(書斎の窓)『大坂の陣 豊臣方人物事典』

『大坂の陣 豊臣方人物事典』 『大坂の陣 豊臣方人物事典』

宮帯出版社から刊行された『大坂の陣 豊臣方人物事典』は、大坂冬の陣・夏の陣大坂城に群集した家臣、古参・新参の諸士、女房たち1113人を史料に基づき収録した、豊臣方では初の人物事典で、北川央・大阪城天守閣館長の監修の下、史料に基づき一人ひとりの人物が詳述されています。

『大坂の陣 豊臣方人物事典』 『大坂の陣 豊臣方人物事典』

『大坂の陣 豊臣方人物事典』

以下、目次を掲載―

  • 秀吉没後の豊臣家と大坂の陣(北川央)

  • 大坂城中の五人衆

  • →真田信繁、後藤又兵衛、毛利勝永、長宗我部盛親、明石掃部

  • 大坂の陣 豊臣方人物

  • →大野治長・治房・道犬、織田有楽・頼長、木村重成、郡宗保、薄田隼人正、渡辺内蔵助、伊木七郎右衛門、塙団右衛門、御宿越前、仙石宗也、福島正守、北川次郎兵衛、山川帯刀など約1000名を収録

  • 大坂の陣 豊臣方人物(女房衆)

  • →大蔵卿局、正栄尼、饗庭局など約30名を収録

  • 巻末付録/ 付録(下記参照)

本書の特徴は、

  1. 大坂冬の陣・夏の陣豊臣方に加勢した家臣、古参・新参の諸士、女房たち1000名以上を収録した初の人物事典。

  2. 本書に収録した人物の記述はすべて史料に基づくもので、その出典がもれなく明記されている。

  3. 開きやすさと堅牢性を兼ね備えた製本方法を採用。当該ページを開いたままにしておける。

  4. 付録も充実!

    • 「豊臣秀頼御上洛之次第」に記載された豊臣家の家臣団のリスト(翻刻)

    • 「慶長十六年禁裏普請帳」における「大坂衆」

    • 大坂七組

    • 大坂籠城中の軍職等

    • 大坂籠城諸士・女房らの相関図

    • 重要文化財『大坂夏の陣図屏風』(右隻・第3〜4扇、大阪城天守閣蔵)のカラー拡大図(A2サイズ相当)

など、今後の研究に活用できる資料が多数収録されています。

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待ちに待った!書籍が刊行されましたね。思えば、私が最初に卒論のテーマにと考えたのが「大坂衆」でしたが、資料収集に関して歴史知識がまだ乏しかったので、諦めたんですよね。
しかも、平成5年(1993)に大阪城天守閣にて催された「豊臣秀頼展」生誕400年記念特別展で展示されていた山口県文書館所蔵『豊臣秀頼御上洛之次第』が翻刻されている点も大注目ですよ。

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※(関連)宮帯出版社のサイト→


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(書斎の窓)光成準治編著『吉川広家』(『シリーズ・織豊大名の研究』第4巻)

『シリーズ・織豊大名の研究』第4巻『吉川広家』

戎光祥出版から刊行された『シリーズ・織豊大名の研究』の第4巻は『吉川広家』をテーマにされています。以下、目次を掲載―

光成準治編著『吉川広家』(『シリーズ・織豊大名の研究』第4巻)

「毛利両川」の一角である吉川元春の三男として、父・兄死後の吉川家を束ねた功労者である広家関ヶ原の戦いでの動向を再検討した総論のほか、家臣団構成や秀吉・家康との関係、城下町経営などを考察した9本の重要論文が収録されています。

(目次)
総 論  吉川広家をめぐる三つの転機(光成準治)

第1部  吉川家の権力構造
 T   戦国後期における吉川氏の権力構成―親類衆・奉行人を中心にして―(木村信幸)
 U   豊臣期山陰吉川領の形成と展開(長谷川博史)

第2部  広家と本宗家・統一政権
 T   豊臣〜徳川移行期における「取次」―公儀-毛利間を中心に―(津野倫明)
 U   萩藩成立期における両川体制について―幕府への対応と藩政の動向―(脇正典)
 V   萩藩の本・支藩関係をめぐって(田中誠二)
 W   『陰徳太平記』の成立事情と吉川家の家格宣伝活動(山本洋)

第3部  城郭・城下町
 T   「石つき之もの共」について(木村信幸)
 U   米子城築城と米子の町(國田俊雄)
 V   伯耆江美城とその城下町(伊藤創・西尾克己)

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※(関連)戎光祥出版のサイト→


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(書斎の窓)村井良介編著『安芸毛利氏』(『論集戦国大名と国衆』第17巻)

『論集戦国大名と国衆』第17巻『安芸毛利氏』

岩田書院から刊行された『論集戦国大名と国衆』の第17巻は『安芸毛利氏』をテーマにされています。以下、目次を掲載―

村井良介編著『安芸毛利氏』(『論集戦国大名と国衆』第17巻)
『毛利氏の研究』(『戦国大名論集』第14巻、吉川弘文館)刊行後の、1980年代以降に発表された安芸毛利氏に関する重要な論文13編を再録し、編者による研究動向を整理した総論を付す。

    (目次)
  • 村井良介「総論 安芸毛利氏をめぐる研究について」(新稿)

  • 松浦義則「戦国期毛利氏『家中』の成立」(『史学研究五十周年記念論叢 日本編』所収)

  • 松浦義則「国人領主毛利氏の給所宛行状の成立」(『芸備地方史研究』129)

  • 和田秀作「毛利氏の領国支配機構と大内氏旧臣大庭賢兼」(『山口県地方史研究』64)

  • 木村信幸「戦国大名毛利氏の知行宛行とその実態」(『史学研究』174)

  • 柴原直樹「毛利氏の備後国進出と国人領主」(『史学研究』203)

  • 菊池浩幸「戦国期『家中』の歴史的性格―毛利氏を事例に―」(『歴史学研究』748)

  • 今岡典和「戦国期の地域権力と官途―毛利氏を素材として―」(『古代・中世の政治と文化』所収)

  • 馬部隆弘「城郭支配政策からみた戦国期毛利氏の権力構造」(『新視点 中世城郭研究論集』所収)

  • 長谷川博史「毛利氏の出雲国支配と富田城主」(『科研報告集 戦国期大名毛利氏の地域支配に関する研究』所収)

  • 山本浩樹「戦国大名毛利氏とその戦争」(『織豊期研究』2)

  • 菊池浩幸「戦国大名毛利氏と兵糧―戦国大名領国の財政構造の特質―」(『一橋論叢』123−6)

  • 長谷川博史「戦国大名毛利氏の徳政―天正七年出雲国一国徳政令を中心として―」(『史学研究』183)

