「安芸吉川氏とその時代」展

「安芸吉川氏とその時代」展

久々に安芸広島にお国入りしました!―

その目的は広島県立歴史博物館(広島県福山市)で開催中の「安芸吉川氏とその時代」展です。

戦国期に安芸国(現在の広島県)北部を領土に栄えた吉川氏所縁の遺跡がある千代田町、豊平町、大朝町の3町を調査した成果を基に元春の館跡から発掘された出土品や書状、また当時の暮らしぶりが伝わる貴重な資料などが展示されていました。

出展品の中で特に注目したのが、毛利元就が隆元・吉川元春・小早川隆景の三子に与えた「三矢の訓」のヒントとなった「訓戒状」ですね。

その「訓戒状」の解説が書かれた資料があったので、中身を見たら、何と!広島ことばで書かれた14か条の訓戒の解説文だったんですよね(笑)

この資料は広島県教育委員会事務局教育部文化課 中世遺跡調査班が発行発行している中世遺跡調査研究ニュース『いぶき 中世のひろしま』第15号で、その内容は―

「三矢の訓」は『毛利家文書』第405号(『大日本古文書』家わけ文書)を元にしていて、毛利元就が61歳の時(弘治3年=1557)に隆元、吉川元春、小早川隆景の3人に宛てた書状を言い、俗に「三子教訓状」とも呼ばれています。

その幾つかを紹介しますと…
  • 何度も言うとるが、毛利という名字を力のおよぶ限り末代まですたることがないようこころがけてくれや
  • 元春と隆景はよその家を継いどるが、これはあくまでその場かぎりのもんじゃ。毛利のことを忘れちゃあ、みんなええことにゃならんで
ってな感じです。(実際に広島弁で聞いてみたらもっと面白い感じになりますよ!)

こういう方法で「ふるさと学習」っぽく深めていくとより地元の歴史を知りたい!学びたい!って人が現れるでしょうね。

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さて、広島県立歴史博物館を後にし、そのまま近くの福山城に行きました。2年ぶりの来城です。この城は伏見城から移築されたものが多く存在するので、不思議と和むんですよね。

福山城を離れ、次なる目的地は鞆の浦です。幕末の坂本龍馬や海援隊で有名ないろは丸の発掘品などがあるいろは丸展示館や、戦国期にに主家尼子氏再興に力を注いだ山中鹿介幸盛の首塚などを見学し、僕の一番の目的地である鞆城跡を見学。

ここは室町幕府最後の将軍・足利義昭が流されて本拠を構えた場所で、現在は鞆の浦歴史民俗資料館が建っています。近年、「鞆幕府」の研究も進展してきているので、今回現地に来られて、原風景を感じることができて、すごく感動でした!(館内に入ってみると、筝曲「春の海」で有名な宮城道雄氏の資料などが陳列され、銅像も建ってました。思わぬ発見!ですね。何でも「春の海」は宮城道雄氏が大正6年(1917)に上京する際の航路で旅した瀬戸内海をイメージして描かれたのだとか―)

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