(トピックス)“近江八景”は近衛信尹が膳所城からの眺望を詠んだもの!

近衛信尹が膳所城からの眺望を近江八景に詠んだ事が記されている史料『八景和歌〈琵琶湖〉』の写し

「石山の秋月」や「三井の晩鐘」で知られる“近江八景”(※)は、「寬永の三筆」で知られる五摂家の近衛三藐院さんみゃくいん信尹のぶただが琵琶湖畔の膳所城からの眺望を和歌で詠み、選んだ事が判る史料が発見されました。

“近江八景”の選定者を巡っては従来諸説があり、室町時代後期の関白で三藐院信尹の高祖父こうそふ、つまり、ひいじいさんにあたる近衛政家が選んだと記した出典文献が多く見受けられますが、この発見により覆る可能性が高くなってきました。また、“近江八景”が近江国(現、滋賀県)全域ではなく琵琶湖南部に集中している謎も、実は膳所城を中心とした景色の取り合わせだったと考察されています。

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史料は、江戸時代初期の元和10年(寛永元年、1624)に儒学者で藤原徨窩門人の高弟、かん得庵とくあんが記した『八景和歌〈琵琶湖〉』(〔伊勢〕神宮文庫蔵)。

“近江八景”をそれぞれ詠み込んだ和歌8首を写して「この和歌は、信尹公が膳所城からの八景を眺望して紙に写し、城主に賜れた」(意訳)と記されていました。

※ “近江八景”
近江国(現・滋賀県)、琵琶湖周辺にみられる優れた風景から「八景」の様式に則って選んだ、風景評価図。
山水画で知られる中国湖南省の景勝地で、長江流域の洞庭湖及び、湘江から支流の瀟水にかけてみられる典型的な水の情景を集めて描いた『瀟湘しょうしょう八景図』(11世紀頃、北宋時代、宋迪そうてき作)を琵琶湖になぞらえて、琵琶湖周辺から8か所の名所を選んだもの。
鎌倉時代後期より来日した禅僧により伝えられ、室町時代には京都五山の禅僧たちによって水墨画や五山文学と相俟あいまって、広まっていったとされます。


得庵は、近江膳所藩第2代藩主の戸田氏鉄うじかね(※)(→現在、大垣公園(大垣城跡地)には戸田氏鉄の騎馬銅像が立っていますね)の侍講をしていた事が判っており、上記の記載を発見された京都大学大学院文学研究科の鍛冶宏介非常勤講師は「“近江八景”の始まりを氏鉄から聞いたと考えられる極めて信頼性の高い史料」とみられている。

※ 近江膳所藩第2代藩主の戸田氏鉄
戸田氏鉄は慶長8年(1603)、近江膳所藩の藩主となり、元和2年(1616)に摂津尼崎藩に移封され、寛永12年(1635)、美濃大垣藩へ移封されています。


“近江八景”をめぐっては、上記の記載した如く、近衛政家が明応9年(1500)8月13日に室町幕府・近江守護職の六角高頼の招きで、近江に滞在した際に“近江八景”の和歌8首を詠んだのが始まりだという説が江戸時代の中期に編纂された地誌などで広まり、現在もこの説を採用する文献が多いと云います。

その一方で、政家の玄孫げんそんにあたる三藐院信尹だという説を記した文献も存在します。

江戸時代の後期、享和元年(1801)に近江商人で歌人・文筆家のばん蒿蹊こうけいによって刊行された随筆集『閑田耕筆かんでんこうひつ』には、三藐院信尹自筆の近江八景和歌巻子を知人のもとで観覧し、その奥書には、現行の“近江八景”と同様の名所と情景の取り合わせに至る“八景”成立の経緯が紹介されています。

これについては、政家が当時書いていた日記(『後法興院記』)を調べた結果、この日、つまり明応9年(1500)8月13日は、何処どこにも外出せず自邸にもっていた事実が判明したため「政家説」は消え、「信尹説」が有力視されていました。

加えて、“近江八景”を題材とする作品が室町時代にはまだ見当たらず、ほとんどが江戸時代以降にならないと確認できない事などからも「信尹説」の方が信憑しんぴょう性が高かった事もありました。

今回、三藐院信尹が生きていた時代とほぼ同時代の信頼性の高い史料が発見された事を踏まえ、“近江八景”に詳しい大津市歴史博物館の横谷賢一郎学芸員は「信尹による選定が決定的となった。信尹が“近江八景”を和歌で詠んで公家たちに受け容れられ、江戸中期以降、絵画化によって日本を代表する名所として広まった」と述べておられます。

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◎近江八景における8つの風景

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石山秋月(いしやまのしゅうげつ)⇒石山寺
石山や/におの海(=琵琶湖)てる/月かげは/明石も須磨も/ほかならぬかな

勢多夕照(せたのせきしょう)⇒瀬田の唐橋
露時雨つゆしぐれ/もる山遠く/過ぎきつつ/夕日のわたる/勢多の長橋

粟津晴嵐(あわづのせいらん)⇒粟津原
雲はらふ/嵐につれて/百船も/千船も浪の/粟津に寄する

矢橋帰帆(やばせのきはん)⇒矢橋
真帆ひきて/八橋に帰る/船は今/打出の浜を/あとの追風

三井晩鐘(みいのばんしょう)⇒三井寺(園城寺)
思うその/暁ちぎる/はじめとぞ/まづきく三井の/入あひの声

唐崎夜雨(からさきのやう)⇒唐崎神社
夜の雨に/音をゆづりて/夕風を/よそにそだてる/唐崎の松

堅田落雁(かたたのらくがん)⇒浮御堂
峯あまた/越えて越路に/まづ近き/堅田になびき/落つる雁がね

比良暮雪(ひらのぼせつ)⇒比良山系
雪ふるる/比良の高嶺の/夕暮れは/花の盛りに/すぐる春かな

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※(参考文献)鍛冶宏介「近江八景詩歌の誕生」(京都大学文学部国語学国文学研究室編『国語国文』第81巻第2号)

※(参照)五山の送り火
※(参照)ハイビジョン特集「銀閣よみがえる~その500年の謎~」

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