(書斎の窓)山田貴司編著『加藤清正』(『シリーズ・織豊大名の研究』第2巻)

『シリーズ・織豊大名の研究』第2巻『加藤清正』

戎光祥出版から刊行された『シリーズ・織豊大名の研究』の第2巻は『加藤清正』です。以下、目次を掲載―

山田貴司編著『加藤清正』(『シリーズ・織豊大名の研究』第2巻)

文禄の役や関ヶ原合戦における政治的動向、領国支配の内実や海外貿易との関係、清正公信仰やゆかりの文化財論等、必読論文11本が収録されています。

(目次)
総 論 加藤清正論の現在地(山田貴司)
第1部 政治的動向とその立場
 Ⅰ  加藤清正と畿内―肥後入国以前の動向を中心に(大浪和弥)
 Ⅱ  唐入り(文禄の役)における加藤清正の動向(中野等)
 Ⅲ  関ヶ原合戦前後における加藤清正の動向(山田貴司)
第2部 領国支配と海外貿易の展開
 Ⅰ  加藤清正の歴史的位置(稲葉継陽)
 Ⅱ  加藤清正朝鮮陣書状について(藤原秀之)
 Ⅲ  加藤領肥後一国統治期の支城体制について―一国二城体制の考察(上髙原聡)
 Ⅳ  一六世紀末の九州―東南アジア貿易―加藤清正のルソン貿易をめぐって(中島楽章)
第3部 神に祀られた清正
 Ⅰ  民衆の信仰としての清正公信仰(田中青樹)
 Ⅱ  清正公信仰の成立と展開(福西大輔)
第4部 清正の受給文書とゆかりの文化財論
 Ⅰ  肥後加藤家旧蔵豊臣秀吉・秀次朱印状について(金子拓)
 Ⅱ  肥後加藤家旧蔵豊臣秀吉・秀次朱印状について(続)(金子拓)


(書斎の窓)平井上総編著『長宗我部元親』(『シリーズ・織豊大名の研究』第1巻)

『シリーズ・織豊大名の研究』第1巻『長宗我部元親』

戎光祥出版から刊行された『シリーズ・織豊大名の研究』の第1巻は『長宗我部元親』をテーマにされています。以下、目次を掲載―

平井上総編著『長宗我部元親』(『シリーズ・織豊大名の研究』第1巻)

長宗我部氏権力や夫人の出自をはじめとする元親周辺の問題、土佐国の諸領主たちの動向など、入手困難な重要論文14本が収録されています。

(目次)
総 論 長宗我部元親の四国侵攻と外交関係(平井上総)
第1部 権力論
 Ⅰ  永禄末期における長宗我部氏の権力構造―『一宮再興人夫割帳』の分析を中心に―(市村高男)
 Ⅱ  織豊期長宗我部氏の一側面―土佐一条家との関係(御所体制)をめぐって―(秋澤繁)
 Ⅲ  湯築城跡出土の瓦について(中野良一)
 Ⅳ  伊予国における長宗我部氏系築城技術の導入について―愛媛県東部の事例を中心に―(日和佐宣正)
第2部 元親の周辺
 Ⅰ  長宗我部元親夫人の出自について(朝倉慶景)
 Ⅱ  豊臣期土佐における女性の知行―『長宗我部地検帳』を中心に―(吉村佐織)
第3部 土佐国の領主たち
 Ⅰ  戦国末期の国人本山茂辰とその家族たち(朝倉慶景)
 Ⅱ  中世四国における西遷武士団のその後―土佐国久礼城主佐竹氏を中心にして―(市村高男)
第4部 史料論
 Ⅰ  土佐に於ける禅僧余談(関田駒吉)
 Ⅱ  仁如集堯と長宗我部國親(関田駒吉)
 Ⅲ  土佐史界の開拓者谷秦山(関田駒吉)
 Ⅳ  長宗我部元親発給文書に関する若干の考察―永禄期~天正後期を中心にして―(野本亮)
 Ⅴ  長宗我部元親の右筆とその周辺(野本亮)


(書斎の窓)『福島正則の20年』(広島城平成23年度展示図録)をGET!

