「真田幸村と大坂夏の陣」展

「真田幸村と大坂夏の陣」A「真田幸村と大坂夏の陣」B

大阪城天守閣にて現在開催中の「真田幸村と大坂夏の陣」展を観て来ました。

今回は正面突破!(笑)と決めていたので、谷四(大阪市営地下鉄谷町線の谷町四丁目駅)から大阪歴史博物館と難波宮跡を通過して、大手門から突入開始!(そうそう、大阪歴史博物館の脇に高床式倉庫が復元されてましたよ!)

この間の長浜城歴史博物館もそうでしたが、平日だというのに、人がわんさかいるわいるわ…

遠足の帰りかな?幼稚園児の行列にまずは遭遇!次いで、菊の祭典とか植木市を開催していたようで御年配の方々もたくさん居られました。

入場券(600円)を購入し、いざ天守閣へ、と思った矢先。最大の難敵ではなかろうか?小学生のの社会見学っぽい一行とリアルタイム遭遇!嫌ぁーな予感がよぎりました…(じっくり観たいやん!)

さて、展示・陳列は4階→3階なのですが、思いがけず「大阪城再発見クイズ」なるモノを発見!

「大阪城再発見クイズ A」「大阪城再発見クイズ B」

質問が8つあって、それに応えて回収ボックスに投函し、会期終了後に抽選で景品(ipodらしい…)が当たるんだとか…

8問中6問はすんなりわかったけど、残り2問だけがわからない!各階の展示・陳列物にヒントが隠されているとの事なので、順次チェックしながら展観開始です―(詳細は↓の方に…)

展示テーマとしては、

  1. 幸村の生い立ち

    長篠・設楽原したらがはらの合戦で昌幸の兄である信綱・昌輝が戦死し、昌幸が家督を継ぐ時点からスタートして、神川かんがわの戦い(第一次上田城攻防)まで

  2. 関ヶ原の合戦

    第二次上田城攻防を中心に関ヶ原の合戦の状況を―

    「関ヶ原合戦図絵巻」には先鋒として徳川軍に近付く幸村主従の姿が描かれていました。

    同じ絵巻には、上田城攻防で時間をとられ、険しい木曽路を進む秀忠軍の様子も描かれていましたよ。

    女丈夫な小松殿の画像(「小松姫画像」)も目をを惹きました…

  3. 大坂の陣

    今回一番感動してとすれば、幸村が所用していたという僕自身、初めて観た「六連銭文馬印」ですね。

    また、夏の陣の折、幸村軍と戦闘した井伊直孝軍と松平忠直軍関連の品々も目を惹きました。

    松平直政所用で兜に雉子きじのデザインをあしらった「雉子形きじなり兜」も新鮮な感じでしたよ。

  4. 幸村の英雄伝説

    その後の幸村についてどう伝承されていったのかを一同に集めていました。

    なかでもやはり、立川文庫や講談本による真田十勇士モノから池波正太郎氏の『真田太平記』までが展示・陳列していました―

と、こんな感じの構成でしたね。最後、1階には大坂の陣と幸村関連の史跡ガイドマップが展示されており、改めて各史跡をチェック!

また、図録(1300円)を購入し、名残惜しくも天守閣を退去したわけです。

帰路の途次、残念石を観たかったので、そちらの場所に行って撮影チェック!

で、極楽橋を渡って、京橋沿いに帰途に着きました…正味3時間の展観でしたよ(爆)

ps.
展示会場にて携帯やデジカメで撮影しとる観覧者の人がたくさん居ました。史学科時代、そーいう行為は"非常識"と教わり、何処の美術館や博物館に行っても撮影するなんて最低!と身についてしまっているので、そうした行為にはとても信じられない気持ちです。(現実に「館内での撮影を禁ず」って貼ってあったのにもかかわらず…ネ!)

過去に、図書館事務の研修に参加した際(→龍大主催でした!)参加者のみ修理する前の飛雲閣を見学する、という事がありました。その時も撮影しまくってる人たちがたくさんいらっしゃいましたが、「これって、国宝やしアカン!」との思いで行動を抑止していたのを想い出します…以上、愚痴でした!

― ◇ ◇ ◇ ―

「大阪城再発見クイズ」の答え合わせです!

Q1 真田家はもと甲斐の戦国大名武田家の重臣でしたが、ある合戦で武田家は敗れ、真田幸村のおじ2人が戦死しています。この合戦を何というでしょう?

→A 長篠・設楽原したらがはらの合戦

Q2 大坂の陣で、豊臣方の総大将だった豊臣秀頼は、秀吉と側室淀殿との子どもですが、秀頼が産まれたとき、秀吉は何歳だったでしょうか?

→A 58歳

Q3 大坂夏の陣において徳川家康本陣に攻め込み、獅子奮迅の活躍を見せた真田幸村。その父、真田昌幸によって天正11年(1583)に築城された城は何城でしょう?

→A 上田城

Q4 真田幸村が大坂の陣において秀頼の招きに応じて大坂城に入城するまで住んでいた場所はどこでしょう?→(1)妙見山 (2)九度山 (3)生駒山

→A (2)九度山

Q5 真田幸村が大坂城中と行き来するために掘ったといわれる“真田の抜け穴”が、ある神社の境内にあり、現在そこには幸村の銅像も立っていますが、その神社の名は何というでしょう?

→A 三光神社

Q6 慶長19年(1614)大坂冬の陣では徳川家康が、また夏の陣では真田幸村が本陣を置いたところは、どこでしょうか?

→A 茶臼山

Q7 大坂の陣で、真田幸村は具足・旗などを赤一色で統一しました。これを見た徳川方の松平忠直隊はその様子をある花の名にたとえています。その花の名を何というでしょう?

→A 躑躅つつじ

「大坂夏の陣図屏風」で真田幸村隊は右雙のほぼ中央に描かれていて、幸村は栗毛の馬にまたがり、鹿角の兜を被って采配を振るっています。軍装は赤一色で統一された「赤備え」で、対峙した松平忠直隊は「躑躅つつじが花盛りに開いているようだ」との感想を残しています。

Q8 幸村の活躍を支えた真田十勇士の物語は、大部分が後世の創作によるものです。さてその十勇士の一人に、実際は徳川家に仕えていたことが判明している人物がいます。その人物は誰でしょう?→(1)猿飛佐助 (2)霧隠才蔵 (3)三好伊三いさ入道

→A (3)三好伊三入道

「(年不詳)12月19日付三好因幡守宛徳川秀忠書状」ってのが展示されていました。この三好因幡守が、三好伊三(為三)入道のモデルとなった人物で、三好長慶の従兄弟にあたる三好政勝といいます。彼は、元亀元年(1570)に織田信長に降って、摂津豊島てしま郡内に所領を得て以降、秀吉・家康にも仕え、さらには秀忠の旗本衆として大坂冬・夏の陣にも従軍。晩年は秀忠の御咄衆(御伽衆)となっています。

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