  • 上田祐子「戦国大名と村落社会―周防国山代地方の地侍を中心として―」(『山口県史研究』4)

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(書斎の窓)滝川恒昭編著『房総里見氏』(『シリーズ・中世関東武士の研究』第13巻)

『シリーズ・中世関東武士の研究』第13巻『房総里見氏』

戎光祥出版から刊行された『シリーズ・中世関東武士の研究』の第13巻は『房総里見氏』をテーマにされています。以下、目次を掲載―

滝川恒昭編著『房総里見氏』(『シリーズ・中世関東武士の研究』第13巻)

里見氏の安房入部の過程、天文年間の内訌の位置付け、関東足利氏との関係、本拠稲村城・館山城の問題など、必読論文21本が収録されています。

(目次)
総 論 房総里見氏論(滝川恒明)
第1部 里見義実と前期里見氏
 T  中世城館跡の調査と保存・活用―里見氏稲村城を中心に―(峰岸純夫)
 U  美濃里見氏小考(滝川恒昭)
 V  里見義実の安房入部(長塚孝)
 W  里見義通義豊義堯世次及事実の弁誤(重野安繹)
 X  里見義豊の政治的地位(黒田基樹)
 Y  鎌倉府重臣里見刑部少輔の動向(須藤聡)
第2部 天文の内乱と稲村城
 T  天文二・三年の安房里見家内訌について―研究史の整理と問題点―(岡田晃司)
 U  房総里見氏の歴史過程における天文の内訌の位置付け―関係史料の紹介をかねて―(滝川恒昭)
 V  房総里見氏の歴史における稲村城(滝川恒昭)
第3部 後期里見氏と関東足利氏
 T  小弓公方足利義明―房総を舞台に活躍した関東足利氏の一族―(佐藤博信)
 U  里見氏と岡本城(滝川恒昭)
 V  喜連川頼氏の寄寓に就て(大野太平)
 W  豊臣期における喜連川氏の動向(斉藤司)
第4部 近世大名里見氏とその終焉
 T  館山城についての一考察(川名登)
 U  館山町成立の契機について(岡田晃司)
 V  中世・近世移行期の房総(山田邦明)
 W  里見氏にあてた家康の起請文(滝川恒昭)
 X  鳥取県東伯郡北条町北尾の八幡神社に伝わる里見忠義寄進棟札について(島津晴久・岡田晃司)
第5部 里見氏の諸資料について
 T  南房州見学の記(土曜会)
 U  里見家永正元亀年中書札留抜書(内閣文庫蔵)(佐藤博信)
 V  里見義堯とおびんづるさま(早川正司)
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(書斎の窓)生駒孝臣著『中世の畿内武士団と公武政権』(『戎光祥研究叢書』第2巻)

『戎光祥研究叢書』第2巻『中世の畿内武士団と公武政権』

戎光祥出版から刊行された『戎光祥研究叢書』の第2巻は『中世の畿内武士団と公武政権』をテーマにされています。以下、目次を掲載―

生駒孝臣著『中世の畿内武士団と公武政権』(『戎光祥研究叢書』第2巻)

中世の畿内における武士や武士団と公家社会及び鎌倉幕府室町幕府との関係を摂津国渡辺の武士団・渡辺党を素材として平安末期から南北朝期の政治史の中で追求されておられます。

(目次)
序 章  中世畿内武士研究の成果と課題
第一章  平安末・鎌倉初期における畿内武士の成立と展開―摂津渡辺党の成立過程から―
 第一節 渡辺惣官職の成立と渡辺氏
 第二節 白河院政期の渡辺氏
 第三節 渡辺党の天海と鎌倉幕府の畿内支配
第二章  鎌倉期における摂津渡辺党と公家社会―渡辺党の内部構造の再検討を通して―
 第一節 渡辺党の諸系図と惣官職の相承
 第二節 「遠藤系図」にみる渡辺氏
 第三節 渡辺惣官職をめぐる渡辺党の内部対立
第三章  鎌倉中・後期の摂津渡辺党遠藤氏について―「遠藤系図」をめぐって―
 第一節 「遠藤系図」の概要
 第二節 「遠藤系図」にみえる他氏族との諸関係
 第三節 為俊流遠藤氏の北条得宗家への接近要因
 第四節 「遠藤系図」の成立時期と作成の意図
第四章  中世前期の畿内武士と公家社会―鎌倉後期の摂河泉武士の事例を中心に―
 第一節 後嵯峨院政期以後の院下北面
 第二節 鎌倉後期における畿内武士の存在形態
 第三節 鎌倉末期における畿内武士
第五章  鎌倉幕府の成立と畿内武士社会の変容
 第一節 治承・寿永内乱後の摂津国にみる鎌倉幕府の畿内支配
 第二節 鎌倉幕府による畿内地域権力の解体
 第三節 鎌倉幕府権力の展開と畿内地域社会
第六章  軍記・系図からみた南北朝期の渡辺党―天正本『太平記』近江八重山蒲生野合戦の分析から―
 第一節 天正本『太平記』蒲生野合戦にみえる渡辺党
 第二節 渡辺氏系図の虚実
 第三節 佐々木氏と渡辺党
第七章  南北朝・室町期の摂津国渡辺≠ニ渡辺党―「長福寺文書」の検討から―
 第一節 「渡辺散在下地早田内検帳」にみる渡辺
 第二節 長福寺と渡辺党
 第三節 渡辺≠ヨの守護権力の浸透
第八章  南朝と畿内武士―摂津国渡辺党を事例に―
 第一節 南北朝における渡辺の状況
 第二節 南朝の畿内武士編成
 第三節 南朝における畿内武士の終焉
終 章  本書の総括と課題・展望
 一 総括
 二 今後の課題と展望
〔付録〕大阪府立中之島図書館所蔵「堺禅通寺蔵渡辺系図」

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(書斎の窓)山田貴司編著『加藤清正』(『シリーズ・織豊大名の研究』第2巻)

『シリーズ・織豊大名の研究』第2巻『加藤清正』

戎光祥出版から刊行された『シリーズ・織豊大名の研究』の第2巻は『加藤清正』です。以下、目次を掲載―

山田貴司編著『加藤清正』(『シリーズ・織豊大名の研究』第2巻)

