昭和20年(1945)9月2日、連合国軍最高司令官(GHQ=General Headquarters)総司令部(the Supreme Commander for the Allied Powers)(以下、GHQ/SCAP)の最高司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas,MacArthur)は、東京湾上に浮かぶアメリカ艦ミズーリ号甲板で、日本が降伏文書に署名した数分後、アメリカ国民に向けて、
“We stand in Tokyo today reminiscent of our country-man Commodore Perry, 92 years ago”
─きょう私たちは92年前のペリー提督のように東京に立っている─
と演説したように、マシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith,Perry)・アメリカ東インド艦隊司令長官による砲艦外交がきっかけで、明治維新を成し遂げ、近代日本を創り上げた事から、歴史的事件としてペリー来航を第一次「黒船来航」とするならば、GHQ/SCAPによる進駐はまさに現代日本を創り上げた第二次「黒船来航」と断じても良いでしょうね。
昭和20年(1945)8月の「ポツダム宣言」受諾による太平洋戦争敗戦を契機として、日本では様々な領域でそれまでとは大きく異なった変革が実施されたのです。
そうした各種様々な大変革の中で、学校教育に関わる制度について極めて重要な変革が起ころうとしていました。
教育面での大変革の1つとして「男女共学」が挙げられますね。
男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない(昭和22年3月31日公布・法律第25号、旧教育基本法第5条)
また、小学校から中学校までの9年間を義務教育とする「六・三制」の実施や、都道府県または市町村レベルにおける教育委員会の設置、それにPTA(Parent-Teacher Association)を創設して学校の教職員と保護者の連携をはかるなどの施策が矢継ぎ早に実施がなされます。
こうした種々の変革は、占領政策を実施したGHQ/SCAPの要請により来日した「アメリカ教育使節団」(United States Education Mission to Japan)(以下、「教育使節団」)が提出した報告書に基づかれて実施されたのだと云います。
昭和21年(1946)3月5日~6日、アメリカ教育使節団来日。同3月30日、マッカーサー最高司令官に宛て『アメリカ教育使節団報告書』を提出(以下、『報告書』)
「教育使節団」の構成メンバーは、総勢27名、ニューヨーク州の教育長官だったジョージ・D・ストッダード(George D,Stoddard)を団長に、大学の学長や教授、教育行政官など、教育学に携わる知識人で構成されたいました。
「教育使節団」の面々は、視察と調査研究を行う一方、GHQ/SCAPの中で教育や文化政策の担当部局であった「民間情報教育局」(CIE=Civil Information and Education)(以下、CIE)が作成した“Education in Japan”というレポートを参考に3月30日にマッカーサー最高司令官に宛てて『報告書』を提出した。
その『報告書』によると、
- 国語の改革
- 初等学校および中等学校における教育行政
- 授業および教師養成教育
- 成人教育
- 高等教育
を実施・改善する事が主として唄われており、実際、この『報告書』で勧告された政策の大多数が矢継ぎ早に施されたのです。
私たちが今日、当たり前のように思っている学校教育に関するほとんどの施策―教育基本法、六三制、男女共学、PTA、ホームルーム、社会科教育など―がこの報告書から成立したのです。
その反面、GHQ/SCAPの内部では、勝者の文化は優れているものと考え、日本の文化に対する無理解が生じていました。
すなわち、文化レベルが我々よりも劣っているから敗者の側にいるのだ、という偏見ですね。
それ故、日本の伝統や実情を無視、あるいは軽視し、欧米人の考え方をそっくりそのまま日本人に導入しようと考えたのです。(←明治期の第一次伊藤博文内閣での井上馨外相による鹿鳴館外交=欧化主義の真逆ですね!)
