テレビ熊本ドキュメンタリードラマ 郷土の偉人シリーズ「空の開拓者 日野熊蔵伝」

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現在いまからちょうど100年ほど前、人が空を飛ぶ、なんて夢物語だった時代のお話です。

そんな夢物語を俺たち日本人で成功させようと、多くの人々が汗と涙の流しつつ、その日を迎えます。

そう!―

明治43年(1910)12月19日、日本国内で初めて飛行機によって空を飛んだ人物が誕生しました―

日野熊蔵と徳川清水好敏のお二人です。

そんなお二人のうち、父祖伝来の私財をも投げ打ってまで、有人飛行への夢を追い続け、そして叶えた日野熊蔵の姿を描いた「空の開拓者 日野熊蔵伝」がBSフジで放送されていました。

制作はテレビ熊本です。

同局では、平成5年(1993)以降、「郷土の偉人シリーズ」というテーマで、熊本県出身の偉人を発掘、顕彰し後世に伝えようと毎年ドキュメンタリードラマを制作されているのです。

私も過去に、「未来を見つめた幕末の英雄 横井小楠」と「日本の食卓を変えた火の国の女 江上トミ」の2作品は観た事があります。

その昨年度は第18作目のシリーズで、10月31日に九州圏のテレビ熊本、テレビ西日本、サガテレビ、テレビ長崎、テレビ大分、テレビ宮崎、鹿児島テレビでは既に放送されていたのが「空の開拓者 日野熊蔵伝」なのだそうです。渋谷敦氏の『-日本初のパイロット-日野熊蔵伝』。

番組では、陸軍士官学校を卒業後、海外で有人飛行が行われた事を知った日野熊蔵が、飛行機の開発に取り組む姿を紹介。

そして、東京・代々木練兵場で5日間で50万人の観客が見守る中、試行錯誤の末に飛行を成功させるまでをドキュメンタリードラマ風に追いかけています―

― ◇ ◇ ◇ ―

日野熊蔵は熊本県人吉市の出身で、熊本英学校、陸軍士官学校(第10期)を卒業し、軍人としての人生を歩み、陸軍では技術審査部において兵器の研究に携わります。

好奇心旺盛で研究熱心だった熊蔵は、明治37年(1904)には「日野式拳銃」を発明し、日米両国の特許を取得しています。また、熊蔵はこの「日野式拳銃」はその頃、日本に亡命していた中国革命運動家の孫文やそれを支援する犬養毅や宮崎滔天などのために提供しています。

同40年(1907)には恒吉忠道陸軍少将の娘、ヤスと結婚。

同じ時期、海外で有人飛行が果たされた事を知った熊蔵は、妻・ヤスの支えを得て飛行機の研究を始め、同42年(1909)には臨時軍用気球研究会の一員として本格的に飛行機の開発に取り組みます。

同43年(1910)4月には、徳川清水好敏と共にヨーロッパに渡り、飛行機操縦技術を見聞し帰国の途に着きます。

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そうして、明治43年(1910)14日から19日までの期間に行われた東京・代々木練兵場での試験飛行において、記者や多くの見物人たちが集まる中、日本で初めて飛行機によって空を飛んだのです―

その後の熊蔵ですが左遷され、遂には40歳の若さで予備役に編入されてしまいます。

それでも熊蔵は、晩年まで飛行機の研究と開発を続け、昭和17年(1942)には、飛行機の操縦装置の発明でも特許を取得しています。

そんな熊蔵ですが、『ロケット兵器の出現』という論文を発表し、また空軍の劣勢はやがて東京を焼野原と化すだろうと予告した論文なども発表します―哀しいかな、全て現実の出来事となり、熊蔵やヤスとその家族も被災の目に遭ってしまうのです。

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やがて終戦を迎えますが、明けて翌21年(1946)1月、熊蔵は永眠します。享年67歳。

ドラマの中での主な配役は、
  • 日野熊蔵=神保悟志さん
  • 日野ヤス=末永遥さん→市毛良枝さん
  • 徳川清水好敏=田中実さん→中原丈雄さん
が演じられています。

― ◇ ◇ ◇ ―

番組のEDで流れた曲、結構素敵でした!EDロールをじっくり確認してみると、♪SKY WAYS♪というタイトルで石塚まみさんという方が唄っていらっしゃいます。

♪SKY WAYS♪
♪夢かなうまでと 心に決めて
 愛する人を 思いやる 言葉も忘れ 歩いてきたよ
 かたくなまでの私だけれど 空の向こうの輝きを
 きっと二人でつかみたい

 時、はや過ぎ去り 道まだ半ば
 いとしい君を なぐさめる ゆとりも持てず 走ってきたよ
 私を信じ 支えてくれた あなたは夢を分かち合う
 心の翼よ 青空よ

 あなたの笑顔が 闇夜くらやみを照らし
 ともに歩んだ道だった 苦労ばかりの坂道だった
 今伝えたい 感謝の言葉 ふたり見た夢 人生は
 時のかなたで花開く♪

―その生涯を飛行機開発などに邁進し続けた熊蔵と、それを信じ、支え続けたヤスの姿が歌詞に描かれています。心に響きわたる感じです!