文禄の役や関ヶ原合戦における政治的動向、領国支配の内実や海外貿易との関係、清正公信仰やゆかりの文化財論等、必読論文11本が収録されています。

(目次)
総 論 加藤清正論の現在地(山田貴司)
第1部 政治的動向とその立場
 T  加藤清正と畿内―肥後入国以前の動向を中心に(大浪和弥)
 U  唐入り(文禄の役)における加藤清正の動向(中野等)
 V  関ヶ原合戦前後における加藤清正の動向(山田貴司)
第2部 領国支配と海外貿易の展開
 T  加藤清正の歴史的位置(稲葉継陽)
 U  加藤清正朝鮮陣書状について(藤原秀之)
 V  加藤領肥後一国統治期の支城体制について―一国二城体制の考察(上原聡)
 W  一六世紀末の九州―東南アジア貿易―加藤清正のルソン貿易をめぐって(中島楽章)
第3部 神に祀られた清正
 T  民衆の信仰としての清正公信仰(田中青樹)
 U  清正公信仰の成立と展開(福西大輔)
第4部 清正の受給文書とゆかりの文化財論
 T  肥後加藤家旧蔵豊臣秀吉・秀次朱印状について(金子拓)
 U  肥後加藤家旧蔵豊臣秀吉・秀次朱印状について(続)(金子拓)

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※(書斎の窓)平井上総編著『長宗我部元親』(『シリーズ・織豊大名の研究』第1巻)

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(書斎の窓)平井上総編著『長宗我部元親』(『シリーズ・織豊大名の研究』第1巻)

『シリーズ・織豊大名の研究』第1巻『長宗我部元親』

戎光祥出版から刊行された『シリーズ・織豊大名の研究』の第1巻は『長宗我部元親』をテーマにされています。以下、目次を掲載―

平井上総編著『長宗我部元親』(『シリーズ・織豊大名の研究』第1巻)

長宗我部氏権力や夫人の出自をはじめとする元親周辺の問題、土佐国の諸領主たちの動向など、入手困難な重要論文14本が収録されています。

(目次)
総 論 長宗我部元親の四国侵攻と外交関係(平井上総)
第1部 権力論
 T  永禄末期における長宗我部氏の権力構造―『一宮再興人夫割帳』の分析を中心に―(市村高男)
 U  織豊期長宗我部氏の一側面―土佐一条家との関係(御所体制)をめぐって―(秋澤繁)
 V  湯築城跡出土の瓦について(中野良一)
 W  伊予国における長宗我部氏系築城技術の導入について―愛媛県東部の事例を中心に―(日和佐宣正)
第2部 元親の周辺
 T  長宗我部元親夫人の出自について(朝倉慶景)
 U  豊臣期土佐における女性の知行―『長宗我部地検帳』を中心に―(吉村佐織)
第3部 土佐国の領主たち
 T  戦国末期の国人本山茂辰とその家族たち(朝倉慶景)
 U  中世四国における西遷武士団のその後―土佐国久礼城主佐竹氏を中心にして―(市村高男)
第4部 史料論
 T  土佐に於ける禅僧余談(関田駒吉)
 U  仁如集堯と長宗我部國親(関田駒吉)
 V  土佐史界の開拓者谷秦山(関田駒吉)
 W  長宗我部元親発給文書に関する若干の考察―永禄期〜天正後期を中心にして―(野本亮)
 X  長宗我部元親の右筆とその周辺(野本亮)

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(書斎の窓)『福島正則の20年』(広島城平成23年度展示図録)をGET!

『福島正則の20年』展示図録の表紙

先日、「(トピックス)毛利氏時代の広島城天守閣の完成年が判明!」(→)のブログ記事を作成する過程で、広島城に関する記事などをネットサーフィンする中で、広島城のサイトを見ていたら、

『福島正則の20年』

という展示図録冊子の存在を見つけました!早速、在庫を確認し、郵送にて購入GETした訳です。

『福島正則の20年』という企画展示自体は昨年度のイベントで平成23年10月29日〜11月27日に閉幕しちゃってました。丁度ちょうど福島正則の生誕450年を記念して、芸備(安芸・備後)両国を統治した慶長6年(1601)から元和5年(1619)までの20年間を中心にその生涯を振り返った企画展だったようです。冊子の内容はこんな感じ!

 ・広島県内に残る福島氏関係資料をカラー図版で紹介
 ・正則やその一族がしたためた書状も多数紹介
 ・正則が築いた六支城の絵図や出土品を紹介

― ◇ ◇ ◇ ―

学生時代(20数年前です!)、近世ゼミに所属した友人が卒論に「福島正則と広島」という形でテーマを選んだ(私が通っていた学校は地方史に重点をおいた歴史学科で、テーマを選ぶ際も“主要なテーマ+そのメインの都市”という形で執筆しなければならなかったんですね。因みに私は中世ゼミで「豊臣政権+伏見」という感じでテーマを決めました…)のですが、私の場合に当初は「大坂の陣」をメインにテーマ決めをしようとしていましたが、参考となる史料や論文が乏しく(←見つけ方が足りなかったんでしょうけど…)、近世ゼミの連中にも話を聞いたりしていた時に、「福島正則でやるんだ!」って感じで驚きと同時に感心したんですよね。

私がやろうとしていた豊臣だって、その当時は『織田信長文書の研究』『徳川家康文書の研究』のように集録された冊子がなく、それこそ、全国各地の諸大名の編纂物や古文書からあさらなければならず、結果的には同じゼミメンバーで戦国期をテーマにしようとした連中が参考資料とした文献は全部読み漁ったという感じでした。

福島正則の場合も、そういった資料が見つかるのは、やはり安定期に入ってからの江戸期以降で、しかも後年に書かれたであろう編纂物…

第一次史料としての価値から言えば、「?」が付きそうですもんね。

但し、研究のし甲斐は充分に持ち合わせていますよ!例えば、福島正則と聞いて、何がイメージできるでしょう?

大抵たいていの時代劇を観ていて思うのですが、福島正則のイメージキャラって同類の加藤清正如何どうしても対比させれれて、清正関羽ばりの知将なのに対し、正則張飛のような猪突猛進タイプでいくさバカみたいな描き方ばかりです(笑)

しかし、福島正則が城主として治めた伊予今治、尾張清州などの治世を見てみると、武断政治というよりもむしろ、きめ細やかに領内を統治した形跡が多々見られるんですよね!

このように、福島正則を合戦の中での武将としての一面で調査・研究するのもセオリーと言えばセオリーなんですが、内政面、すなわち領主としての一面を調査・研究するのも面白い気がします。

私が福島正則個人及び福島家家臣団を調べてみたいな、と思っている気になるテーマは、福島家が芸備二州を治めていた時期はキリシタンに寛容で、全国各地で迫害を受けていたキリシタン信者がその噂を聞いてか、続々と領内に移住してきたそうです。正則自身、キリシタン大名ではないはずですが、そうした心持ち、教会や宣教師たちへの振る舞いはどんな感じだったのか?すごく興味が持てます。

さらに、広島城幕府の命令で収公改易ではない!)と決まった(まだ転封先は決まってない時…)際、江戸に抑留された正則とは別に芸備各地に残された家臣団が応じた広島城の接収に来た幕府検問使への一連の作法や儀式が、この後、城明け渡しをする大名家(熊本藩・加藤家しかり、赤穂・浅野家しかり…)の先例・模範となった点に注目です。彼ら以前には、こうすべきだ、というルールもなかった訳で、何処で身につけたのだろう?って疑問が浮かんできますよね!

