別件で昭和20年(1945)8月の
この映画は、現在から36年前の昭和49年(1974)、封切り直前でストップがかかり、一般公開が中止となったのです。
当時としては製作実行予算が5億数千万円を超える超大作映画として話題を呼び、戦闘シーンは陸上自衛隊が全面協力。企画・製作に9年もの時間を費やし、文部省選定や各種団体の推薦も受けていました。また、試写会や調査やアンケートを重ね、史実に忠実に作られ、前評判や口コミからなどから前売り券の売上も何と70万枚に達していたと云われています。
一般公開直前になり、配給元の東宝が公開中止を決定。その背景として「反ソ映画の上映は困る」とのソ連政府による抗議&圧力がありました。
その後、東映洋画配給によって北海道と九州で2週間程の劇場公開がなされ、以降、殆んど発禁映画扱いとなってしまったのです。(一部の地域では、学校教育映画という形で見ている世代の方もおられるようですが…)
しかしながら、ソ連に没収されてしまったとの噂もあったフィルムが平成18年(2004)に発見され、、フィルムをデジタルリマスター化して、当時は上映時間が156分でしたが、それを119分にまとめて、漸く全国順次劇場公開が決定したのです。
舞台背景は、太平洋戦争末期の樺太です。当時は北緯50度を境界線に南半分が日本領、北半分がソ連領でした。
昭和20年(1945)8月、ソ連赤軍の突然の南下により、樺太を舞台に日本で最後の地上戦が行われるたのです。
しかも、日本は敗戦に伴う、戦闘行為の停止を命ぜられていた状況を縫う様にソ連赤軍は侵攻をはかり、多くの民間人がその犠牲になったのです。
中でも、樺太の西海岸の要衝の地、真岡郡真岡町(現在のロシア連邦サハリン州ホルムスク)の地で郵便局の電話交換業務に当たっていた9人の女性交換手たちが服毒自殺を遂げた(「真岡郵便電信局事件」)という悲しき運命をモチーフに描かれたのが、この映画なのです。
ストーリーあらすじは、
1945年夏、太平洋戦争は既に終末を迎えようとしていたが、戦禍を浴びない樺太は、緊張の中にも平和な日々が続いていた。しかし、ソ連が突如として参戦し、日本への進撃を開始した。北緯50度の防御線は瞬く間に突破され、ソ連軍は戦車を先頭に怒涛のごとく南下してきた。
戦禍を被った者たちは、長蛇の列をなして西海岸の真岡の町をめざした。
真岡郵便局の交換嬢たちは、4班交代で勤務に就いていた。彼女たちの中には、原爆を浴びた広島に肉親を持つ者がいる。最前線の国境に恋人を送りだした者がいる。戦火に追われて真岡をめざす姉を気づかう者がいる。刻々と迫るソ連軍の進攻と、急を告げる人々の電話における緊迫した会話を、彼女たちは胸の張り裂ける思いで聞くほかになすすべがなかった。
8月15日、全く突然に終戦の報がもたらせられた。敗戦国の婦女子がたどる暗い運命、生きられるかもしれないという希望、様々な思いが交錯する中で、樺太全土に婦女子の疎開命令が出た。一人、また一人と、交換嬢たちも引き揚げて行く。だが、その中には命令に従わず、“決死隊”としてその編成に参加し、交換手として職務を遂行しようと互いに励ましあい、責任を果たそうと心に誓う20名の乙女たちがいた。ソ連の進攻は依然として止むことなく、むしろ、激しさを増した。戦争は終わったのではないか?人々は驚愕し、混乱した。
8月20日、霧の深い早朝。突如、真岡の町の沿岸にソ連艦隊が現われ、艦砲射撃を開始した。町は紅蓮の炎につつまれ、戦場と化した。
この時、第一班の交換嬢たち9人は局にいた。緊急を告げる電話、町の人々への避難経路を告げ、多くの人々の生命を守るため、彼女らは職場を離れなかった。じりじりと迫るソ連兵の群。取り残された9人の乙女たち。胸には青酸カリが潜められていた。
