ああ
現在、CSのTBSチャンネルにて「岸辺のアルバム」という作品を放送しています。
ああ
この作品が放送されたのが昭和52年(1977)6月~9月までの1クール(全15話)で、ちょうど小学校6年生の時期でした。
ああ
実に32年ぶりの視聴って事になります…
ああ
原作及び脚本は山田太一さん。
ああ
作品全体のテーマとしては、平凡でちょっと倦怠期を迎えた夫婦と、大人への成長過程を迎えた子供たちが苦悩し、やがて家族が崩壊してゆく―といった様子が描かれた作品で、最後にその拠り所であった家が水害によって崩壊する―といったもの。
ああ
この水害ってのが、現在から35年前の昭和49年(1974)年9月に現在の東京都狛江市猪方地先の堤防が決壊し、19戸の家屋が多摩川の濁流に呑み込まれて崩壊・流出したという狛江水害(多摩川水害)なのですが、ドラマの最終回で主人公たちが避難勧告ギリギリの中で、母親の「家族の想い出がいっぱい詰まった写真アルバムを持ってきてほしい!」という台詞がタイトルに反映している訳です。
ああ
実際、この水害で家を失った人々が家を失った事以外に家族が写った写真アルバムを失った事がとてもショックだったという被災者の話を山田太一さんが受け止め、そこからドラマの構想が生まれたそうです。
ああ
当時の社会的規範を上手く映し出した脚本・演出で、家庭や家族の絆を繋ぐもの―一方が“マイホーム”すなわち家だとすると、もう一方はアルバムだとしているんですね。(今や現代っ子には、解り得ない考え方になっちゃいましたね…それ故、ドラマをリメイクするとしても、作り手も演者も当時の社会的規範に対し、ピンと来ない世代たちですので、しっくり来ないと感じます。ましてや、現代風にアレンジすればする程、原作の主張からは程遠い、全くの別作品となるのが必至ですね!)
ああ
この作品をさらに惹き立たせているのが、OPに流れるジャニス・イアンさんの♪Will You Dance?♪のメロディです。その背景には被災時の報道映像と共に多摩川の上流から下流への空撮が映されていました。
ああ
子供心に脚色なのか?ドキュメンタリーなのか頭の中で混同しちゃいましたから…
ああ
では、このようにインパクトを与えた狛江水害(多摩川水害)とは一体どんなものだったのでしょう?
ああ
昭和49年(1974)年8月26日、サイパン島付近で台風16号が発生します。この台風は発達しながらも次第に北上します。
同時に日本近海で発生した台風17号も、16号の影響を受け、弱い熱帯低気圧となって北上します。
関東一帯は30日22時頃から雨が降り始め、31日19時頃から強雨となりました。
多摩川流域での総雨量は、上流部、西多摩郡奥多摩町の小河内で495㎜、氷川で527・9㎜を記録、一方中流部の立川では113㎜、下流部の田園調布では86㎜と、多摩川上流域に集中した強雨が降った事が判ります。
多摩川最上流に在り、実は取水専用で治水機能を果たせない
この日、狛江市の消防署・消防団・市職員は防災訓練を予定していましたが、それを水防活動に切り替え、目に見えて増え続ける多摩川の出水に合わせ、状況把握を始めます。
建設省京浜工事事務所(建設省京浜工事事務所(現、国土交通省京浜河川事務所)・警視庁なども出動し、必死の水防活動を行いますが、二ヶ領宿河原堰に妨げられた水流は次第に勢いを増し、左岸の堤防目掛けて直撃を始めます。
14時頃、東京都狛江市猪方地先にある「
水流の妨げとなった「二ヶ領宿河原堰」は、二ヶ領用水を取水するための施設で、古い
被災前の構造は、全長270m、右岸から順に、鉄筋コンクリート造りの固定部50m、5連ゲートの放水門35m、舟通し魚道12m、固定部200mで、この固定部が河川敷の途中まで
この小堤防は、古くからあった堤防を二ヶ領宿河原堰改築の際に補強したもので、流水を右岸側の固定部に導流するために設置されていた厚さ15cm程の植石コンクリート造りの全体的に脆く弱い構造でした。その小堤防が案の定崩壊したのです。
また水位の上昇に伴い、堰が妨げとなって発生した迂回流が、嵌入部によって堤防を直撃し易くした上、堰下流部の河床の洗掘がその流れを速めました。
更に堰下層の固いシルト層(砂と粘土の中間の細かさを有する土の層)も、流れを横へ広げる原因の一端となり、堤防の洗掘は徐々に進んでいったのです。
9月1日21時45分―
遂に堤防が長さ5mにわたって決壊、0時19分には、必死の水防活動も空しく、民家が倒壊流失し、翌2日の朝までに、次々と10件の家屋が多摩川の激流に呑み込まれていきました。
堤防を直撃する激流の方向を変えるため、2日9時15分、自衛隊によって二ヶ領宿河原堰の固定部を爆破する事が決定します。
2日14時37分―
爆破によって破壊口が開きますが、水の流れに殆んど変化はみられませんでした。逆に、コンクリートの破片によって付近の住宅や住民が被害を受け、その後さらに7件の民家が流出します。
3日、建設省(現、国土交通省)は、再度、堰体爆破の検討をし始めます。
14時6分、共同住宅が流出。その約1時間半後の16時30分、建設省による1回目の爆破、更に1時間後の17時30分に2回目、20時55分3回目と爆破を試みますが、殆んど効果はなく水の勢いは依然衰えません。
4日10時30分―
3日とは違う場所を爆破。更にその後、12時30分、14時45分、16時と立て続けに爆破。この間、無情にも大雨洪水注意報が発令されますが、20時にこの日6回目の爆破。