この20数年の間に地方自治体史の編纂も進み、地域によっては特徴のある自治体史も見受けられるようになりました。

そうした風潮の中での、今回の『福島正則の20年』という企画展示と展示図録の発行は益々自治体史の編纂に彩りを与えてくれる、そんな気がします!

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この『福島正則の20年』を購入してみたいな、と思う方は、広島城のサイトを確認しつつ、在庫確認などを広島城まで問い合わせて下さい。

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※(関連)広島城のサイト→


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(書斎の窓)『小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像―』

7月末に刊行される『小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像―』を紹介します。

関ヶ原での敗戦により、事実を「抹殺」され、虚構のイメージを植えつけられた小西行長の新たなイメージを図版100点以上、行長自身が発給した文書(101通)を基に徹底調査!

  • 著 者:鳥津亮二氏(八代市立博物館未来の森ミュージアム学芸員)

  • 出版社:八木書店

  • 定 価:5040円
(目次)
第1章 小西一族と秀吉―1558〜1585年―
  • 小西行長と堺・日々屋家

  • 行長の生い立ちと父・立佐

  • 行長と宇喜多氏

  • 秀吉に登用される立佐と行長

  • 海の司令官・小西弥九郎

  • 紀伊・四国攻めと行長

  • 父・立佐の活躍

  • (コラム1)神様として祀られる行長
第2章 九州への道程―1586〜1588年―
  • 秀吉の九州攻めと行長

  • バテレン追放令と行長

  • 秀吉上使、そして肥後領主へ

  • (コラム2)行長の花押の変遷
第3章 肥後統治と対朝鮮交渉―1588〜1591年―
  • 行長の肥後統治

  • 城郭整備と天草一揆

  • 立佐・如清の活動

  • 宗氏との対朝鮮交渉

  • (コラム3)行長の容貌と人柄
第4章 文禄の役―1592〜1596年―
  • 釜山上陸から漢城入場

  • 平壌入場そして撤退

  • 講和交渉の展開

  • 講和交渉の破綻

  • (コラム4)創作された行長の書状
第5章 慶長の役から関ヶ原へ―1597〜1600年―
  • 慶長の役

  • 秀吉死後の政争

  • 最後の肥後滞在

  • 運命の関ヶ原

  • (コラム5)八代の殉教者たち
付録
  • 小西行長発給文書集成

  • 参考文献

  • 史料紹介

  • 年表

  • 索引(人名・事項)


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(書斎の窓)『証言 本能寺の変』

6月2日に刊行される『証言 本能寺の変』を紹介します。

従来の常識・通説に左右されることなく、「本能寺の変」を良質な史料群(計117点)に基づき検証!

実証史学を体感するのにはもってこい、な書籍となっています!―

  • 著 者:藤田達生氏(三重大学教授)

  • 出版社:八木書店

  • 定 価:3570円

(目次)

 はじめに プロローグ―明智光秀は逆臣だったのか?―

 第1章 信長の西国政策
 
  1 荒木村重の謀反
  2 四国政策の変更
   コラム1 幕府衆としての光秀
  3 秀吉の長宗我部氏攻撃
  (第1章 史料編)

 第2章 天下統一の最終段階

  1 紀伊国の幕府方勢力
   コラム2 紀州惣国一揆か「雑賀惣国」か?
  2 鞆の「公儀」
  3 西国出陣
   コラム3 三日前でも挙兵は決断できていなかったか?
  (第2章 史料編)

 第3章 「安土」幕府の時代

  1 安土行幸
  2 改革イデオロギー
  3 三職推任
   コラム4 似て非なるもの―安土城天主と大坂城天守
  (第3章 史料編)

 第4章 本能寺の変

  1 光秀の密使派遣
  2 従軍兵士・周辺住民の証言
  3 クーデター決行
  4 政権構想と支持基盤
  5 公方の画策
   コラム5 各地に残る光秀伝承
  (第4章 史料編)

 第5章 太閤と神君の神話

  1 備中高松の講和
   コラム6 光秀の密使は捕まったのか?
  2 復元「中国大返し」
  3 天下の再建
  4 「神君伊賀越え」
  (第5章 史料編)

 エピローグ―信長スクール―

 おわりに

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※(参照)「本能寺の変」の謎―なぜ光秀は信長に謀叛したのか?→


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(書斎の窓)マツノ書店、今回の復刻は?―『戊辰庄内戦争録』

いつもお世話になっているマツノ書店(山口県周南市)から最新刊のカタログが贈られてきました―

今回の復刻本、メインは『戊辰庄内戦争録』でしょう!

『戊辰庄内戦争録』は、慶応4年(1868)正月三日に勃発した鳥羽・伏見の戦いに端を発し、翌明治2年(1869)5月に箱館(現、函館)五稜郭が降伏開場するまで続いた内戦、すなわち戊辰戦争の中で、薩長及び新政府側が躍起になって目の敵とした会津藩に同情し、本支藩を含めた全藩総力戦で奥羽越で唯一官軍=新政府軍の領内侵入を阻んだ出羽庄内藩の伝説的な戦績を編んだ戦記録となっています。

編著者の和田東蔵という人物は旧庄内藩士新徴組取扱役だった人です。

和田東蔵は明治5年(1872)に藩命で戊辰戦争時の記録収集に携わるなかで、それらの史料や記録類の散逸に嘆き、明治23年(1890)に執筆を始め、5年の歳月をかけて大成した作品なのです。

慶応4年(1868)4月の村山郡を巡る奥羽鎮撫総督府との衝突(清川戦争清川口の戦い)から奥羽越列藩同盟成立を経て9月の開場まで、越後・秋田など各方面での庄内軍の戦績が網羅されています。

その精巧さは後に大山柏氏により執筆された『戊辰役戦史』において、庄内藩に関する記述の殆んどが本書に依拠された内容だったという程、まさに普及の名著と言ってもおかしくない作品ですよ。

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※(参照)(書斎の窓)マツノ書店、今回の復刻は?―『防長回天史』
※(参照)(書斎の窓)マツノ書店、今回の復刻は?―『秋山好古』『秋山真之』『山懸公のおもかげ』
※(参照)(書斎の窓)マツノ書店、今回の復刻は?―『大久保利通日記』&『西郷隆盛伝』
※(参照)(書斎の窓)マツノ書店、今回の復刻は?―『復古記』
※(参照)(書斎の窓)マツノ書店、今回の復刻は?―『七年史』・『会津白虎隊十九志伝』

