禎子ちゃんの想い―クミコ♪INORI~祈り~

♪INORI~祈り~♪
 作詞:GOD BREATH
 作曲:佐々木祐滋(佐々木禎子ちゃんの甥=禎子ちゃんの兄・雅弘さんの二男で被爆二世)
 編曲:坂本昌之

♪別れがくると知っていたけど、本当の気持ち言えなかった
 色とりどりの折り鶴たちに こっそり話しかけていました
 愛する人たちのやさしさ 見るものすべて愛しかった
 もう少しだけでいいから 皆のそばにいさせて下さい

 泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
 祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした

 折り鶴を一羽折るたび 辛さがこみ上げてきました
 だけど千羽に届けば 暖かい家にまた戻れる
 願いは必ずかなうと 信じて居り続けました
 だけど涙が止まらない 近づく別れを肌で 感じていたから

 泣いて泣いて泣き疲れて 折り鶴にいつも励まされて
 祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした

 別れがきたと感じます だから最後に伝えたい
 本当に本当にありがとう 私はずっと幸せでした

 泣いて泣いて泣き疲れて 折り鶴にいつも励まされて
 祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした

 めぐりめぐり行く季節をこえて 今でも今でも祈ってる
 二度と二度と辛い思いは 誰にもしてほしくはない
 誰にもしてほしくはない♪

― ◇ ◇ ◇ ―

広島平和記念公園(広島県広島市)にある「原爆の子の像」を知っていますか?

私も中学3年生の時、修学旅行で訪れましたが、たくさんの千羽鶴が捧げられている事から、別に“千羽鶴の塔”とも呼ばれています。

像の高さは9mで、その頂上には頭上に高く折り鶴を掲げた少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しています。

この少女のモデルとなったのが、2歳の時に被爆し、10年後の昭和30年(1955)10月25日に12歳の若さで白血病で亡くなった佐々木禎子ちゃんです。

佐々木禎子ちゃんは、昭和20年(1945)8月6日、2歳の時に広島市に投下された原子爆弾によって、爆心地から1・7kmの自宅で黒い雨により被爆します。

同じ様に被爆した禎子ちゃんの母親は直ぐに体の不調を訴えましたが、禎子ちゃんは左程の外傷もなく、不調を訴える事もないまま、その後元気に成長していきました。

ところが、9年後の小学校6年生の秋、すなわち昭和29年(1954)11月頃より首の周りにしこりしこりが出来始め、翌30年(1955)1月にしこりがお多福風邪の様に顔が腫れ上がり始めます。病院で検査しても原因が判らず、2月に総合病院で検査した結果、白血病と判明し、存えても1年の生命と診断され、広島赤十字病院(現在の広島赤十字・原爆病院)に入院します。

昭和30年(1955)8月に名古屋の高校生からお見舞いとして折り鶴が送られて以降、禎子ちゃんも折り始め、それを見ていた多くの入院患者たちも折り始めます。

病院では折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じられ、禎子ちゃんもいつか元気になって皆の待つ家へ帰れる事を願いながら、「折り鶴」を折る続けました。

その後、折り鶴は段々と小さい形となります。当時、折り紙は高価な物でしたから、代わって薬の包み紙のセロファンなどを拡げ、針を使いながら折られ続けます。

しかし、禎子ちゃんは8か月の闘病生活の後、同年10月25日に亜急性リンパ線白血病で亡くなってしまいます。

死後、禎子ちゃんが折った鶴は葬儀の時に2、3羽ずつ参列者に配られ、棺に入れて欲しいと呼び掛けられ、そして遺品として配られます。

佐々木禎子ちゃん、享年12歳

禎子ちゃんが生前、折った折り鶴の数は二千羽近くにもなり、折り掛けの鶴が12羽程あったそうです―

― ◇ ◇ ◇ ―

禎子ちゃんが亡くなった翌月の11月8日に禎子ちゃんの同級生に対し「禎子さんを始め原爆で死んだ子の霊を慰める石碑を創ろう」と新聞で禎子ちゃんの死を知った青年により提案され、設置のための活動が始めれます。

まず12日に全日本中学校長会場において、禎子ちゃんの同級生8人によってビラ配りが行われ、全国の中学校より寄付金が寄せられます。

12月に入ると、反響の大きさにより広島市内の小・中・高校に運動への参加を呼び掛け、「広島平和をきづく児童・生徒の会」が組織されます。

翌31年(1956)は街中での募金活動が繰り返し行われ、年末までに540万円の寄付金を集めた。募金活動には全国の3,200校余りの学校が協力し、募金は海外からも寄せられました。

原爆の子の像

そして、活動し始めてから、約3年後の昭和33年(1958)5月5日、平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成したのです。

― ◇ ◇ ◇ ―

この♪INORI~祈り~♪という歌は、禎子ちゃんのお兄さんの子で、禎子ちゃんの甥っ子さんにあたる佐々木祐滋さんが禎子ちゃんの想い出などを小さい頃から聞いて育ってきた中で、想い描いた歌詞にメロディを乗せた作品です。

また、クミコさんという歌手の方も佐々木祐滋からこの歌を託されて唄われておられて、今年の紅白ではその唄う姿を観る事ができます。

皆さんも、この「INORI~祈り~」を単なる反戦歌としてではなく、禎子ちゃんの様に無念にも原爆で、いや戦争で犠牲となった子どもたちを想って、聴いてみて下さい!!

ps.この文章を作りつつ、BGMで「INORI~祈り~」を聴いていたら、涙で目が溢れちゃった…

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※(参照)昭和20年8月、ヒロシマ 夏服の少女たちが綴った日記帳
※(参照)聞こえなかった原爆―被爆ろう者の叫びを聴いてあげて!

     

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