その最たる施策の1つが、日本語の表記に使われる文字の問題でした。
上記の報告書にもある「国語の改革」がこれにあたり、そこには、
書かれた形の日本語は、学習上の恐るべき障害である。日本語はおおむね漢字で書かれるが、その漢字を覚えることが生徒にとって過重な負担となっていることは、ほとんどすべての識者が認めるところである。初等教育の期間を通じて、生徒たちは、文字を覚えたり書いたりすることだけに、勉強時間の大部分を割くことを要求される。教育のこの最初の期間に、広範にわたる有益な語学や数学の技術、自然界や人間社会についての基本的な知識などの習得に捧げられるべき時間が、こうした文字を覚えるための苦闘に空費されるのである
と問題視し、その解決策として、
- 漢字の全廃
- 漢字の数を減らし、一部は仮名文字を併用(=漢字仮名交じり文)
- 漢字も仮名文字も全廃し、ローマ字を採用
という提案というか勧告してきたのです。
とどの詰まり、使節団の結論は“ローマ字を採用しろ”という事だったのです。
昭和20年(1945)9月3日、占領軍、道路標識や駅名表示、公共施設の看板にローマ字を表記する指令を発する
実際、日本に進駐したばかりのGHQ/SCAPは、
日本国政府ハ一切ノ都会自治町村及市ノ名称ガ 此等ヲ連結スル公路ノ各入口ノ両側及停車場歩廊ニ 少クトモ六『インチ』以上ノ文字ヲ使用シ 英語ヲ以テ掲ゲラルルコトヲ確保スルモノトス 名称ハ英語ヘノ転記ハ修正『ヘボン』式(ローマ字)ニ依ルベシ」(連合国最高司令部司令第2号の第2部17)
すなわち、GHQ/SCAP所属のアメリカ人のほとんどは、漢字も仮名も判らないから、道路標識や駅名表示あるいは公共施設の看板にローマ字と英語表記を使用せよ、という命令を下している。
欧米の先進国のほとんどがローマ字を使っており、彼らにとって、ローマ字こそが最も進歩的な文字であって、“世界共通の文字”に他ならないのだと言うわけですね。
こうした「教育使節団」からの提案&勧告に対し、一部の知識人の中には賛同する者もいたようです。(中には、志賀直哉のように“フランス語を国語にすべき”と主張した者もいました…)
実は“国語をローマ字表記に”という考え方は、明治の日本でも唱えられていたんですよ。
土佐藩出身の南部
昭和23年(1948)8月8日~26日、GHQ/SCAP傘下のCIE将校で文化人類学者でもあるジョン・C・ペルゼル(John Campbell,Pelzel)の提案で、「読み書き能力調査委員会」による全国識字能力調査実施
ペルゼルは文部省に対し、一般的な日本人が漢字をどれくらい読み書きできるか、その能力を調査するよう提案します。ペルゼル自身、ローマ字表記の支持者であり、その実現のためにはまず日本人の識字能力を調査して一般的な日本人の文字の読み書き能力が低い事を実証し、その能力の低さは漢字の難しさが原因なのだと結論付けようとした。
つまり、漢字廃止に向けての動かぬ証拠を作ろうと考えたんですね。
文部省はこれを受けて「読み書き能力調査委員会」を設立。空前絶後ともいうべき読み書き能力テストの実施に向け活動を始め、半年間の準備などを経て、昭和23年(1948)8月に全国一斉に実施がなされた後、整理と分析に1年あまりの期間を費やし、昭和25年(1950)10月、『日本人の読み書き能力』という大著となって、詳細がまとめられたのです。
テストの調査対象は、当時の『物資配給台帳』に基づいて、無作為抽出法(ランダムサンプリング)によって、15歳から64歳までの男女半数ずつが選ばれ、最終的な被験者データは全国で1万6820名に達しました。
次に、どのような問題が出されたのか見てみましょう―
調査問題は、
- 数字の読み、および書き取り
- かな(ひらがなとカタカナ)と漢字の読みおよび書き取り
- 語と漢字との意味の読みおよび書き取り
◆例題1
大正 2年 8月 (にじゅうはち)日 明治 28年 9月 (じゅうろく)日
◆例題2
朝 、太陽 は { 冬 東 雨 上 } から出 る。病気 のときは { 健康 死亡 医師 危険 } にみてもらう。- きょうは
砂糖 の { 配給 産業 食糧 数量 } があります。- わが
国 は米国 から小麦 を { 資金 輸入 法案 声明 } する。選挙 のときは、もっともよい人 に { 結果 発表 委員 投票 } したい。- あの
人 の { 態度 国民 各派 必要 } は立派 だ大会 の日時 を { 労働 予算 決定 事件 } した。
◆例題3
父 ={ ひと おとうさん 子 兄 おかあさん }警官 ={ あるく 役人 巡査 警告 あいさつ }調査 する={ 手紙を出す かんがえる 役場に行く しらべる 巡査が来る }希望 ={ のぞみ 将来 たのしみ 心配 思いがかなう }交渉 する={ けんかする 話しあう 訪問する 汽車にのる はじめる }利潤 ={ ききめ 商売 もうけ うるおい 便利 }
◆例題4
- (つき) を見る。
- (せんせい) お体を大切に。
- お (てがみ) いただきました。
- この子は (しょうわ) 生まれです。
- みなさん (げんき) ですか。
- のちほど (つうち) します。
- さっそく (へんじ) をしましょう。
- あつく (おんれい) 申しあげます。
- (ごうけい) すると千円になります。
- 私には (いもうと) があります。
- お (ねがい) い致します。
- (ほしょうにん) になって下さい。
- かぜをひいて (けっせき) した。
- 役場へ (とどけ) を出す。
- 右のように (せいきゅう) します。
- ともかく (りれきしょ) をお出しなさい。
などの問題が出されました。正直、普通に問題を見たら、「読み書き」よりかは「文章読解」な気もするのは気のせい(?)
