世紀末と末法思想

よく「世も末だね」と言ったりしますね。

21世紀になった現在、私たちの周りでは理不尽で何ともやりきれない事件が相次いでおり、まさにこの言葉が当てはまるよう気がしてなりません。

仏教における歴史観に末法まっぽう思想」があります。終末期観念の仏教版ですね。

中国・唐の時代の僧、慈恩大師・窺基きき(基)の『大乗法苑義林章』巻第6に「教と行と証とを具えたるを名づけて正法しょうほうと為す。但だ教と行とのみ有るを名づけて像法ぞうほうと為す。教有りて余無きを名づけて末法と為す」と述べています。

すなわち、正法しょうほう像法ぞうほう末法まっぽうと来て、やがて法滅の世がやって来ると言うんですね。

正法とは、釈迦の入滅後から500年、あるいは1000年間続く世の事をいい、この時代は、釈迦が教えたきょうが正しい形で残っており、それに従って実践するぎょうをする人もいて、その結果として、しょう(=悟り)をひらく人がいる時代です。

像法は、次の1000年間続く世をさし、上記のきょうぎょう、つまり、「教え」と「修行」する人はいるが、しょう=「悟り」を啓く人がいなくなる…きょうぎょうの2つしかない時代です。

そして、末法とは、その後の1万年間続く世をさすのです。もう、この時代にはきょうだけしか残っておらず、ぎょうをする人も、しょうひらく人さえもいなくなる時代です。

そうして到頭、きょうさえもなくなってしまう法滅の世が来る―

というんですね。

末法まっぽうの世に入る年次に関しては、仏教が伝来した諸国によって諸説分かれていますが、日本では
中国・六朝末から初唐にかけての僧、嘉祥大師・吉蔵きちぞうの『法華玄論』などを依拠とし、同じく初唐の僧、法琳の『破邪論』上巻に引用された『周書異記』には釈迦の入滅を「周のぼく王の五十二年、壬申の歳」(=紀元前949年)とするのに従って、永承7年(1052)より末法の時代に入ったとされ、当時の人たちも、

  • 「像法の世に有らむ事,遺る年幾くもあらず」(源為憲『三宝絵詞』永観2年(984)
  • 「末法の最年、此事有る、恐るべし」(藤原資房『春記』)
  • 「今年始めて末法に入る」(『扶桑略記』永承7年正月26日条)
  • 「まことには、末代悪世、武士が世になりはてて末法にもいりにたれば」(慈円『愚管抄』巻第7)

と認識をしたうえで、日記などに記載しています。

そして、末法まっぽう思想」への危機感を最も顕著に示したのが、
  • 永承6年(1051)、日野資業すけなりによって山城国宇治郡日野(現、京都市伏見区日野)に建立された日野薬師法界寺阿弥陀堂
  • 永承7年(1052)、藤原頼通によって山城国久世郡(現、京都府宇治市蓮華)に開基した平等院と、翌年の天喜元年(1053)に建立された平等院阿弥陀堂(通称、鳳凰堂)
の事例は有名なところです。

こうした末法まっぽうの世は、永承7年(1052)に入って以降、現在に到るまで955年間が経過しました。

末法まっぽう万年」と言われていますから、あと9050年間ぐらいは、このような状態が延々と続いていくことになりますね。

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