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(書斎の窓)マツノ書店、今回の復刻は?―『防長回天史』

『防長回回天史』カタログより 『防長回回天史』カタログより

いつもお世話になっているマツノ書店(山口県周南市)から最新刊のカタログが贈られてきました―

今回の復刻本は何と、『防長回天史』

『防長回天史』は言わずと知れた、長州藩を中心にして書かれた幕末より明治初年までに至った時代の風雲をしっかりとした史眼で捉えた優れものです。

中心となったのは、末松謙澄という豊前小倉藩出身の人物です。

末松謙澄伊藤博文の知己を得て官僚となり、山県有朋に認められて陸軍省に出仕します。西南戦争の際、山県西郷隆盛に宛てた降伏勧告の文章は末松謙澄が起草したものです。

また、伊藤博文の次女・生子と結婚し、伊藤が組閣した内閣では娘婿として“伊藤の知恵袋”として活躍しました。

そんな中で毛利家歴史史料編纂所総裁を委嘱され、この『防長回天史』の編纂事業に心血を注ぎます。

事業を開始したのが、明治30年(1897)、全12巻を完成したのが大正9年(1920)6月と―実に23年もの歳月をかけた大事業でした。

ただし、その間に毛利家歴史史料編纂所が事業の中止を打ち出したため、以降、末松謙澄は個人の文筆活動として完成に漕ぎ付けたのです。

その後、若干の修訂を加ええて再販本を刊行しようとした最中の大正9年10月に末松は急逝します。

修訂再販本は著作者を末松謙澄とし、その嗣子・末松春彦が発行者となって大正10年(1921)3月に刊行されました。

以降、4度の復刻を経て、今回5度目の復刻がマツノ書店さんより為されるのです。

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実は、前回の復刻(平成3年=1991)の際は、マツノ書店さんの存在を知らず、気付いた時には刊行された後でした。史学科の時の学友は、情報を入手し購入していたので羨ましかった記憶があります。

まぁ実際には、定価が9万円でしたから、手が届く範囲ではなかったのですが…

その後、マツノ書店の会員とならせて頂き、リクエストを欠かさずしていたので、今回の復刻はすごく感激です。

これで既に購入している『定本奇兵隊日記』と共にじっくりと幕末・維新期長州藩の動静を観る事ができるので嬉しい限りです。

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※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『秋山好古』『秋山真之』『山懸公のおもかげ』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『大久保利通日記』&『西郷隆盛伝』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『復古記』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『七年史』・『会津白虎隊十九志伝』

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(書斎の窓)マツノ書店、今回の復刻は?―『秋山好古』『秋山真之』『山懸公のおもかげ』

いつもお世話になっているマツノ書店(山口県周南市)からまたまた最新刊のカタログが到着。

今回の復刻本は、『秋山好古』『秋山真之』、及び『山懸公のおもかげ』の3点。

『秋山好古』 『秋山真之』

『秋山好古』及び『秋山真之』については、今年の11月からNHKスペシャル大河として3年かけて放送される「坂の上の雲」の主人公でもありますね。

その原作となる司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』の原型ともいうべき書籍にあたるのがこの2冊と云われます。

そして『山懸公のおもかげ』です。

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本書は山県有朋が大正2年(1913)2月に没してほぼ半年後の9月に側近だった入江貫一によって著された書籍です。

入江貫一という人物は、山県有朋と同じ長州藩出身の野村靖の次男で、野村の兄で蛤御門の変(禁門の変)で戦死した入江九一の跡を継いで入江家を相続しました。

ましてや、意外と言ったら変ですが、山県といえば、“長州陸軍の首領”というイメージですが、実際のところは派閥の中には殆んど長州人はおらず、4人程度しかいなかったのです。

その少ない長州人の1人であった入江貫一が山県の秘書として最晩年は従事していました。

その彼が山県有朋の人となりを述べた書籍となっています。

※締め切りは3月10日(期間厳守)。発売は4月10日以降(予定)との事。詳細は、マツノ書店まで。

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※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『防長回天史』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『大久保利通日記』&『西郷隆盛伝』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『復古記』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『七年史』・『会津白虎隊十九志伝』

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(書斎の窓)現代語訳『吾妻鏡』

現代語訳『吾妻鏡』

鎌倉時代の最も基本的な歴史書といわれる『吾妻鏡』現代語訳版吉川弘文館から刊行されました。

『吾妻鏡』とは、治承4年(1180)の以仁王の挙兵から文永3年(1266)の宗尊親王の帰洛までを編年体で書かれたものです。

『新訂増補国史大系』本を底本にした全16巻で構成されます。以下、各巻の構成を羅列―

○第1巻「頼朝の挙兵」:治承4年(1180)4月〜寿永元年(1182)
治承4年(1180)以仁王平家追討令旨に応じ東国各地に源氏が蜂起する。伊豆の流人頼朝の挙兵、石橋山合戦の敗北、房総半島を経て関東を席巻しての鎌倉入り、富士川合戦の勝利、そして関東掌握へ。89歳の老武者三浦義明の討死、黄瀬川での頼朝義経の初めての対面など数々のエピソードに彩られた、鎌倉武家政権の誕生を活写する―

○第2巻「平氏滅亡」:元暦元年(1184)〜文治元年(1185)
ついに頼朝は引き締めていた手綱を放つ。解き放たれた東国武士団は瞬く間に京に殺到し、木曽義仲を撃破。源平合戦は、ここに鎌倉軍と平氏との全面衝突の形勢となる。多くの人々の運命を翻弄しながら、内乱は壇ノ浦での平氏滅亡を迎える。一躍、ヒーローとなった義経であったが、兄頼朝との対立から、呆気なく没落し、全国逃亡の身となった―

○第3巻「幕府と朝廷」:文治2年(1186)〜文治3年(1187)
頼朝藤原兼実摂政に推挙する一方、後白河法皇に人事等の申し入れを行う。諸国で守護地頭などの武士の土地押領が問題となり、地頭の権限は謀反人の旧所有地に限定される。頼朝に追われる源行家は摂津で討たれるが、義経は逃亡を続け、藤原秀衡を頼って奥州に赴く―

○第4巻「奥州合戦」:文治4年(1188)〜文治5年(1189)
奥州平泉の藤原氏に匿われている源義経をめぐる京・平泉・鎌倉間の駆け引きと、奥州合戦が焦点となる。秀衡亡き後、奥州藤原氏の家督を継いだ泰衡は、文治5年(1189)閏4月、鎌倉からの圧力に耐えかね、とうとう義経を自害に追い込む。それでも頼朝泰衡を許さず、泰衡追討の宣旨を待たずに自ら大軍を率いて奥州に向かい進発する―