NHKドラマ人間模様「國語元年」

懐かしいドラマが再放映されます―

NHK総合で昭和60年(1985)6月8日から7月6日まで、「ドラマ人間模様」シリーズ枠の中で放送され「國語元年」というテレビドラマです。

井上ひさし氏による脚本・戯曲で、

明治7年、文部省官吏・南郷清之輔は「全国共通はなしことば」の制定を命じられた。まるで織田信長や太閤秀吉の天下統一にも比すべき大事業!家族や奉公人使う日本各地の方言が溢れる中、共通の話し言葉を作るため、日夜苦心を重ねる南郷の悪戦苦闘ぶりを、彼の家宅を舞台に繰り広げられた悲喜劇を描いた作品です。
主な登場人物としては、

  • 南郷清之輔=川谷拓三さん

  • 長州出身で南郷家に婿養子。文部省学務局の四等出仕という高い地位にある。全国統一話し言葉の制定を命ぜられ、試行錯誤を重ねるものの、失敗。上司の文部少輔田中不二麿に激しく叱責された事が本で発狂し、東京癲狂院へ収容され、明治27年(1894)秋に病死

  • 南郷重左衛門=浜村純さん

  • 薩摩出身。清之輔の義父で、薩摩への愛着がひとしお強い。清之輔発狂後、光・重太郎らと共に鹿児島へ戻る。明治10年(1877)に起こった西南戦争に参加、田原坂で討死

  • 南郷光=ちあきなおみさん

  • 重左衛門の娘で、清之輔の妻。薩摩出身。おっとりした性格をしている。清之輔発狂後、鹿児島へ移住。明治13年(1880)に病没

  • 南郷重太郎=岡田二三くん

  • 清之輔と光の息子。薩摩の言葉を話す。悪戯好きで、ふみやちよたちを度々困らせる。南郷家離散後、鹿児島へ移住。日清戦争に出征し、明治27年(1894)に旅順口で戦死

  • 秋山加津=山岡久乃さん

  • 南郷家の女中頭。元は旗本の奥方で南郷家の屋敷に住んでいたが、夫が彰義隊に参加したため没落。江戸山の手言葉を話す。南郷家離散後、重左衛門らに付き従って鹿児島へ移住。裁縫の腕前を活かして和裁教室を開き、明治20年(1887)死去

  • 築館弥平=名古屋章さん

  • 遠野出身。「い」と「え」の区別ができない。馬丁だったが、明治維新以降は車夫となり、清之輔を役所まで送迎するのが仕事である。清之輔が役所から戻った時、屋敷の皆にそれを知らせる役を担っていた。南郷家離散後、清之輔が収容された東京癲狂院で明治28年(1895)まで雑用係をしていたが、その後は消息不明

  • 広澤修一郎=大橋吾郎さん

  • 南郷家の書生。尾張名古屋の士族の次男。南郷家離散後、明治14年(1881)に東京で代言業を開業し、翌15年(1882)にとある花魁(=ちよ)と心中

  • 江本太吉=松熊信義さん

  • 津軽出身らしいが記憶喪失。南郷家離散後、明治16年(1883)に領国で大食い大会に参加した折、突然の心臓病で死去

  • 御田ちよ=島田歌穂さん

  • 南郷家の女中。江戸の下町出身のため「ひ」と「し」の区別ができない。また、読み書きができない。南郷家離散後、花魁になり、明治15年(1882)に客の若い男(=広澤修一郎)と心中

  • 高橋たね=賀原夏子さん

  • 南郷家の女中。浅草出身で吉原で働いた過去がある。その為「ひ」と「し」の区別ができない。また、読み書きもできない。口は悪いが人は良いお婆さん。南郷家離散後、再び吉原に戻って飯炊き女として過ごす。没年は不詳

  • 大竹ふみ=石田えりさん

  • 南郷家の女中。米沢出身のため「い」と「え」の区別ができない。読み書きができ、米沢の両親に手紙を書く。その手紙がナレーションを兼ねている。南郷家離散後、酒造業を営む家に嫁ぐ。昭和14年(1939)、老衰により死去

  • 裏辻芝亭公民=すまけいさん

  • 京都の公家出身の国学者。全国統一はなしことば作成を聞き付けて南郷家に押し掛け、居候している。お調子者で、居候の割に態度がでかく、清之輔以外の人達からは嫌われている。南郷家離散後、明治35年(1902)に西園寺公望邸の書生部屋で病死

  • 若林虎三郎=佐藤慶さん

  • 会津出身。元は南郷家に押し込みに入った強盗。全国統一はなしことばを作る事には賛成だが、物事の本質をついた様々な反対意見を述べる。南郷家離散後、自由党に参加。明治15年(1882)に起こった福島事件にて行方不明
各話の構成は、
  • 第1話

