BS日テレにおいて
「王と私」(全63話)が現在放送されていますね。
私自身は以前、スカパーのLaLaTVで放送された際に視聴し終えているのですが、その際にまとめ切れなかった事、またBS日テにて
「女人天下」の視聴以降、すっかりハマってしまった父と母に分かり易い様に予備知識を作成しようと思うので、以下まとめてみました。
― ◇ ◇ ◇ ―この
「王と私」の時代背景としては、朝鮮王朝の初期にあたり、第6代国王で、
端宗3年(1455)に起きた「
癸酉靖難」によって叔父である
首陽大君(第7代国王・
世祖)に譲位させられてしまった
端宗が、
世祖2年(1457)に復位を図ろうとした事件(「
端宗復位事件」)が失敗した辺りから、第10代国王で「
戊午士禍」(
燕山君4年:1498)や「
甲子士禍」(
燕山君10年:1504)など、その行き過ぎた施政により、「
中宗反正」(
燕山君12年:1506)と呼ばれる朝鮮王朝史上最初となる“臣下によるクーデター”で廃位された
燕山君までの物語です。
その間、
端宗・
世祖・
睿宗・
成宗・
燕山君5代の国王に至るまでの朝鮮宮中を管掌していた
内侍たちにスポットを当てています。
― ◇ ◇ ◇ ―「王と私」は、
宦官で
内侍府に勤務する
金処善と廃妃
尹氏(斉献王后、
尹素花)の精神的な愛をモチーフにしたドラマですが、こうした
内侍と王室の女性との間のスキャンダルが実際に存在した可能性があるようです。
『朝鮮王朝実録』の『太祖実録』
太祖2年(1393)6月19日条を見ると、
癸巳/誅内竪李万、黜世子賢嬪柳氏(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖2年癸酉(1393)6月癸巳(19日)条)
という記載が見られます。
太祖2年(1393)6月19日、
太祖(李成桂)が、
宦官で
内豎である李萬を殺害し、王
世子・宜安大君(李芳碩)の妃(世子嬪)である
賢嬪柳氏を追放し廃妃するという、将に青天の
霹靂ともいうべき命令を下します。
賢嬪柳氏という女性は、
太祖の末子ですが王世子に任ぜられた宜安大君(李芳碩)の妃(世子嬪)で、2人は恭譲王元年(1390)に、王世子9歳、世子嬪20歳で結婚していました。
賢嬪柳氏は宜安大君(李芳碩)よりも11歳年上だったんですね。
この突然の
太祖の命令に対し、
台諌たちが
賢嬪柳氏の事件について、「国民たちの間に様々な憶測がが飛び交っているので、真相を明らかにするように上疏したところ、
乙未/台諫、刑曹上言:窃見内竪李万伏誅、賢嬪柳氏黜还私第、国人未知所以、疑惧不已。愿殿下将左右亲近之人、下法司鞫問、以絶国人之疑。上怒、下右散騎常侍洪保、左拾遺李慥、司憲中丞李寿、侍史李原、刑曹正郞盧湘于巡軍(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖2年癸酉(1393)6月乙巳(21日)条)
と、
太祖は大いに憤慨して、台諫たちを
巡軍獄(巡軍万戸府)に投獄してしまったのです。
太祖(李成桂)は台諌たちに対し、
宮中小竪嬪媵黜罰、我家私事、非外人所得知也(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖2年癸酉(1393)6月丙申(22日)条)
と、宮中の小竪(李萬)と
嬪媵(=嬪と
媵妾、すなわち
賢嬪柳氏)を追放して処罰する事は
私たちの家(王室=李家)の事だから、外部の人々の知るところではないと返しています。
つまり、
太祖(李成桂)の
宦官に対する意識には高麗王朝時代の国王と同様に
「汝是家奴」(『高麗史』巻第122『宦者伝』金玄の項)といった感じで、
“王室、すなわち李家の使用人”という扱いなのですが、台諫たちにとっては、国王たるべきは例え身内の者であっても、法に基づいて処断してこそ、国の規範が正しく成り立つのだ、と意見が食い違ったんですね。
実際に、これ以降は
賢嬪柳氏に対する記録は何一つ残されていません。本当にスキャンダルがあったのか?どうかは“薮の中”に隠されてしまいました。
しかしながら、
太祖(李成桂)のこうした唐突な行動から、若しかしたら世子嬪と内侍との愛があったのかも?という推論の可能性を導かせてくれるのです。
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