○第5巻「征夷大将軍」:建久元年(1190)〜建久3年(1192)
奥州藤原氏討滅に続き、その遺臣大河兼任の蜂起を鎮圧した頼朝はついに上洛し後白河法皇と対面、右近衛大将権大納言への任官と辞任を経て征夷大将軍となる。造伊勢神宮役や有力御家人佐々木氏延暦寺の対立をめぐり幕府と朝廷・有力寺社との交渉も頻繁となる一方、内乱による「数万之怨霊」を供養する永福寺も完成し、新時代が到来を告げる―

○第6巻「富士の巻狩」:建久4年(1193)〜正治2年(1200)
関東の王者となった頼朝の開催した富士の巻狩の場で突発した曽我兄弟の仇討ち。東大寺再建供養による頼朝の2度目の上洛。そして頼朝の急死によって重石を失った幕府は、若き鎌倉殿頼家の失政と有力御家人間の対立の激化により、混迷の時代に突入した。まず、頼朝以来の将軍近臣であった梶原景時が、御家人らの糾弾により失脚し、滅び去る―

○第7巻「頼家と実朝」:建仁元年(1201)〜建保元年(1213)
頼家将軍となるが、病気を契機に実権を奪われる。これに不満を抱く比企能員北条時政に討たれ、頼家は出家、程なく修善寺で没する。代わって実朝将軍になるが、今度は平賀朝雅将軍擁立計画が露見、これに関与した時政は出家し伊豆に隠居。時政の子義時が幕政を主導、和田義盛との合戦に勝ち、義盛の保持した侍所別当の地位を手中にした―


○第8巻「承久の乱」:建保2年(1214)〜承久3年(1221)
将軍実朝の迷走と、その殺害から承久の乱までを描く。承久元年(1219)正月、実朝鶴岡八幡宮社頭で兄頼家の遺児公暁に殺害される。同年7月、新鎌倉殿藤原頼経が鎌倉に下向。承久3年(1221)幕府の混迷を見た後鳥羽上皇北条義時追討の院宣を発する。政子の大演説により御家人結集に成功した幕府は大軍を派遣、朝廷軍と対決する―

○第9巻「執権政治」:貞応元年(1222)〜寛喜2年(1230)
承久の乱を乗り越えた幕府では、執権北条義時が没し、義時後家伊賀氏とその兄弟が企てた一条実雅北条政村将軍・執権擁立計画を封じ、北条泰時執権に就任する。大江広元北条政子ら、幕府草創以来の大物が相次いで没するなか、摂関家出身の藤原頼経将軍に就任し、新御所の造営も行われ、幕府政治は新たな段階へと移行してゆく―

○第10巻「御成敗式目」:寛喜3年(1231)〜嘉禎3年(1237)
寛喜の大飢饉。繰り返し襲い来る大火・怪異・疫病・地震・洪水。日本最初の武家法典『関東御成敗式目』の制定。評定衆による合議制の確立。天災に、幕府運営に、奮闘努力する執権北条泰時泰時の主導の下に花開く執権政治。それは鎌倉幕府の黄金時代であった。そして泰時の孫経時時頼、甥金沢実時ら、次代を担う若者たちが元服を迎える―

○第11巻「将軍と執権」:暦仁元年(1238)〜寛元2年(1244)
将軍頼経は多くの御家人を供に上洛、内裏や公家の邸宅、周辺の寺社等を訪問して鎌倉へ帰還した。頼経は京滞在中に検非違使別当にも任命された。京、次いで鎌倉に夜間警備のための篝屋が設置される。隠岐では後鳥羽上皇が没する。鎌倉深沢では大仏が造営される。執権北条泰時が没すると、孫経時が後を継ぎ、頼経の子頼嗣を新たに将軍とした―

○第12巻「宝治合戦」:寛元2年(1244)5月〜宝治2年(1248)
寛元4年(12446)3月、北条時頼執権に就任する。閏4月、前執権北条経時が死去するや反時頼派の前将軍藤原頼経名越氏らが策動。これに対して、時頼は7月、頼経を京都に送還することに成功。宝治元年(1247)6月5日、北条氏安達氏三浦氏との間に宝治合戦が勃発し、幕府草創からの功臣で幕府に重きをなした三浦氏は全滅した―

○第13巻「親王将軍」:建長2年(1250)〜建長4年(1252)
執権北条時頼に嫡子時宗が誕生する。宝治合戦の余波である了行法師らの謀叛未遂事件九条道家の死をきっかけとし、道家の孫である摂家将軍藤原頼嗣の追放と後嵯峨上皇皇子宗尊親王の関東下向と将軍就任が断行され、幕府の体制のみならず、朝幕関係も新たな段階へと移行してゆく。また、幕府による京・閑院内裏造営は、御家人役のあり方を示す―

○第14巻「得宗時頼」:建長5年(1253)〜正嘉元年(1257)
連署極楽寺重時の出家に続き、病に倒れた執権北条時頼は出家を決意、嫡子時宗が政庁するまでの「眼代」として、重時の子長時執権職を譲る。回復した時頼は僧形での執政を開始する。それは、執権職北条氏家督の分離を意味し、得宗専制政治への第一歩であった。やがて人々の期待を一身に受けた時宗が元服。鎌倉幕府は静かに転換点を迎える―

○第15巻「飢饉と新制」:正嘉2年(1258)〜弘長元年(1261)
将軍宗尊親王の上洛準備が進められる。出家・隠居した北条時頼は最明寺内の邸宅で過ごすが、依然政治にも関与し、将軍もしばしば最明寺邸を訪れた。諸国で暴風等の被害が大きく、将軍上洛は延期。園城寺戒壇設置をめぐり、延暦寺との抗争が発生する。弘長新制と呼ばれる政治改革の幕府法令も出される。時頼を支えてきた北条重時が没した―

○第16巻「将軍追放」:弘長3年(1263)〜文永3年(1266)
弘長3年(1263)11月、北条時頼が没する。文永元年(1264)8月、時頼嫡男北条時宗連署となり、いよいよ政治の表舞台に現れる。文永3年(1266)6月、時宗北条政村金沢実時らは将軍宗尊親王側近の陰謀について密議し、7月4日、宗尊親王は京に送られる。同月20日、親王入洛の記事を以って『吾妻鏡』は全巻の筆を止める。

― ◇ ◇ ◇ ―

『吾妻鏡』、懐かしいですね―

私は中世史を専攻したのですが、そうなると自然、ゼミのメンバーたちの文献購読の題材はこの『吾妻鏡』だったりする訳ですが、思い起こせば大抵のメンバーが『全訳吾妻鏡』を使ってましたね(笑)。

