(書斎の窓)『福島正則の20年』(広島城平成23年度展示図録)をGET!

『福島正則の20年』展示図録の表紙

先日、「(トピックス)毛利氏時代の広島城天守閣の完成年が判明!」のブログ記事を作成する過程で、広島城に関する記事などをネットサーフィンする中で、広島城のサイトを見ていたら、

  『福島正則の20年』

という展示図録冊子の存在を見つけました!早速、在庫を確認し、郵送にて購入GETした訳です。

『福島正則の20年』という企画展示自体は昨年度のイベントで平成23年10月29日~11月27日に閉幕しちゃってました。丁度ちょうど、福島正則の生誕450年を記念して、芸備(安芸・備後)両国を統治した慶長6年(1601)から元和5年(1619)までの20年間を中心にその生涯を振り返った企画展だったようです。冊子の内容はこんな感じ!
  • 広島県内に残る福島氏関係資料をカラー図版で紹介
  • 正則やその一族がしたためた書状も多数紹介
  • 正則が築いた六支城の絵図や出土品を紹介
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学生時代(20数年前です!)、近世ゼミに所属した友人が卒論に「福島正則+広島」という形でテーマを選んだ(私が通っていた学校は地方史に重点をおいた歴史学科で、テーマを選ぶ際も“主要なテーマ+そのメインの都市”という形で執筆しなければならなかったんですね。因みに私は中世ゼミで「豊臣政権+伏見」という感じでテーマを決めました…)のですが、私の場合に当初は「大坂の陣」をメインにテーマ決めをしようとしていましたが、参考となる史料や論文が乏しく(←見つけ方が足りなかったんでしょうけど…)、近世ゼミの連中にも話を聞いたりしていた時に、「福島正則でやるんだ!」って感じで驚きと同時に感心したんですよね。

私がやろうとしていた豊臣だって、その当時は『織田信長文書の研究』『徳川家康文書の研究』のように集録された冊子がなく、それこそ、全国各地の諸大名の編纂物や古文書からあさらなければならず、結果的には同じゼミメンバーで戦国期をテーマにしようとした連中が参考資料とした文献は全部読み漁ったという感じでした。

福島正則の場合も、そういった資料が見つかるのは、やはり安定期に入ってからの江戸期以降で、しかも後年に書かれたであろう編纂物…

第一次史料としての価値から言えば、「?」が付きそうですもんね。

但し、研究のし甲斐は充分に持ち合わせていますよ!例えば、福島正則と聞いて、何がイメージできるでしょう?

大抵たいていの時代劇を観ていて思うのですが、福島正則のイメージキャラって同類の加藤清正と如何どうしても対比させれれて、清正は関羽ばりの知将なのに対し、正則は張飛のような猪突猛進タイプでいくさバカみたいな描き方ばかりです(笑)

しかし、福島正則が城主として治めた伊予今治、尾張清州などの治世を見てみると、武断政治というよりもむしろ、きめ細やかに領内を統治した形跡が多々見られるんですよね!

このように、福島正則を合戦の中での武将としての一面で調査・研究するのもセオリーと言えばセオリーなんですが、内政面、すなわち領主としての一面を調査・研究するのも面白い気がします。

私が福島正則個人及び福島家家臣団を調べてみたいな、と思っている気になるテーマは、福島家が芸備二州を治めていた時期はキリシタンに寛容で、全国各地で迫害を受けていたキリシタン信者がその噂を聞いてか、続々と領内に移住してきたそうです。正則自身、キリシタン大名ではないはずですが、そうした心持ち、教会や宣教師たちへの振る舞いはどんな感じだったのか?すごく興味が持てます。

さらに、広島城が幕府の命令で収公(改易ではない!)と決まった(まだ転封先は決まってない時…)際、江戸に抑留された正則とは別に芸備各地に残された家臣団が応じた広島城の接収に来た幕府の検問使への一連の作法や儀式が、この後、城明け渡しをする大名家(熊本藩・加藤家しかり、赤穂・浅野家しかり…)の先例・模範となった点に注目です。彼ら以前には、こうすべきだ、というルールもなかった訳で、何処で身につけたのだろう?って疑問が浮かんできますよね!

この20数年の間に地方自治体史の編纂も進み、地域によっては特徴のある自治体史も見受けられるようになりました。

そうした風潮の中での、今回の『福島正則の20年』という企画展示と展示図録の発行は益々自治体史の編纂に彩りを与えてくれる、そんな気がします!

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この『福島正則の20年』を購入してみたいな、と思う方は、広島城のサイトを確認しつつ、在庫確認などを広島城まで問い合わせて下さい。

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