『福島正則の20年』展示図録の表紙

先日、「(トピックス)毛利氏時代の広島城天守閣の完成年が判明!」のブログ記事を作成する過程で、広島城に関する記事などをネットサーフィンする中で、広島城のサイトを見ていたら、

  『福島正則の20年』

という展示図録冊子の存在を見つけました!早速、在庫を確認し、郵送にて購入GETした訳です。

『福島正則の20年』という企画展示自体は昨年度のイベントで平成23年10月29日~11月27日に閉幕しちゃってました。丁度ちょうど、福島正則の生誕450年を記念して、芸備(安芸・備後)両国を統治した慶長6年(1601)から元和5年(1619)までの20年間を中心にその生涯を振り返った企画展だったようです。冊子の内容はこんな感じ!
  • 広島県内に残る福島氏関係資料をカラー図版で紹介
  • 正則やその一族がしたためた書状も多数紹介
  • 正則が築いた六支城の絵図や出土品を紹介
― ◇ ◇ ◇ ―

学生時代(20数年前です!)、近世ゼミに所属した友人が卒論に「福島正則+広島」という形でテーマを選んだ(私が通っていた学校は地方史に重点をおいた歴史学科で、テーマを選ぶ際も“主要なテーマ+そのメインの都市”という形で執筆しなければならなかったんですね。因みに私は中世ゼミで「豊臣政権+伏見」という感じでテーマを決めました…)のですが、私の場合に当初は「大坂の陣」をメインにテーマ決めをしようとしていましたが、参考となる史料や論文が乏しく(←見つけ方が足りなかったんでしょうけど…)、近世ゼミの連中にも話を聞いたりしていた時に、「福島正則でやるんだ!」って感じで驚きと同時に感心したんですよね。

私がやろうとしていた豊臣だって、その当時は『織田信長文書の研究』『徳川家康文書の研究』のように集録された冊子がなく、それこそ、全国各地の諸大名の編纂物や古文書からあさらなければならず、結果的には同じゼミメンバーで戦国期をテーマにしようとした連中が参考資料とした文献は全部読み漁ったという感じでした。

福島正則の場合も、そういった資料が見つかるのは、やはり安定期に入ってからの江戸期以降で、しかも後年に書かれたであろう編纂物…

第一次史料としての価値から言えば、「?」が付きそうですもんね。

但し、研究のし甲斐は充分に持ち合わせていますよ!例えば、福島正則と聞いて、何がイメージできるでしょう?

大抵たいていの時代劇を観ていて思うのですが、福島正則のイメージキャラって同類の加藤清正と如何どうしても対比させれれて、清正は関羽ばりの知将なのに対し、正則は張飛のような猪突猛進タイプでいくさバカみたいな描き方ばかりです(笑)

しかし、福島正則が城主として治めた伊予今治、尾張清州などの治世を見てみると、武断政治というよりもむしろ、きめ細やかに領内を統治した形跡が多々見られるんですよね!

このように、福島正則を合戦の中での武将としての一面で調査・研究するのもセオリーと言えばセオリーなんですが、内政面、すなわち領主としての一面を調査・研究するのも面白い気がします。

私が福島正則個人及び福島家家臣団を調べてみたいな、と思っている気になるテーマは、福島家が芸備二州を治めていた時期はキリシタンに寛容で、全国各地で迫害を受けていたキリシタン信者がその噂を聞いてか、続々と領内に移住してきたそうです。正則自身、キリシタン大名ではないはずですが、そうした心持ち、教会や宣教師たちへの振る舞いはどんな感じだったのか?すごく興味が持てます。

さらに、広島城が幕府の命令で収公(改易ではない!)と決まった(まだ転封先は決まってない時…)際、江戸に抑留された正則とは別に芸備各地に残された家臣団が応じた広島城の接収に来た幕府の検問使への一連の作法や儀式が、この後、城明け渡しをする大名家(熊本藩・加藤家しかり、赤穂・浅野家しかり…)の先例・模範となった点に注目です。彼ら以前には、こうすべきだ、というルールもなかった訳で、何処で身につけたのだろう?って疑問が浮かんできますよね!

この20数年の間に地方自治体史の編纂も進み、地域によっては特徴のある自治体史も見受けられるようになりました。

そうした風潮の中での、今回の『福島正則の20年』という企画展示と展示図録の発行は益々自治体史の編纂に彩りを与えてくれる、そんな気がします!

― ◇ ◇ ◇ ―

この『福島正則の20年』を購入してみたいな、と思う方は、広島城のサイトを確認しつつ、在庫確認などを広島城まで問い合わせて下さい。

(書斎の窓)『小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像―』

『小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像―』

八木書店より刊行された史料で読む戦国史シリーズの第2弾、『小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像―』を紹介します。

関ヶ原での敗戦により、事実を「抹殺」され、虚構のイメージを植えつけられた小西行長の新たなイメージを図版100点以上、行長自身が発給した文書(101通)を基に徹底調査、「つくられた行長」の虚像を覆す!