ただ、ゼミ教授はそんなの全部お見通し!しかも、苦労したのは、ゼミ教授が“京都学派”だった点にありました。

『全訳吾妻鏡』ってのは“東京学派”が作成した出版物だったので、“京都学派”の訳し方と異なっちゃうんですね。

ちょうど僕が当たった箇所は一の谷の合戦前後のくだりでしたので、そんなに苦労はなかったんですけどね…

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(書斎の窓)マツノ書店、今回の復刻は?―『大久保利通日記』&『西郷隆盛伝』

いつもお世話になっているマツノ書店(山口県周南市)からカタログが届きました。

今回の復刻本は、『大久保利通日記』上・下巻『西郷隆盛伝』の2点。

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まず『大久保利通日記』上・下巻は、

『大久保利通日記』

明治維新での最大の功労者である大久保利通の政治活動を知る事のできる第一級史料ともいうべき作品ですね。

その日記の記述範囲は、嘉永元年(1848)、安政6年(1859)12月から明治10年(1877)3月までで、なかでも慶応3年(1867)から明治4年(1871)、同7年(1874)〜8年(1875)についてはほぼ毎日記述がなされています。

― ◇ ◇ ◇ ―

次いで『西郷隆盛伝』は、

『西郷隆盛伝』

ちょうど今年は西郷隆盛の生誕180年でり、没後130年にあたりますが、この『西郷隆盛伝』大日本帝国憲法発布に伴う大赦で西郷が賊徒の汚名を解かれた直後といった比較的早い時期の伝記として知られています。内容的には、幕末・維新期の中で、とくに幕末期における西郷の活躍ぶりに詳述なき記載がみられます。

※締め切りは9月30日(期間厳守)。発売は11月1日(予定)だそうです。詳細は、マツノ書店まで。

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※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『防長回天史』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『秋山好古』『秋山真之』『山懸公のおもかげ』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『復古記』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『七年史』・『会津白虎隊十九志伝』

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(書斎の窓)マツノ書店、今回の復刻は?―『復古記』

『復古記』『復古記』目録『復古記』内容見本

マツノ書店(山口県周南市)からカタログが届きました。今回の目玉は、『復古記』全15巻です。

日本史で「復古」という用語のキーワードとして有名なのは、幕末維新期の慶応3年(1867)12月9日に発せられた「王政復古の大号令」に他ならない。

『復古記』とは、慶応3年(1867)10月14日徳川慶喜大政奉還に始まり、明治元年(1868)10月28日、会津藩降伏の事後処理が完了し、使命を果たした東征大総督有栖川宮熾仁親王が、賜った錦旗と節刀を東京行在所の明治天皇に奉還し、任務を解かれるに至る幕末維新史の全容を詳述した歴史書です。

この『復古記』の価値は何と言っても、当事者たちの記録、つまり各藩の記録や日誌、個人の従軍日記や家記が新政府側・旧幕府側の双方共に収録されている第一次史料であることでしょう。

※発売は5月中旬だそうです。詳細は、マツノ書店まで。

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※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『防長回天史』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『秋山好古』『秋山真之』『山懸公のおもかげ』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『大久保利通日記』&『西郷隆盛伝』
※(参照)マツノ書店、今回の復刻は?―『七年史』・『会津白虎隊十九志伝』

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中山忠光

中山忠光攘夷過激派の公卿で、文久3年(1863)の八・一八の政変(堺町御門の変)によって政局が一変し、長州藩に逃れ、下関の豪商白石正一郎の宅に身を潜め、藩内の僻地に流寓の生活を続けていました。

元治元年(1864)7月19日の禁門(蛤御門)の変長州藩の情勢も変わり、長州藩俗論派の勢いが強くなり、藩の意見は恭順謝罪に傾きつつあり、幕府の探索も厳しくなったので、三田尻から転々と住居を移し、8月、田耕(豊浦郡豊北町田耕)に来ました。

しかし、この地の庄屋の1人、山田幸八は何時しか刺客に買収され、11月8日の夜遅く忠光を欺いて無腰のまま近くの渓谷に誘い出し、そこに待機していた刺客(長府藩士6名)のために撲殺され、忠光は波乱の20年の生涯を終えます。忠光の遺体はその後綾羅木(下関市綾羅木)の浜に葬られています。

また、山田幸八の子孫はその後狂人が続出し家名断絶しており、付近の人々は天の報いと噂して言ます。やがて、奇兵隊らの手により慶応元年(1865)11月、長府藩は墓の上に社殿を建て「中山社」と称しました。これが中山神社創立の由来です。因みに中山忠光の墓の墓標には「藤原忠光卿」と書いてあります。これは長府藩中山忠光を埋葬した事を隠したかったからだと言われています。

明治になって、華族制度により、旧大名家にも爵位が与えられた際、長州藩本家には公爵が与えられました。分家である長府藩主は立場からいえば伯爵を授けられても良いはずが、子爵止まりでした。或る者がその事を明治天皇に話したところ、「あれは中山を殺したから」と仰られたと言います。明治天皇の母方の叔父が中山忠光で、明治天皇の養育係でもあったので、明治天皇長府藩主を嫌ったんですね。


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「アジア古都物語」第6集「京都 千年の水脈たたえる都」

わが街・京都―

桓武天皇によって平安京(城)がこの盆地に出現したのは、今から1200年も前の事。

江戸時代末期の儒者・頼山陽は京の都を山と水と2つの自然がマッチした「山紫水明」と表現しています。

「山紫水明」とは、山の翠色が陽ざしに映えて紫にかすみ、川の水も明るく澄みきっていて美しい、と自然の景色を形容しているのです。

北東から鴨川、東から白川、西から桂川が流れ込み、やがて淀川へと合流。これに、琵琶湖疏水の通水も加わる事で京都の人々の文化や生活を支えて続けています。

加えて、中央部一帯は無尽蔵ともいわれる豊富な地下水盆地が存在が存在し、至る所で名水が湧き出ているのです。

そんな地下水盆地の構造を科学的に検証したのが、NHKスペシャル「アジア古都物語」第6集「京都 千年の水脈たたえる都」という番組です。

kyoto-suibon.jpg

番組の中では、関西大学工学部・楠見晴重教授の研究グループが「京都盆地の地下の砂礫層に存在する地下水の量を211億tと試算。琵琶湖の貯水量である約275億tに匹敵する数値である」と解析されました。

― ◇ ◇ ◇ ―

南北約33q、東西12qの京都盆地は三方を山に囲まれ、しかも南側も男山(八幡市)と天王山(大山崎町)に挟まれた形で絞り込まれ、まるで満々と水を湛えたお盆みたく天然の貯水ダムのような構造になっています。

