(トピックス)「承久の乱」描いた絵巻 80年ぶりに再発見

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平安期から鎌倉期の承久3年(1221)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権である北条義時の専横に対して反北条義時の追討を命じたが、逆に鎌倉幕府の軍勢に京都を蹂躙じゅうりんされ、朝廷方が惨敗した「承久の乱」を描いた現存唯一の絵巻とされる『承久記絵巻』が、約80年ぶりに発見されたと云います。

『承久記絵巻』は軍記物語『承久記』を基にしたもので、元々は高野山真言宗・別格本山龍光院(和歌山県伊都郡高野町高野山)が所蔵していましたが、昭和14年(1939)4月に恩賜京都博物館(現在の京都国立博物館、京都市東山区茶屋町)で展示されたのを最後に、所在が分からなくなっていました。

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『承久記絵巻』は全6巻で、各巻の長さは横が約15m、縦は約50㎝。保存状態は良好のようです。

収められた木箱には、絵は室町期から戦国期にかけて活躍した絵師の土佐光信筆とあり、詞書ことばがきは能筆で知られた「月輪つきのわ禅定太閤」と呼ばれた関白・藤原兼実による、と記されていました。

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『承久記絵巻』には、『承久記』の本文と鎌倉幕府3代将軍・源実朝が討たれる直前に鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)を参拝している様子から、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権である北条義時の追討を命じて敗れ、隠岐島(隠岐国海士あま郡中ノ島、現島根県隠岐郡海士町)に流されるまでの全36場面が描かれています。

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さてさて、宇治市民である私としては最大の興味は第4巻目に描かれている「宇治川の合戦」でしょうか。

「宇治川の合戦」といえば、

①治承4年(1180)5月、後白河法皇の第三皇子・以仁王もちひとおうが打倒平家を叫び、それに呼応した摂津源氏・源頼政らの軍勢が南都(奈良)に落ち延びようとした際、宇治橋付近で平家方の追討軍に追いつかれ、戦うも敗れ散った“橋合戦”と呼ばれるもの、

②寿永3年(1184)正月、平家を都から追い落とした信濃源氏・木曽義仲の京都での横暴に対し、義仲追討を命じられた鎌倉幕府軍の源義経軍が義仲軍を宇治川で打倒したもので、“河合戦”と称されます。

③承久3年(1221)6月、北条泰時率いる鎌倉幕府の軍勢が後鳥羽上皇を打ち滅ぼそうと京都に攻め寄せた際、都への防禦ラインとして激戦が繰り広げられたもの、

の3つが浮かびます。今回の「承久の乱」では、わがご先祖様も幕府創業以来、源頼朝の側近だったのに、北条氏によって鎌倉を追い落とされ、京方に組みした結果、騙まし討ちによって打ち滅ぼされたという経緯があるんですよね。

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『承久記絵巻』は来春の4月6日~5月23日、京都文化博物館(京都市中京区東片町)の特別展「よみがえる承久の乱」で公開される予定です。

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