた青年医師で、型破りで熱血漢な性格の“ガンゾ”で、若い頃のトラッパーを想わせるガンゾを暖かく見守るトラッパーとガンゾを中心に、タフネスおばさんの婦長“スターチ”と、グラマーな看護士“モンロー”、ギャンブル好きの医師“ジャックポット”、病院の理事長の息子=お坊ちゃんの“リバーサイド”らがサンフランシスコ・メモリアル病院で起こる出来事に対処していきます。

主な配役&声の吹き替えは、

  • “トラッパー”ジョン・マッキンタイア医師=パーネル・ロバーツさん(石田太郎さん)
  • “ガンゾ”ジョージ・アロンゾ・ゲイツ医師=グレゴリー・ハリソンさん(安原義人さん)
  • “スターチ”クララ・ウィロビー婦長=メアリー・マッカーティさん(遠藤晴さん)
  • “モンロー”グロリア・ブランクシ看護師=クリストファー・ノリスさん(高島雅羅さん)
  • “ジャックポット”ジャスティン・ジャクソン医師=ブライアン・ミッチェルさん(亀山助清さん)
  • “リバーサイド”スタンレー・リバーサイド2世=チャールズ・シーバートさん(野島昭生さん)


― ◇ ◇ ◇ ―

この作品は放送当時、もう欠かさず観ていました。その頃はビデオなんてなかったので、一話一話をかじりつくかのように観ていたので、今でも主題歌のメロディはもちろん、一部のシーンでのセリフなど、よく憶えているんですよね。

さらに、もちろん観ていたのは日本語吹き替え版なのですが、配役陣の声優さんたちがそれぞれの個性を充分に出しておられたので、のめり込むようにストーリーに魅入っていた感じでした。