(トピックッス)豊臣秀吉の生年「天文6年」説裏付けか:家臣が記した祈禱依頼に「関白様 酉之御年」

出自をめぐる謎の多い豊臣秀吉は、いつ生まれたのか──


「天文6年(1537)」説を裏付ける史料が、福井県文書館(福井市福井市下馬)で公開されています。史料の原本が公開されるのは全国初だそうです。


この史料は「伊藤秀盛願文写がんもんうつし──


伊藤秀盛は天正5年(1577)から秀吉の家臣として名前が確認されており、初期の秀吉政権を支えた「側近六人衆」として、大名領主・城主ではなく、城代や城番あるいは代官として活躍していた吏僚系の武将。


その秀盛が秀吉の命を受け、秀吉の代理で豊臣一族の武運長久や家門安全、息災延命などを当時、越前国大野郡石徹白いとしろ村に属していた白山中居ちゅうきょ神社(現、岐阜県郡上市白鳥町しろとりちょう石徹白に鎮座する神社)の神職である杉本坊に奉納・祈願した願文「伊藤秀盛願文写(白山御立願状之事)」の写しであり、白山中居神社に仕えた「石徹白社人しゃにんの桜井家に伝わる古文書(『桜井大隅家文書』)だそうです。


文中には「天正拾八年十二月吉日」という日付と秀吉を指す「関白様」について「関白様 とり之御年 御年五十四歳」と記載されており、正確性が必要とされる神仏の願文で秀吉の生年や年齢を誤って記すとは考えにくいため、天正18年(1590)時点で、秀吉が数え歳54歳であり、酉年の天文6年(1537)生まれであることがみてとれるのだそうです。


秀吉の生年には天文5年(1536)説(『公卿補任』、『太閤素生記』、『明良洪範』)と同6年説(『当代記』、『任官之記』、『豊国大明神臨時御祭礼記録』、『豊鑑』)があります。


此度の史料が「天文6年説」を裏付ける有力な根拠となるならば、『任官之記(関白任官記)』に記載された「誕生の年月を算ふれば、丁酉2月6日吉辰(吉日)なり」という記述は信憑性の高いものと思われますね。


テーマ展「白山につかえた人びと ──石徹白社人と桜井家──」は無料、月曜休館。5月27日まで、同館閲覧室で展示中です。


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