そして、この試験の結果、
- 満点をとった人は 4・4%(ケアレスミスなどで減点された人を含めると 6・2%)
- 0点の人は 1・7%(全く字が書けなくて白紙答案の人、書いても正答がなかった人、仮名は何とか書けても漢字は全く書けない人を含めると 2・1%)
- 平均点は78・3点
- 20~24歳の平均点が86・3点なのに対し、15~19歳が77・8点となったが、これは戦争時期が学齢期と重なった事による学力の低下とみられた
- 性別では35歳以上の男女で大きな開きが見受けられるが、34歳以下ではあまり差が見られなかった
という事が判明したため、GHQ/SCAP側の目論見は全く潰えたのです。
ローマ字支持派の人たちは現在もいらっしゃいます。しかし、現在、私たちの生活の中で、漢字は勿論の事、仮名文字もカタカナ文字も使用しているのは周知の事実ですが、ローマ字も生活習慣の中に採り入れて使用しているのも事実。
こうした点こそが、日本人の良さかもしれませんね!

この記事へのコメント
kmns
なほ、GHQ にローマ字化の方針があったといふこと、このことについてはメルマガ「頂門の一針」に書いたことがあるのですが、それが何時のことであったか思ひだせない。
三元社刊J.Marshall Unger、奧村睦世譯『占領下日本の表記改革』によれば、戰前の軍國主義横溢したものを讀ませないといふことが目的であったので、文部省のやった假名字母の制限は、彼らの意圖した以上の效果を擧げた、つまり萬葉から敗戰に至るすべてのものを締め出すことに成功したわけです。
「頂門の一針」23.9.22 に「國語規制の撤廢を訴へる」といふのを書きました。御一讀いただければ幸甚
御堂
確かに、これまで漢字仮名交じり文としての日本語を習い、それが身体に染み付いちゃってるから、変更されたらパニックな状態に陥る事でしょう。
しかし、国際社会を舞台として活躍する人たちは大抵の人がローマ字支持者だそうですよ!
ともとも
大げさな言い方ですが、人類の知的財産のため日本語はこの先もとっておいた方が良いですよ。自然淘汰されるならまだしも、戦後アメリカが日本にしようとしていた事を知る度に本当に胸糞悪くなりますね。
御堂
読み書き能力テストの結果については、ある本に「江戸時代から続いた寺子屋教育の賜物」と述べておられる方もおられます。
テストを受けられた15歳から64歳までの男女の皆さんは、ちょうど大衆文化が庶民レベルに到達していた時期である大正デモクラシー期に青春時代を過ごした経験を持つ祖父母や両親、兄弟姉妹と同居されていた方々が多いと思います。
いわば、一番成熟していた時期に人生を過ごしていた皆さんですよね。勿論、家庭の事情で就学できなかった方もいらっいますが、それでも働きながら就学する勤労児童・学生も存在したのも事実です。
私自身、定時制や夜間学部の友人がいますが、彼らは勉強がしたくて就学している訳で、その習熟度は普通科や昼間学生の比でありません。それはこの時代も同じ位、いやそれ以上だったのではないでしょうか。
そう考えると、日本人の識字率はアメリカのそれとは比較にならない程で、GHQの関係者に驚きとショックを与えたト感じます。
>もし漢字や仮名文字がなければ、同音異義語の多い日本語は読みにくくてどうしょうもないように思いますし、複雑なことがらはとても読者に伝わらないと思います
確かにおっしゃる通りですね。学生時代、中国語とハングル語を履修しましたが、これらは日本語のような表記文字ではなく、表音文字なので、聞き取れない場合には辞書がゼッタイ必要不可欠で、苦労したのを想い出します。
昔、与謝野晶子の伝記を読んだ際、「美しい」という意味の語句を5つ位頭に浮かばなければ、歌人や詩人としての才は認められないと書いてありました。
ことばの意味を変えるだけで、それだけ表現できるのってやはり素晴らしいですよね!
しばやん
実際のテスト問題までよく見つけましたね。
今でもローマ字支持者がいるというのは信じがたいのですが、もし漢字や仮名文字がなければ、同音異義語の多い日本語は読みにくくてどうしょうもないように思いますし、複雑なことがらはとても読者に伝わらないと思います。