豊臣秀吉の遺言で豊臣政権を支えた前田利家や徳川家康ら五大老が、越前国
連署状の内容はこれまでも知られていましたが、原本の発見により「いつ」「誰が」任命された書状なのかが判明し、豊臣時代の北庄城主の研究で重要な基礎資料になるとの事。
連署状は縦22・6㎝、横56・8㎝で、福井県外の古書店で見つかり、福井県立歴史博物館(福井県福井市大宮二丁目)が購入されたそうです。
秀吉の死後、秀吉の遺言に従い、豊臣政権を支えた五大老の毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、前田利家、徳川家康の
連署状の存在は、毛利家文書に残る写しで判明していましたが、宛先は「羽柴北庄
北庄城は、天正3年(1575)に柴田勝家が築城した「柴田氏北庄城」と、慶長6年(1601)に結城秀康が現在の県庁がある場所に再築した「結城氏北庄城(のち福井城)」(ともに福井市大手三丁目)とがありますが、この間に、城主が目まぐるしく交代していたため、この連署状が誰に宛てたものかは、写しではわかりませんでした。
今度越前北庄
城付弐拾万石之事
太閤様以被仰置旨
被宛行事畢如帳面全
可有御知行之状如件
慶長四
二月五日 輝元(花押)
景勝(花押)
秀家(花押)
利家(花押)
家康(花押)
羽柴北庄侍従殿(『毛利家文書』3-1118号)
だが、今回新たに見つかった見つかった連署状の原本には「(慶長四年)二月五日」という日付の記載があり、当時越前北庄城主に任命されたのが、秀吉の従兄弟で直臣(じきしん)だった青木重吉に宛てられた連署状と特定できたそうです。
秀吉が死去したのは慶長3年(1598)8月18日。利家もその約8か月後の同4年(1599)閏3月3日に利家も亡くなっているので、この書状が青木重吉に送られたのは利家が亡くなるわずか2か月前になります。
利家を含めた五大老の連署で所領を給付する文書の原本が確認されたのは、3例目だそうです。
同館によると「越前における北庄が豊臣政権にとって日本海流通の重要拠点ととらえられていたことを示す貴重な資料」と話されています。
この「豊臣家五大老連署状」は5月からのミニ企画展で公開されるそうです。
ミニ企画展は、「秀吉と越前の武将たち~新収蔵古文書を中心に~」と題して、初公開となる青木重吉宛て「豊臣家五大老連署状」をはじめ、福井県立歴史博物館が近年収集した古文書を中心に、柴田勝家、丹羽長秀・長重、堀秀政・秀治、青木重吉など、秀吉時代の越前の武将たちを紹介するそうですよ。
開催期間は、5月15日(金)~7月7日(火)
開催場所は、福井県立歴史博物館 2階特別展示室


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