陸奥仙台藩主・伊達政宗がイスパニア(現在のスペイン)国王フェリペ(Felipe)3世やローマ教皇パウロ(Paulus)5世、ヌエバ・エスパーニャ(Virreinato de Nueva España)副王(現在のメキシコ)ディエゴ・フェルナンデス・デ・コルドバ(Diego Fernández de Córdoba)らに宛てた
→元々律令制の下では、実際に命令として出された文を「文」、役所に留めておいたものを「案」と称し、両者は区別されていましたが、中世になると案文(草案)と正文(清書)とに区別されるようになり、正文は相手側にに渡し、案文は自らの手元に置くようになります。
およそ400年前、政宗が仙台領内でのキリスト教の布教を認めることと引き換えにイスパニア領の植民地との貿易を求めて、イスパニア国王やローマ教皇のもとに派遣した外交使節で、
この通説の裏で、当時、政宗が思い描いた、外交をめぐる「壮大な計画」を明らかにする書簡が仙台伊達家の重臣として、伊達家の家臣の二十四人衆にも数えられ、その時期に渉外奉行を担っていた
仙台市に寄贈されたのは「慶長十八年元和二年 南蛮へ之御案文」という政宗の外交戦略を明らかにする重要な資料で、政宗の名を受けて海外へ派遣した「慶長遣欧使節」に託した書簡。
支倉常長ら慶長遣欧使節が海外の要人に届けた政宗の文書の控えにあたるもので、当時の政宗の思いを知るうえで極めて重要な資料だそうです。
「慶長十八年元和二年 南蛮へ之御案文」
- イスパニア国王宛て政宗書状(慶長18年)
- イスパニア国王宛ておよびヌエバ・エスパーニャ副王宛て政宗協定書(慶長18年)
- ローマ教皇宛て政宗書状(慶長18年)
- ローマのフランシスコ会総会長宛て政宗書状(慶長18年)
- イスパニアのフランシスコ会インディアス宗務総長宛て政宗書状(慶長18年)
- ヌエバ・エスパーニャ副王宛て政宗書状(慶長18年)
- ヌエバ・エスパーニャのフランシスコ会宗務総長宛て政宗書状(慶長18年)、
- ヌエバ・エスパーニャのフランシスコ会サント・エバンヘリヨ(聖福音)修道会管区長宛て政宗書状(慶長18年)
- ヌエバ・エスパーニャ副王宛て政宗書状(元和2年)
- ヌエバ・エスパーニャのフランシスコ会宗務総長宛て政宗書状(元和2年)
冊子は縦25・8㎝、横19・4㎝。このうち8通は慶長18年(1613)9月15日に使節団が出発する直前にあたる9月4日付書状案など8通と、使節船「サン・ファン・バウティスタ(San Juan Bautista)号」が再び太平洋航海を目指す時期の元和2年(1616)7月24日付書状案の2通の案文が、日本語で綴られています。
使節派遣の意図を探る上で、現地で渡したとされる書状は1通しか残っておらず、この案文は現存しない日本語文のイスパニア国王宛て、およびヌエバ・エスパーニャ副王宛てなどの政宗書状や協定書の内容を確認できる現存唯一の資料であり、研究史上、政宗の当時の意図を探るうえで極めて重要な手掛かりになるようです。
近年、これらの案文の比較研究が進み、こうした政宗の外交戦略により、実際にヌエバ・エスパーニャとの貿易は実現しており、「派遣は失敗」ではなく、「一部は成功していた」とみなされています。
寄贈を記念して博物館常設展示室で常設展の一部として、パネルでの解説を交えた特別公開が2月15日までなされています。詳細は同館まで。
※(参照)(トピックス)仙台市博物館で「支倉常長帰国400年」展 慶長遣欧使節団の足跡たどる



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