戦国時代、織田信長と毛利輝元の軍勢が争った備中高松城(岡山県岡山市北区高松)での戦いで、織田方の羽柴秀吉が毛利方の清水宗治が守備する備中高松城を水攻めによって包囲したことから、「高松城の水攻め」とも呼ばれています。
その際、救援に駆けつけていた毛利方の吉川元春が自らの家臣に備中高松城の厳しい戦況を知らせた書状の原本が今回確認されました。
書状は
縦28㎝、横47㎝。手紙は陣中で書かれたとみられ、6月2日の日付と元春の花押が記されています。同館では、江戸時代に作られたこの書状の写しを所蔵していましたが、寄贈史料群の中に原本が発見されたのです。
書状には備中高松城の近くに布陣していた元春が経高に戦況を伝えたもので、城から約2㎞の岩崎山(現・
織田信長が明智光秀に
「高松城の水攻め」の状況についてリアルタイムに書かれた史料は秀吉側のものしか知られておらず、敵対した毛利側のリアルタイムな戦況を裏付ける一次史料での確認は初めてだそうです。
また、本能寺の変を巡っては、和睦後に信長の死を知った毛利氏が秀吉の背後を突かなかったことから、本能寺の変以前から秀吉と毛利家との間には事前に密約があったとの説がありますが、元春が最終手段として「安否の一戦(決戦)」を考えていた危機的状況であると考えれば、到底、水面下で交渉が進んでいたとは考えにくく、密約説は否定さた、としています。
書状は6日から岩国徴古館で展示されます。



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