  • 時は明治7年(1874)。南郷清之輔は、全国統一の話し言葉の制定という大事業をお上から命じられる。清之輔の屋敷では、清之輔の長州弁をはじめ、薩摩、名古屋、津軽、江戸など、8つもの方言が飛び交っていた…

  • 第2話

  • 南郷家の人々のお国訛(なま)りを調べた清之輔は、言葉の大混乱の最大の原因は、各人が勝手に音を発音しているという事を発見する…

  • 第3話

  • お国訛りを直すには、口形練習しかないと張り切る清之輔だったが、意外な問題が起ち上がった…

  • 第4話

  • 清之輔は、各地から集まってくる明治新政府の高官たちの使う訛りを採り入れ、全国統一の話し言葉を決めれば、高官も喜び、その後押しで早く流行らせる事が出来る事に気付くが…

  • 第5話(最終話)

  • 清之輔が寝食を忘れて作り上げた「全国統一話し言葉」の完成の日が遂にやって来た。京言葉、東京山手言葉、鹿児島言葉、山口言葉を各々200語ずつ選んだ力作であったが…
放送日時は、NHK-BS2で12月27日(月)午前0時20分~4:20(26日深夜)

なお、スタジオゲストとして大竹ふみ役だった石田えりさんが出演されるとか―

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すごく懐かしく、とても面白い作品が再び観られるとは嬉しい限りですね。作品が放送された昭和60年(1985)と言えば、ちょうど一浪中(予備校浪人)だったのですが、昭和のテイストをふんだんに鏤めた脚本・演出だった感じです。さすが井上ひさし氏というところでしょうか!?

清之輔(川谷拓三さん)の実直さは勿論ですが、光(ちあきなおみさん)のすっとぼけた感じも味わいがあって良かったです。

また、加津(山岡久乃さん)や弥平(名古屋章さん)などベテランさんたちが活き活きと立ち回っていたのも観ていて安心できます。

その中でも、一番印象深かったのが虎三郎(佐藤慶さん)ではなかったでしょうか!会津生まれという設定ですが、佐藤慶さんにすればご当地の会津若松生まれでいらっしゃったので、会津弁が一番マッチした配役って感じで、観ていて温かな印象を受けた記憶があります―

「王と私」観賞基礎ノート(4)―於乙宇同事件―

金処善

BS日テレにおいて「王と私」(全63話)が現在放送されていますね。

私自身は以前、スカパーのLaLaTVで放送された際に視聴し終えているのですが、その際にまとめ切れなかった事、またBS日テレにて「女人天下」の視聴以降、すっかりハマってしまった父と母に分かり易い様に予備知識を作成しようと思うので、以下まとめてみました。

― ◇ ◇ ◇ ―

この「王と私」の時代背景としては、朝鮮王朝の初期にあたり、第6代国王で、端宗タンジョン3年(1455)に起きた「癸酉靖難ケユジョンナン」によって叔父である首陽大君スヤンテグン(第7代国王・世祖セジョン)に譲位させられてしまった端宗タンジョンが、世祖セジョン2年(1457)に復位を図ろうとした事件(「端宗タンジョン復位事件」)が失敗した辺りから、第10代国王で「戊午士禍ムオサファ」(燕山君ヨンサングン4年:1498)や「甲子士禍カップチャサファ」(燕山君ヨンサングン10年:1504)など、その行き過ぎた施政により、「中宗反正チュンジョンバンジョン」(燕山君ヨンサングン12年:1506)と呼ばれる朝鮮王朝史上最初となる“臣下によるクーデター”で廃位された燕山君ヨンサングンまでの物語です。

その間、端宗タンジョン世祖セジョン睿宗イェジョン成宗ソンジョン燕山君ヨンサングン5代の国王に至るまでの朝鮮宮中を管掌していた内侍ネシたちにスポットを当てています。

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於乙宇同事件について

「王と私」の中で“毒婦、妖婦、淫婦、悪女”などと蔑称された女性として有名な於乙宇同オウルドンを扱ったシーンがありましたね。

いわゆる於乙宇同オウルドン事件」と呼ばれるものです。

王族の正室であって、「恵人ヘインという称号を与えられていたにも関わらず、 王族や両班ヤンバン、官僚から身分の低い男たちとと関係を持ったため、王室の知るところとなり、死罪に処された女性です。

於乙宇同オウルドンという女性は、承文院スンムノン知事であったパク允昌ユンチャン(注1)の子女で、

  1. 「於乙宇同、乃承文院知事朴允昌之女也、初嫁泰江守仝」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

於乙宇同オウルドンという名称は、“男と情を交わす者”という意味を含んだ隠語、俗語だそうです。

漢陽ハニャン(現在の大韓民国ソウル市)に生まれ、正六品程度の官吏の両班ヤンバンの家門に育った於乙宇同オウルドンですが、朝鮮王朝の王族で太宗テジョンの子で、世宗セジョンの直ぐ上の兄になる孝寧ヒョロン大君テグンの孫にあたる正四品泰江守テガンスドンに嫁ぎました(注2)。
  1. (注1)参照

於乙宇同オウルドンは王族に嫁いだ事で、正四品外命婦ウェミョンブ恵人ヘインに封ぜられます。

ところが、夫である泰江守テガンスにはヨン軽飛ギョンビという妓生の愛人がおり(注3)、於乙宇同オウルドンを追い出さんがための口実に家に出入りしていた「銀匠」(銀細工職人)との密通を仕組まれ(注4)、“淫らな女”という烙印を押され、追い出されてしまいます。

一人娘(注5)と共に実家に戻るものの“家門の恥晒し”として受け容れて貰えず、残された唯一の道は、自立する事しかありませんでした―
  1. 「泰江守仝昵愛女妓燕軽飛、而棄其妻朴氏」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗7年丙申〔1476〕9月乙巳〔5日〕条)

  2. 「仝嘗邀銀匠于家、做銀器、於乙宇同見而悦之、假為女僕、出与相語、意欲私之。仝知而即出之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  3. 「但昨日番佐【于宇同女也】(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗19年戊申〔1488〕7月癸未〔22日〕条)

美しい侍女と実家を出た於乙宇同オウルドンは、しおれるどころか寧ろそうした自由を満喫していきます―


夕暮れ時に美しい衣に身を包んだ侍女が、街中で美少年を物色しては於乙宇同オウルドンの所に誘う込んだり、2人で出かける際には、声をかけられるのを待った(注6)と云います。
  1. 「於乙宇同還母家、独坐悲歎、有女奴慰之曰:“人生幾何、傷歎乃爾 呉従年者、曽為憲府都吏、容貌姣好、遠勝泰江守、族系亦不賤、可作配匹。主若欲之、当為主致之。”於乙宇同頷之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

元々名門両班ヤンバンの娘でその容貌は麗しく、高い教養と知性の持ち主だったので、倡妓に引けを取らず(注7)、評判は直ぐに立ったようです。
  1. 「於乙宇同、変名玄非ヒョンビ、行同倡妓」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗14年癸卯〔1483〕10月庚午〔11日〕条)

夫婦同然に仲睦まじく暮らしたり、遊興に親しんだり、詩歌を詠んだり…

そうした於乙宇同オウルドンと関係を持った者の中には、、王族の方山守李瀾(注8)や守山守李驥(注9)、官吏では内禁衛ネグミ具詮(注10)や学録ホンチャン(注11)、書吏甘義享(注12)、その他に典医監生徒である朴強昌(注13)、生員李承彦(注14)、良民李謹之(注15)、奴婢ノビ知巨非(注16)に至るまで関係を持ったようです。
  1. 「(於乙宇同)又嘗以微服、過方山守(李)瀾家前、瀾邀入奸焉、情好甚篤、請瀾刻名於己臂涅之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  2. 「又端午曰(於乙于同)靚粧出游、翫鞦韆戲于城西、守山守(李)驥、見而悦之、問其女奴曰:“誰家女也”女奴答曰:“内禁衛妾也”遂邀致南陽京邸通焉」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  3. 「内禁衛具詮、与於乙宇同、隔墻而居、一日見於乙宇同在家園、遂踰墻、相持入翼室奸之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  4. 「学録洪璨、初登第遊街、過方山守家、於乙宇同窺見、有欲奸之意、其後遇諸途、以袖微拂其面、璨遂至其家奸之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  5. 「書吏甘義享、路遇於乙宇同、挑弄随行、至家奸焉、於乙宇同愛之、亦涅名於背」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  6. 「典医監生徒朴強昌、因売奴、到於乙宇同家、請面議奴直、於乙宇同、出見強昌挑之、迎入奸焉、於乙宇同、最愛之、又涅名於臂」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  7. 「生員李承彦、嘗立家前、見於乙宇同歩過、問於女奴曰:“無乃選上新妓”女奴曰:“然。”承彦尾行、且挑且語、至其家、入寝房、見琵琶、取而弾之。於乙宇同問姓名、答曰:“李生員也、曰長安李生員、不知其幾、何以知姓名”答曰:“春陽君女壻李生員、誰不知之”遂与同宿」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条

  8. 「又有李謹之者、聞於乙宇同喜淫、欲奸之、直造其門、假称方山守伻人、於乙宇同、出見謹之、輒持奸焉」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  9. 「密城君(李琛)奴知巨非居隣、欲乗隙奸之、一日暁、見於乙宇同早出、却之曰:“婦人何乗夜而出 我将大唱、使隣里皆知、則大獄将起。”於乙宇同恐怖、遂招入于内奸之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

しかし、こうした噂は朝廷にまで届くところとなり、於乙宇同オウルドンは捕縛され(注17)、厳しい詮議や拷問の末、於乙宇同オウルドンと関係を持った者が上記の如く数十人も明るみになります。

義禁府ウィグムブでは彼女の罪状について、「法に照らしても、死刑に処する事はでき兼ねるので(注18)、せいぜい流罪(追放処分)が妥当」(注19、20)だと処断するつもりでしたが、風紀を正すという名目(注21)で、最後は成宗ソンジョン自らが於乙宇同オウルドンに極刑(絞首刑)を言い渡します。(注22)

ところが、於乙宇同オウルドンと関係を持った人物は殆んどが軽い刑罰か、無罪放免となっているのです。(注23、24、25、26、27)

実際、国王が刑の執行を決めて言い渡す事は余程でない限りない事です。成宗ソンジョンの立場からすれば、悪くすれば王族たちを処断しなければならない事態であり、法に則って極刑にすれば、この事件は政治的に利用される可能性がある。そうなった場合、王権を揺るがし兼ねない事態に陥り、結果として王族に官吏が処罰を与えた前例がない事から、国王による直裁で事が収まったのです。

その他にも、方山守の供述により、魚有沼、盧公弼、金世勣、金你、金暉、鄭叔墀などの名も挙がったが、これらは方山守の誣告(注28、29)として扱われ、或いは釈放されたと云います。
  1. 「聞泰江守棄妻朴氏、自知罪重而逃、其窮極追捕」成宗11年庚子〔1480〕6月甲子〔15日〕条

  2. 「於宇同、以宗親之妻、士族之女、恣行淫欲、有同娼妓、当置極刑、然太宗、世宗朝、士族婦女、淫行尤甚者、雖或置極刑、其後皆依律断罪、今於宇同、亦当依律断罪」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕9月 己卯〔2日〕条)

  3. 「太宗朝、承旨尹脩妻、奸盲人河千慶、世宗朝、観察使李貴山妻、奸承旨趙瑞老、皆処死、其後判官崔仲基妻甘同、称娼妓、横行恣淫、而減死論断、今於乙宇同、以宗室之妻、恣行淫欲、無所畏忌、雖置極刑可也、然律不至死、請減死遠配」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕9月 己卯〔2日〕条)

  4. 「祖宗朝、但尹脩、李貴山妻処死、其後士族婦女失行者、竝用律文断之、況律設定法、不可以情高下、若以事跡可憎、而律外用刑、則任情変律之端、従此而起、有妨聖上好生之仁。請依中朝例立市、使都人、共見懲艾、然後依律遠配」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕9月 己卯〔2日〕条)

  5. 「於宇同以宗室之婦、恣行淫欲、苟適於意、勿嫌親戚貴賤、媚悦相奸、傷敗彝綸(人として堂々と守らなければならない道理)、莫甚於此。宜従祖宗朝権制、置諸重典」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕9月 己卯〔2日〕条)

  6. 「絞於乙宇同」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  7. 「“方山守(李)瀾、守山守(李)驥、於乙宇同、為泰江守妻時通奸罪、律該杖一百、徒三年、告身尽行追奪。”命贖杖、収告身、遠方付処」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕7月丁亥〔9日〕条)

  8. 「付処方山守瀾于昆陽、守山守驥于井邑」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕7月己丑〔11日〕条)

  9. 「於乙宇同所奸金你、鄭叔墀、金暉、皆繫獄、而魚有沼等、独不下獄…(中略)…金你、鄭叔墀、金暉皆服」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕7月甲辰〔26日〕条)

  10. 「於乙宇同、以士族婦女、不弁貴賤、不計親疏、恣行淫乱、毀汚名教莫甚…(中略)…請鞫魚有沼、盧公弼、金世勣、金你、金暉、鄭叔墀、而有沼、公弼、世勣、則全釈不問」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕8月壬子〔5日〕条)

  11. 「泰江守棄妻於宇同、奸守山守驥、方山守瀾、内禁衛具詮、学諭洪燦、生員李承彦、書吏呉従連、甘義亨、生徒朴強昌、良人李謹之、私奴知巨非罪、律該決杖一百、流二千里」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕9月 己卯〔2日〕条)

  12. 「方山守窺免其罪、誣引者多」((『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕7月壬辰〔14日〕条)

  13. 「請刑訊方山守瀾、於乙宇同、幷鞫魚有沼、金偁…(中略)…有沼、金你、皆出於方山守誣引、不可鞫也。方山守乃宗屬、亦不可刑訊」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕8月辛亥〔4日〕条)
― ◇ ◇ ◇ ―

◆於乙宇同は本当に妖婦だったと言えるのか?

文書に記録されてくる内容が全て事実ならば、於乙宇同オウルドンは“毒婦、妖婦、淫婦、悪女”と蔑称されても仕方のないかもしれません。

於乙宇同オウルドンが生きた時代は、儒教思想を支配の論理として掲げた朝鮮王朝にとって、全てのものが道徳的規範を基に構成されていく過渡期だったと思います。

朝鮮王朝の王室だけでなく、その支配階層である両班ヤンバン社会の中では、宮廷女官たちも国王1人のための消耗品であり、妓生キーセンらも詩歌や書画に風流を楽しんだしても、両班ヤンバンたちのための装飾品に過ぎないのです。

両班ヤンバンの男たちの女子供への淫行に対しては寛大で、女性や身分の低い者たちのそれは非常に厳しいというのが、朝鮮王朝での階級社会の実情だった訳です。

仁粹大妃

同時代の女性で成宗ソンジョンの母である仁粹インス大妃テビ昭恵王后ソヘワンフ韓氏)は学識が高く、当時の女性たちの教育書であった中国古典書『烈女』『小学ソハク』『女教』『明心宝鑑』などを整理し直して“朝鮮の女性のため”の教育書『内訓ネフン』を編纂します。

この『内訓ネフン』を読むと、徹底した男尊女卑ぶりが窺えます。女必従夫、三従之道、七去之悪など男性中心の儒教思想を反映した社会を体現するために『内訓ネフン』に記載された内容通りに実践し、儒教思想的女性観を貫こうとしたのです。

「夫が百人の妾を置いても妻たる者は見ないふりをし、嫉妬もせず、夫に尽くさなければならない」
とが」は自分にあるのではなく夫にあるのに、儒教的倫理観の前では嫉妬と言われてしまえば「咎」は女性のものになってしまう」
など、儒教社会における典型的な良妻賢母を『内訓ネフン』ではいている訳ですね。

於乙宇同オウルドン泰江守テガンスにより婚家を追い出されますが、それは銀匠(銀細工職人)と対話しただけだった様です。

しかし、それが男性中心の儒教的倫理観の前では「既婚の女性であるにも係わらず、夫以外の男性と話した」と苦言を呈されるという、社会秩序からの疎外感を被ってしまう訳です。

於乙宇同オウルドンについては「淫乱で、風紀を乱した女」や「才能はあったが、身持ちが悪かった」と酷評されるケースが稀です。

確かに、於乙宇同オウルドンの行状は褒められたものではなかったかもしれませんが、閉鎖的な社会制度の中、男性中心の倫理観に一石を投じたのは間違いないでしょう。

儒教のイデオロギー下にあって、外出禁止、男女交際禁止などの男女差別の仕来たりで、生活の隅々まで女性は監禁生活を強いられた朝鮮王朝時代。女性が人間扱いされない時代において、その一生を自らの欲望のまま「恋」に生きた、稀有けうな女性であったと思います。

於乙宇同オウルドンは、朝鮮王朝が要求する儒教的な女性像には収まりきれない、独立した人間としての個を確立した女性だったのでしょう。

― ◇ ◇ ◇ ―

於乙宇同オウルドンが刑死して後の30数年後、国王も中宗チュンジョンの時代に代わっていますが、朝議の中で「成宗ソンジョンの時に於乙宇同オウルドンを死刑に処したのは、やはり合理的に失敗したもの」(注30)と改められています。

於乙宇同オウルドンを極刑に処した事は行き過ぎた栽定と認めたんですね…既に後の祭りだけど…
  1. 「成宗朝、以於乙于同処死者、亦未得其宜也」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、中宗7年壬申〔1512〕10月丙辰〔16日〕条)

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NHKスペシャルより~ドラマ「さよなら、アルマ ~赤紙をもらった犬~」

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第二次世界大戦中、約10万頭もの犬が訓練を施され、“軍犬”として戦場に出兵させられます。

しかし、そうした軍犬たちの多くは地雷を踏んだり、狙撃手の標的となって命を落としています。

また、運良く生き残っても終戦と共に戦地に置き去りにされてしまった…など多くの軍犬が戦争の犠牲になったのです。

「さよなら、アルマ ~赤紙をもらった犬~」というドラマは、

戦時の犠牲者は人間ばかりではない…戦時中、出兵した多くの“犬”がいた…
穏やかな子供たちとの生活を引き裂かれ、戦争という運命に翻弄された“無言の兵士・アルマ”
激動の時代にともに命をかけて戦った犬・アルマと兵士の友情の物語
を主題として、シェパードのアルマが軍犬の訓練士・太一と出会い、立派な軍用犬として育成されて戦地に送り込まれ、そのアルマを追って戦地に赴いた太一との心の触れ合いを描いた物語です。

原作は水野宗徳さんの『さよなら、アルマ』(サンクチュアリ出版)。

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放送日時は、

  • 12月18日(土)21:00~22:18 NHK総合テレビでNHKスペシャルのドラマ版として放送!

