さて、この「公暁」ですが、一般的に「クギョウ」と呼ぶ事が周知されていますが、最近の研究でこれに疑義を唱える説があるんですよ。
まずは。「公暁」の略歴を列挙すると―
「公暁」は幼名を「
父である頼家が建仁4年(1204)に北条氏の手によって暗殺された後、祖母である北条政子が引き取り、叔父である実朝の猶子となります。
建暦元年(1211)9月、12歳で
その後、
建保5年(1217)6月、18歳で鎌倉に戻り、鶴岡八幡宮寺の別当職に就任します。
「公暁」が園城寺(三井寺)で師事する公胤は公家源氏の長である村上源氏の出自で、その師であり、叔父である公顕も同じ出自です。
公顕は「コウケン」、公胤は「コウイン」と鎌倉期の史料において呼ばれていた事からすれば、公顕―公胤―公暁、と続く法流である以上、「公暁」の「公」もその流れを相承したものでなければ辻褄が合わないはず―
事実、江戸期以前の史料において「公暁」を「コウキョウ」と呼んでいる史料もあるようで、そうであるならば「コウキョウ」と呼ぶのが相応しいのではないかと指摘されています。
※(参考)舘隆志「公暁の法名について」(『印度学佛教学研究』第61巻第1号)


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