局の窓から迫るソ連兵の姿が見えた。路上の親子が銃火を浴びた。もはや、これまでだった。班長はたった一本残った回線に「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」と告げると静かにプラグを引き抜いた…(「パンフレット」より)
といった感じ!主な配役は、
- 関根律子(第一班班長)=二木てるみさん
- 藤倉信枝(第一班副班長)=鳥居恵子さん
- 斎藤夏子(第一班副班長)=岡田可愛さん
- 石田ゆみ=野村けい子さん
- 鳥貝啓子=今出川西紀さん
- 堀江正子=八木孝子さん
- 神崎泰子=相原ふさ子さん
- 青木澄子=桐生かほるさん
- 仲村弥生=木内みどりさん
- 林田千恵=北原早苗さん
- 手塚美沙子=大石はるみさん
…亡くなられた交換手の高石ミキさん(24歳)、可香谷 シゲさん(23歳)、伊藤千枝さん(22歳)、志賀晴代さん(22歳)、吉田八重子さん(21歳)、高城淑子さん(19歳)、沢田君子さん(18歳)、渡辺照さん(17歳)、松橋みどりさん(17歳)らの8月20日当日のそれぞれのエピソードがモチーフ! - 香取知子=岡本茉利さん
…三船殉難事件(実際には2日後の22日だが…)がモチーフ! - 坂本綾子(第4班班長)=藤田弓子さん
…上野ハナさんがモデル? - 三好とく=真木沙織さん
- 北野早苗=藤園貴巳子さん
- 植中賢次(真岡郵便局長)=千秋実さん
…上田豊三局長がモデル - 久光忠夫(向地視察隊日の丸監視哨隊長)(中尉)=若林豪さん
- 仁木第八八師団長(中将)=島田正吾さん
…峯木十一郎中将がモデル - 鈴木参謀長(大佐)=丹波哲郎さん
…鈴木康大佐がモデル - 吉崎大尉=三上真一郎さん
- 清水連隊長=藤岡重慶さん
- 田尻第五方面軍参謀(中佐)=岸田森さん
- 村口歩兵二五連隊第1大隊副官(中尉)=黒沢年男さん
…村田徳兵中尉がモデル - 岡谷俊一(王子製紙樺太工場勤務のバレーボールコーチ)=佐原健二さん
- 関根辰造(関根律子の父)=今福正雄さん
- 関根しず(関根律子の母)=赤木春恵さん
- 森本きん=七尾伶子さん
- 藤倉亮介(藤倉信枝の父)=伊沢一郎さん
- 安川徳雄(藤倉信枝の義兄)=田村高廣さん
- 安川房枝(藤倉信枝の姉)=南田洋子さん
- 鳥貝オサム(鳥貝啓子の弟)=水野哲さん
- 中西清治(堀江正子の恋人、鉄道省樺太鉄道管理局機関士)=浜田光夫さん
- 斉藤秋子(斎藤夏子の妹、太平炭鉱病院看護婦)=岡田由紀子さん
…大平炭鉱病院の看護婦集団自決(8月17日)がモチーフ! - 菅原良子=柳川慶子さん
- 菅原美保子=栗田ひろみさん
- 小松慶市=見明凡太朗さん
- 梅津勝介=柳谷寛さん
- 神崎雄一(神崎泰子の父)=織本順吉さん
- 手塚美沙子の父=中条静夫さん
- 仲村悦子(仲村弥生の母)=鳳八千代さん
- 柳田=久野四郎さん
- 高木=城山順子さん
- 渡部(
泊居 郵便局長)=久米明さん
という事で、京都みなみ会館(京都市南区)で22日まで上映中との情報を入手したので、早速観てきました!(気持ち、20日までに観たかったので…)
前もって下調べをしてから観たので、意外とスムーズに映画のシーンの状況が呑み込め易かったです。戦闘シーンは迫力があったし、何といっても真岡郵便局の女性電話交換手たちのいじらしい面と職務を全うな心持ちがすごく共感できます。
途中の交替・休憩時間中に女性電話交換手たちのみんなで唄っていた♪椰子の実♪がラストシーンで再び来た時は思わず涙腺がポロポロ…状態でしたよ。
周りを見ても、映画が終了した後、暫く立ち上がれない人で一杯でした!
