
豊臣=羽柴家の家督を継ぎ、
秀頼の銅像が立つ玉造稲荷神社は大坂城の三の丸だった場所に在り、秀頼や淀殿も参拝に訪れた場所―
境内には、秀頼を出産した際の淀殿の
ちょうど今年は復興天守(大阪城天守閣)が昭和6年(1931)に大阪市民たちの寄付金により再建されてから80周年に当たり、それを記念した事業の一環で計画が進められてきたようです。
同神社では所縁の秀頼を顕彰し、太閤さん時代の大坂城下の
制作にあたっては、以前に豊國神社に立った陣羽織姿の豊臣秀吉の銅像を製作された彫刻家の中村晋也さんに依頼。
銅像は台座を含めて高さ5・3m。身長195cm、体重100kgを超える体格に

豊臣秀頼といえば、女丈夫で“大坂城の
これは、秀頼の画像として最も知られている少年期の
結局のところ、“そんなんやから、御家の繁栄を維持できなかったんや”と言わしめんがために歴史の勝者である徳川幕府の創作だった訳です。
しかし、実際の秀頼は幼い頃より当代の博識から種々の帝王学を学び、「カシコキ人ナリ、中々人ノ下知ナト請ヘキ様子ニアラス(=たいへん賢い人なので、他人の臣下となってその命令に従うような人物ではない)」(『明良洪範』)という様に頭脳明晰で人望も厚かった人物であり、再評価を求める声も―
実際の秀頼は「大兵にて御丈六尺五寸余り(=約195cm)」(『明良洪範』)の並外れた体格の持ち主で、『当代記』慶長8年(1603)7月28日条には「秀頼十一歳、常之十三四
また、慶長12年(1607)細川忠興の家臣だった
そういう意味では、青年期の束帯姿を描いた東京芸術大学美術館所蔵の画像(※参照)が広く知れわたってもいいのではと思います。
昔、NHK大河ドラマ「春日局」で渡辺徹さんが秀頼を演じられたのですが、まさに青年期の
今回の銅像建立で本当の秀頼のイメージが芽生えればいいな!と感じますが…
※(参考文献)井上安代(私家版)『豊臣秀頼』
※(参考文献)大阪城天守閣特別展図録『生誕400年記念特別展 豊臣秀頼展』
※(参照)豊國神社の秀吉像
※(参照)豊臣秀頼画像
この記事へのコメント
御堂
大坂城、ホント圧倒されちゃうでしょ!!
もし、ポポさんに時間的に余裕があった時でもいいんで、今度は大坂城が建っていた時期の惣堀(=三の丸より外側)から天守閣を見渡して観て下さいな、スケールのデカさに言葉を失っちゃうくらい…感動モノですから!!
豊臣ポポ
御堂
大阪城天守閣とセットで見に来られたらいいと思いますv(^▽^)
さのすけ
御堂
そーなんですよね!私自身も豊臣秀頼の生誕400年記念で開催された特別展で確認するまではどちらかと言えば痩せおもてで虚弱体質のイメージしかありませんでした。(大抵の秀頼を扱った役者さんも少年期の直衣姿をそのまま成長させた痩せおもてな秀頼でしたからね。
そんな中、「春日局」で渡辺徹さんが秀頼を演じられたのですが、最初は「何これ?イメージギャップあり過ぎ!」ってな感じ(笑)でしたが、上記の特別展で秀頼の肖像画を観たら、「渡辺徹さん、いっちゃん(一番)近いかも!」という感じだったのです。
加えて、秀頼にとって祖父にあたる浅井長政の肖像画を改めて観察したらば、まさに「隔世遺伝やん!」って感じだったんですよ!
それ故、秀吉に似てるか似てないか、とか父親は誰なんやろ?という考え方よりは母方(淀殿、浅井家)の遺伝子が隔世遺伝で秀頼に出現したんや!と考える生物学(遺伝子学)的見地から見た方が面白いかも!と思うようになっちゃいました。
しばやん
秀吉はそんな大柄な男でなかったとの印象がありますが、実際はどうだったのでしょう。
秀吉の子供だったかどうかも怪しいような気がします。