ニニンガシ、ニサンガロク、ニシガハチ…

私たちも馴染みのあるこの覚え方―「九九」は、日本では京都でまず産声をあげました。

元々は中国から伝わり、奈良時代の『万葉集』でも大伴家持の一首、

「足引乃 許乃立八十一 雀公鳥 如此聞始而 後将恋可聞」
(あしひきの 木の間立ち濳(く)く 雀公鳥 かく聞きそめて 後恋ひむかも)

にも「八十一」を「くく」と読んでいたりしますが、平安時代の天禄元年(970)12月27日に源為憲が作った口遊くちずさみという子弟教育用に編集した初歩的教科書本において登場するのが最初のようです。

九〻八十一。八九七十二。七九六十三。六九五十四。五九卌五。四九三十六。三九廿七。二九十八。一九〻。

八〻六十四。七八五十六。六八卌八。五八卌。四八卅二。三八廿四。二八十六。一八〻。

七〻卅九。六七四十二。五七卅五。四七廿八。三七廿一。二七十四。一七〻。

六〻卅六。五六卅。四六廿四。三六十八。二六十二。一六〻。

五〻廿五。四五廿。三五十五。二五十。一五〻。

四〻十六。三四十二。二四八。一四〻。

三〻九。二三六。一三〻。

二〻四。一二二。一〻一。謂之九〻。(『口遊』)

この『口遊』は、藤原為光の長男・誠信の教育のために、「声に出して憶えたい事柄」すなわち暗誦すべき事項をまとめた教科書で、全て漢文書体になっています。

しかしそれでも、文の出だしから「九九八十一、八九七十二、七九六十三、六九五十四…」と読めて、私たちにとっても分かりやすい内容です。

さて、お気づきでしょうが、現在の私たちは「ニニンガシ、ニサンガロク、ニシガハチ…」と憶えていますが、この当時は順序が逆で九の段から小さい数字へと降りてきています。だから「九九」というのですね。

それが、現在のように「ニニンガシ」から始まるようになったのは、江戸時代の初め頃だと云います。

それは、京都は嵯峨に生まれた数学者の吉田光由が寛永4年(1627)に書いた塵却記じんこうきという本で、この書の中で「ニニンガシ」から始まる「九九」の覚え方を紹介したのです。

吉田光由は、京の豪商・角倉了以と親戚関係があり、その家業である土倉(金融)業からヒントを得て、庶民の暮らし向きに合う形で、最も暗記しやすい例で「九九」を紹介したわけです。

この『塵却記』は、日本最初の数学書といわれ、日本最初の理系書のミリオンセラーとなります。やがては京都のみならず全国各地、日本人の必読書となっていきました。士農工商、誰もが使えて、どの家に言っても置いてある…といった具合に…

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