(書斎の窓)『小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像―』

『小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像―』

八木書店より刊行された史料で読む戦国史シリーズの第2弾、『小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像―』を紹介します。

関ヶ原での敗戦により、事実を「抹殺」され、虚構のイメージを植えつけられた小西行長の新たなイメージを図版100点以上、行長自身が発給した文書(101通)を基に徹底調査、「つくられた行長」の虚像を覆す!

鳥津亮二著『小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像―』
●謎に包まれたキリシタン大名・小西行長に関わる史料を博捜、新たな行長像を再構築!
●図版を100点以上収録し、わかりやすく叙述。
●付録に、行長が発給した文書101通(全90頁)の翻刻を掲載。54点は原文書の写真も併載。

(目次)
カラー口絵
はじめに
第一章 小西一族と秀吉―一五五八~一五八五年―
 一  小西氏と堺・日比屋氏
    行長の家庭環境/日比屋了珪との関係/小西氏と日比屋氏/了珪の一次資料/立佐の生い立ち/立佐は京都へ
 二  行長の生い立ちと父・立佐
    行長の生年/京都で洗礼を受ける/和田惟政と立佐/信長と立佐/堺とパイプを深める
 三  行長と宇喜多氏
    秀吉書状に見る宇喜多氏と行長/宇喜多氏に仕官/秀吉との出会い
 四  秀吉に登用される立佐と行長
    秀吉に仕える/信長書状に見える「小西」
 五  海の司令官・小西弥九郎
    主な任務は海上輸送/行長の地位/戦闘への参加/小豆島との関係
 六  紀伊・四国攻めと行長
    紀伊攻めに参陣/四国攻めにも参加/行長の出世
 七  父・立佐の活躍
    秀吉の側近になる/蔵入地代官に/そして堺奉行に
(コラム①)神様として祀られる行長
第二章 九州への道程―一五八六~一五八八年―
 一  秀吉の九州攻めと行長
    大坂での秀吉・コエリョ会談/行長の小豆島布教要請/イエズス会士との交際/赤間関へ兵粮輸送/松浦氏への命令伝達/立佐による兵粮輸送/水軍として九州へ/八代での秀吉・コエリョ会談/薩摩川内に到達
 二  伴天連追放令と行長
    秀吉―宗氏の「取次」/九州諸大名への「監督権」/博多町割り奉行/対イエズス会政策の転換/「伴天連追放令」発令/行長は「泣いた」/行長の「信仰心」/小西「摂津守」に
 三  秀吉上使、そして肥後領主へ
    肥後・肥前一揆勃発/肥前一揆の事後処理/肥後一揆の事後処理/肥後半国の領主に
(コラム②)行長の花押の変遷
第三章 肥後統治と対朝鮮交渉―一五八八~一五九一年―
 一  行長の肥後統治
    行長の所領と領知高/行長・清正の肥後共同統治/行長の肥後入国時期/家臣団を編成
 二  城郭整備と天草一揆
    領内の城郭編成/宇土城を新築/八代城(麦島城)も新築/天草五人衆と行長/天草五人衆の抵抗/天草一揆の鎮圧/天草とイエズス会活動
 三  立佐・如清の活動
    立佐は室津・小豆島を管理/立佐、長崎へ/キリシタンとしての地位/小西「和泉守」立佐
 四  宗氏との対朝鮮交渉
    宗氏の対朝鮮交渉/行長の焦りと「すり替え交渉」/朝鮮使節来日/「唐入り」準備にあたる/多忙な行長
(コラム③)創作された行長の書状
第四章 文禄の役―一五九二~一五九六年―
 一  釜山上陸から漢城入城
    開戦直前の動き/釜山上陸/交渉を模索しながらの進軍/漢城入城と還住政策
 二  平壌入城、そして撤退
    行長と清正の「ズレ」/平壌入城/沈惟敬との接触/平壌から漢城へ撤退
 三  講和交渉の展開
    偽りの「勅使」来日/北京へ内藤如安を派遣/行長の野心/熊川でセスペデス招聘/大名同士の交流
 四  講和交渉の破綻
    秀吉の最終和平条件/講和に向けた軍縮/明正使の逃亡/日明講和の破綻/行長のミス/立佐の死と如清の役割
(コラム④)行長の容貌と人柄
第五章 慶長の役から関ヶ原へ―一五九七~一六〇〇年―
 一  慶長の役
    講和をあきらめない行長/全羅道へ侵攻/順天での行長/朝鮮からの撤退
 二  秀吉死後の政争
    分裂の萌芽/三成と行長/兄・如清の役割/家康と行長
 三  最後の肥後滞在
    朝鮮出兵と行長領内の人々/肥後帰国後の領内統治/領内でのキリスト教布教/行長による布教の意図/披虜朝鮮人と肥後のキリスト教
 四  運命の関ヶ原
    行長上洛/関ヶ原合戦前夜/関ヶ原での敗戦・刑死
(コラム⑤)八代の殉教者たち
終 章 変わりゆく行長の評価
あとがき
付 録
小西行長発給文書集成/史料解題/参考文献/小西行長関係キリシタン略伝/小西行長関係略系図/索引(人名・事項)/宇土城復元図/小西行長関係年表

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック