テレビ朝日開局20周年記念作品「蒼き狼」

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昭和55年(1980)、テレビ朝日開局20周年記念作品として制作され、10月6日と7日の二夜連続で放送された「蒼き狼」(※1)が時代劇専門チャンネルにて再び観られます。

原作が井上靖氏の同名小説『蒼き狼』。脚色、企画から完成まで1年半を費やすなど、じっくりと練られた演出で全4部構成、総時間290分にわたる長編ドラマとなっています。

中国の協力を得て、内モンゴル自治区にて大規模なロケーションを敢行、広大な砂漠の風景がドラマに奥行き感を与えているのは確か!


※1
「蒼き狼」の番組タイトルについて
のちに「蒼き狼 成吉思汗の生涯」というタイトルでDVDが発売されていますが、当時リアルタイムで視聴していた私としては「蒼き狼」というタイトルの他に何の語句も付されていなかったのを憶えているので、「蒼き狼」と掲載します。


  1. 第一部


  2. 12世紀末の蒙古高原。ボルジギン氏族のエスガイ(平幹二郎さん)は、略奪したメルキト族のホエルン(大楠道代さん)を妻にし、誕生した男子をテムジンと名付ける。彼が後の成吉思汗である。9歳になったテムジンは、父と共に母の故郷へ出かけるが、旅の途中でオンギラト氏族の首領に気に入られ、その娘ボルテ(倍賞美津子さん)と婚約、それから5年間、オンギラト氏族と暮らすことになる。14歳になったテムジンのもとに、父エスガイがタタール族に毒殺されたという報せが届く。家族のもとへ戻ったテムジンだったが、モンゴルを統率するようになったタイチウト族に隷属することを拒んだエスガイ一家は孤立し、生活は困窮する。やがて成長したテムジン(加藤剛さん)は、オンギラト氏族を訪ね、待ち続けていたボルテと結婚する。父の僚友だったケレイト族のトオリル・カン(中谷一郎さん)と同盟を結ぶなどして徐々に力を付けていったテムジンだったが、メルキト族に襲われ、ボルテをさらわれてしまう。テムジンはトオリル・カンや親友のジャムカ(若林豪さん)の軍の力を借りて、ボルテを奪い返すが、ボルテは身籠っていた…

  3. 第二部


  4. ボルテ(倍賞美津子さん)を妻に迎えたテムジン(加藤剛さん)は仲間を増やし、勢力を拡大していた。そんな中、メルキト族によって襲撃を受け、ボルテをさらわれてしまう。親友ジャムカ(若林豪さん)達の協力を得て奪還に成功するが、ボルテは身ごもっていた。自らの運命を直視したテムジンは、悲劇の原因である闘争を終わらせるため部族を統一し、敵対する大国“金”を倒す決心をするのだった…

  5. 第三部


  6. テムジン(加藤剛)は次々と対立部族を征服し、蒙古高原を三分する大首長となった。テムジンは、対立する最大部族メルキトの娘を側室とし、かつての友であり、よきライバルとなっていたジャムカ(若林豪さん)を倒し、ついに蒙古高原の覇者ジンギスカンとなった…

  7. 第四部


  8. モンゴルを制覇したジンギスカン(加藤剛さん)は部族の更なる繁栄を手に入れるため、紛争を影で操る大国“金”を攻めることを決意する。こうして、万里の頂上を越え、世界制覇の一歩を踏み出したジンギスカンは、真のモンゴル族“蒼き狼”になったのだった…
主な配役は、以下の皆さんでしたね!

  • 鉄木真(テムジン)、後の成吉思汗(ジンギスカン)=加藤剛さん


  • テムジンの父、エスガイ=平幹二朗さん

  • テムジンの母、ホエルン=大楠道代さん

  • テムジンの妻、ボルテ=倍賞美津子さん

  • テムジンの愛妃、忽蘭(クラン)=神崎愛さん

  • テムジンの弟、カサル=河原崎次郎さん

  • テムジンの息子、ジュチ=荒木しげるさん


  • テムジンの部下“四駿”の1人、ボオルチュ=田中邦衛さん

  • ケレイト部族長にして蒙古高原の実力者、トオリル・カン=中谷一郎さん

  • ジャジラト氏族長、テムジンの盟友にしてライバル、ジャムカ=若林豪さん


  • タイチュート族に捕らえられたテムジンを救う、ソルカン・シラ=大友柳太朗さん


  • ゴルチ=泉谷しげるさん

  • テップテングリ=財津一郎さん
そして、ナレーションを仲代達矢さんが務めておられます。

放送日時は以下のとおり―

時代劇専門チャンネルで、

第一部 2月26日(土)午後09:00〜
    3月 6日(日)午後01:00〜
    3月15日(火)午前03:00〜

第二部 2月26日(土)午後10:15〜
    3月 6日(日)午後02:30〜
    3月16日(水)午前03:00〜

第三部 3月 5日(土)午後09:00〜
    3月13日(日)午後01:00〜
    3月17日(木)午前03:00〜

第四部 3月 5日(土)午後10:15〜
    3月13日(日)午後02:30〜
    3月18日(金)午前03:00〜


 

posted by 御堂 at 23:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

テレビ熊本ドキュメンタリードラマ 郷土の偉人シリーズ「空の開拓者 日野熊蔵伝」

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現在いまからちょうど100年ほど前、人が空を飛ぶ、なんて夢物語だった時代のお話です。

そんな夢物語を俺たち日本人で成功させようと、多くの人々が汗と涙の流しつつ、その日を迎えます。

そう!―

明治43年(1910)12月19日、日本国内で初めて飛行機によって空を飛んだ人物が誕生しました―

日野熊蔵徳川清水好敏のお二人です。

そんなお二人のうち、父祖伝来の私財をも投げ打ってまで、有人飛行への夢を追い続け、そして叶えた日野熊蔵の姿を描いた「空の開拓者 日野熊蔵伝」BSフジで放送されていました。

制作はテレビ熊本です。

同局では、平成5年(1993)以降、「郷土の偉人シリーズ」というテーマで、熊本県出身の偉人を発掘、顕彰し後世に伝えようと毎年ドキュメンタリードラマを制作されているのです。

私も過去に、「未来を見つめた幕末の英雄 横井小楠」「日本の食卓を変えた火の国の女 江上トミ」の2作品は観た事があります。

その昨年度は第18作目のシリーズで、10月31日に九州圏のテレビ熊本、テレビ西日本、サガテレビ、テレビ長崎、テレビ大分、テレビ宮崎、鹿児島テレビでは既に放送されていたのが「空の開拓者 日野熊蔵伝」なのだそうです。渋谷敦氏の『−日本初のパイロット−日野熊蔵伝』。

番組では、陸軍士官学校を卒業後、海外で有人飛行が行われた事を知った日野熊蔵が、飛行機の開発に取り組む姿を紹介。

そして、東京・代々木練兵場で5日間で50万人の観客が見守る中、試行錯誤の末に飛行を成功させるまでをドキュメンタリードラマ風に追いかけています―

― ◇ ◇ ◇ ―

日野熊蔵は熊本県人吉市の出身で、熊本英学校陸軍士官学校(第10期)を卒業し、軍人としての人生を歩み、陸軍では技術審査部において兵器の研究に携わります。

好奇心旺盛で研究熱心だった熊蔵は、明治37年(1904)には「日野式拳銃」を発明し、日米両国の特許を取得しています。また、熊蔵はこの「日野式拳銃」はその頃、日本に亡命していた中国革命運動家の孫文やそれを支援する犬養毅宮崎滔天などのために提供しています。

同40年(1907)には恒吉忠道陸軍少将の娘、ヤスと結婚。

同じ時期、海外で有人飛行が果たされた事を知った熊蔵は、妻・ヤスの支えを得て飛行機の研究を始め、同42年(1909)には臨時軍用気球研究会の一員として本格的に飛行機の開発に取り組みます。

同43年(1910)4月には、徳川清水好敏と共にヨーロッパに渡り、飛行機操縦技術を見聞し帰国の途に着きます。

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そうして、明治43年(1910)14日から19日までの期間に行われた東京・代々木練兵場での試験飛行において、記者や多くの見物人たちが集まる中、日本で初めて飛行機によって空を飛んだのです―

その後の熊蔵ですが左遷され、遂には40歳の若さで予備役に編入されてしまいます。

それでも熊蔵は、晩年まで飛行機の研究と開発を続け、昭和17年(1942)には、飛行機の操縦装置の発明でも特許を取得しています。

そんな熊蔵ですが、『ロケット兵器の出現』という論文を発表し、また空軍の劣勢はやがて東京を焼野原と化すだろうと予告した論文なども発表します―哀しいかな、全て現実の出来事となり、熊蔵ヤスとその家族も被災の目に遭ってしまうのです。

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やがて終戦を迎えますが、明けて翌21年(1946)1月、熊蔵は永眠します。享年67歳。

ドラマの中での主な配役は、

  • 日野熊蔵=神保悟志さん

  • 日野ヤス=末永遥さん→市毛良枝さん

  • 徳川清水好敏=田中実さん→中原丈雄さん
が演じられています。

― ◇ ◇ ◇ ―

番組のEDで流れた曲、結構素敵でした!EDロールをじっくり確認してみると、♪SKY WAYS♪というタイトルで石塚まみさんという方が唄っていらっしゃいます。

♪SKY WAYS♪
♪夢かなうまでと 心に決めて
 愛する人を 思いやる 言葉も忘れ 歩いてきたよ
 かたくなまでの私だけれど 空の向こうの輝きを
 きっと二人でつかみたい

 時、はや過ぎ去り 道まだ半ば
 いとしい君を なぐさめる ゆとりも持てず 走ってきたよ
 私を信じ 支えてくれた あなたは夢を分かち合う
 心の翼よ 青空よ

 あなたの笑顔が 闇夜くらやみを照らし
 ともに歩んだ道だった 苦労ばかりの坂道だった
 今伝えたい 感謝の言葉 ふたり見た夢 人生は
 時のかなたで花開く♪
―その生涯を飛行機開発などに邁進し続けた熊蔵と、それを信じ、支え続けたヤスの姿が歌詞に描かれています。心に響きわたる感じです!

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)TKUドラマ・「空の開拓者・日野熊蔵伝」CD完成→(工人舎ブログ・木工芸&ハーブとジャムより)

※(参照)空の開拓者・日野熊蔵伝 テーマ曲 発売中→(ひとよし森のホールブログより)

posted by 御堂 at 13:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

パッパ、永遠の別れ!―細川俊之氏死去

俳優の細川俊之氏が亡くなられました。享年70歳。

細川俊之氏と言えば、

  • NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」(昭和51年=1976)紀淑人役

  • NHK大河ドラマ「獅子の時代」(昭和55年=1980)江藤新平役


  • アニメ映画「あしたのジョー」(昭和55年=1980)力石徹役


  • TBS大型時代劇「関ヶ原」(昭和56年=1981)直江兼続役

  • NHK水曜時代劇「真田太平記」(昭和60年=1985)大野治長役


  • NHK銀河テレビ小説「パッパからの贈りもの」(昭和60年=1985)

  • NHK朝の連続テレビ小説「はねこんま」(昭和61年=1986)のナレーション


  • NHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」(平成7年=1995)徳川家宣役

  • NHK大河ドラマ「毛利元就」(平成9年=1997)大内義興役

  • NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」(平成12年=2000)大谷吉継役

  • NHK正月時代劇「大友宗麟〜心の王国を求めて」(平成16年=2004)大友義鑑役
など数々の作品に出演されておられますが、個人的に印象深い作品としては、「獅子の時代」での江藤新平と、「毛利元就」での大内義興でしょうか。

江藤新平といえば、他に「翔ぶが如く」(平成2年=1990)での隆大介さんの演技も光るものがありましたが、江藤新平を初めて知った際の強烈なインパクトを細川氏の演技が教えてくれた訳です。

また、「毛利元就」での大内義興もイメージが強烈だったので、次に大内義興を演じられる俳優さんが現れるまでの指標となりますね。

― ◇ ◇ ◇ ―

余談になりますが、調べてみたら、細川俊之氏は福岡県小倉市(現・北九州市)生まれで、山口県下関市育ちだったそうです。

しかも、豊浦高等学校の出身だったとか―豊浦高等学校っていえば、元は長府藩の藩校・敬業館ですもんね。

いわゆる小倉は豊前国、下関(馬関)は長門国ですが、山口県の地図を観た時、県中央部が山地帯で沿岸・山あいに小規模ながら平野部と盆地帯に分散しているのが判りますね。

この地域では江戸の昔から交流が盛んだったようです。

幕末の頃、長州藩江戸幕府による戦争、すなわち四境戦争(=長州征伐とか、幕長戦争)での小倉口の戦い小倉藩側では豊長戦争という)で小倉藩側の指揮を執った家老・島村志津摩しづまの母は馬関の出身だったとか。

さらに言えば、昭和30年〜40年代の頃、プロ野球球団のファンの支持層が、下関までは広島東洋カープが多かったのに対し、下関(下関の街自体は大洋漁業の本拠だったので、大洋ホエールズ→横浜ベイスターズのファンが多かったんんですけどね!)を過ぎると西鉄ライオンズのファン層に変化していたという伝承も上記のエピソードを裏付ける根拠ですよね。

― ◇ ◇ ◇ ―

私にとって、細川俊之氏を語る際に、一番印象深い作品がNHK銀河テレビ小説パッパからの贈りもの」です。この作品は昨年10月に永眠された長岡輝子さん(享年102歳)が執筆された自叙伝的な同タイトルパッパからの贈りもの』を原作にドラマ化されたもので、斉藤由貴さんが主演でした。そのドラマの中の配役で細川俊之氏はヒロインの父親役だったのですが、その時の呼び名が「パッパ」だったんですね。すごく心温まる、包容力のある素敵な父親を演じていられたのが印象的でした。

これまで数々の作品で私たちを和ませてくれた細川俊之氏のご冥福をお祈り申し上げます。

posted by 御堂 at 00:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」

NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」

平成23年度下半期(10月〜3月)のNHK朝の連続テレビ小説の番組タイトルは「カーネーション」と決まりました。

今作品で連続テレビ小説第85作目となりますが、ヒロインは「大阪のお母ちゃん」―

大正時代に生まれ、日本のファッションデザイナーの草分けとして活躍、その傍ら女手ひとつで3人の娘を世界的ファッションデザイナーに育て上げたヒロインの波乱万丈のストーリー。

舞台となるのは、“だんじり祭”で有名な泉州・岸和田。

大正昭和平成とその“だんじり魂”で駆け抜けた大阪のお母ちゃんのパワフルで笑いに満ちた一代記を描いた作品だそうです。

ヒロインとなる“大阪のパワフルお母ちゃん”のモデルは言わずと知れた小篠綾子さんですね。呉服屋の長女として生まれた綾子さん。綾子という名は「一生糸に関わる仕事に就くように」と付けられたのだそうです。

15歳の時、ミシン踏みの修行から洋裁の道に進み、岸和田の地にコシノ洋装店を開業。

その後、紳士服のテーラーを営む男性と結婚し、長女のヒロコさん、次女のジュンコさん、三女ミチコさんを出産します。

戦地に出征した夫が戦病死した後は、女手ひとつで娘たち3人を育て、娘たちも世界的なデザイナーとして活躍していきます。

それからも岸和田の地で洋装店を続けていましたが、平成18年(2006)92歳で亡くなられます。

主なあらすじです―

♪時は大正 岸和田に
 生まれた一人の女の子
 名前を小原糸子と申します

 着物の 時代に ドレスに出会い
 夢見て 愛して 駆け抜けた

 これは その おはなし♪(「ふたりの糸子のうた」→

物語のヒロインの名は、小原糸子。大正2年、大阪・岸和田の呉服商の娘として生まれます。

生まれながらにしてお転婆だった糸子は、だんじり祭が大好き!でも山車だしである地車だんじりを曳くのは男のみ―

“なんで男だけが好きな事できんのん?女だって自由に生きたいわ!”

裁縫の道に進んだ糸子は、岸和田のぱっち屋でミシンとの運命的な出会いをします。

こうと決めた糸子、父の反対を押し切って女学校を中退。ミシンの修業を積んで、夢にまで見た洋装店を開業します。

その後糸子は見合いで仕立て屋の男性と結婚。しかし3人目の子供を身籠った時、夫は出征先で戦病死し、女手ひとつで娘3人を育てる事になります。

“職場が男の戦場て言うんなら、育児は女の戦場でっせ”と言う糸子に対し、娘たちは―

・絵が得意でお嬢さん育ちの長女
・だんじり好きで男勝りの次女
・女子テニスで日本一になった三女

と個性あふれる三姉妹に育っていきます―
こんな“大阪のパワフルお母ちゃん”が織り成す子育て奮闘記が描かれます。

主な配役は以下のとおり―

  • 小原糸子(「オハラ洋装店」を開業)=二宮星(あかり)ちゃん→尾野真千子さん→夏木マリさん


  • 小原善作(糸子の父、岸和田・かじやまち〔五軒町〕商店街で「小原呉服店」を営む)=小林薫さん

  • 小原千代(糸子の母)=麻生祐未さん

  • 小原静子(糸子の妹、次女)=荒田悠良(ゆら)ちゃん→柳生みゆさん

  • 小原清子(糸子の妹、三女)=村上凜(りん)ちゃん→眞木めいちゃん→坂口あずささん

  • 小原光子(糸子の妹、四女)=花田鼓(つづみ)ちゃん→吉田葵依(あおい)ちゃん→杉岡詩織さん

  • 小原ハル(糸子の祖母)=正司照枝さん


  • 川本勝(紳士服店「ロイヤル」の同僚で、のち糸子の夫となる)=駿河太郎さん


  • 小原優子(糸子と勝の長女)=瀬尾真優ちゃん→花田優里音(ゆりね)ちゃん→野田琴乃ちゃん→新山千春さん

  • 小原直子(糸子と勝の次女)=鈴木紗良ちゃん→心花(このか)ちゃん→二宮星ちゃん→川崎亜沙美さん

  • 小原聡子(糸子と勝の三女)→杉本湖凜(こりん)ちゃん→村ア真彩さん→安田美沙子さん

  • 小原里香(糸子の孫、優子の娘)=小島藤子さん


  • 昌子(オハラ洋装店の縫い子)=玄覺悠子さん

  • 松田恵(オハラ洋装店の経理担当)=六角精児さん


  • 松坂清三郎(糸子の祖父、千代の父)=宝田明さん

  • 松坂貞子(糸子の祖母、千代の母)=十朱幸代さん

  • 松坂正一(糸子の伯父、千代の兄)=田中隆三さん

  • 松坂勇(糸子の従弟、正一の長男)=大八木凱斗(かいと)くん→渡辺大知さん


  • 安岡勘助(糸子の同級生、玉枝の次男)=吉岡竜輝くん→尾上寛之さん

  • 安岡泰蔵(玉枝の長男、勘助の兄、だんじりの大工方を務める)=須賀貴匡さん

  • 安岡玉枝(かじやまち〔五軒町〕商店街で「安岡髪結い店」を営む)=濱田マリさん

  • 安岡八重子(泰蔵の妻)=田丸麻紀さん

  • 安岡太郎(泰蔵と八重子の長男)=大原光太郎くん→倉本発(ひらく)さん

  • 安岡次郎(泰蔵と八重子の次男)=三田村陽斗(かいと)さん


  • 吉田奈津(糸子の同級生、かじやまち〔五軒町〕商店街で料亭「吉田屋」の一人娘)=高須瑠香ちゃん→栗山千明さん→江波杏子さん

  • 佐藤平吉(勘助の悪タレ仲間)=木村風太くん→久野雅弘さん


  • 木之元栄作(かじやまち〔五軒町〕商店街で「木之元電キ店」を営む)=甲本雅裕さん

  • 木岡保男(かじやまち〔五軒町〕商店街で「履物屋」を営む)=上杉祥三さん


  • 桝谷幸吉(岸和田の隣町で「桝谷パッチ店」を営む)=トミーズ雅さん

  • 紳士服店「ロイヤル」の店主=団時朗さん

  • 生地屋「末松商店」の店主=板尾創路さん


  • 三浦平蔵(泉州繊維商業組合の組合長)=近藤正臣さん

  • 北村達雄(泉州繊維商業組合の組合員)=ほっしゃん。さん

  • 周防龍一(紳士服職人)=綾野剛さん


  • 中村春太郎(冬蔵)(名うての歌舞伎役者)=小泉孝太郎さん


  • 長谷ヤス子(「末松商店」の馴染み客)=中村美律子さん


  • 花村喜一(「心斎橋百貨店」の支配人)=國村準さん

  • →しょーもない疑問・その1!「心斎橋百貨店」って、大丸心斎橋みせやろか?そごう心斎橋店やろか?…実際に、小篠綾子さんが行かはったのは高島屋岸和田店なのだそうですが…
  • 駒子(吉田屋に出入りする芸妓、糸子にとって最初の客)=宮嶋麻衣さん

  • サエ(勘助が入り浸るダンスホールの踊り子、糸子にイブニングドレスを注文)=黒谷友香さん

  • 菊乃(若竹という店の芸者、勝の浮気相手)=赤松悠実さん


  • 澤田(国防婦人会=大日本国防婦人会(※)=の女性)=三島ゆり子さん

  • ※1 国防婦人会
    昭和7年(1932)に設立された婦人団体。正式名称は大日本国防婦人会。“国防は台所から”のスローガンを掲げ、軍部の支持・指導の下で組織を拡大した我が国最初のファッショ的婦人団体。出征者の送迎や傷痍軍人・遺家族の扶助などの他に防空演習など、銃後支援活動に動員された。同17年(1942)に大日本婦人会に統合、同20年(1945)に国民義勇隊の結成と共に解散された。


  • 原口猛(優子と直子が通った東京の服飾専門学校のスタイル画教師)=塚本晋也さん


  • 根岸良子(東京のミシンメーカーから派遣された洋裁の講師)=財前直見さん

  • →しょーもない疑問・その2!東京のミシンメーカーってどこやろ?シンガー(Singer)の下請けやろか?それとも蛇の目?まぁ、ブラザーは名古屋やさかい違うもんね!…母に聞いたら、あの頃のミシンは殆んどがシンガー(Singer)やて!ドラマの中でももじってスティンガー(Stinger)ってなってたし…国産(蛇の目やブラザー)が陽の目をみるのは戦後なってからやね。

放送期間は、10月3日から来年、平成24年(2012)3月31日まで。全151話。

各週ごとのサブタイトルは以下のとおりで、それぞれに花言葉の意味が充てがわれています。
  1. 第01話〜第06話 あこがれ←ヒマワリ(向日葵)の花言葉

  2. 第07話〜第12話 運命を開く←プリムラの花言葉

  3. 第13話〜第18話 熱い思い←カンナの花言葉

  4. 第19話〜第24話 誇り←アマリリス(朱頂蘭)の花言葉

  5. 第25話〜第30話 私を見て←スカシユリ(透かし百合)の花言葉

  6. 第31話〜第36話 乙女の真心←コスモス(秋桜)の花言葉

  7. 第37話〜第42話 移りゆく日々←ワレモコウ(吾亦紅、吾木香)の花言葉

  8. 第43話〜第48話 果報者←チトニアの花言葉

  9. 第49話〜第54話 いつも想う←ハハコグサ(母子草)の花言葉

  10. 第55話〜第60話 秘密←ヒメウツギ(姫空木)の花言葉

  11. 第61話〜第66話 切なる願い←カスミソウ(霞草)の花言葉

  12. 第67話〜第72話 薄れゆく希望←アネモネの花言葉

  13. 第73話〜第75話 生きる←マリーゴールドの花言葉

  14. 第76話〜第79話 明るい未来←ムスカリの花言葉

  15. 第80話〜第85話 愛する力←ベニバナ(紅花)の花言葉

  16. 第86話〜第91話 揺れる心←ホテイアオイ(布袋葵)の花言葉

  17. 第92話〜第97話 隠しきれない恋←ジギタリスの花言葉

  18. 第98話〜第103話 ライバル←ロベリアの花言葉

  19. 第104話〜第109話 自信←ユキワリソウ(雪割草)の花言葉

  20. 第110話〜第115話 あなたを守りたい←エンゼルランプの花言葉

  21. 第116話〜第121話 鮮やかな態度←ルドベキアの花言葉

  22. 第122話〜第127話 悔いなき青春←クロッカスの花言葉

  23. 第128話〜第133話 まどわせないで←ヘラオオバコの花言葉

  24. 第134話〜第139話 宣言←ヘメロカリスの花言葉

  25. 第140話〜第145話 奇跡←レインボーローズの花言葉

  26. 第146話〜第151話(終)あなたの愛は生きてます←カーネーションの花言葉
― ◇ ◇ ◇ ―

すごく面白いストーリー展開になりそうですね。何よりも実在した人物の一代記ですから尚更興味津々です。最近の朝ドラってこういった実在した人物の半生を綴ったものとか、一生を描いたものが少なくなりましたよね。

正直、「鳩子の海」(昭和49年)から観させてもらっている私としては、すごく物足りなさを感じてたんですよね。大河ドラマじゃないけど、歴史好きにとっては、時代考証や舞台背景、当時の様子を描いたセットの数々など、注目すべき点が多々あるんやけど…

しかも、私にとって一番大好きな大正時代から描かはるし、モボ・モガの時代もどっぷり真っ盛りやん!

こういう未知の領域って興味や関心度へのワクワク感の度合いが全然違うもんね!しっかりと時代考証や風俗考証、服飾文化史を番組から吸収したいと思ってまっせ!

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考)NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」公式サイト→

― ◇ ◇ ◇ ―

※関西地域限定、4月から「もういちど“カーネーション”」放送決定!

関西地区で最高視聴率22.7%を記録中のNHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」ですが、この程4月5日(木)から1週間分をまとめたダイジェスト版「カーネーション一週間」を毎週木曜日のお昼12時20分から 23分間、放送する事になったようです。

この時間帯は全国ネットで「ひるブラ」を放送していますが、木曜日に限っては、関西独自の番組を流す事となります。


posted by 御堂 at 01:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

NHKドラマ人間模様「國語元年」

懐かしいドラマが再放映されます―

NHK総合で昭和60年(1985)6月8日から7月6日まで、「ドラマ人間模様」シリーズ枠の中で放送され「國語元年」というテレビドラマです。

井上ひさし氏による脚本・戯曲で、

明治7年、文部省官吏・南郷清之輔は「全国共通はなしことば」の制定を命じられた。まるで織田信長や太閤秀吉の天下統一にも比すべき大事業!家族や奉公人使う日本各地の方言が溢れる中、共通の話し言葉を作るため、日夜苦心を重ねる南郷の悪戦苦闘ぶりを、彼の家宅を舞台に繰り広げられた悲喜劇を描いた作品です。
主な登場人物としては、

  • 南郷清之輔=川谷拓三さん

  • 長州出身で南郷家に婿養子。文部省学務局の四等出仕という高い地位にある。全国統一話し言葉の制定を命ぜられ、試行錯誤を重ねるものの、失敗。上司の文部少輔田中不二麿に激しく叱責された事が本で発狂し、東京癲狂院へ収容され、明治27年(1894)秋に病死

  • 南郷重左衛門=浜村純さん

  • 薩摩出身。清之輔の義父で、薩摩への愛着がひとしお強い。清之輔発狂後、光・重太郎らと共に鹿児島へ戻る。明治10年(1877)に起こった西南戦争に参加、田原坂で討死

  • 南郷光=ちあきなおみさん

  • 重左衛門の娘で、清之輔の妻。薩摩出身。おっとりした性格をしている。清之輔発狂後、鹿児島へ移住。明治13年(1880)に病没

  • 南郷重太郎=岡田二三くん

  • 清之輔と光の息子。薩摩の言葉を話す。悪戯好きで、ふみやちよたちを度々困らせる。南郷家離散後、鹿児島へ移住。日清戦争に出征し、明治27年(1894)に旅順口で戦死

  • 秋山加津=山岡久乃さん

  • 南郷家の女中頭。元は旗本の奥方で南郷家の屋敷に住んでいたが、夫が彰義隊に参加したため没落。江戸山の手言葉を話す。南郷家離散後、重左衛門らに付き従って鹿児島へ移住。裁縫の腕前を活かして和裁教室を開き、明治20年(1887)死去

  • 築館弥平=名古屋章さん

  • 遠野出身。「い」と「え」の区別ができない。馬丁だったが、明治維新以降は車夫となり、清之輔を役所まで送迎するのが仕事である。清之輔が役所から戻った時、屋敷の皆にそれを知らせる役を担っていた。南郷家離散後、清之輔が収容された東京癲狂院で明治28年(1895)まで雑用係をしていたが、その後は消息不明

  • 広澤修一郎=大橋吾郎さん

  • 南郷家の書生。尾張名古屋の士族の次男。南郷家離散後、明治14年(1881)に東京で代言業を開業し、翌15年(1882)にとある花魁(=ちよ)と心中

  • 江本太吉=松熊信義さん

  • 津軽出身らしいが記憶喪失。南郷家離散後、明治16年(1883)に領国で大食い大会に参加した折、突然の心臓病で死去

  • 御田ちよ=島田歌穂さん

  • 南郷家の女中。江戸の下町出身のため「ひ」と「し」の区別ができない。また、読み書きができない。南郷家離散後、花魁になり、明治15年(1882)に客の若い男(=広澤修一郎)と心中

  • 高橋たね=賀原夏子さん

  • 南郷家の女中。浅草出身で吉原で働いた過去がある。その為「ひ」と「し」の区別ができない。また、読み書きもできない。口は悪いが人は良いお婆さん。南郷家離散後、再び吉原に戻って飯炊き女として過ごす。没年は不詳

  • 大竹ふみ=石田えりさん

  • 南郷家の女中。米沢出身のため「い」と「え」の区別ができない。読み書きができ、米沢の両親に手紙を書く。その手紙がナレーションを兼ねている。南郷家離散後、酒造業を営む家に嫁ぐ。昭和14年(1939)、老衰により死去

  • 裏辻芝亭公民=すまけいさん

  • 京都の公家出身の国学者。全国統一はなしことば作成を聞き付けて南郷家に押し掛け、居候している。お調子者で、居候の割に態度がでかく、清之輔以外の人達からは嫌われている。南郷家離散後、明治35年(1902)に西園寺公望邸の書生部屋で病死

  • 若林虎三郎=佐藤慶さん

  • 会津出身。元は南郷家に押し込みに入った強盗。全国統一はなしことばを作る事には賛成だが、物事の本質をついた様々な反対意見を述べる。南郷家離散後、自由党に参加。明治15年(1882)に起こった福島事件にて行方不明
各話の構成は、
  • 第1話

  • 時は明治7年(1874)。南郷清之輔は、全国統一の話し言葉の制定という大事業をお上から命じられる。清之輔の屋敷では、清之輔の長州弁をはじめ、薩摩、名古屋、津軽、江戸など、8つもの方言が飛び交っていた…

  • 第2話

  • 南郷家の人々のお国訛(なま)りを調べた清之輔は、言葉の大混乱の最大の原因は、各人が勝手に音を発音しているという事を発見する…

  • 第3話

  • お国訛りを直すには、口形練習しかないと張り切る清之輔だったが、意外な問題が起ち上がった…

  • 第4話

  • 清之輔は、各地から集まってくる明治新政府の高官たちの使う訛りを採り入れ、全国統一の話し言葉を決めれば、高官も喜び、その後押しで早く流行らせる事が出来る事に気付くが…

  • 第5話(最終話)

  • 清之輔が寝食を忘れて作り上げた「全国統一話し言葉」の完成の日が遂にやって来た。京言葉、東京山手言葉、鹿児島言葉、山口言葉を各々200語ずつ選んだ力作であったが…
放送日時は、NHK−BS2で12月27日(月)午前0時20分〜4:20(26日深夜)

なお、スタジオゲストとして大竹ふみ役だった石田えりさんが出演されるとか―

― ◇ ◇ ◇ ―

すごく懐かしく、とても面白い作品が再び観られるとは嬉しい限りですね。作品が放送された昭和60年(1985)と言えば、ちょうど一浪中(予備校浪人)だったのですが、昭和のテイストをふんだんに鏤めた脚本・演出だった感じです。さすが井上ひさし氏というところでしょうか!?

清之輔(川谷拓三さん)の実直さは勿論ですが、光(ちあきなおみさん)のすっとぼけた感じも味わいがあって良かったです。

また、加津(山岡久乃さん)や弥平(名古屋章さん)などベテランさんたちが活き活きと立ち回っていたのも観ていて安心できます。

その中でも、一番印象深かったのが虎三郎(佐藤慶さん)ではなかったでしょうか!会津生まれという設定ですが、佐藤慶さんにすればご当地の会津若松生まれでいらっしゃったので、会津弁が一番マッチした配役って感じで、観ていて温かな印象を受けた記憶があります―


 

posted by 御堂 at 22:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

「王と私」観賞基礎ノート(4)―於乙宇同事件―

BS日テレにおいて「王と私」(全63話)が現在放送されていますね。

私自身は以前、スカパーLaLaTVで放送された際に視聴し終えているのですが、その際にまとめ切れなかった事、またBS日テレにて「女人天下」の視聴以降、すっかりハマってしまった父と母に分かり易い様に予備知識を作成しようと思うので、以下まとめてみました。

― ◇ ◇ ◇ ―

この「王と私」の時代背景としては、朝鮮王朝の初期にあたり、第6代国王で、端宗3年(1455)に起きた癸酉ケユ靖難ジョンナンによって叔父である首陽スヤン大君テグン(第7代国王・世祖セジョン)に譲位させられてしまった端宗タンジョンが、世祖2年(1457)に復位を図ろうとした事件(「端宗復位事件」)が失敗した辺りから、第10代国王で戊午ムオ士禍サファ(燕山君4年:1498)や甲子カップチャ士禍」(燕山君10年:1504)など、その行き過ぎた施政により、中宗チュンジョン反正バンジョン(燕山君12年:1506)と呼ばれる朝鮮王朝史上最初となる“臣下によるクーデター”で廃位された燕山君ヨンサングンまでの物語です。

その間、端宗世祖睿宗イェジョン成宗ソンジョン燕山君5代の国王に至るまでの朝鮮宮中を管掌していた内侍ネシたちにスポットを当てています。

― ◇ ◇ ◇ ―

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於乙宇同事件について

「王と私」の中で“毒婦、妖婦、淫婦、悪女”(注1)などと蔑称された女性として有名な於乙宇同オウルドンを扱ったシーンがありましたね。

  1. 朝鮮史を駆け抜けた女性たちC於于同(『朝鮮新報』2004年9月27日付)→
いわゆる「於乙宇同事件」と呼ばれるものです。

王族の正室であって、「恵人ヘインという称号を与えられていたにも関わらず、 王族や両班ヤンバン、官僚から身分の低い男たちとと関係を持ったため、王室の知るところとなり、死罪に処された女性です。

於乙宇同という女性は、承文院知事であったパク允昌ユンチャン(注2)の子女で、

  1. 「於乙宇同、乃承文院知事朴允昌之女也、初嫁泰江守仝」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)
於乙宇同という名称は、“男と情を交わす者”という意味を含んだ隠語、俗語だそうです。

漢陽ハニャン(現在の大韓民国ソウル市)に生まれ、正六品程度の官吏の両班の家門に育った於乙宇同ですが、朝鮮王朝の王族で太宗の子で、世宗の直ぐ上の兄になる孝寧ヒョロン大君テグンの孫にあたる正四品泰江守テガンスドンに嫁ぎました(注3)。

  1. (注2)参照
於乙宇同は王族に嫁いだ事で、正四品外命婦恵人に封ぜられます。

ところが、夫である泰江守にはヨン軽飛ギョンビという妓生の愛人がおり(注4)、於乙宇同を追い出さんがための口実に家に出入りしていた「銀匠」(銀細工職人)との密通を仕組まれ(注5)、“淫らな女”という烙印を押され、追い出されてしまいます。

一人娘(注6)と共に実家に戻るものの“家門の恥晒し”として受け容れて貰えず、残された唯一の道は、自立する事しかありませんでした―

  1. 「泰江守仝昵愛女妓燕軽飛、而棄其妻朴氏」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗7年丙申〔1476〕9月乙巳〔5日〕条)

  2. 「仝嘗邀銀匠于家、做銀器、於乙宇同見而悦之、假為女僕、出与相語、意欲私之。仝知而即出之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  3. 「但昨日番佐【于宇同女也】(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗19年戊申〔1488〕7月癸未〔22日〕条)
美しい侍女と実家を出た於乙宇同は、しおれるどころか寧ろそうした自由を満喫していきます―

夕暮れ時に美しい衣に身を包んだ侍女が、街中で美少年を物色しては於乙宇同の所に誘う込んだり、2人で出かける際には、声をかけられるのを待った(注7)と云います。

  1. 「於乙宇同還母家、独坐悲歎、有女奴慰之曰:“人生幾何、傷歎乃爾 呉従年者、曽為憲府都吏、容貌姣好、遠勝泰江守、族系亦不賤、可作配匹。主若欲之、当為主致之。”於乙宇同頷之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)
元々名門両班の娘でその容貌は麗しく、高い教養と知性の持ち主だったので、倡妓に引けを取らず(注8)、評判は直ぐに立ったようです。

  1. 「於乙宇同、変名玄非ヒョンビ、行同倡妓」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗14年癸卯〔1483〕10月庚午〔11日〕条)
夫婦同然に仲睦まじく暮らしたり、遊興に親しんだり、詩歌を詠んだり…

そうした於乙宇同と関係を持った者の中には、、王族の方山守李瀾(注9)や守山守李驥(注10)、官吏では内禁衛ネグミ具詮(注11)や学録ホンチャン(注12)、書吏甘義享(注13)、その他に典医監生徒である朴強昌(注14)、生員李承彦(注15)、良民李謹之(注16)、奴婢ノビ知巨非(注17)に至るまで関係を持ったようです。

  1. 「(於乙宇同)又嘗以微服、過方山守(李)瀾家前、瀾邀入奸焉、情好甚篤、請瀾刻名於己臂涅之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  2. 「又端午曰(於乙于同)靚粧出游、翫鞦韆戲于城西、守山守(李)驥、見而悦之、問其女奴曰:“誰家女也”女奴答曰:“内禁衛妾也”遂邀致南陽京邸通焉」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  3. 「内禁衛具詮、与於乙宇同、隔墻而居、一日見於乙宇同在家園、遂踰墻、相持入翼室奸之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  4. 「学録洪璨、初登第遊街、過方山守家、於乙宇同窺見、有欲奸之意、其後遇諸途、以袖微拂其面、璨遂至其家奸之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  5. 「書吏甘義享、路遇於乙宇同、挑弄随行、至家奸焉、於乙宇同愛之、亦涅名於背」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  6. 「典医監生徒朴強昌、因売奴、到於乙宇同家、請面議奴直、於乙宇同、出見強昌挑之、迎入奸焉、於乙宇同、最愛之、又涅名於臂」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  7. 「生員李承彦、嘗立家前、見於乙宇同歩過、問於女奴曰:“無乃選上新妓”女奴曰:“然。”承彦尾行、且挑且語、至其家、入寝房、見琵琶、取而弾之。於乙宇同問姓名、答曰:“李生員也、曰長安李生員、不知其幾、何以知姓名”答曰:“春陽君女壻李生員、誰不知之”遂与同宿(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条

  8. 「又有李謹之者、聞於乙宇同喜淫、欲奸之、直造其門、假称方山守伻人、於乙宇同、出見謹之、輒持奸焉」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  9. 「密城君(李琛)奴知巨非居隣、欲乗隙奸之、一日暁、見於乙宇同早出、却之曰:“婦人何乗夜而出 我将大唱、使隣里皆知、則大獄将起。”於乙宇同恐怖、遂招入于内奸之」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)
しかし、こうした噂は朝廷にまで届くところとなり、於乙宇同は捕縛され(注18)、厳しい詮議や拷問の末、於乙宇同と関係を持った者が上記の如く数十人も明るみになります。

義禁府では彼女の罪状について、「法に照らしても、死刑に処する事はでき兼ねるので(注19)、せいぜい流罪(追放処分)が妥当」(注20、21)だと処断するつもりでしたが、風紀を正すという名目(注22)で、最後は成宗自らが於乙宇同に極刑(絞首刑)を言い渡します。(注23)

ところが、於乙宇同と関係を持った人物は殆んどが軽い刑罰か、無罪放免となっているのです。(注24、25、26、27、28)

実際、国王が刑の執行を決めて言い渡す事は余程でない限りない事です。成宗の立場からすれば、悪くすれば王族たちを処断しなければならない事態であり、法に則って極刑にすれば、この事件は政治的に利用される可能性がある。そうなった場合、王権を揺るがし兼ねない事態に陥り、結果として王族に官吏が処罰を与えた前例がない事から、国王による直裁で事が収まったのです。

その他にも、方山守の供述により、魚有沼、盧公弼、金世勣、金你、金暉、鄭叔墀などの名も挙がったが、これらは方山守の誣告(注29、30)として扱われ、或いは釈放されたと云います。

  1. 「聞泰江守棄妻朴氏、自知罪重而逃、其窮極追捕」成宗11年庚子〔1480〕6月甲子〔15日〕条

  2. 「於宇同、以宗親之妻、士族之女、恣行淫欲、有同娼妓、当置極刑、然太宗、世宗朝、士族婦女、淫行尤甚者、雖或置極刑、其後皆依律断罪、今於宇同、亦当依律断罪」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕9月 己卯〔2日〕条)

  3. 太宗朝、承旨尹脩妻、奸盲人河千慶、世宗朝、観察使李貴山妻、奸承旨趙瑞老、皆処死、其後判官崔仲基妻甘同、称娼妓、横行恣淫、而減死論断、今於乙宇同、以宗室之妻、恣行淫欲、無所畏忌、雖置極刑可也、然律不至死、請減死遠配」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕9月 己卯〔2日〕条)

  4. 「祖宗朝、但尹脩、李貴山妻処死、其後士族婦女失行者、竝用律文断之、況律設定法、不可以情高下、若以事跡可憎、而律外用刑、則任情変律之端、従此而起、有妨聖上好生之仁。請依中朝例立市、使都人、共見懲艾、然後依律遠配」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕9月 己卯〔2日〕条)

  5. 「於宇同以宗室之婦、恣行淫欲、苟適於意、勿嫌親戚貴賤、媚悦相奸、傷敗彝綸(人として堂々と守らなければならない道理)、莫甚於此。宜従祖宗朝権制、置諸重典」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕9月 己卯〔2日〕条)

  6. 「絞於乙宇同」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕10月甲子〔18日〕条)

  7. 「“方山守(李)瀾、守山守(李)驥、於乙宇同、為泰江守妻時通奸罪、律該杖一百、徒三年、告身尽行追奪。”命贖杖、収告身、遠方付処」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕7月丁亥〔9日〕条)

  8. 「付処方山守瀾于昆陽、守山守驥于井邑」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕7月己丑〔11日〕条)

  9. 「於乙宇同所奸金你、鄭叔墀、金暉、皆繫獄、而魚有沼等、独不下獄…(中略)…金你、鄭叔墀、金暉皆服」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕7月甲辰〔26日〕条)

  10. 「於乙宇同、以士族婦女、不弁貴賤、不計親疏、恣行淫乱、毀汚名教莫甚…(中略)…請鞫魚有沼、盧公弼、金世勣、金你、金暉、鄭叔墀、而有沼、公弼、世勣、則全釈不問」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕8月壬子〔5日〕条)

  11. 「泰江守棄妻於宇同、奸守山守驥、方山守瀾、内禁衛具詮、学諭洪燦、生員李承彦、書吏呉従連、甘義亨、生徒朴強昌、良人李謹之、私奴知巨非罪、律該決杖一百、流二千里」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕9月 己卯〔2日〕条)

  12. 「方山守窺免其罪、誣引者多」((『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年〔1480〕7月壬辰〔14日〕条)

  13. 「請刑訊方山守瀾、於乙宇同、幷鞫魚有沼、金偁…(中略)…有沼、金你、皆出於方山守誣引、不可鞫也。方山守乃宗屬、亦不可刑訊」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、成宗11年庚子〔1480〕8月辛亥〔4日〕条)
― ◇ ◇ ◇ ―

◆於乙宇同は本当に妖婦だったと言えるのか?

文書に記録されてくる内容が全て事実ならば、於乙宇同は“毒婦、妖婦、淫婦、悪女”と蔑称されても仕方のないかもしれません。

於乙宇同が生きた時代は、儒教思想を支配の論理として掲げた朝鮮王朝にとって、全てのものが道徳的規範を基に構成されていく過渡期だったと思います。

朝鮮王朝の王室だけでなく、その支配階層である両班社会の中では、宮廷女官たちも国王1人のための消耗品であり、妓生らも詩歌や書画に風流を楽しんだしても、両班たちのための装飾品に過ぎないのです。

両班の男たちの女子供への淫行に対しては寛大で、女性や身分の低い者たちのそれは非常に厳しいというのが、朝鮮王朝での階級社会の実情だった訳です。

同時代の女性で成宗の母である仁粹インス大妃デビ(昭恵王后韓氏)は学識が高く、当時の女性たちの教育書であった『烈女』や『小学』『女教』『明心宝鑑』などを整理し直して“朝鮮の女性のため”の教育書内訓ネフンを編纂します。

この『内訓』を読むと、徹底した男尊女卑ぶりが窺えます。女必従夫、三従之道、七去之悪など男性中心の儒教思想を反映した社会を体現するために『内訓』に記載された内容通りに実践し、儒教思想的女性観を貫こうとしたのです。(注31)

「夫が百人の妾を置いても妻たる者は見ないふりをし、嫉妬もせず、夫に尽くさなければならない」
とが」は自分にあるのではなく夫にあるのに、儒教的倫理観の前では嫉妬と言われてしまえば「咎」は女性のものになってしまう」
など、儒教社会における典型的な良妻賢母を『内訓』では強いている訳ですね。

  1. 最悪のサイコ?―昭恵王后韓氏(続 朝鮮史を駆け抜けた女性たち 4)『朝鮮新報』2009年5月9日付→
於乙宇同は泰江守により婚家を追い出されますが、それは銀匠(銀細工職人)と対話しただけだった様です。

しかし、それが男性中心の儒教的倫理観の前では、

「既婚の女性であるにも係わらず、夫以外の男性と話した」
と苦言を呈されるという、社会秩序からの疎外感を被ってしまう訳です。

於乙宇同については「淫乱で、風紀を乱した女」や「才能はあったが、身持ちが悪かった」と酷評されるケースが稀です。

確かに、於乙宇同の行状は褒められたものではなかったかもしれませんが、閉鎖的な社会制度の中、男性中心の倫理観に一石を投じたのは間違いないでしょう。

儒教のイデオロギー下にあって、外出禁止、男女交際禁止などの男女差別の仕来たりで、生活の隅々まで女性は監禁生活を強いられた朝鮮王朝時代。女性が人間扱いされない時代において、その一生を自らの欲望のまま「恋」に生きた、稀有な女性であったと思います。

於乙宇同は、朝鮮王朝が要求する儒教的な女性像には収まりきれない、独立した人間としての個を確立した女性だったのでしょう。

― ◇ ◇ ◇ ―

PS.
於乙宇同が刑死して後の30数年後、国王も中宗の時代に代わっていますが、朝議の中で「成宗の時に於乙于同を死刑に処したのは、やはり合理的に失敗したもの」(注32)と改められています。

於乙宇同を極刑に処した事は行き過ぎた栽定と認めたんですね…既に後の祭りだけど…

  1. 「成宗朝、以於乙于同処死者、亦未得其宜也」(『朝鮮王朝実録』成宗実録、中宗7年壬申〔1512〕10月丙辰〔16日〕条)
― ◇ ◇ ◇ ―

※(関連)「王と私」観賞基礎ノート(3)―内侍と王妃の愛―→
※(関連)「王と私」観賞基礎ノート(2)―内侍府―→
※(関連)「王と私」観賞基礎ノート―内侍&宦官について―→

posted by 御堂 at 17:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

NHKスペシャルより〜ドラマ「さよなら、アルマ 〜赤紙をもらった犬〜」

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第二次世界大戦中、約10万頭もの犬が訓練を施され、“軍犬”として戦場に出兵させられます。

しかし、そうした軍犬たちの多くは地雷を踏んだり、狙撃手の標的となって命を落としています。

また、運良く生き残っても終戦と共に戦地に置き去りにされてしまった…など多くの軍犬が戦争の犠牲になったのです。

「さよなら、アルマ 〜赤紙をもらった犬〜」というドラマは、

戦時の犠牲者は人間ばかりではない…戦時中、出兵した多くの“犬”がいた…
穏やかな子供たちとの生活を引き裂かれ、戦争という運命に翻弄された“無言の兵士・アルマ”
激動の時代にともに命をかけて戦った犬・アルマと兵士の友情の物語
を主題として、シェパードのアルマが軍犬の訓練士・太一と出会い、立派な軍用犬として育成されて戦地に送り込まれ、そのアルマを追って戦地に赴いた太一との心の触れ合いを描いた物語です。

原作は水野宗徳さんの『さよなら、アルマ』(サンクチュアリ出版)。

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放送日時は、

  • 12月18日(土)21:00〜22:18 NHK総合テレビでNHKスペシャルのドラマ版として放送!

  • 12月13日(月)〜16日(木)18:55〜19:20 NHK教育テレビで「アルマの伝説〜君の知らない犬物語」(4回シリーズ)として分割して放送!
との事。

主な配役は、
  • 朝比奈太一(専門学校=現在の私立大学=の獣医学部に通う学生だったが、アルマの出征後に中退し、満洲に渡って犬の訓練士となる)=勝地涼さん


  • 高橋史子(健太が通う国分寺第一国民学校の教諭で担任を務める)=仲里依紗さん


  • 川上健太(アルマの元飼い主)=加藤清史郎くん


  • 川上千津(健太の妹)=松本春姫ちゃん


  • 渡辺道子(小料理屋の女将)=東てる美さん


  • 山田勝利(肉屋、典型的な軍国主義者)=石原良純さん


  • 高橋寛子(史子の妹、軍需工場で働き、銃後(※)の意思が強い)=西内まりやさん

  • 銃後
    「銃後」とは、銃の後ろ、すなわち戦場の後方で働くという意味合い。戦場において戦闘に参加したり、支援したりする男性に代わっり、女性が労働力を担い、軍需工場などで勤労奉仕する事によって戦争の遂行と勝利に貢献するという考え方。“銃後の守り”

  • 光塚秀行(犬の訓練士)=斎藤工さん


  • 真田誠太郎(満鉄=南満洲鉄道株式会社=警戒犬訓練所での太一の上司)=小栗旬さん


  • 有川直哉(史子の許嫁、太一がアルマと共に従軍する特殊部隊(※)に所属)=玉山鉄二さん

  • 特殊部隊
    関東軍特8118部隊第三班=満洲の治安維持と匪族ひぞく(ゲリラ化した反体制派武装集団)討伐を目的とした部隊

  • 緒方清治(特殊部隊の軍曹。第三班班長)=小泉孝太郎さん

  • 工藤軍曹=蟹江一平さん

  • 大久保正(特殊部隊の伍長)=池内博之さん

  • 加藤守(特殊部隊の兵長)=やべきょうすけさん

  • 河村上等兵=足立理さん

  • 久賀沢上等兵=阿部亮平さん

  • 福島上等兵=吉田智則さん

  • 妹尾一等兵=鈴之助さん

  • 富田一等兵=白倉裕二さん

  • 松下一等兵=馬場徹さん

  • 王華峰・通訳=颯太さん


  • 松原義冨(関東軍(※)高級参謀)=中村獅童さん

  • 関東軍
    「関東」とは山海関(中華人民共和国河北省と遼寧省の省境に位置する万里の長城の東端にある要塞)の外側であった大連、旅順などを中心とする遼東半島(営口・鳳凰城・鴨緑江を結ぶライン以南)の先端にあった日本の租借地に駐留した軍隊組織を指す

  • 立原登美子(満洲国首都・新京(※)の料亭の女将)=萬田久子さん

  • 満洲国首都・新京
    新京は、満洲国の首都で新京特別市。現在の中華人民共和国吉林省長春市にあたる

  • 朝比奈カツ(太一の祖母)=草笛光子さん


  • 朝比奈太一(晩年)=大滝秀治さん
の皆さんです。

さて、靖国神社には戦争によって散っていった軍犬たちの慰霊像あり、そこにはこう記されているそうです―

昭和6年(1931)9月満州事変勃発以降、同20年8月大東亜戦争終結までの間、シェパードを主とする軍犬はわが将兵の忠実な戦友として第一線で活躍し、その大半はあるいは敵弾に斃れ、あるいは傷病に死し、終戦時生存していたものも遂に一頭すら故国に還ることがなかった…


  

posted by 御堂 at 07:14 | Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

年末ドラマスペシャル「忠臣蔵〜その男、大石内蔵助」

「忠臣蔵」泉岳寺への行進

今年もわが殿=“吉良のお殿様”吉良上野介こうづけのすけ義央が“悪役”にされちゃう時期がやって来ました!―

テレビ朝日系列で放送される「忠臣蔵〜その男、大石内蔵助」というものです。

以下、ドラマのあらすじです―
「忠臣蔵」刃傷松の廊下

元禄14年春。播州赤穂藩浅野家家老の大石内蔵助くらのすけは、江戸からの思いも寄らぬ知らせに言葉を失った。

藩主の浅野内匠頭たくみのかみが、殿中松の廊下で高家筆頭・吉良上野介に斬りかかったというのだ。内匠頭は朝廷からの使者を接待する役目“勅使饗応役”を務めていたが、諸式指南役の上野介から悉く意地悪い仕打ちを受け、その屈辱に耐え兼ねての事だった。

更に、時を経ずして届いた続報に、内蔵助は愕然と息を呑む。何と幕府は、殿中における刃傷沙汰を不届き千万として内匠頭に即日切腹を命じ、且つ赤穂5万3000石は取り潰しという裁定を下したのだ。

対する吉良には、一切のお咎めなし。喧嘩両成敗が慣習である当時、余りにも不公平すぎる裁定だった。儚く散った藩主・内匠頭の最後に内蔵助は、静かに無念を募らせる。

そして、浅野内匠頭の正室・阿久里あぐりは、髪を切り、実家である備後三次藩の南部坂下屋敷に引き取られ、“瑤泉院”を名乗るようになった…

城の明け渡しの期日が迫る中、赤穂藩では対応を巡って評定が開かれた。籠城し公儀と戦うべきとする者、追い腹を切って亡き君主の後を追うという者、恭順の意を示し速やかに城を明け渡すべきという者…だが、内蔵助の一言で、抗議の為の籠城、殉死を遂げる事と決まった。

ところが、約束の日、城に集まったのは僅か56名。300人以上居た家臣の多くは離散し、中には卑怯にも姿を晦ました者も居た。

そんな中、集まった忠臣たちに向かって、内蔵助は、遂に秘めていた本心を明かす…!

「この内蔵助の望みは唯一つ。怨敵・吉良上野介の首でござる。本懐を遂げる日まで、この内蔵助を信じ、各々方の命をお預け願いたい」

こうして切腹からひと月余りで赤穂城は明け渡され、浅野家は断絶した。

その後、内蔵助は京・山科の里に妻・りくや子どもたちと共に移り住み、放蕩の日々を送っていた。一力茶屋の花魁おいらん・浮橋太夫に入れあげるあまり、“浮き様”と渾名を付けられ、腰抜け侍と囁かれる日々。それは全て公儀の目を欺き、仇討ちなど毛頭考えていないと油断させる為の行動だった。

だが、御家断絶から1年余りが過ぎたある日。その変貌ぶりに失望した堀部安兵衛が内蔵助に斬りかかる…!
「忠臣蔵」吉良邸討ち入り

さて、主な配役の顔触れは、

  • 大石内蔵助良雄(赤穂浅野家筆頭家老)=田村正和さん


  • 立花左近(九條関白家の用人)=北大路欣也さん


  • 大石りく=岩下志麻さん

  • 大石主税ちから良金(内蔵助の嫡男)=西井幸人さん


  • 浅野内匠頭長矩=玉山鉄二さん


  • 片岡源五右衛門高房(側用人、児小姓頭)=尾美としのりさん

  • 堀部弥兵衛金丸(安兵衛の義父、前江戸留守居)=山本學さん

  • 堀部安兵衛武庸(馬廻)=小澤征悦さん

  • 吉田忠左衛門兼亮(足軽頭、郡奉行)=石田太郎さん

  • 赤垣源蔵(馬廻)=勝村政信さん…赤埴源蔵重賢がモデル

  • 岡野金右衛門包住=石垣佑麿さん

  • 礒貝十郎左衛門正久(側用人、物頭)=正名僕蔵さん

  • 岡嶋八十右衛門常樹(札座勘定奉行)=萩野崇さん

  • 大高源五忠雄(金奉行、膳番元方、腰物方)=田中隆三さん

  • 武林唯七隆重(馬廻)=丹羽貞仁さん


  • 大野九郎兵衛知房(末席家老)=峰蘭太郎さん

  • 高田郡兵衛(江戸詰)=林泰文さん


  • 小林平八郎央通(吉良家家老)=春田純一さん


  • 政五郎(吉良邸を作った大工の棟梁)=小野武彦さん

  • 塩山伊左衛門(赤垣源蔵の兄)=西田健さん


  • 「忠臣蔵」南部坂雪の別れ

  • 阿久里(内匠頭の正室、のち瑤泉院)=檀れいさん

  • 戸田局(小野寺十内の妹)=梶芽衣子さん

  • 浮橋太夫(祗園一力の花魁)=石田ゆり子さん

  • ほり(弥兵衛の娘、安兵衛の妻)=京野ことみさん

  • おみよ(政五郎の娘)=大塚ちひろさん


  • 「忠臣蔵」赤垣源蔵・徳利の別れ

  • おまき(赤垣源蔵の義姉)=角替和枝さん

  • おすぎ(赤垣源蔵の兄・塩山家の女中)=荒井萌さん


  • 多門伝八郎重共(江戸幕府目付役)=永島敏之さん

  • 土屋主税逵直(吉良家本所松坂屋敷の隣に屋敷を構えている旗本)=松平健さん

  • 柳沢出羽守保明(幕府側用人、大老格)=伊武雅刀さん

  • 吉良上野介義央(幕府高家肝煎)=西田敏行さん
の皆さんが競演されます。

放送日時は、12月25日(土)午後9時から放映されますよ!

― ◇ ◇ ◇ ―
「忠臣蔵」大石東下り

さてさて、“正和版”内蔵助はどんな映像を私たちに観せてくれるのでしょう!個人的な期待は、「南部坂の別れ」と立花左近との対峙でしょうかね。正和さんと欣也さんの“目でモノを言う”演技が楽しみなトコロ!

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)浄瑠璃坂の仇討→
※(参照)「堀部安兵衛〜いまこの時のために生まれ〜」→
※(参照)新春ワイド時代劇「忠臣蔵 瑤泉院の陰謀」→
※(参照)年号の表記について→
※(参照)吉良のお殿様→


    

posted by 御堂 at 01:42 | Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

「王と私」観賞基礎ノート(3)―内侍と王妃の愛―

BS日テレにおいて「王と私」(全63話)が現在放送されていますね。

私自身は以前、スカパーLaLaTVで放送された際に視聴し終えているのですが、その際にまとめ切れなかった事、またBS日テレにて「女人天下」の視聴以降、すっかりハマってしまった父と母に分かり易い様に予備知識を作成しようと思うので、以下まとめてみました。

― ◇ ◇ ◇ ―

この「王と私」の時代背景としては、朝鮮王朝の初期にあたり、第6代国王で、端宗3年(1455)に起きた癸酉ケユ靖難ジョンナンによって叔父である首陽スヤン大君テグン(第7代国王・世祖セジョン)に譲位させられてしまった端宗タンジョンが、世祖2年(1457)に復位を図ろうとした事件(「端宗復位事件」)が失敗した辺りから、第10代国王で戊午ムオ士禍サファ(燕山君4年:1498)や甲子カップチャ士禍」(燕山君10年:1504)など、その行き過ぎた施政により、中宗チュンジョン反正バンジョン(燕山君12年:1506)と呼ばれる朝鮮王朝史上最初となる“臣下によるクーデター”で廃位された燕山君ヨンサングンまでの物語です。

その間、端宗世祖睿宗イェジョン成宗ソンジョン燕山君5代の国王に至るまでの朝鮮宮中を管掌していた内侍ネシたちにスポットを当てています。

― ◇ ◇ ◇ ―

「王と私」は、宦官ファングァン内侍府ネシブに勤務するキム処善チョソン廃妃ユン氏(斉献王后、ユン素花ソファの精神的な愛をモチーフにしたドラマですが、こうした内侍と王室の女性との間のスキャンダルが実際に存在した可能性があるようです。

『朝鮮王朝実録』の『太祖実録』太祖2年(1393)6月19日条を見ると、

癸巳/誅内竪李万、黜世子賢嬪柳氏(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖2年癸酉(1393)6月癸巳(19日)条)
という記載が見られます。

太祖2年(1393)6月19日、太祖(李成桂)が、宦官内豎ネスである李万を殺害し、王世子セジャ宜安大君(李芳碩)の妃(世子嬪)である賢嬪ヒョンビンを追放し廃妃するという、将に青天の霹靂へきれきともいうべき命令を下します。

賢嬪柳氏という女性は、太祖(李成桂)の末子ですが王世子に任ぜられた宜安大君(李芳碩)の妃(世子嬪)で、2人は恭譲王元年(1390)に、王世子9歳、世子嬪20歳で結婚していました。賢嬪柳氏宜安大君(李芳碩)よりも11歳年上だったんですね。

この突然の太祖(李成桂)の命令に対し、台諌テガンたちが賢嬪柳氏の事件について、「国民たちの間に様々な憶測がが飛び交っているので、真相を明らかにするように上疏したところ、

乙未/台諫、刑曹上言:窃見内竪李万伏誅、賢嬪柳氏黜还私第、国人未知所以、疑惧不已。愿殿下将左右亲近之人、下法司鞫問、以絶国人之疑。上怒、下右散騎常侍洪保、左拾遺李慥、司憲中丞李寿、侍史李原、刑曹正カ盧湘于巡軍(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖2年癸酉(1393)6月乙巳(21日)条)
と、太祖(李成桂)は大いに憤慨して、台諫たちを巡軍獄スングンオク(巡軍万戸府)に投獄してしまったのです。

太祖(李成桂)は台諌たちに対し、

宮中小竪嬪媵黜罰、我家私事、非外人所得知也(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖2年癸酉(1393)6月丙申(22日)条)
と、宮中の小竪(李万)と嬪媵ビンイン(=嬪と媵妾インチョプ、すなわち賢嬪柳氏)を追放して処罰する事は私たちの家(王室=李家)の事だから、外部の人々の知るところではないと返しています。

つまり、太祖(李成桂)宦官に対する意識には高麗王朝時代の国王と同様に「汝是家奴」(『高麗史』巻第122『宦者伝』金玄の項)といった感じで、“王室、すなわち李家の使用人”という扱いなのですが、台諫たちにとっては、国王たるべきは例え身内の者であっても、法に基づいて処断してこそ、国の規範が正しく成り立つのだ、と意見が食い違ったんですね。

実際に、これ以降は賢嬪柳氏に対する記録は何一つ残されていません。本当にスキャンダルがあったのか?どうかは“薮の中”に隠されてしまいました。

しかしながら、太祖(李成桂)のこうした唐突な行動から、若しかしたら世子嬪と内侍との愛があったのかも?という推論の可能性を導かせてくれるのです。

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※(関連)「王と私」観賞基礎ノート(4)―於乙宇同事件―→
※(関連)「王と私」観賞基礎ノート(2)―内侍府―→
※(関連)「王と私」観賞基礎ノート―内侍&宦官について―→

posted by 御堂 at 03:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

「王と私」観賞基礎ノート(2)―内侍府―

BS日テレにおいて「王と私」(全63話)が現在放送されていますね。

私自身は以前、スカパーLaLaTVで放送された際に視聴し終えているのですが、その際にまとめ切れなかった事、またBS日テレにて「女人天下」の視聴以降、すっかりハマってしまった父と母に分かり易い様に予備知識を作成しようと思うので、以下まとめてみました。

― ◇ ◇ ◇ ―

この「王と私」の時代背景としては、朝鮮王朝の初期にあたり、第6代国王で、端宗3年(1455)に起きた癸酉ケユ靖難ジョンナンによって叔父である首陽スヤン大君テグン(第7代国王・世祖セジョン)に譲位させられてしまった端宗タンジョンが、世祖2年(1457)に復位を図ろうとした事件(「端宗復位事件」)が失敗した辺りから、第10代国王で戊午ムオ士禍サファ(燕山君4年:1498)や甲子カップチャ士禍」(燕山君10年:1504)など、その行き過ぎた施政により、中宗チュンジョン反正バンジョン(燕山君12年:1506)と呼ばれる朝鮮王朝史上最初となる“臣下によるクーデター”で廃位された燕山君ヨンサングンまでの物語です。

その間、端宗世祖睿宗イェジョン成宗ソンジョン燕山君5代の国王に至るまでの朝鮮宮中を管掌していた内侍ネシたちにスポットを当てています。

― ◇ ◇ ◇ ―

1.内侍府の成立

内侍府、恭愍王五年、改宦官職、設内・事、内常侍、内侍監、内承直、内給事、宮闈丞、奚官令、後置内侍府、秩比開城府、判事一人、正二品、検校二十八人、同知事二人、従二品、検校三十二人、知事一人、正三品、検校三十八人、僉事一人、従三品、検校二十八人、同知事二人、正四品、同僉事二人、従四品、左承直二人、正五品、右承直二人、従五品、左副承直一人、正六品、右副承直一人、従六品、司謁一人、正七品、謁者一人、従七品、宮闈丞一人、正八品、奚官令一人、従八品、給事一人、正九品、通事一人、従九品、辛禑罷之、恭譲王復之、階三品(『高麗史』巻77、百官志)
内侍府ネシブ高麗王朝第31代国王・恭愍王の代、すなわち恭愍王5年(1356)に成立した官衙(官庁)で、一旦は次代の王禑の代で廃止されますが、第34代国王・恭譲王の代になって改めて復活します。

その職員構成を見ると、成立当初は、

  • 内・事

  • 内常侍

  • 内侍監

  • 内承直

  • 内給事

  • 宮闈丞

  • 奚官令
その後改変されて、

  • 判事 1人…正二品相当

  • 検校 28人…従二品相当

  • 同知事 2人…従二品相当

  • 検校三 32人…正三品相当

  • 知事 1人…正三品相当

  • 検校 38人…従三品相当

  • 僉事 1人、従三品相当

  • 検校 28人…正四品相当

  • 同知事 2人…正四品相当

  • 同僉事 2人…従四品相当

  • 左承直 2人…正五品相当

  • 右承直 2人…従五品相当

  • 左副承直 1人…正六品相当

  • 右副承直 1人…従六品相当

  • 司謁 1人…正七品相当

  • 謁者 1人…従七品相当

  • 宮闈丞 1人…正八品相当

  • 奚官令 1人…従八品相当

  • 給事 1人…正九品相当

  • 通事 1人…従九品相当
といった構成員になります。

2.内侍府の職掌

やがて、朝鮮王朝が開かれると太祖元年(1392)に官制改革が施され、

定文武百官之制…(中略)…文武流品之外、別置内侍府為宦官職…(中略)…皆別其散官職事之号、不使雑于流品(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖元年(1392)7月丁未(28日)条)
の様に、宦官の職務として内侍府が改めて設置されます。

これにより、宦官による内侍府朝鮮王朝においても制度上、明文化された事になります。

朝鮮王朝における内侍府は、「王后与、内侍府」(『朝鮮王朝実録』世宗実録、世宗15年癸丑(1433)5月甲寅(2日)条)とある様に、後宮に所属する官衙でした。

朝鮮王朝後期、高宗コジョンの代に国王の生父である興宣君フンソングン昰応ハウン大院君テウォングン(興宣大院君)となって政治的実権を握ると、勢道セド政治朋党プンダン政治を改め、王権を強化するための施策の1つとして編纂された『大典会通』(高宗2年:1865)を基に内侍府の職掌を見てみると、

内侍府
掌大内監膳伝命守門掃除之任

大内(大内裏?)内の食事の監督、王命の伝達、守門・掃除に関する任務を管掌する

<共一百四十員四都目

≪全部で140人。1年に4回、都目ドモク政事ジョンサ(毎年6月と12月に行われる官員の勤務評定=勤務態度を評価し、異動や任免などを行っていた)を行う

○四品以下依文武官仕数加階三品以上則有特旨乃授

○四品以下は、文武官の勤務日数に準じて昇級させる。三品以上は、王の特旨があれば任命する

<原従功臣則例加至通訓>

<原従ウォンジョン功臣コンシン太祖テジョ成桂ソンゲの朝鮮建国に尽力した人々)の場合、定例によって通訓トンフン大夫デブ(正三品堂下)まで昇級させる>

長番及出入番者毎日給仕一

長番チャンボン(交替勤務ではなく、宿営しながら長期期間、勤務する事)及び出入番チュルイプボン(交替で輪番勤務をする事)の者は、毎日1日分の勤務日数を加算する

<出番亦給>

<出番チュルボンにも加算する>

講所読書通給別仕二略通一粗通半不通削仕三

経書(儒教で特に重視される文献)を読ませて解釈試験を行い、「通」で及第すれば特別に2日分の勤務日数を加算し、「略」で及第ならば1日分、「粗」で及第ならば半日分とし、「不通」で落第した場合は、3日分の勤務日数を減算する

<誦亦同>

<経書暗誦試験でも同じ>

講四書中自願一書三処小学三綱行実並三処得通五者加階免学

四書(=『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』)のうち、自分の希望する1つの中から3か所、『小学』・『三綱行実』から合計3か所を解釈させ、「通」を5つ得た者は、品階を昇級させて試験を免除する

<年満三十五亦免>

<年齢が35歳に達しても免除とする>

○聴講日給別仕一毎朔一度講三処依上項給仕毎都目講者則七処誦者則八処倶通倶誦者六品以上則準職七品以下則守職四通三略以上者当受職則陞授其余給仕

○経書解釈試験日は、特別に1日分の勤務日数を加算し、毎月1回3か所を解釈させて、上項に依って勤務日数を加算する。毎回の都目政事において、経書解釈試験で7か所、経書暗誦試験で8か所を全て「通」で及第・暗誦した者は、六品以上ならば準職(品階は昇級せずに俸禄額のみを増やす事)、七品以下ならば守職(品階に相当官職が実際の自分の品階よりも高い状態の官職)に任命する。「通」が4つで「略」が3つ以上の者は、官職を受ける事になっていれば品階を昇級させて任命する。それ以外は、勤務日数のみを加算する

<雖六通七誦有粗則給仕>

<「通」で及第が6つ、暗誦合格が7つだとしても、「粗」が含まれれば勤務日数のみを加算する>

○尚膳二員従二品

尚膳サンソン(定員)2人、従二品相当。宮中において妃嬪ビビン大妃テビ世子セジャなどの食事に関する業務を管掌する者が1人、内侍府の総監する長官が1人

尚醞一員正三品

尚醞サンオン(定員)1人、正三品相当。王室の世話などを管掌する

尚茶一員正三品

尚茶サンダ(定員)1人、正三品相当。王、妃嬪、世子、世子嬪、大妃などの茶菓を接待する業務を管掌する

尚薬二員従三品

尚薬サンヤク(定員)2人、従三品相当。宮中で使用される薬に関する業務を管掌する

尚伝二員正四品

尚伝サンジョン(定員)2人、正四品相当。王命を伝達する業務を管掌する

尚冊三員従四品一鷹坊逓児二大殿薛里酒房対客堂上王妃殿承伝色薛里逓児止此

尚冊サンチェク(定員)3人、従四品相当。うち1人は鷹坊ウンバン(狩猟のための鷹を飼育し、鷹狩に関する業務を管掌する)の逓児職チェアジクとし、2人は大殿テジョン薛里ソルリ(各宮・殿において、王族の傍に近侍する)・酒房・対客堂上(外観上堂上官の様に装い、外国の使節の接待を担当)や王妃殿ワンビジョン承伝色スンジョンセク(王妃の命令を取り次ぐ業務を管掌する)の薛里とする。これらの者の逓児職はここで止まる

尚弧四員正五品大殿鷹坊弓房王妃殿酒房文昭殿薛里世子宮長番逓児止此

尚弧サンホ(定員)4人、正五品相当。大殿の鷹坊・弓房グンバン(政府の武器調達部署である軍器寺クンギシの傘下にあり、戦闘武器としての弓矢などの備品を製造する)、王妃殿の酒房、文昭殿ムンソジョン(太祖李成桂の妃・神懿王后韓氏を祀った殿舎)の薛里、世子宮セジャグンの長番とする。これらの者の逓児職はここで止まる

尚帑四員従五品大殿廂庫灯燭房多人薛里監農世子宮薛里逓児止此

尚帑サンタン(定員)4人、従五品相当。宮廷の財貨を管理する業務を管掌した。大殿の廂庫(宮中の物品を保管する倉庫)1人、灯独房ドゥンチョクバン多人ダイン多人房ダインバンに属する宦官)1人、監農(農事に関する事を管理・監督する宦官)1人、世子宮の薛里1人とし、輪番で業務し、勤務期間中のみ俸禄を受ける。これらの者の逓児職はここで止まる

尚洗四員正六品大殿掌器掌務火薬房司鑰房掌内苑王妃殿灯燭房文昭殿進止世子宮酒房嬪宮薛里酒房逓児止此

尚洗サンセ(定員)4人、正六品相当。大殿の掌器(宮中の器物を管理する業務を管掌する)・掌務チャンム(宮中の一般事務を管理する業務を管掌する)・火薬房ファヤクバン司鑰房サヤクバン(宮城門の鍵を管理する業を管掌する)・掌内苑(宮城の庭園を管理する業務を管掌する)、王妃殿の灯燭房、文昭殿の進止、世子宮の酒房、嬪宮ピングンの薛里・酒房とする。これらの者の逓児職はここで止まる

尚燭四員従六品大殿門差備王妃殿門差備掌務世子宮灯燭房逓児止此

尚燭サンチョク(定員)4人、従六品相当。大殿の門差備ムンチャビ(門番を担当する宦官)、王妃殿の門差備・掌務、世子宮の灯燭房。これらの者の逓児職はここで止まる

尚烜四員正七品世子宮門差備各宮薛里門差備逓児止此

尚烜サンフェ(定員)4人、正七品相当。世子宮の門差備、各宮の薛里・門差備。輪番で業務し、勤務期間中のみ俸禄を受ける。これらの者の逓児職はここで止まる

尚設六員従七品

尚設サンソル(定員)6人、従七品相当。宮殿の補修や宴席を設けるなどの業務を管掌する。輪番で業務し、勤務期間中のみ俸禄を受ける

尚除六員正八品

尚除サンジェ(定員)6人、正八品相当。宮中の掃除業務を管掌する

尚門五員従八品

尚門サンムン(定員)5人、従八品相当。宮門グンムンの守直を担当。輪番で業務し、勤務期間中のみ俸禄を受ける

尚更六員正九品

尚更(定員)6人、正九品相当。王、世子、妃嬪、大妃の日常の世話などの業務を管掌する

尚苑五員従九品≫

尚苑サンウォン(定員)5人、従九品相当>宮廷の庭を育てる業務を管掌する

[増]大殿長番<無定数>出入番<四十二>

[増]大殿長番<定員は設けない>出入番<(定員)42人>

王妃殿出入番<十二>

王妃殿出入番<(定員)12人>

世子宮長番<無定数以大殿長番兼>出入番<十二>

世子宮長番<定員は設けない、大殿長番に兼任させる>、出入番<(定員)12人>

嬪宮出入番<八○各処上直小宦九十>

嬪宮出入番<(定員)8人、○各宮で上直する小宦ソファン(若い宦官)(定員)90人>(「内侍府」『大典会通』巻1、吏典)

3.まとめ

朝鮮王朝における内侍府は「宮中にて使役される内官」とされ位置付けられ、その職掌は国王(大殿)・妃嬪(中宮や側室)・大妃・世子にそれぞれ配属され、侍従と雑務を担っていました。それらの要点をまとめてみると、

  • 内侍府の定員は140人

  • 職掌は16部門

  • 二品階級の尚膳から九品階級の尚苑まで59人

  • 内侍は、1年に4回、都目政事(毎年6月と12月に行われる官員の勤務評定)で人事査定がなされていた
という事が判っています。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(関連)「王と私」観賞基礎ノート(4)―於乙宇同事件―→
※(関連)「王と私」観賞基礎ノート(3)―内侍と王妃の愛―→
※(関連)「王と私」観賞基礎ノート―内侍&宦官について―→

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考)「大典会通 巻1 吏典【内侍府】」『大典会通』日本語訳(「The Korean Peninsula Blog」)→
※(参考)矢木毅「高麗時代の内侍と内僚」『高麗官僚制度研究』
※(参考)朴孝信「高麗時代の『内侍』―その独自性と別称―」『駿台史学』19
※(参考)西川孝雄「高麗時代の『宦者伝』研究―立志人物の分析―」『愛知学院大学文学部紀要』34

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「王と私」観賞基礎ノート―内侍&宦官について―

BS日テレにおいて「王と私」(全63話)の放送が始まりましたね。

私自身は以前、スカパーLaLaTVで放送された際に視聴し終えているのですが、その際にまとめ切れなかった事、またBS日テレにて「女人天下」の視聴以降、すっかりハマってしまった父と母に分かり易い様に予備知識を作成しようと思うので、以下まとめてみました。

― ◇ ◇ ◇ ―

この「王と私」の時代背景としては、朝鮮王朝の初期にあたり、第6代国王で、端宗3年(1455)に起きた癸酉ケユ靖難ジョンナンによって叔父である首陽スヤン大君テグン(第7代国王・世祖セジョン)に譲位させられてしまった端宗タンジョンが、世祖2年(1457)に復位を図ろうとした事件(「端宗復位事件」)が失敗した辺りから、第10代国王で戊午ムオ士禍サファ(燕山君4年:1498)や甲子カップチャ士禍」(燕山君10年:1504)など、その行き過ぎた施政により、中宗チュンジョン反正バンジョン(燕山君12年:1506)と呼ばれる朝鮮王朝史上最初となる“臣下によるクーデター”で廃位された燕山君ヨンサングンまでの物語です。

その間、端宗世祖睿宗イェジョン成宗ソンジョン燕山君5代の国王に至るまでの朝鮮宮中を管掌していた内侍ネシたちにスポットを当てています。

― ◇ ◇ ◇ ―

1.内侍とは?

さて、国王が公的な事や私的な事をする場を「宮廷」と云います。(因みに「廷」は「庭」の意味があります)

その「宮廷」内で政治的・公的活動の場を「外廷(外朝)」または「府中」と呼び、国王の私生活としての場を「内廷」または「宮中」と呼称します。このように質的に区分された2つの場において―

  • 公人としての国王に奉仕する外廷官(官僚)と、

  • 私人としての国王に奉仕する内廷官(内僚)が、
或いは対立し、或いは補完し合って国政が展開されて行ったのです。

― ◇ ◇ ◇ ―

朝鮮王朝の初期の頃は、高麗王朝の政策の反省点を活かした官制改革の様態が随所に見られるので、高麗王朝期から遡ってみる必要がありますが…

内廷官、すなわち内僚を構成する役職として、主に次の3つが存在したようです―

  • 内侍ネシ


  • 高麗王朝初期には首都・開京(現在の朝鮮民主主義人民共和国・開城ケソン市)へ人質に出された有力家門の子弟たちで構成されていましたが、4代国王・光宗クァンジョンの時に科挙クァゴ制度が初めて導入され、5代国王・成宗の時以降はその人質にされていた子弟たちのうち科挙に及第した者が次第に官僚化(知職に輔弼する文官と身辺の警護をする武官)されて構成されます。

    高麗王朝期の内侍は、王命の草案作成や儒教の経典の講義、王室の財政管理全般を担当し、場合によっては、国王に代わって宮廷の外の民性を探る事などもしていました。

    任期を終えた優秀な者は新たに地方官や品官に任命される事があったため、人々の間では栄職であると考えられていました。

    しかし、高麗王朝末期には武官が内侍を兼任する様になったり、軍役を忌避しようとした者が争うなど、売官が横行します。

  • 内豎ネス宦官ファングァン


  • 宮中の掖庭署エクジョンソ(「掖庭」とは皇宮中の宮女の居住する場所を指し、主に宮女の簿籍の管理などを掌ります)に所属する内廷の員僚で構成されていました。

    「王と私」では、キム処善チョソンという宦官を中心に描かれていますが、燕山君の代に専横をふるったキム子猿ジャオンという人物については、『朝鮮王朝実録』によればその身分は内豎となっており、宦官と内豎にはどういった差異があったのか、今後に究明すべき点だと思います。
― ◇ ◇ ◇ ―

上記の様に、高麗時代前期においては、宮中の侍従と王命の出納(雑務)を掌る内侍には、去勢された宦官ではなく、科挙に合格した名門家子弟など優れた人材で構成された、いわば最高のエリート官職だったのです。

例えば、“韓国の孔子”と呼ばれるチェチュンの孫で、高麗第11代国王・文宗の代に活躍したチェ思諏サチュ、高麗第24代国王・元宗の代に朱子学を導入し、成均館ソンギュングァン(朝鮮時代最古の教育機関で、現在の成均館大学校)の振興を図ったアンヒャングなどが内侍院ネシウォンに召され、内侍職を歴任した人物たちです。

崔思諏…(中略)…冲之孫自少力学工文文宗朝登第王以思諏名家子博学多聞召入内侍省(『高麗史』巻96、列伝巻第9)

安珦…(中略)…少好学元宗初登第補校書郎遷直翰林院属内侍…(中略)…奉使西道以廉称召喚内侍院(『高麗史』巻105、列伝巻代18)
しかし、武臣政権以降は武臣が内侍を兼任する様になり、尚且つ軍役を忌避しようとする者の売官行為が蔓延はびこったり、更には宦官が国王の寵愛によって内侍に任命されるなど、質の低下が見られ出します。

そんな中で高麗王朝後期に至り、内侍同様に宮中の侍従と王命の出納(雑務)を掌っていた内竪の存在が目立って大きくなってきます。

内竪は殆んど賤隷民出身者によって構成されており、「以内僚口伝及内侍院伝請」(『高麗史』巻104、金周鼎伝)とある様に口伝で王命の出納(雑務)にあたるという点で内侍とは異なる存在でした。

そもそも、賤隷民出身者による政界進出は、モンゴルへの服属以降に増加していった傾向にあります。

それは、高麗国王の立場が常に不安定なものであったため、国王は側近が絶対の忠誠心を持っている事を最重要視し、賤隷民出身者も寵愛を受けるためにより一層の忠誠を誓い、国王のために必死で功を立てようとするなど、相互の利害関係が一致し深い信頼関係が結ばれた結果、賤隷民出身者はより出世をする事が可能になり、且つ国王は自身の立場の安定を図る事ができたという要因も絡んでいます。

賤隷民出身者の政界進出は、高麗王朝後期のモンゴル服属という背景が国王と忠臣の間の関係をより密接なものにしたために頻繁に起こり得た現象だったのです。

2.宦官とは?

宦官とは、去勢(=生殖器を切除する事)を施された官吏の事を云います。「宦」は「神に仕える奴隷」という意味があり、転じて王宮に仕える者と解され、宮中で用いられた官吏を宦官と呼称する様になります。

その存在は、古代中国に始まり、朝鮮やヴェトナムなど、主に中国の版図であった東アジア圏に広まりました。

日本においては、一般的風習としては広がりをみせていませんが、男性器(陰茎と陰嚢)を去勢した例(「羅切らせつ」と呼んでいた…)はあった様です。

例えば、『宇治拾遺物語』第6「中納言師時が法師の男根をあらためた事」での記載や建永元年(1206)、法然の弟子で後鳥羽院の女房たちと密通を働き女犯にょぼんの罪に処された安楽房遵西じゅんさいは宮刑として「羅切」されています。

また、『後太平記』によれば「建武式目」には宮刑の記述があり、男性は「ヘノコ(陰核)を裂き」(=陰茎や陰嚢を切除)、女性は膣口を縫い潰して塞ぐとあります。

元々、中国において刑罰によって去勢された者や異民族からの捕虜、或いは献上奴隷の者たちが去勢を施された後、皇帝や後宮に仕えるようになったのが宦官の始まりと云われています。

皇帝やその寵妃たちに重用され、権勢を誇る者も出現する様になると、自宮じきゅうといって、自ら去勢して宦官を志願する者たちも現れるようになります。(但し、去勢した後の傷口から細菌が入って死ぬケースがみられるなど、生存率は約3割弱であったようですが…)

中国で有名な宦官といえば、

  • 趙高(戦国末期〜秦の政治家)

  • 司馬遷(前漢の歴史家、『史記』の著者)

  • 蔡倫(後漢の宦官、製紙法の製造技術を改良)

  • 十常侍(後漢末期に専権をふるった宦官グループ)

  • 黄皓(蜀漢の宦官)

  • 鄭和(明の武将、南海への大航海を行使)
らが挙げられますね。

ドラマの舞台である朝鮮では、現存する朝鮮最古の歴史書『三国史記』の巻10『新羅本紀』には、

興徳王立…(中略)…冬十二月 妃章和夫人卒…(中略)…王思不能忘 悵然不楽 群臣表請再納妃 王曰 隻鳥有喪匹之悲 况失良匹 何忍無情遽再娶乎 遂不從 亦不親近女侍 左右使令 唯宦竪而己
とある様に、新羅の第42代国王・興徳王ホンドクワンが、王妃の章和夫人が興徳王元年(826)に即位後2か月で死去してからは、後妃を迎えず、ましてや後宮の侍女も近づけず、「宦竪」、すなわち宦官に身の回りの世話をさせた、記述があり、9世紀頃には既に宦官制度が存在した事が判ります。

その後の高麗王朝朝鮮王朝にも宦官制度は存続しています。

また、自国の官僚として使用しただけではなく、自国民を宦官にして宦官を宗主国(=歴代の中国王朝)や従属を認めた北方民族(契丹→遼)などに朝貢品の1つとして貢進していた事でも知られています。

元王朝の順帝時代に後宮に権勢を振るったパク不花ブルファという人物は、高麗王朝から貢進された宦官であり、また太宗3年(1403)には、

乙亥朔/朝廷使臣韓帖木児、与還郷宦官朱允端来。有宣諭、選年少無臭気火者六十名以遣。上郊迎、至闕設宴。(『朝鮮王朝実録』太宗実録、太宗3年(1403)11月乙亥(1日)条)

庚申/使臣韓帖木兒還。率被選火者三十五人而赴京也。上餞于西郊、宦者等皆涕泣。(『朝鮮王朝実録』太宗実録、太宗3年(1403)閏11月庚申(17日)条)
の様に、明王朝の皇帝(永楽帝)より「年齢が若く、容姿閑雅、性質利発な「火者」(=宦官の別称)60名を選抜して貢進せよ」との聖旨が奉られ、まず35名が選ばれ、以降も人数が選ばれたという記録が残されている。

宦官になる者には、

  • 異民族の捕虜に対して雑役に使うために去勢してしまう場合

  • 外国からの貢進や奴隷貿易によって得た奴隷を労役に使うために去勢してしまう場合

  • 罪によって宮刑に処せられ、罰として宮廷に送り込まれる場合

  • 個人的な理由から自ら志願、或いは親の命令によって手術を受け、宮廷に入る場合
などに分別できますが、「王と私」の場合、貧しい者でも内侍になれば王宮に勤める事ができるため、生活に困窮した庶民が幼い息子を内侍に差し出す様子が描かれています。また、宦官になって運良く出世すれば、一気に富貴の身になれるし、形式的に妻を娶り養子をとる事で家門を繁栄させている様が描かれていましたね。

去勢の方法としては、

  • 完全去勢
     中国(陰茎と睾丸を切除)、日本(陰茎と陰嚢を切除)、イスラム諸国(陰茎と陰嚢及び睾丸を切除)

  • 不完全去勢
     朝鮮(睾丸のみ切除)、イスラム諸国(陰嚢または両方の睾丸のみ切除)
がありました。朝鮮での去勢は不完全去勢(睾丸のみ切除)だったので、実際に性交渉は可能だったようですね。

現在の大韓民国ソウル特別市永登浦ヨンドンポ区を流れる漢江ハンガンの中州・汝矣島ヨイド龍湫ヨンチェという池の傍に、「王と私」でいう内子院ネジャウォン(私設内侍養成所)とまではいかないけど、内侍が量産された施術所があったそうです。そこでは、

  • 政府公認の去勢手術を行う施術者である「刀子匠トジャチャン」という職人が従事していた

  • まず白い紐などで志願者の下腹部と足の付け根部分を紐で縛り、次に熱い胡椒湯で性器を念入りに洗う

  • 刀子匠は志願者に対して最後の念押しをする(「後悔するか?、しないか?」とか…この時、少しでも躊躇ためらいの表情が顔に出れば施術は行われない)

  • 本人が納得していれば、刀子匠は鎌状にやや反り返った小さな刃物で根元を緊縛して勃起させた性器を切除し、熱した灰で止血します熱い砂の中に埋めたり、油を塗って止血をする

  • 白蝋はくろう(銅と亜鉛の合金)などの金属の針などを尿道に押し込んで栓をし、傷口は冷水に浸した紙で覆い、注意深く包み込む(傷口が盛り上がって尿道を塞いでしまうのを防ぐため)

  • 介助者に抱えられて2〜3時間、部屋の中を歩き回った後、横臥させられる

  • 術後、水を呑まないまま3日間寝たままで過ごす(喉の渇きや傷の痛みのため、相当な苦痛を経験するのだとか―)

  • 3日経って尿道から栓を抜いた時に噴水の様に尿が出れば成功(尿が出ないと場合、施術は失敗で尿毒症による死が待っている…)

  • 刀子匠はかなり高い技術水準だったようで、成功率は97〜98%だった模様

  • 術後、傷が癒えて起き上がるまでに100日程度を要したらしい

  • 切除された性器は、刀子匠により腐敗しない様に加工され、小さな壺に収められる(この壺が宦官にとっての身分証明になる)

  • 施術料には身元保証人が必要で、希望者が貧困民の場合、出世払いというケースが多かった

  • 施術料が払えない場合、性器が入った壺が未払いの担保として没収されるという

  • 8歳より前に性器を切除された場合、稀に新しい性器が成長する可能性があるらしい
「王と私」で内子院の生徒の中では唯一、チョン漢守ハンスだけが去勢手術を受けていますよね。去勢後3日間は水が飲めず、地下牢で苦しんでいたシーンが想い出されます。

そんな漢守ハンスは生存率約3割弱を克服した強者と云えましょう(まぁ、お母さんに楽をさせたい一心ってのもあったし…)…しかし何と言っても、刀子匠が腕の確かなケドチだったのも幸いしたのかな!

また、チェ自治ジャチみたく、男性器が生来の不具だったり、切除したのにも拘らず、新しく性器が成長しちゃった挙句に、宦官の中には女官と密通しちゃう(=「テサリ」)ケースもよく見かけられたとか―

※余談ですが、ヴェトナムでは1945年に廃止されるまで宦官制度が残っていたそうですよ。

3.その後の内侍と宦官

最終的に、内侍府ネシブ宦官の職となっていく過程を見ると、

内侍府、恭愍王五年,改宦官職、…(中略)…辛禑罷之、恭譲王復之、階三品(『高麗史』巻77、百官志)
  1. 恭愍王の代、すなわち恭愍王5年(1356)に宦官職が改変され、成立した官衙(官庁)であった

  2. 王禑の代になり、廃止したが、恭譲王の代になり、復活した
恭愍王が宦官たちを重用するのに対し、

凡宦官職、…以宦官参朝官、無古制…(中略)…宦者、自国初、至慶陵朝、不得参官、近来、以宮中伝命之任、…(中略)…願遵慶陵之制、不許拝朝官、…(中略)…祖宗之制度、宦寺無官、文廟之世、宦寺給事、不過十数人、亦未嘗食禄、忠烈王朝、亦不拝参官、至于玄陵、使宦寺、…(中略)…今復立内侍府、階三品、…(中略)…願宮中給事者、只給衣食、罷内侍府、判曰、自今、不許朝官、毋革内侍府(『高麗史』巻75、選挙志、銓注)

宦寺、本以宮内掃除為職、無与外事、…(中略)…在我祖宗之制、宦官給事、不過数十人、亦未嘗食禄、至于玄陵、刑余熏腐、布列朝班、卒致万生之変、亦殿下之所親見也、殿下即位、復立内侍府、階三品、是殿下以中興之主、復踏亡国之轍也、願自今、宮中宦官給事者、只給衣食、罷内侍府、不聴(『高麗史節要』巻34、恭譲王元年12月条)
として、
  1. 宦官は制度上の職制にはなかった

  2. 宦官は数十人しかおらず、無給だった

  3. 宦官は宮中の掃除など、雑役を担っていた
などを引き合いに立て、内侍府を廃止するようにと上疏する者もいたが聞き入れられず、恭愍王の代で宦官が国政を議する様になったのです。

定文武百官之制…(中略)…文武流品之外、別置内侍府宦官職、掖廷(庭)署内豎職…(中略)…皆別其散官職事之号、不使雑于流品(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖元年(1392)7月丁未(28日)条)
やがて、朝鮮王朝が開かれると太祖元年(1392)に官制改革が施され、掖庭署エクジョンソ内豎ネスのみの職務となり、宦官の職務として新たに内侍府が設置されます。

これによって、内侍たちによる内侍院と、宦官たちによる内侍府が並び立つ訳ですが、「大王与、内侍院;王后与、内侍府」(『朝鮮王朝実録』世宗実録、世宗15年癸丑(1433)5月甲寅(2日)条)の様に、内侍院は国王に所属する官衙、内侍府は後宮に所属する官衙とされたのです。

議政府拠吏曹呈啓「内侍院内侍府、名号相同、請改内侍院内直院」従之(『朝鮮王朝実録』世宗実録、世宗27年(1445)4月庚午(27日)条)
ところが、内侍が勤務する内侍院宦官が勤務する内侍府が名称が混同するので、内侍院内直院ネジクウォンという名称に改められます。この内直院の主な職務は、宦官の権力を牽制、監視するために設置された機関です。

吏曹啓「内直司樽別監、皆已革罷、其所任諸事、請令兵曹、用忠義、忠贊衛差定」從之(『朝鮮王朝実録』世祖実録、世祖12年(1445)正月壬子(9日)条)
しかし、結局のところ、行政刷新の波により、内直院の職務分掌の全てが丞政院、忠義衛、忠贊衛にそれぞれ分離され、高麗初期から続いた内侍院は役割を終える事になります。

4.まとめ

朝鮮王朝における宦官「去勢された男子が内侍府に所属し、宮中にて使役される内官」と規定できます。その内容は国王(大殿)・王妃(中宮)・大妃・(王)世子(世子宮)に配置され、使命と雑務を担うものでした。初期の頃は僅か数十人に過ぎませんでしたが、その数は140人にも達した程でした。

朝鮮における宦官制度光武グァンム皇帝ファンジェ高宗コジョンの時代に行われた甲午カボ改革ゲヒョク(高宗31年〜光武元年:1894〜97)によって廃止されるのです。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(関連)「王と私」観賞基礎ノート(4)―於乙宇同事件―→
※(関連)「王と私」観賞基礎ノート(3)―内侍と王妃の愛―→
※(関連)「王と私」観賞基礎ノート(2)―内侍府―→

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考)宦官列伝→
※(参考)矢木毅「高麗時代の内侍と内僚」『高麗官僚制度研究』
※(参考)朴孝信「高麗時代の『内侍』―その独自性と別称―」『駿台史学』19
※(参考)西川孝雄「高麗時代の『宦者伝』研究―立志人物の分析―」『愛知学院大学文学部紀要』34


  
  

posted by 御堂 at 17:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

昭和20年8月、樺太の悲劇―その2 ドラマ「天北原野」と三船殉難事件

私が初めて昭和20年(1945)8月の樺太の悲劇について知ったのは、あるドラマがきっかけでした。

それは、昭和52年(1977)4月6日〜8月31日に全22話で放送された天北てんぽく原野」というドラマで、三浦綾子さんの同名小説『天北原野』が原作のドラマでした。

ちなみに、天北原野とは、北海道北オホーツク一帯に属する、天塩川と頓別川の下流から北方の平野地帯を指し、道北地区側のサロベツ原野(豊富町と幌延町の海岸線沿いに200kuに及ぶ広大な湿原)とオホーツク地区側の猿払さるふつ原野(稚内市、猿払村、浜頓別町、枝幸町の海岸線沿いに500kuに及ぶ湿原帯)を指し、北海道に嘗て存在した旧塩国と旧見国から一字を採って呼んでいます。

ドラマのあらすじは―

舞台は大正末期から昭和の敗戦直後に道筋を置いており―
北海道ハマベツ。
貧しいこの土地で生まれ育った美しい少女貴乃きのと、小学校校長の息子孝介は、お互いに愛し合い、結婚の約束を結んでいた。
しかし製材所の息子完治の恐ろしいたくらみによって、孝介は遠い樺太へと旅立ち、残された貴乃には完治の執拗な求愛が続く…
激しい運命の嵐に翻弄される貴乃と孝介。二人の仲が引き裂かれるほど、心の奥で愛は静かに燃え上がる。完治はあくどい方法で財をなし、その妹あき子はロシア人の青年イワンとの不倫の恋に苦しむ。
平和に見えた樺太にも戦争の影は近づき、やがてソ連軍が侵入してくる…
といった展開。主な配役は、
  • 菅井貴乃=山本陽子さん

  • 池上孝介=北大路欣也さん


  • 須田原完治=藤岡琢也さん

  • 須田原あき子(完治の妹、孝介の妻)=松坂慶子さん


  • 須田原伊之助(完治の父)=小沢栄太郎さん

  • 須田原フク(完治の母)=赤木春恵さん

  • 須田原達吉(完治の兄?弟?)=松山英太郎さん

  • 須田原加津夫(完治と貴乃の子)=佐久田修さん

  • 須田原弥江(完治と貴乃の子)=杉田かおるさん


  • 池上太郎(孝介の父)=加藤嘉さん

  • 池上定子(孝介の母)=三宅くにこさん

  • 池上京治(孝介の養子、実はあき子とイワンの子)=ジョナサン・クラウセンさん


  • 菅井兼作(貴乃の父)=三国連太郎さん


  • 梅香(完治の愛人)=倍賞美津子さん


  • 五郎治後家(樺太の網元)=清川虹子さん


  • 石田=山本麟一さん


  • イワン・シーモノフ(あき子の浮気相手、京治の実父)=デニス・ファレルさん


  • ナレーション=森繁久彌さん
が演じられています。

それぞれ、各話タイトルは、
  1. 冬の花びら

  2. 恋ごころ

  3. 今日をかぎりの

  4. さいはての便り

  5. かなしい再会

  6. 恋の残り火

  7. 女ふたり

  8. 愛の行方

  9. 白夜の宴

  10. 満たされぬ日々

  11. 女のしあわせ

  12. かえれない女

  13. ばらの散る日

  14. 罪の子

  15. 秘密

  16. 孤閨の女たち

  17. 日蔭の女

  18. 別れ

  19. その前夜

  20. 戦火のさなかに

  21. いのち哀し

  22. 海の墓(完)
となっています。

― ◇ ◇ ◇ ―

このドラマの中で、樺太の悲劇を描いたのが第20話以降になりますが、こちらは樺太でも最南端の大都市・豊原が舞台で、まさにソ連軍から避難しようとする樺太在居留民たちの悲劇がまざまざと描かれているのです。

第二新興丸の積み荷で、多数の犠牲者の血で染まっていた「血染めの米」

その主な歴史的事象は「三船殉難事件」が挙げられます。

「三船殉難事件」というのは、昭和20年(1945)8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの婦女子や老人を主とする引揚者を乗せた日本の引揚船3隻(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)が国籍不明の潜水艦による攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没し、第二新興丸が大破したという、判明しているだけで1708名以上が犠牲となった事件です。

まず、8月22日午前4時20分頃、逓信省の海底ケーブル敷設船小笠原丸が留萌沖の海上で国籍不明の潜水艦の雷撃により撃沈され乗員乗客638名が死亡。生存者はわずか61名でした。

続いて午前5時13分頃、大泊からの引揚者約3400名を乗せていた特設砲艦第二新興丸が留萌沖北西33kmの海上で、同じく国籍不明の潜水艦の魚雷が右舷船倉に命中し、重油が漏れ出します。さらに浮上した2隻の潜水艦により銃撃を受けたため、応戦します。

しかし、第二新興丸は船体に大きな損害を受けたものの機関に異常はなかったため留萌港に入港。船内で確認された遺体は229体。行方不明者も含めると400名近くが犠牲となりました。

同日午前9時52分には、引揚者を乗せていた貨物船泰東丸が北海道留萌小平町沖西方25kmの海上において、浮上した国籍不明の潜水艦の砲撃を受けます。同船には武装設備がなかったため戦時国際法に則り白旗を掲げたのですが、潜水艦はこれを無視して砲撃を続けられて沈没。乗員乗客約780名中、667名が死亡しました。

― ◇ ◇ ◇ ―

さて、「天北原野」の中では、「三船殉難事件」は次の様に描かれています。

貴乃は孝介の母・定子と息子の京治、自分の娘である弥江と共に上記の第二新興丸で樺太からの緊急疎開を図りますが、貴乃と京治が乗り遅れ、定子と弥江が先に乗船して本土に向かったのです。そこに潜水艦による攻撃で第二新興丸が大破し、定子は死亡、弥江は海にさらわれて行方不明となってしまいます。

実際のところ、樺太からの緊急疎開に成功したのは、全樺太住民の1/4以下しか避難できなかったと云われています。

その後、海域はソ連軍により封鎖されてしまい、自力で帰国する術はほとんどなくなったのです。

これらのシーンを観ていた訳ですが、当時小学校6年生だった自分としてはかなり強烈なインパクトがありました。ちょうどまた、歴史の授業を習い始めた学年でもあったので、余計心に残ったのでしょうね!

私の母方の祖母も実は樺太に住んでいた事があって、その親戚の皆さんは稚内や留萌に住んでおられますが、樺太から本土に帰って来られたんですよね。

実際、亡き祖母から樺太にいた頃のお話を聴く機会はなかったのですが、このドラマにようにとても恐ろしい体験をしての帰国だったようです。

最初に視聴した時から33年の年月が経ちましたが、再び観てみたい気がします。でも、昨今のテレビ事情じゃ、リメイクされないと、再放送という形で便乗されないのでしょうねぇー(悲!)

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)北海道新聞社編『慟哭の海―樺太引き揚げ三船遭難の記録』

― ◇ ◇ ◇ ―

※(関連)昭和20年8月、樺太の悲劇―その1 映画「樺太一九四五年夏 氷雪の門」と真岡郵便電信局事件(1)→
※(関連)1945年8月15日→
※(関連)北方四島の話→


    

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昭和20年8月、樺太の悲劇―その1 映画「樺太一九四五年夏 氷雪の門」と真岡郵便電信局事件(1)

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別件で昭和20年(1945)8月の樺太の悲劇について調べていたら、「樺太一九四五年夏 氷雪の門」という映画が公開されている、という情報を知りました。

この映画は、現在から36年前の昭和49年(1974)、封切り直前でストップがかかり、一般公開が中止となったのです。

当時としては製作実行予算が5億数千万円を超える超大作映画として話題を呼び、戦闘シーンは陸上自衛隊が全面協力。企画・製作に9年もの時間を費やし、文部省選定や各種団体の推薦も受けていました。また、試写会や調査やアンケートを重ね、史実に忠実に作られ、前評判や口コミからなどから前売り券の売上も何と70万枚に達していたと云われています。

一般公開直前になり、配給元の東宝が公開中止を決定。その背景として「反ソ映画の上映は困る」とのソ連政府による抗議&圧力がありました。

その後、東映洋画配給によって北海道と九州で2週間程の劇場公開がなされ、以降、殆んど発禁映画扱いとなってしまったのです。(一部の地域では、学校教育映画という形で見ている世代の方もおられるようですが…)

しかしながら、ソ連に没収されてしまったとの噂もあったフィルムが平成18年(2004)に発見され、、フィルムをデジタルリマスター化して、当時は上映時間が156分でしたが、それを119分にまとめて、漸く全国順次劇場公開が決定したのです。

舞台背景は、太平洋戦争末期の樺太(現、ロシア連邦サハリン州)です。当時は北緯50度を境界線に南半分が日本領、北半分がソ連領でした。

昭和20年(1945)8月、ソ連赤軍の突然の南下により、樺太を舞台に日本で最後の地上戦が行われるたのです。

しかも、日本は敗戦に伴う、戦闘行為の停止を命ぜられていた状況を縫う様にソ連赤軍は侵攻をはかり、多くの民間人がその犠牲になったのです。

中でも、樺太の西海岸の要衝の地、真岡郡真岡町(現、ロシア連邦サハリン州ホルムスク)の地で郵便局の電話交換業務に当たっていた9人の女性交換手たちが服毒自殺を遂げた(「真岡郵便電信局事件」)という悲しき運命をモチーフに描かれたのが、この映画なのです。


ストーリーあらすじは、

1945年夏、太平洋戦争は既に終末を迎えようとしていたが、戦禍を浴びない樺太は、緊張の中にも平和な日々が続いていた。しかし、ソ連が突如として参戦し、日本への進撃を開始した。北緯50度の防御線は瞬く間に突破され、ソ連軍は戦車を先頭に怒涛のごとく南下してきた。

戦禍を被った者たちは、長蛇の列をなして西海岸の真岡の町をめざした。

真岡郵便局の交換嬢たちは、4班交代で勤務に就いていた。彼女たちの中には、原爆を浴びた広島に肉親を持つ者がいる。最前線の国境に恋人を送りだした者がいる。戦火に追われて真岡をめざす姉を気づかう者がいる。刻々と迫るソ連軍の進攻と、急を告げる人々の電話における緊迫した会話を、彼女たちは胸の張り裂ける思いで聞くほかになすすべがなかった。

8月15日、全く突然に終戦の報がもたらせられた。敗戦国の婦女子がたどる暗い運命、生きられるかもしれないという希望、様々な思いが交錯する中で、樺太全土に婦女子の疎開命令が出た。一人、また一人と、交換嬢たちも引き揚げて行く。だが、その中には命令に従わず、“決死隊”としてその編成に参加し、交換手として職務を遂行しようと互いに励ましあい、責任を果たそうと心に誓う20名の乙女たちがいた。ソ連の進攻は依然として止むことなく、むしろ、激しさを増した。戦争は終わったのではないか?人々は驚愕し、混乱した。

8月20日、霧の深い早朝。突如、真岡の町の沿岸にソ連艦隊が現われ、艦砲射撃を開始した。町は紅蓮の炎につつまれ、戦場と化した。

この時、第一班の交換嬢たち9人は局にいた。緊急を告げる電話、町の人々への避難経路を告げ、多くの人々の生命を守るため、彼女らは職場を離れなかった。じりじりと迫るソ連兵の群。取り残された9人の乙女たち。胸には青酸カリが潜められていた。

局の窓から迫るソ連兵の姿が見えた。路上の親子が銃火を浴びた。もはや、これまでだった。班長はたった一本残った回線に「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」と告げると静かにプラグを引き抜いた…(「パンフレット」より)
といった感じ!主な配役は、

  • 関根律子(第一班班長)=二木てるみさん

  • 藤倉信枝(第一班副班長)=鳥居恵子さん

  • 斎藤夏子(第一班副班長)=岡田可愛さん

  • 石田ゆみ=野村けい子さん

  • 鳥貝啓子=今出川西紀さん

  • 堀江正子=八木孝子さん

  • 神崎泰子=相原ふさ子さん

  • 青木澄子=桐生かほるさん

  • 仲村弥生=木内みどりさん

  • 林田千恵=北原早苗さん

  • 手塚美沙子=大石はるみさん

  • …亡くなられた交換手の高石ミキさん(24歳)、可香谷よしがだにシゲさん(23歳)、伊藤千枝さん(22歳)、志賀晴代さん(22歳)、吉田八重子さん(21歳)、高城淑子さん(19歳)、沢田君子さん(18歳)、渡辺照さん(17歳)、松橋みどりさん(17歳)らの8月20日当日のそれぞれのエピソードがモチーフ!

  • 香取知子=岡本茉利さん…三船殉難事件(実際には2日後の22日だが…)がモチーフ!

  • 坂本綾子(第4班班長)=藤田弓子さん…上野ハナさんがモデル?

  • 三好とく=真木沙織さん

  • 北野早苗=藤園貴巳子さん

  • 植中賢次(真岡郵便局長)=千秋実さん…上田豊三局長がモデル

  • 久光忠夫(向地視察隊日の丸監視哨隊長)(中尉)=若林豪さん

  • 仁木第八八師団長(中将)=島田正吾さん…峯木十一郎中将がモデル

  • 鈴木参謀長(大佐)=丹波哲郎さん…鈴木康大佐がモデル

  • 吉崎大尉=三上真一郎さん

  • 清水連隊長=藤岡重慶さん

  • 田尻第五方面軍参謀(中佐)=岸田森さん

  • 村口歩兵二五連隊第1大隊副官(中尉)=黒沢年男さん…村田徳兵中尉がモデル

  • 岡谷俊一(王子製紙樺太工場勤務のバレーボールコーチ)=佐原健二さん

  • 関根辰造(関根律子の父)=今福正雄さん

  • 関根しず(関根律子の母)=赤木春恵さん

  • 森本きん=七尾伶子さん

  • 藤倉亮介(藤倉信枝の父)=伊沢一郎さん

  • 安川徳雄(藤倉信枝の義兄)=田村高廣さん

  • 安川房枝(藤倉信枝の姉)=南田洋子さん

  • 鳥貝オサム(鳥貝啓子の弟)=水野哲さん

  • 中西清治(堀江正子の恋人、鉄道省樺太鉄道管理局機関士)=浜田光夫さん

  • 斉藤秋子(斎藤夏子の妹、太平炭鉱病院看護婦)=岡田由紀子さん…大平炭鉱病院の看護婦集団自決(8月17日)がモチーフ!

  • 菅原良子=柳川慶子さん

  • 菅原美保子=栗田ひろみさん

  • 小松慶市=見明凡太朗さん

  • 梅津勝介=柳谷寛さん

  • 神崎雄一(神崎泰子の父)=織本順吉さん

  • 手塚美沙子の父=中条静夫さん

  • 仲村悦子(仲村弥生の母)=鳳八千代さん

  • 柳田=久野四郎さん

  • 高木=城山順子さん

  • 渡部(泊居とまりおる郵便局長)=久米明さん


― ◇ ◇ ◇ ―

という事で、京都みなみ会館(京都市南区)で22日まで上映中との情報を入手したので、早速観てきました!(気持ち、20日までに観たかったので…)

前もって下調べをしてから観たので、意外とスムーズに映画のシーンの状況が呑み込め易かったです。戦闘シーンは迫力があったし、何といっても真岡郵便局の女性電話交換手たちのいじらしい面と職務を全うな心持ちがすごく共感できます。

途中の交替・休憩時間中に女性電話交換手たちのみんなで唄っていた♪椰子の実♪がラストシーンで再び来た時は思わず涙腺がポロポロ…状態でしたよ。

周りを見ても、映画が終了した後、暫く立ち上がれない人で一杯でした!

個人的な話、僕の母方の祖母の実家の人たちも樺太帰りで稚内に住み着いたそうなので、すごく遠い縁なんだけれども、近き運命を感じられる…そんな気分でこのエピソードを想っています。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)「樺太一九四五年夏 氷雪の門」公式サイト→

― ◇ ◇ ◇ ―

※(関連)昭和20年8月、樺太の悲劇―その2 ドラマ「天北原野」と三船殉難事件→
※(関連)1945年8月15日→
※(関連)北方四島の話→


 

posted by 御堂 at 04:13 | Comment(6) | TrackBack(2) | 歴史:ドラマ

「Dr.トラッパー/サンフランシスコ病院物語」


久々、というか何とも懐かしい番組を探し当てました!

昔、中学生から高校生にかけての頃に放送していた海外ドラマで、ちょうどKBS京都の夜の10時くらいに放送していたかな…「Dr.トラッパー/サンフランシスコ病院物語」(原題は、Trapper John, M. D.)というタイトルでした。

1979年(昭和54)からアメリカのCBSで7年間にわたって放送された医療ドラマ(アメリカではメディカルドラマと呼ばれている)で、日本では昭和57年(1982)に放送が開始しました。

この…「Dr.トラッパー/サンフランシスコ病院物語」は、

朝鮮戦争において、最前線から韓国側へ6kmの地点に置かれたMASHと呼ばれるアメリカ陸軍第4077移動野戦外科病院(Mobile Army Surgical Hospital)に配属していた経験を持つ外科医トラッパー・ジョン・マッキンタイア(Trapper John McIntyre)大尉のその後を描いた作品となっています。

朝鮮戦争から28年後、サンフランシスコ・メモリアル病院の外科主任となっている“トラッパー”ことジョン・マッキンタイアは昔のような無鉄砲さはいくらか影をひそめ、物事に動じず、ユーモアのたっぷりな性格の医師です。

その“トラッパー”の相棒なのが、ベトナムの野戦病院から戻ってきた青年医師で、型破りで熱血漢な性格の“ガンゾ”で、若い頃のトラッパーを想わせるガンゾを暖かく見守るトラッパーとガンゾを中心に、タフネスおばさんの婦長“スターチ”と、グラマーな看護士“モンロー”、ギャンブル好きの医師“ジャックポット”、病院の理事長の息子=お坊ちゃんの“リバーサイド”らがサンフランシスコ・メモリアル病院で起こる出来事に対処していきます。

主な配役&声の吹き替えは、

  • “トラッパー”ジョン・マッキンタイア医師=パーネル・ロバーツさん(石田太郎さん)

  • “ガンゾ”ジョージ・アロンゾ・ゲイツ医師=グレゴリー・ハリソンさん(安原義人さん)

  • “スターチ”クララ・ウィロビー婦長=メアリー・マッカーティさん(遠藤晴さん)

  • “モンロー”グロリア・ブランクシ看護師=クリストファー・ノリスさん(高島雅羅さん)

  • “ジャックポット”ジャスティン・ジャクソン医師=ブライアン・ミッチェルさん(亀山助清さん)

  • “リバーサイド”スタンレー・リバーサイド2世=チャールズ・シーバートさん(野島昭生さん)


― ◇ ◇ ◇ ―

この作品は放送当時、もう欠かさず観ていました。その頃はビデオなんてなかったので、一話一話をかじりつくかのように観ていたので、今でも主題歌のメロディはもちろん、一部のシーンでのセリフなど、よく憶えているんですよね。

さらに、もちろん観ていたのは日本語吹き替え版なのですが、配役陣の声優さんたちがそれぞれの個性を充分に出しておられたので、のめり込むようにストーリーに魅入っていた感じでした。

posted by 御堂 at 00:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

新春ワイド時代劇「戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち」

毎年恒例になっている、正月2日にテレビ東京系列で放送される新春ワイド時代劇に「戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち」が決まりました。

主人公は、天下統一を果たした豊臣秀吉に最も頼りにされ、最も恐れられた軍師、黒田官兵衛孝高よしたか

黒田官兵衛孝高は、その頭脳と鮮やかな采配で、秀吉の天下獲りを最後まで支える一方、内に秘めた野心から秀吉に最も恐れられた男でもあります。

ドラマでは、同じく秀吉を支えた“無欲の名軍師”竹中半兵衛重治との友情、そして2人の鮮烈な人生を描くようですよ。

今回で33作目となる新春ワイド時代劇ですが、昨年同様、7時間(3部構成)の放送時間とみられます。(このシリーズ。当初は12時間だったけど、次第に10時間となり、今や7時間が定着しつつある感じ…)

主な配役陣として、

  • 黒田官兵衛孝高=高橋克典さん

  • 竹中半兵衛重治=山本耕史さん


  • 官兵衛の義兄、源蔵=高嶋政伸さん

  • ←黒田正庵(四郎左衛門浄賢)エピですかね?
  • 官兵衛の父、黒田職隆(宗円)(小寺家家老)=橋爪功さん

  • 官兵衛の長男、松寿丸(長政)=尾崎右宗さん

  • 官兵衛の妻、てる幸圓こうえん)(櫛橋伊定の娘)=奥貫薫さん


  • 井上九郎右衛門之房ゆきふさ=左とん平さん

  • 栗山四郎右衛門利安=林泰文さん

  • 母里ぼり太兵衛友信=本田大輔さん


  • 官兵衛の妻・光の父、櫛橋くしはし伊定これさだ(播磨志方城主)=あおい輝彦さん

  • 小寺政職(播磨御着ごちゃく城主=品川徹さん

  • 小河三河守良利(小寺家筆頭家老)=大鶴義丹さん

  • 江田善兵衛(小寺家家老)=高知東生さん


  • 斎藤龍興(美濃稲葉山城主)=大沢健さん

  • 安藤守就(美濃北方城主)=伊吹吾郎さん

  • 半兵衛の妻・安藤守就の娘、ちさ=京野ことみさん

  • 半兵衛の弟、竹中久作重矩しげのり=石垣佑麿さん


  • 荒木村重(摂津有岡城主)=山田純大さん

  • 尼子勝久(播磨上月城守)=丸山敦史さん

  • 山中鹿之介幸盛(尼子十勇士の1人)=金子賢さん


  • 吉川元春(出雲月山富田城主)=大友康平さん

  • 小早川隆景(備後三原城主)=田中健さん

  • 清水宗治(備中高松城主)=中村雅俊さん

  • 安国寺恵瓊=大島宇三郎さん


  • 足利義昭(室町殿)=梶原善さん

  • 浅井長政(近江小谷城主・お市の夫)=猪野学さん

  • 長政の父、久政=清水紘治さん

  • 長政の妻・信長の妹、お市の方(小谷の方)=滝沢沙織さん


  • 明智光秀(近江坂本城主)=高橋和也さん

  • 信長の次男、織田信雄(有楽斎)=なべおさみさん

  • 柴田勝家(織田家筆頭家老・越前北庄城主)=藤堂新二さん


  • 木下(羽柴・豊臣)小一郎秀長(秀吉の弟)=中本賢さん

  • 蜂須賀小六正勝(官兵衛と共に毛利家取次役を担う)=北見敏之さん

  • 石田佐吉三成=塩谷瞬さん

  • 千利休=杜澤たいぶんさん


  • ねね(北政所)=余貴美子さん


  • 羽柴(豊臣)秀吉=西田敏行さん


  • 織田信長=加藤雅也さん

  • 徳川家康=松平定知さん
の皆さんが競演されます。

― ◇ ◇ ◇ ―

さて、官兵衛を主人公に持って来てますが、半兵衛との絡みを考えた時、有岡城での軟禁された際の松寿丸(のちの長政)の生殺与奪に関するエピソードや、秀吉との約状を破り捨て反古にしたエピソードは当然挿れるべきでしょうね。

問題はどこで終着させるかですが…やはり高松城水攻めでの「天下をお獲りなされ」宣言ですかね?

官兵衛ファンの1人としては、もう少し時代が下って、秀吉が「わしが死んだ後に天下を取る器は、官兵衛だ」というのを聞いて、一線を退くエピソードや、“九州の関ヶ原”とも云われる石垣原の戦いも描いて欲しい気がします!

― ◇ ◇ ◇ ―
※(参照)新春ワイド時代劇「柳生武芸帳」→
※(参照)新春ワイド時代劇「寧々〜おんな太閤記」→
※(参照)新春ワイド時代劇「徳川風雲録」→
※(参照)新春ワイド時代劇「忠臣蔵 瑤泉院の陰謀」→
※(参照)新春時代劇ワイド「国盗り物語」→


posted by 御堂 at 20:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

NHK大河ドラマ「平清盛」

再来年、平成24年(2012)のNHK大河ドラマの主人公に平清盛を中心とした平家一門が描かれるそうですよ。

平清盛を主人公に添えて展開するとすれば、昭和47年(1972)に仲代達矢さんが清盛を演じられた「新・平家物語」以来となり、実に40年ぶりになります。

源平の争乱期を扱かったのは、滝沢秀明さんが源義経を演じた平成17年(2005)の「義経」以来7年ぶりとなりますね。(下記参照)

    ※源平争乱期を扱った作品と平清盛の配役
  • 昭和41年(1966)「源義経」:辰巳柳太郎さん

  • 昭和47年(1972)「新・平家物語」:仲代達矢さん

  • 昭和54年(1979)「草燃える」:金子信雄さん

  • 平成17年(2005)「義経」:渡哲也さん
ここ数年の大河ドラマは、
  • 平成18年(2006)「功名が辻」→戦国〜江戸

  • 平成19年(2007)「風林火山」→戦国

  • 平成20年(2008)「篤姫」→江戸・幕末〜維新期

  • 平成21年(2009)「天地人」→戦国〜江戸

  • 平成22年(2010)「龍馬伝」→江戸・幕末

  • 平成23年(2011)「江〜姫たちの戦国〜」→戦国〜江戸
というように、戦国時代江戸時代幕末・維新期を描いた作品が続いていた事もあって、時代を遡ってみようという声が上がっていたのだとか―

NHKの制作サイドが考えるドラマのストーリー構成としては、

平安末期、海の一族・伊勢平氏は瀬戸内の海賊退治によって貴族社会にその存在を示していた。清盛は養父・忠盛のもとで一人前の武士となるように育てられ、「人の絆」の大切さを学ぶ。また清盛は船上での生活で先見性や判断力を身につけ、外国商人や海賊たちと渡り合う中でたくましい男として成長していく。

京に上ると清盛は個性的な仲間と出会う。ライバルとなる源義朝、後に歌人・西行となる文武に秀でた佐藤義清、そして繊細・奔放な少年から日本一の権力者「大天狗」へと変貌を遂げる雅仁親王(のちの後白河天皇・上皇・法皇)。若き清盛は彼らとともに世の中を見つめ、それぞれの夢を語り合った。

だが、時は戦乱の世を迎える。

王家(天皇家)の後継争いに始まった保元・平治の乱。そこで清盛が見たのは、子が親を兄が弟を殺す地獄絵図だった。

その中で清盛は、朝敵となった源義朝を討てとかつての雅仁親王・後白河上皇から命ぜられる。だが義朝の嫡男・頼朝には恩情をかけ命を救ってしまい、この判断が大きな悲劇を生むことになる。

京を舞台にした戦いで、藤原摂関家源氏が力を失う中、清盛「武家の棟梁」となり中央政界を左右する存在となる。盟友であった後白河法皇院政を行い、政治権力をふるい、両者は同盟を結ぶものの、やがて厳しい対立関係に入る。そんな清盛を支えたのが家族だった。実の親を知らず、忠盛の情愛の中で育てられた清盛は、家族の絆を何よりも大切だと感じていた。

しかし清盛が最愛の長男・重盛を病で失うと、後白河法皇平家一門の追い落としをはかる。ついに堪え切れなくなった清盛はクーデターを起こし、後白河法皇院政を停止して、最高の権力者となる。日本史上初めて武士が政権のトップにつくことになった瞬間だった。

そして400年ぶりに都を京から福原(現・神戸)に遷し、自らの夢に立ち返った政治を行おうとした。それは巨大な貿易港を築き、日宋貿易を中心とした、海外に開けた交易国家を作ることだった。だが、あまりに急進的な改革だったために、世間の不評を買い、天下の大悪人とされてしまう。

こうした世論に乗じて、後白河法皇は平家追討令を出した。頼朝を先頭に、源氏一族が全国で呼応する中、清盛は熱病で命を絶つ。子供たちは父の名誉を守るために果敢に戦うが力尽き、平家一門は父・清盛が愛した海に消えるのだった―
といった感じを思い描いているようです。

脚本は朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」や土曜時代劇「咲くやこの花」などを手掛けた藤本有紀さんが描く模様…さて、どんな感じになるのやら!

主な配役陣は―

  • 平清盛=松山ケンイチさん


  • 平時子(二位尼、清盛の後妻、時忠の同母姉)=深田恭子さん

  • 高階明子(清盛の前妻、高階基章の娘、重盛・基盛の母)=加藤あいさん

  • 平滋子(建春門院、後白河上皇の寵妃で高倉天皇の母、時子・時忠の異母妹)=成海璃子さん

  • 祗園女御(白拍子で白河法皇の寵妃)=松田聖子さん

  • 舞子(清盛の実母、白拍子で白河法皇の寵妃)=吹石一恵さん


  • 平忠盛(清盛の父)=中井貴一さん

  • 藤原宗子(池禅尼、忠盛の後妻、清盛の継母、家盛・頼盛の実母)=和久井映見さん

  • 平家盛(清盛の異母弟、池禅尼の子、同母弟に頼盛がいる)=大東俊介さん

  • 平忠正(清盛の叔父、忠盛の弟)=豊原功補さん

  • 平正盛(清盛の祖父、忠盛の父)=中村敦夫さん


  • 平時忠(堂上平家、姉・時子を清盛に嫁がせ、妹・滋子を後白河上皇に嫁がせるなど“平大納言”“平関白”と呼称され、有名な言葉として“一門にあらざらん者はみな人非人なるべし”(「平家にあらずんば人にあらず」と無理矢理に現代語訳されている)がある=森田剛さん

  • 平家貞(忠盛・清盛の2代に仕え、「一ノ郎等」(『愚管抄』)と云われた。平家の本領・伊賀国鞆田荘の沙汰人)=中村梅雀さん

  • 平盛国(平家嫡宗の家令的立場)=上川隆也さん

  • 平盛康(盛国の父、平家譜代の家人として正盛・忠盛の2代に仕える)=佐戸井けん太さん

  • 伊藤忠清(藤原忠清、平家譜代の家人、「坂東八カ国の侍の別当」(『平家物語』)、重盛に近仕し、維盛の乳父となる)=藤本隆宏さん

  • 平維綱(平家嫡宗の重臣、清盛の異母弟・家盛の乳母父)=尾美としのりさん


  • 兎(うさぎ)丸(“西海の海賊王”だったが、平家水軍を任される)=加藤浩次さん


  • 源為義(河内源氏の棟梁)=小日向文世さん

  • 源義朝(為義の嫡子)=玉木宏さん

  • 源頼朝(義朝の嫡子、源氏の正嫡)=岡田将生さん


  • 由良御前(義朝の正妻、熱田大宮司藤原季範の娘、頼朝の実母)=田中麗奈さん

  • 常盤御前(義朝の妾、阿野全成、義円、源義経の実母、のち清盛の妾となり、廊御方を産む、さらに一条長成の後妻)=武井咲さん

  • 北条政子(頼朝の正妻)=杏さん


  • 鎌田通清(源氏の家人)=金田明夫さん

  • 鎌田正清(通清の息子、義朝の乳兄弟)=趙a和さん


  • 雅仁親王(のちの後白河天皇・上皇・法皇)=松田翔太さん

  • 白河法皇==伊東四朗さん

  • 鳥羽上皇・法皇=三上博史さん

  • 顕仁親王(のち崇徳天皇・上皇)=ARATAさん


  • 藤原璋子たまこ(待賢門院、鳥羽上皇の中宮、白河法皇の寵愛を受け、崇徳天皇を産む、また鳥羽天皇との間に後白河天皇を産む、佐藤義清のりきよと関係を結ぶ)=檀れいさん

  • 堀河局(待賢門院堀河、藤原璋子に仕える女官)=りょうさん


  • 藤原得子なりこ(美福門院、鳥羽上皇の皇后、近衛天皇の実母)=松雪泰子さん


  • 藤原忠実(富家殿、知足院殿)=國村隼さん

  • 藤原忠通(法性寺殿、忠実の長男、頼長の異母兄)=堀部圭亮さん

  • 藤原頼長(宇治悪左府)=山本耕史さん


  • 信西(藤原南家、藤原通憲)=阿部サダヲさん

  • 藤原家成(清盛の長男・重盛の義父、維盛の義祖父)=佐藤二朗さん


  • 佐藤義清のりきよ(北面の武士、西行法師)=藤木直人さん
の皆さんです。

― ◇ ◇ ◇ ―

40年前の「新・平家物語」では、吉川英治氏の『新・平家物語』を原作として、平家一門の栄華とその滅亡が描かれ、ちょうどNHK大河ドラマ10作目という記念すべき作品でもあったために豪華キャストが配役されて話題を呼びました。

再来年、平成24年(2012)のNHK大河ドラマは昭和38年(1963)にスタートした「花の生涯」からちょうど50年目の節目でもあり、「新・平家物語」に劣らないほどの豪華キャストの可能性(…とはいっても、人気先行で、たいして実力のない役者さんが演じられるのはうんざり!でも…平家の公達というフレーズからは嫌な予感が…)がありそう!