鳥津亮二著『小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像―』
●謎に包まれたキリシタン大名・小西行長に関わる史料を博捜、新たな行長像を再構築!
●図版を100点以上収録し、わかりやすく叙述。
●付録に、行長が発給した文書101通(全90頁)の翻刻を掲載。54点は原文書の写真も併載。

(目次)
カラー口絵
はじめに
第一章 小西一族と秀吉―一五五八~一五八五年―
 一  小西氏と堺・日比屋氏
    行長の家庭環境/日比屋了珪との関係/小西氏と日比屋氏/了珪の一次資料/立佐の生い立ち/立佐は京都へ
 二  行長の生い立ちと父・立佐
    行長の生年/京都で洗礼を受ける/和田惟政と立佐/信長と立佐/堺とパイプを深める
 三  行長と宇喜多氏
    秀吉書状に見る宇喜多氏と行長/宇喜多氏に仕官/秀吉との出会い
 四  秀吉に登用される立佐と行長
    秀吉に仕える/信長書状に見える「小西」
 五  海の司令官・小西弥九郎
    主な任務は海上輸送/行長の地位/戦闘への参加/小豆島との関係
 六  紀伊・四国攻めと行長
    紀伊攻めに参陣/四国攻めにも参加/行長の出世
 七  父・立佐の活躍
    秀吉の側近になる/蔵入地代官に/そして堺奉行に
(コラム①)神様として祀られる行長
第二章 九州への道程―一五八六~一五八八年―
 一  秀吉の九州攻めと行長
    大坂での秀吉・コエリョ会談/行長の小豆島布教要請/イエズス会士との交際/赤間関へ兵粮輸送/松浦氏への命令伝達/立佐による兵粮輸送/水軍として九州へ/八代での秀吉・コエリョ会談/薩摩川内に到達
 二  伴天連追放令と行長
    秀吉―宗氏の「取次」/九州諸大名への「監督権」/博多町割り奉行/対イエズス会政策の転換/「伴天連追放令」発令/行長は「泣いた」/行長の「信仰心」/小西「摂津守」に
 三  秀吉上使、そして肥後領主へ
    肥後・肥前一揆勃発/肥前一揆の事後処理/肥後一揆の事後処理/肥後半国の領主に
(コラム②)行長の花押の変遷
第三章 肥後統治と対朝鮮交渉―一五八八~一五九一年―
 一  行長の肥後統治
    行長の所領と領知高/行長・清正の肥後共同統治/行長の肥後入国時期/家臣団を編成
 二  城郭整備と天草一揆
    領内の城郭編成/宇土城を新築/八代城(麦島城)も新築/天草五人衆と行長/天草五人衆の抵抗/天草一揆の鎮圧/天草とイエズス会活動
 三  立佐・如清の活動
    立佐は室津・小豆島を管理/立佐、長崎へ/キリシタンとしての地位/小西「和泉守」立佐
 四  宗氏との対朝鮮交渉
    宗氏の対朝鮮交渉/行長の焦りと「すり替え交渉」/朝鮮使節来日/「唐入り」準備にあたる/多忙な行長
(コラム③)創作された行長の書状
第四章 文禄の役―一五九二~一五九六年―
 一  釜山上陸から漢城入城
    開戦直前の動き/釜山上陸/交渉を模索しながらの進軍/漢城入城と還住政策
 二  平壌入城、そして撤退
    行長と清正の「ズレ」/平壌入城/沈惟敬との接触/平壌から漢城へ撤退
 三  講和交渉の展開
    偽りの「勅使」来日/北京へ内藤如安を派遣/行長の野心/熊川でセスペデス招聘/大名同士の交流
 四  講和交渉の破綻
    秀吉の最終和平条件/講和に向けた軍縮/明正使の逃亡/日明講和の破綻/行長のミス/立佐の死と如清の役割
(コラム④)行長の容貌と人柄
第五章 慶長の役から関ヶ原へ―一五九七~一六〇〇年―
 一  慶長の役
    講和をあきらめない行長/全羅道へ侵攻/順天での行長/朝鮮からの撤退
 二  秀吉死後の政争
    分裂の萌芽/三成と行長/兄・如清の役割/家康と行長
 三  最後の肥後滞在
    朝鮮出兵と行長領内の人々/肥後帰国後の領内統治/領内でのキリスト教布教/行長による布教の意図/披虜朝鮮人と肥後のキリスト教
 四  運命の関ヶ原
    行長上洛/関ヶ原合戦前夜/関ヶ原での敗戦・刑死
(コラム⑤)八代の殉教者たち
終 章 変わりゆく行長の評価
あとがき
付 録
小西行長発給文書集成/史料解題/参考文献/小西行長関係キリシタン略伝/小西行長関係略系図/索引(人名・事項)/宇土城復元図/小西行長関係年表