4日20時15分―
2日からの合計13回に及ぶ爆破で幅約12m、深さ約2mの破壊口が開き、約50tの水が流れ始めます。
9月5日20時―
小河内ダムに毎秒40tから5tの放水減少の要請をし、警察・消防・自衛隊延べ1万5000人余りが出動。迂回流の締め切作業を急ピッチで進めます。
6日午前7時25分―
8tブロックと砕石の大量投入によって締め切り作業が完了し、その日の正午、一部を除いて漸く避難命令が解除、ほぼ1週間にわたった水害は一応のピリオドを打ちます。
―結果として、約260mに及ぶ堤防の決壊、家屋の崩壊流失19棟、宅地や家財などの流失被害33世帯という被災状況でした。
こうした一連の様子は一部始終テレビで放映され、水害の恐ろしさを全国に見せつけました。
ましてや、関東大震災から51年目の9月1日(=「防災の日」)に起きた大水害であったのは皮肉っぽい話ですね。
被災から2年後の昭和51年(1976)、家屋を失った住民の皆さんが多摩川を管理する国を相手に損害賠償請求の訴訟を起こし、約16年に及ぶ「多摩川水害訴訟」が始まります。
裁判は4回にわたり、一審では住民側が、二審では国が勝訴。住民側はこれを不服とし、上告審で破棄差戻しとなります。平成4年(1992)、高裁における差戻控訴審で住民側が勝訴が確定、国側が上告を断念し結審しました。
決壊した堤防の跡(狛江市猪方四丁目)には、被害に遭ってしまった方々の強いご希望により、この水害の教訓を後世へ伝えるという使命を持って「多摩川決壊の碑」が建てられました。
何故、「岸辺のアルバム」がすごく印象に残っているかというと、私が現在住んでいる京都府宇治市は昭和28年(1953)8月から9月にかけて起こった大水害(=南山城水害)で宇治川が決壊した事があるからです。(因みに、決壊し水が溢れた場所付近には現在、団地が建っています。団地の住民たちはその場所が危険地帯である事知ってるのかな?)
私はまだ生まれていませんが、母が高校生の時で、その時に家屋の1階部分が床下浸水をしたのだそうです。また叔母(母の兄嫁)はその大水害で両親を亡くしたそうです。
そうした被害を防ごうと、天ヶ瀬ダムが着工され、現在に至っています。また、それだけではなく、そうした教訓を伝えていこうと、宇治川の水害の歴史や、嘗て遊水地だった
また、大学の時に受講していた歴史地理学では現地実習という形で岐阜県大垣市の輪中地域(
また、群馬県に流れる渡良瀬川なども遊水地の機能を現在も有している河川として有名ですね。(過去の宇治川の水害や治水を理解するのに、この渡良瀬川をモデルに使っていたりしてます)
それ故、僕にとってこの「岸辺のアルバム」は、ドラマの脚本の魅力とは別に、このように人の力では成す術のない“自然の力”を忘れないようにと認識させてくれた作品でもあるのです。
※(参照)津波に消えた豊後沖ノ浜
※(参照)生死を分けた15段―天明3年の浅間山大噴火において
※(参照)安政の大地震とその被災記録




この記事へのコメント
御堂
実際、私自身も過去に洪水が多発した河川の近くに住んでおりますので、狛江水害のような災害はすごく身近な問題に感じています。
ましてや、母や叔母などは今回のような台風の影響による大水害(南山城大水害)で肉親をなくすなどの悲劇を味わっているものですから…
そうした事から、私が小学生の頃は地元で起こった災害の歴史や現状、これからの課題などを学習しました。(最近の小学生は習ってもいないそうですが…)
「岸辺のアルバム」という作品は、家族が崩壊をテーマにした作品ですが、最後に家族にとっての拠り所であった家が水害によって崩壊する―といったもの。
ドラマの最終回で母親が言った「家族の想い出がいっぱい詰まった写真アルバムを持ってきてほしい!」という台詞が作品タイトルに反映しています。
これは、実際に狛江水害で家を失った人々が家を失った事以外に家族が写った写真アルバムを失った事がとてもショックだった、という被災者の話を脚本家の山田太一さんが受け止め、そこからドラマの構想が生まれたそうです。
一番のおススメは、オープニングでジャニス・イアンさんの♪Will You Dance?♪のメロディと共に映し出される被災時の報道映像と放送当時(昭和52年=1977)の多摩川の上流から下流への空撮風景でしょうか。曲が終わる直前にちょうど水害で決壊した堰の辺りが映り込みますよ。
いずみ多摩川お掃除クラブ 鈴木
1974年(昭和49年)に東京・多摩川で起こった水害について、詳細な経緯をご紹介くださりありがとうございます。地元の和泉多摩川、しかも水害の起こった狛江市猪方付近で実際に起きた事実に驚きました。また、現在の護岸設備が過去の惨劇を機に築き上げられたものだということを知り、
感慨深く思っています。
恥ずかしながら「岸辺のアルバム」という実話ベースのドラマについても初めて知りました。
探して観てみたいと思います。
いずみ多摩川お掃除クラブ
鈴木
御堂
このドラマに関しては、相当印象が深かったからでしょうか、コマ切れではあっても幾つもの場面をを憶えていて、それが今回改めて映像を観て、やはり脚本や演出の力なんだな!と感じ入る事ばかりです。
まさに、山田太一さんのマジックにハマってしまった瞬間でしょうね!
荒関善哲
最終回まではドラマを追って観ていましたが、最終回は実話タッチでしたのですっかり関心が移ってしまいました、、、