個人的な話、僕の母方の祖母の実家の人たちも樺太帰りで稚内に住み着いたそうなので、すごく遠い縁なんだけれども、近き運命を感じられる…そんな気分でこのエピソードを想っています。
※(関連)昭和20年8月、樺太の悲劇―その2 ドラマ「天北原野」と三船殉難事件
※(関連)1945年8月15日
※(関連)北方四島の話
この記事へのコメント
御堂
ご返答の方が遅れましたが、リンクして頂き有難うございます。今後とも宜しくお願い致します。
けんちゃん
勝手ながら御堂さんのブログが大変面白かったので、私の個人ブログにリンクさせていただきました。
「文学活動」というカテゴリーのリンクさせていただきました。時折見せていただきます。
ご迷惑でなければ時折コメントもさせていあtだきますので、よろしくお願いします。
御堂
さて、「氷雪の門」ですが、必ずしも反戦映画って訳ではないですよね。
今まで、満洲や沖縄での悲劇は教科書の掲載された写真やメディアで観た映像などで知っていましたが、樺太に関しては三浦綾子さんの小説やドラマでしか知りませんでした。
ただ、祖母の親戚たちが樺太からの引き揚げ者だったので、少なからずお話を聴けたりしたのは、世代的には幸運だったかもしれませんね。
それでも、世情的に大手を振って樺太について語る時代ではない分、これから先の事も考えると、細々とでもいいから語り部として絶やさない気持ちが必要だと痛感します。
けんちゃん
この映画は「16ミリ映画上映が命」という知人が主催して上映していたので鑑賞しました。
知人は「長年お蔵入りしていたのは、当時のソ連が版権を買い取っていたため上映ができなかった。30年経過してそれが切れたため上映ができるようになった。」
日本で最初の上映は靖国神社でやったんや。右翼の反戦映画と言うわけや。」
「ただ右翼の人達の中には、映画のなかで日本がソ連にやられっぱなしの場面ばかりなので、上映に難色する人もいたらしい。
でも右翼も左翼もなしに日本人はこの映画を見て欲しい」と言われました。
上映会当日には、元樺太の住人だった人が解説してくれました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-e5c3.html
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-65ad.html
今後ともよろしくお願いします。
御堂
「氷雪の門」はたまたま違う樺太の悲劇話を調べているうちに発見した産物でした。見つけた日が19日で、しかも京都で公開してる、それでブログに記事を書きたいけど、それには事件が起こった20日に書きたいと思い立ち、一目散に観に行って来ました!
沖縄の悲劇や北方領土の問題、満州や中国大陸からの引き揚げ者や残留孤児たちの話題は8月という時期になると採り上げられるけど、樺太の話題は意図的に伏せられていたのか、と感じると居ても立ってもおられず、まずは記事として載せないと―と思ったからなんですね。
しばやんさんはDVDを買われて観賞されたのですね。私自身は劇場に足を運んだのですが、親にも観せたく思い、DVDを買う事に決めました。
樺太でのこうした悲劇を全く知らなかったのは全く情けなく感じます。これから先も自分ができる方法で伝え残していきたいと思います。
ps.
公開する劇場の情報によれば、18日から十三の第七藝術劇場で、来月9日から神戸元町の元町映画館で公開されるのだそうですよ。(友人を巻き込もうかと思案中です 笑)
しばやん
「氷雪の門」は私も見たくなって、ネットで調べてこの映画の助監督であった新城卓さんのHPから買いました。
DVDはちょっと高かったですが、とてもいい映画でした。
ミニシアターではなくもっと大きな映画館やテレビで是非公開してほしいと思いました。
私もブログで書いたことがあるので、よかったら覗いてみてください。
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/29/