  • 12月13日(月)~16日(木)18:55~19:20 NHK教育テレビで「アルマの伝説~君の知らない犬物語」(4回シリーズ)として分割して放送!
との事。

主な配役は、
  • 朝比奈太一(専門学校=現在の私立大学=の獣医学部に通う学生だったが、アルマの出征後に中退し、満洲に渡って犬の訓練士となる)=勝地涼さん


  • 高橋史子(健太が通う国分寺第一国民学校の教諭で担任を務める)=仲里依紗さん


  • 川上健太(アルマの元飼い主)=加藤清史郎くん


  • 川上千津(健太の妹)=松本春姫ちゃん


  • 渡辺道子(小料理屋の女将)=東てる美さん


  • 山田勝利(肉屋、典型的な軍国主義者)=石原良純さん


  • 高橋寛子(史子の妹、軍需工場で働き、銃後(※)の意思が強い)=西内まりやさん

  • 銃後
    「銃後」とは、銃の後ろ、すなわち戦場の後方で働くという意味合い。戦場において戦闘に参加したり、支援したりする男性に代わっり、女性が労働力を担い、軍需工場などで勤労奉仕する事によって戦争の遂行と勝利に貢献するという考え方。“銃後の守り”

  • 光塚秀行(犬の訓練士)=斎藤工さん


  • 真田誠太郎(満鉄=南満洲鉄道株式会社=警戒犬訓練所での太一の上司)=小栗旬さん


  • 有川直哉(史子の許嫁、太一がアルマと共に従軍する特殊部隊(※)に所属)=玉山鉄二さん

  • 特殊部隊
    関東軍特8118部隊第三班=満洲の治安維持と匪族ひぞく(ゲリラ化した反体制派武装集団)討伐を目的とした部隊

  • 緒方清治(特殊部隊の軍曹。第三班班長)=小泉孝太郎さん

  • 工藤軍曹=蟹江一平さん

  • 大久保正(特殊部隊の伍長)=池内博之さん

  • 加藤守(特殊部隊の兵長)=やべきょうすけさん

  • 河村上等兵=足立理さん

  • 久賀沢上等兵=阿部亮平さん

  • 福島上等兵=吉田智則さん

  • 妹尾一等兵=鈴之助さん

  • 富田一等兵=白倉裕二さん

  • 松下一等兵=馬場徹さん

  • 王華峰・通訳=颯太さん


  • 松原義冨(関東軍(※)高級参謀)=中村獅童さん

  • 関東軍
    「関東」とは山海関(中華人民共和国河北省と遼寧省の省境に位置する万里の長城の東端にある要塞)の外側であった大連、旅順などを中心とする遼東半島(営口・鳳凰城・鴨緑江を結ぶライン以南)の先端にあった日本の租借地に駐留した軍隊組織を指す

  • 立原登美子(満洲国首都・新京(※)の料亭の女将)=萬田久子さん

  • 満洲国首都・新京
    新京は、満洲国の首都で新京特別市。現在の中華人民共和国吉林省長春市にあたる

  • 朝比奈カツ(太一の祖母)=草笛光子さん


  • 朝比奈太一(晩年)=大滝秀治さん
の皆さんです。

さて、靖国神社には戦争によって散っていった軍犬たちの慰霊像あり、そこにはこう記されているそうです―

昭和6年(1931)9月満州事変勃発以降、同20年8月大東亜戦争終結までの間、シェパードを主とする軍犬はわが将兵の忠実な戦友として第一線で活躍し、その大半はあるいは敵弾に斃れ、あるいは傷病に死し、終戦時生存していたものも遂に一頭すら故国に還ることがなかった…


年末ドラマスペシャル「忠臣蔵~その男、大石内蔵助」

「忠臣蔵」泉岳寺への行進

今年もわが殿=“吉良のお殿様”吉良上野介こうづけのすけ義央が“悪役”にされちゃう時期がやって来ました!―

テレビ朝日系列で放送される「忠臣蔵~その男、大石内蔵助」というものです。

以下、ドラマのあらすじです―
「忠臣蔵」刃傷松の廊下

元禄14年春。播州赤穂藩浅野家家老の大石内蔵助くらのすけは、江戸からの思いも寄らぬ知らせに言葉を失った。

藩主の浅野内匠頭たくみのかみが、殿中松の廊下で高家筆頭・吉良上野介に斬りかかったというのだ。内匠頭は朝廷からの使者を接待する役目“勅使饗応役”を務めていたが、諸式指南役の上野介から悉く意地悪い仕打ちを受け、その屈辱に耐え兼ねての事だった。

更に、時を経ずして届いた続報に、内蔵助は愕然と息を呑む。何と幕府は、殿中における刃傷沙汰を不届き千万として内匠頭に即日切腹を命じ、且つ赤穂5万3000石は取り潰しという裁定を下したのだ。

対する吉良には、一切のお咎めなし。喧嘩両成敗が慣習である当時、余りにも不公平すぎる裁定だった。儚く散った藩主・内匠頭の最後に内蔵助は、静かに無念を募らせる。

そして、浅野内匠頭の正室・阿久里あぐりは、髪を切り、実家である備後三次藩の南部坂下屋敷に引き取られ、“瑤泉院”を名乗るようになった…

城の明け渡しの期日が迫る中、赤穂藩では対応を巡って評定が開かれた。籠城し公儀と戦うべきとする者、追い腹を切って亡き君主の後を追うという者、恭順の意を示し速やかに城を明け渡すべきという者…だが、内蔵助の一言で、抗議の為の籠城、殉死を遂げる事と決まった。

ところが、約束の日、城に集まったのは僅か56名。300人以上居た家臣の多くは離散し、中には卑怯にも姿を晦ました者も居た。

そんな中、集まった忠臣たちに向かって、内蔵助は、遂に秘めていた本心を明かす…!