個人的な期待があるとすれば、清盛の青年期からスタートするとして、文覚上人(遠藤盛遠)西行法師(佐藤義清)との絡みがあっったら面白いのに!と感じます。それで、エンディングの方で清盛の死後、文覚上人後鳥羽上皇の反感を買って失脚し、その連座として平家の正嫡である六代が斬首される辺りまで描いてくれると楽しいかも!


     

posted by 御堂 at 13:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

NHK土曜時代劇「桂ちづる診察日録」

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今年度の秋シーズンに放送されるNHK土曜時代劇の情報です。

番組のタイトルは「桂ちづる診察日録」(全14話)というもの―

物語の舞台は、文政8年(1825)の江戸・神田。

若き女医・桂ちづるは笑顔のよく似合う24歳。開業半年の新米だが、シーボルト直伝の蘭方医学、さらに大坂・中之島山崎の鼻辺りに在った華岡流大坂分校である合水堂ごうすいどうに学んで麻酔外科手術も習得している。また、江戸医学館(幕府が神田佐久間町に設けた漢方医学校)の教授方だった亡き父からもたっぷりと仕込まれており習熟している、といった感じ。その信条として、治療費はある時払いの催促なし、といった具合なので貧困にあえぐ弱者たちの味方でもある。

そんな彼女にある時、町奉行所からお呼びがかかり、牢屋敷の女囚たちの担当医になれとの事。

こうして、彼女は牢医師となり、罪を犯した女たちの半生にも関わるのだが…
というドラマ展開の模様ですね。ちづるが多くの仲間たちに支えられて日々成長していく姿を描いた、愛と涙の診療日誌が綴られるようです。

主な配役として、
  • 桂千鶴=市川由衣さん


  • 千鶴の異母兄で戯作者修業中の、陽太郎=高嶋政伸さん

  • 桂家の女中兼母親代わりで、医院の看護婦長も務める、お竹=キムラ緑子さん

  • 日本橋の呉服商「伊勢屋」の次女だが、千鶴の弟子として務めている、お道=松岡茉優さん


  • 牢屋敷(女牢)の牢名主、おたつ=戸田恵子さん


  • 牢屋同心、有田万之助=金子貴俊さん

  • 牢屋同心・鍵役、蜂谷古之進=陰山泰さん

  • お手先(岡っ引き)・猫目の甚八(通称“猫八”親分)=福田転球さん


  • 牢医師、川上太玄=中村太一さん

  • 牢医師、橘順庵=比留間由哲さん


  • 酔楽先生の飲み友達、旗本・下妻大和守直久=大谷亮介さん


  • 千鶴の亡き父・東湖=遠藤憲一さん

  • 父の親友で漢方医・酔楽先生=三宅裕司さん


  • 鶴屋南北(四代目、世に“大南北”と称される)=江原真二郎さん
が演じておられます。

原作は藤原緋沙子さんの藍染あいぞめばかまさじちょうシリーズで、各話タイトルはそれぞれ2話完結で、
  1. 牢医になる…第1巻『風光る』第2話「花蝋燭」がモチーフ

  2. 花ろうそく…同上

  3. 父の仇…第2巻『雁渡し』第4話「霧雨」がモチーフ

  4. 患者の身になる…同上

  5. 医者の務め…第2巻『雁渡し』第3話「月下恋」がモチーフ

  6. 月下恋…同上

  7. 酔楽の恋…第3巻『父子雲』第2話「残り香」がモチーフ

  8. 陽太郎の涙…同上

  9. おたつの罪

  10. もの言わぬ叫び

  11. ちづるの縁談

  12. 女の幸せ

  13. 恩人の死

  14. 父の夢(最終話)
となっています。

主題歌には馬場俊英さんの「私を必要としてくれる人がいます」が流れます。

放送は、
NHK総合では9月4日(土)より毎週土曜日午後7時30分スタート
NHKBShiでは9月4日(土)より毎週土曜日午後6時スタート

― ◇ ◇ ◇ ―

このドラマはチョット期待度大!な感じです。牢医師というキーワードからは昔観た、藤沢周平氏原作で、中井貴一さん主演だったNHK水曜時代劇「立花登 青春手控え」(昭和57年=1982)を想い起こします。ただ、この時の立花登は長崎へ旅立つ、という流れだったから、桂ちづるはそれよりはシーボルト直伝の蘭方医学を駆使できるようですしね。

そういう設定を知っちゃうと、この時代に千鶴みたく女医さんは居なかったのかな?という疑問が生じちゃいました。鳴滝塾や合水堂において、女性の研修医ってホントに居たのか、居なかったのか調べる価値はありそうですね。(そーなると、塾生名簿とかが現存してると一番チェックしやすいけど…)

また、原作では法医学の知識を使って捕物的な要素もエキスとして入っているんですが、とりあえずは人情ものに脚本化されるのかな?どう演出されるか楽しみ!

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)「桂ちづる診察日録」→


  
  

posted by 御堂 at 22:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

「弁護士 布施辰治」

「弁護士 布施辰治」

明治末期から昭和前期にかけて、1人の刑事弁護士が弱者の味方となって活躍しました―布施辰治という人物です。

今年で布施が生誕してから130年。それを記念して、ドキュメンタリー映画が制作されました。

それが「弁護士 布施辰治」というものです。

― ◇ ◇ ◇ ―

布施辰治は宮城県石巻市の農家に生まれました。東京において屈指の辣腕らつわん弁護士として知られていましたが、大正9年(1920)、40歳の時にトルストイの影響を受けて人道主義に共感し、以降、

  • 官権の人権蹂躙じゅうりんに泣く冤罪えんざい

  • 財閥の横暴の枉屈おうくつに悩む弱者

  • 心理の主張を圧迫する筆禍舌禍の言論犯

  • 無産階級の社会運動の迫害
などの事件に限り弁護活動をすると宣言します。

さらに、布施は弁護士の枠を超えて、社会運動家の1人として多くの事件に関わっていきます。なかでも、当時最も虐げられていたであろう―植民地である朝鮮や台湾の民衆、または強制連行された人々、くるわに縛られている娼婦や酌婦、貧しき借地借家人、労働者、小作人―の弁護に奔走するなど、そこには常に社会的弱者に対する温かい視線が感じられるのです。

日本で最初の普通選挙が行われた昭和3年(1928)には、日本共産党への弾圧として有名な三・一五事件の弁護を引き受け、弁護士資格を剥奪され、同14年(1939)に治安維持法違反で懲役2年の刑を受けます。

戦後、弁護士資格が回復されると、布施三鷹事件松川事件メーデー事件などの弁護活動を精力的にこなしますが、昭和28年(1953)9月13日、73歳でその生涯を閉じました。

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朝鮮人の弁護活動の最初として関わったのが、
  • 三・一独立運動(大正8年=1919)の直前に在日本留学生が東京で独立宣言を発表した二・八独立宣言事件で、チェ八龍パルヨンソン継白ゲベクなど「朝鮮青年独立団「朝鮮青年独立団」の関係者11人の弁護を引き受ける。

  • 大正12年(1923)に発生した関東大震災の折に起こった朝鮮人虐殺事件の真相究明に努める。

  • 大正13年(1924)には、東京で開かれた帝国議会に出席していた内閣総理大臣朝鮮総督を爆殺するため皇居・二重橋に爆弾を投げかけた義烈団(武力独立運動団体)のキム祉燮ジソプを弁護を引き受ける。

  • 大正15年(1926)には、天皇と皇族の爆殺を図るも事前に発覚し、逮捕されたパクヨル・金子文子大逆事件の弁護を引き受ける。
など、強者=大日本帝国から権利を認められない弱者=朝鮮人たちを救った、という事で、布施の功績は韓国で高く評価され、韓国政府は平成16年(2004)、、朝鮮独立運動に寄与した人物に与える「建国勲章」を、日本人では初めて布施に授与したのです。

布施の座右の銘があります―“生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために”

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公式ホームページはこちら→

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※(参照)韓国:「日本人シンドラー」に建国勲章 日本の植民地統治時代、独立運動家を弁護(毎日新聞2004-10-13)→


 

posted by 御堂 at 03:27 | Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

「のぼうの城」

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平成24年(2012)11月、待ちに待った!映画「のぼうの城」(脚本・原作は和田竜さん『のぼうの城』)のキャスティング情報です―

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主な配役は、
  • 成田長親(のぼう様)=野村萬斎さん

  • 正木丹波守利英(成田家筆頭家老)=佐藤浩市さん

  • 柴崎和泉守(成田家家老)=山口智充さん

  • 酒巻靱負ゆきえ(成田家家老)=成宮寛貴さん


  • 甲斐姫(成田家当主・氏長の娘)=榮倉奈々さん


  • たへえ(下忍村の乙名おとな)=前田吟さん

  • かぞう(たへえの息子)=中尾明慶さん

  • ちよ(かぞうの妻)=尾野真千子さん

  • ちどり(かぞうとちよの娘)=芦田愛菜さん


  • 成田泰季(長親の父親)=平泉成さん

  • 珠(成田家当主・の後室)=鈴木保奈美さん

  • 明嶺みょうりょう和尚=夏八木勲さん


  • 山田帯刀(長束家馬廻役)和田聰宏さん


  • 石田治部少輔三成=上地雄輔さん

  • 大谷刑部少輔吉継=山田孝之さん

  • 長束大蔵少輔正家=平岳大さん


  • 成田氏長(成田家の当主)=西村雅彦さん

  • 成田泰高(成田家当主・の弟)=谷川昭一朗さん


  • 北条氏政=中原丈雄さん


  • 豊臣秀吉=市村正親さん
となっています。

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甲斐姫役に榮倉奈々さんが決まりましたね!時代劇初挑戦だそうですが、どんな甲斐姫を演じてくれるのかチョット期待度大!

個人的な甲斐姫のイメージは平成18年(2006)に開かれた忍城まつりで甲斐姫を演じられた高松あいさんの颯爽とした姿がすごく印象的なので、榮倉さんが創る甲斐姫のイメージに注目が集まりそう!!(だって、他に甲斐姫を演じる作品がなければ、榮倉さん演じる甲斐姫がずうっと甲斐姫のキャライメージとして瞼に残り続ける訳やしね…)

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※映画「のぼうの城」公式サイト→
※(参照)忍城時代まつり2006、行田市主催戦国祭り(織田信長のファンサイト。信長王より)→


  

posted by 御堂 at 01:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ

「北魏馮太后」

“中華帝国初の女帝”といわれる則天武后が生まれる100年以上も前、中国史上初の女性権力者が存在していました!

その名は文明太皇太后ふう(以下、便宜上、馮太后)。その彼女を主人公に扱ったドラマが、CSの「アジアドラマチックTV★So-net」において8月11日(水)より日本初放送されます。

番組のタイトルは「北魏馮太后」

って事で、チョットだけ予習しましょう!

― ◇ ◇ ◇ ―

時代は五胡ごこ十六国時代、その中の一国・北燕ほくえんの王族として彼女は生まれます。

五胡というのは、中国の魏晋南北朝期に、中国華北部に侵入した遊牧騎馬民族の匈奴きょうど鮮卑せんぴけつていきょうの5つの非漢民族の事を指し、魏晋南北朝期に次々と華北部を中心に国家を建てます。

北燕という国は、元々は長楽信都(現在の河北省冀州きしゅう市)を出自とする漢族で、その中から鮮卑化をしたというばつによって建国されました。しかし、後を継いだ弟のこうは、華北を統一した北魏ほくぎの圧迫を受け、高句麗に亡命した後、其の地で殺害されます。

こうして、馮太后がまだ幼い時分に祖国は滅んでしまったのですが、馮太后の父、ろうはそれよりも早くに北魏に亡命していたために、秦州・雍州刺史しし(州の長官)を歴任しました。

しかし、その父も罪を問われ、誅殺されてしまうのです。

まだ幼かった馮太后は、北魏太武帝昭儀しょうぎ(後宮における称号で、皇后に次ぐ地位)だった姑母に従って後宮入りします。

美貌と知性を兼ね備えた馮太后貴人きじんとなり、やがて太武帝の孫にあたる拓跋たくばつえい(のちの北魏第5代皇帝・文成帝)の皇后に引き立てられるのです。

ところが、文成帝は25歳という若さで崩御してしまい、馮太后は悲しみの余り、火葬中の文成帝の遺体に身を投じ、後追い投身自殺を図りました。

幸いにも侍女に救出され、一命を取りとめるのですが、余程2人の愛情の深さを窺い知れるエピソードかもしれませんね。

悲しみを乗り越えた馮太后は、拓跋こう北魏第6代皇帝・献文帝として立つと、皇太后の立場として政務を補佐しようと務めます。

― ◇ ◇ ◇ ―

北魏では、次期皇太子が立太子する際、「立子殺母」(皇太子の実母には死を賜る)といった取り決めがありました。そのため、拓跋弘の生母である李貴人は死を賜わります。

北魏孝文帝以前の歴代皇帝たちは、皇后には他国の国主の血縁者を迎える一方で、皇太子の実母を殺害する事で、皇后による垂簾朝政や外戚の専横を防止する独自の政策を採ってきた訳です。それ故に、身寄りの少ない=親類縁者の少ない女性に皇太子を生ませ、皇后が皇太子を養育する方針がありました。

ところが、その一方で―

北魏では「一家の長が亡くなると、その跡を継いだ子は自分の生母以外の父の妃たちたちを息子が譲り受けるというレビラト婚の慣習(=死亡した夫の代わりにその兄弟が結婚する慣習)ってものがありました。

その目的は、最初の婚姻で結ばれた両親族間の絆を維持し続けようとする事にあり、遊牧系に多くみられる慣習です。

実は、のちに北魏第6代皇帝となる孝文帝の母親は馮太后ではなかったか、という学説が存在します。

上記の様に、当時の遊牧系にはレビラト婚の慣習があった訳で、それならば献文帝は、遊牧系の慣習に従って義理の母ともいうべき馮太后を妻とし、そして孝文帝が生まれたというんですね。

― ◇ ◇ ◇ ―

献文帝が成長するにつれ、次第に馮太后との意見に食い違いが生じ、献文帝は強迫されて、長子・拓跋こう(のちの第6代皇帝・孝文帝)に譲位させ、献文帝太上皇帝となりますが、その事で献文帝の権勢は馮太后にとって脅威となります。

そんな一触即発な状況の中で、馮太后の寵臣である李奕献文帝は殺害してしまいます。

ここに至り、馮太后献文帝を毒殺、まだ幼い拓跋宏(のちの第6代皇帝・孝文帝)が即位します。

初期の頃は、丞相である乙渾が専権を揮いますが、次第に皇帝をないがしろにする発言も目立ち、皇位の簒奪しようと謀ったため、馮太后は計略を用いて乙渾を処刑します。

以降、政務の一切は馮太后が取り仕切る事となり、馮太后北魏の最高権力者として君臨する事になったのです。まさに、北魏の歴代皇帝たちが阻止してきた皇后による垂簾朝政や外戚勢力の専横が華開く事となります。

― ◇ ◇ ◇ ―

しかし、馮太后は政敵一派を滅ぼし、李冲らの漢族士大夫を重用したので、同姓不婚・俸禄制・均田制・三長制・租調制など―といった大いなる改革が施された。

孝文帝14年(490)9月、馮太后は病を得て逝去。享年49歳。

残された孝文帝は、幼き頃より馮太后によって徹底した儒教的教養を教え込まれていたため、遊牧系民族である事を自己否定。さらに、徹底した漢族化が進み、これにより北魏は全盛期を迎える事になります。

― ◇ ◇ ◇ ―

北魏馮太后といっても、知ってる人が少数派なくらいマイナーな人物と思うでしょうが、実は後の中華帝国の繁栄はこの女性の施政から始まってと言って過言ではない程、重要な人物なのです。

時代背景としては、五胡十六国時代を間に挟んだ魏晋南北朝期。前期漢民族支配が崩壊し、北方民族と漢民族の融合により、新しく芽生えた後期型漢民族支配を確立させた北魏王朝の興亡が北魏馮太后では描かれています。

北魏馮太后が確立した政治体制は、それこそ同時期のアジア諸国に大いなる発展をもたらし、新羅では善徳女王が、日本では光明皇后が、そして武則天へと拡がっていくのです。


 

posted by 御堂 at 01:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