(書斎の窓)『証言 本能寺の変』

『証言 本能寺の変―史料で読む戦国史』

八木書店より刊行された史料で読む戦国史シリーズの第1弾、『証言 本能寺の変―史料で読む戦国史』を紹介します。

従来の常識・通説に左右されることなく、「本能寺の変」を良質な史料群(計117点)に基づき検証!実証史学を体感するのにはもってこい、な書籍となっています!―

藤田達生著『証言 本能寺の変―史料で読む戦国史』
  • 百家争鳴の本能寺の変を、良質の史料群により証言!
  • 史料編には、関係史料(合計117点)を収録。
  • 各史料には、読み下し文を付し、本文中にて平易な解説を加える。

(目次)
はじめに
 本能寺の変ブーム/戦後歴史学の陥穽/小著のねらい
プロローグ―明智光秀は逆臣だったのか?―
 信長の改革思想/謀反の正当性
第一章  信長の西国政策
 一   小西氏と堺・日比屋氏 
 1   荒木村重の謀反
      謀反の端緒/信長包囲網に属す/脆弱な織田政権
 2   四国政策の変更
      光秀と長宗我部氏/三好秀次の誕生 
コラムⅠ 幕府衆としての光秀
      秀吉と長宗我部氏/派閥抗争
 3   秀吉の長宗我部氏攻撃
      長宗我部元親の外交/羽柴―三好ライン/派閥抗争の勝者/西国支配構想
〔第一章 史料編〕
第二章  天下統一の最終段階
 1   紀伊国の幕府方勢力
      将軍亡命/紀州惣国一揆
コラムⅡ 紀州惣国一揆か「雑賀惣国」か?
      雑賀攻撃/高野山攻撃
 2   鞆の「公儀」
      なぜ鞆の浦なのか/公方御所/幕府の陣容/義昭の花押と文書/幕府財政/外交権
 3   西国出陣
      秀吉の調略/揺れる海賊家中/四国攻撃/長宗我部氏の危機 
コラムⅢ 三日前でも挙兵は決断できていなかったのか?
〔第二章 史料編〕
第三章  「安土幕府」の時代
 1   安土行幸
      行幸計画/遷都構想/「安土幕府」/幕府とはなにか/空前の政権
 2   改革イデオロギー
      天下人としての荘厳/外交戦略/困惑する朝廷
 3   三職推任
      将軍推任へ/将軍任官のねらい/反信長勢力と朝廷
コラムⅣ 似て非なるもの―安土城天主と大坂城天守―
〔第三章 史料編〕
第四章  本能寺の変
 1   光秀の密使派遣
      越中魚津城の攻防/クーデター計画/史料批判をめぐって
 2   従軍兵士・周辺住民の証言
      家康の臣従/供応役をめぐるトラブル/謀反に踏み切る
 3   クーデター決行
      愛宕百韻/六月二日の意味/将軍推任への回答
 4   政権構想と支持基盤
      信長燃ゆ/合流する勢力/幕府再興/義昭のアプローチ
 5   公方の画策
      上洛命令/義昭の誤算/落日の「鞆幕府」
コラムⅤ 各地に残る光秀伝承
〔第四章 史料編〕
第五章  太閤と神君の神話
 1   備中高松の講和
      備中高松城/講和締結/戦場の駆け引き
コラムⅥ 光秀の密使は捕まったのか?
 2   復元「中国大返し」
      情報戦を制する/作られた神話/名分にこだわる光秀
 3   天下の再建
      下剋上/幕府衆の最期/将軍権力のゆくえ
 4   「神君伊賀越え」
      わずかな手がかり/基本文献/推定ルート/由緒の創造
〔第五章 史料編〕
エピローグ―信長スクール―
 改革者とは/不世出の思想家/時代の教育者
おわりに
 通説を疑う/本能寺の変と現代
史料解題
初出一覧
文献一覧
本能寺の変の推移


― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)「本能寺の変」の謎―なぜ光秀は信長に謀叛したのか?