「この内蔵助の望みは唯一つ。怨敵・吉良上野介の首でござる。本懐を遂げる日まで、この内蔵助を信じ、各々方の命をお預け願いたい」

こうして切腹からひと月余りで赤穂城は明け渡され、浅野家は断絶した。

その後、内蔵助は京・山科の里に妻・りくや子どもたちと共に移り住み、放蕩の日々を送っていた。一力茶屋の花魁おいらん・浮橋太夫に入れあげるあまり、“浮き様”と渾名を付けられ、腰抜け侍と囁かれる日々。それは全て公儀の目を欺き、仇討ちなど毛頭考えていないと油断させる為の行動だった。

だが、御家断絶から1年余りが過ぎたある日。その変貌ぶりに失望した堀部安兵衛が内蔵助に斬りかかる…!
「忠臣蔵」吉良邸討ち入り

さて、主な配役の顔触れは、

  • 大石内蔵助良雄(赤穂浅野家筆頭家老)=田村正和さん


  • 立花左近(九條関白家の用人)=北大路欣也さん


  • 大石りく=岩下志麻さん

  • 大石主税ちから良金(内蔵助の嫡男)=西井幸人さん


  • 浅野内匠頭長矩=玉山鉄二さん


  • 片岡源五右衛門高房(側用人、児小姓頭)=尾美としのりさん

  • 堀部弥兵衛金丸(安兵衛の義父、前江戸留守居)=山本學さん

  • 堀部安兵衛武庸(馬廻)=小澤征悦さん

  • 吉田忠左衛門兼亮(足軽頭、郡奉行)=石田太郎さん

  • 赤垣源蔵(馬廻)=勝村政信さん…赤埴源蔵重賢がモデル

  • 岡野金右衛門包住=石垣佑麿さん

  • 礒貝十郎左衛門正久(側用人、物頭)=正名僕蔵さん

  • 岡嶋八十右衛門常樹(札座勘定奉行)=萩野崇さん

  • 大高源五忠雄(金奉行、膳番元方、腰物方)=田中隆三さん

  • 武林唯七隆重(馬廻)=丹羽貞仁さん


  • 大野九郎兵衛知房(末席家老)=峰蘭太郎さん

  • 高田郡兵衛(江戸詰)=林泰文さん


  • 小林平八郎央通(吉良家家老)=春田純一さん


  • 政五郎(吉良邸を作った大工の棟梁)=小野武彦さん

  • 塩山伊左衛門(赤垣源蔵の兄)=西田健さん


  • 「忠臣蔵」南部坂雪の別れ

  • 阿久里(内匠頭の正室、のち瑤泉院)=檀れいさん

  • 戸田局(小野寺十内の妹)=梶芽衣子さん

  • 浮橋太夫(祗園一力の花魁)=石田ゆり子さん

  • ほり(弥兵衛の娘、安兵衛の妻)=京野ことみさん

  • おみよ(政五郎の娘)=大塚ちひろさん


  • 「忠臣蔵」赤垣源蔵・徳利の別れ

  • おまき(赤垣源蔵の義姉)=角替和枝さん

  • おすぎ(赤垣源蔵の兄・塩山家の女中)=荒井萌さん


  • 多門伝八郎重共(江戸幕府目付役)=永島敏之さん

  • 土屋主税逵直(吉良家本所松坂屋敷の隣に屋敷を構えている旗本)=松平健さん

  • 柳沢出羽守保明(幕府側用人、大老格)=伊武雅刀さん

  • 吉良上野介義央(幕府高家肝煎)=西田敏行さん
の皆さんが競演されます。

放送日時は、12月25日(土)午後9時から放映されますよ!

― ◇ ◇ ◇ ―
「忠臣蔵」大石東下り

さてさて、“正和版”内蔵助はどんな映像を私たちに観せてくれるのでしょう!個人的な期待は、「南部坂の別れ」と立花左近との対峙でしょうかね。正和さんと欣也さんの“目でモノを言う”演技が楽しみなトコロ!

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)浄瑠璃坂の仇討→
※(参照)「堀部安兵衛~いまこの時のために生まれ~」→
※(参照)新春ワイド時代劇「忠臣蔵 瑤泉院の陰謀」→
※(参照)年号の表記について→
※(参照)吉良のお殿様→