京都の地下水は適度なミネラルを含んで美味しく、「金気」が少ない性質なため、この豊富な水から多種多様な文化を創造してきました―伏見に代表される日本酒造り、豆腐や湯葉などの食文化、京友禅などの工芸、そしてなによりお茶やお花など…京文化のほとんどは良質で豊かな水の賜物なんですよね。

その中の1つとして―

京都市左京区下鴨、賀茂川に架かる葵橋東詰の北に明治初期まで賀茂御祖みおや神社(下鴨神社)はふり(神官)を務めた鴨脚いちょうの屋敷があります。

今年の2月、この鴨脚家の屋敷内にある庭園が京都市指定名勝に決まったのですが…

京都市指定名勝に決まった鴨脚家庭園

実はこの庭園内にある泉というのが、鴨川の伏流水による湧水で、この泉に貯まる水量が、イコール平安京(城)内の貯水量と測定できたのだそうです。

そして、

この泉の構造がよくできていて、凡そ3段階で貯水量が測れるのだとか―

(1)泉全体に水が溢れている
(2)泉の中底あたり、人工的に丸く作られた箇所までしか水嵩がない
(3)泉の奥底あたり、人工的に四角く作られた箇所までしか水嵩がない

つまり、(3)の状態になっていると、かなりの水不足だというわけです。

このように、鴨脚家の当主は代々、水量の変化を家職として管掌していたのだそうです。

― ◇ ◇ ◇ ―

京都は勿論、隣国の滋賀や三重の一部などに降った雨は京都盆地に集まっているそうです。その量は年間約120億tほど―

そのうちの約30億tは蒸発し、残りの約90億tの半分が川に流れ、半分が地下に浸透するといいます。

京都の地下水は非常に豊かで、枯れる心配はないと言われていますが、近年では急速なマンション建設や道路のアスファルト舗装など都市化の波によって、地下に浸透する水の量が減ってきているそうです。

マンションの建設は地下水を生活用水として利用するため、豊富な地下水も汲み上げられ過ぎて空洞化し、地盤沈下の波が押し寄せてきているようです。

道路のアスファルト舗装化にしても、土の上にアスファルトを覆い被せる訳ですから、自然に呼吸できていたのが、人工的に窒息させられている状態と同じで、水の量も水質さえも変化が起きるんですよね。

京都の風光明媚な装いも風前の灯火の様相ですね!


 

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「知るを楽しむ」 拝見・武士の家計簿

7月期のNHK教育テレビ「知るを楽しむ」“歴史に好奇心”には「拝見・武士の家計簿」だそうです。

東京は神田神保町の古書店で偶然見つけた古文書、実は加賀金沢城主である前田家の家臣・飯山家の会計記録でした。

そして、その記録は詳細、かつ完成度の高いものだったのです。

猪山家加賀前田家御算用者おさんようもの、すなわち会計係でした。

猪山家は下級クラスの家柄だったので、家老職を代々務める「加賀八家」のような上級クラスみたく世襲で襲職することもなく、家中での職務は実力本意で就職するしか道はありません。

この江戸時代、下級クラスの子弟が出世するための糸口といったら算術に長ける事でした。

無能でも家老や上級官僚になれた者たちからすれば、そういう実力者の事を妬みをこめて「算勘しわき者」と言っていました。

しかし、こうした実力が江戸幕府が倒れ、明治維新が成ったのちに猪山成之をして海軍主計に立身できた礎となったのです―

放送内容は、

第1回…「武士にもいろいろありまして」
第2回…「知行七十石、切米四十俵〜年収千二百万でも借金だらけ」
第3回…「武士が貧乏だった理由わけ〜「身分費用」という浪費」
第4回…「勝ち組」と「負け組」〜維新激動期を分けたもの

午後10時25分〜50分(再放送は翌週の午前5時05分〜30分)

※(参照)番組内容はこちら→


※(参照)「仕事は経理、小遣い6000円 東京で加賀藩士の家計簿見つかる 下級武士の暮らし伝え 磯田慶大非常勤講師が分析 2代37年、克明に記録」(北國新聞2003-04-03)→

 

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「知るを楽しむ」 チャップリン なぜ世界中が笑えるのか

NHK教育テレビにおいて6月期に放送された「知るを楽しむ」「私のこだわり人物伝―チャップリン なぜ世界中が笑えるのか―」を観返しました。

第4回目の「チャップリンの愛した日本」の回ですが、興味を惹いたのは、

“歌舞伎になったチャップリン”という命題!

歌舞伎とチャップリン…「えっ?」って感じですが―

実は、「街の灯(City Lights:1931年=昭和6)がそうなんだそうです。

ちなみに、「街の灯」は街角で花売りをする盲目の少女とチャップリン演じる浮浪者の恋を描いたストーリーで、

街角で花売りをする盲目の娘は、なけなしのコインで一輪の花を買ったチャーリーを金持ちの紳士と誤解してしまいます。

浮浪者は大金持ちの紳士を精一杯装って、娘のために一所懸命働いて尽くし、娘もそんな彼に恋心を抱くのです。

しかし、ある日、浮浪者は娘の眼を治療するために大金を盗み、逮捕されてしまいます…

月日が流れ、釈放された浮浪者は、眼が治って街角で花屋を営んでいる娘と偶然再会します。

娘は目の前の薄汚い浮浪者を見ても、自分の恩人だとは気付きません。

娘は浮浪者を哀れに思って小銭を恵んでやろうと、彼の手をとった瞬間、娘の表情は変わります。

「眼は見えるの?」「ええ、見えます」…じっと見つめ合う2人の表情

―でエンディングロール!

この作品は、音響は音楽と効果音のみ、セリフも字幕というサイレント映画です。

僕はこういったサイレント映画が好きです。

例えば、「街の灯」でのラスト、見つめ合った後はどうなん?ってイメージ欲が描き立てられますもんね!(それが、観る人によって喜劇にもなり、悲劇にもなりますが…)

さて本題に!

この「街の灯」は日本では昭和9年(1934)に公開されたのですが、実は昭和6年(1931)8月に東京の歌舞伎座で蝙蝠こうもりの安さん」という演目で上演されていたんだそうです。

脚本家の木村錦花氏が映画雑誌に載った筋書きをもとにして歌舞伎化したんだとか―

例えば、舞台を江戸時代の両国に置き換えたところや、映画の冒頭の記念碑の除幕シーンを大仏の開眼供養に置き換えたり、キャバレーのシーンを芸者遊びのシーンに、有名なボクシングのシーンは賭け相撲のシーンに、と上手く置き換えているのだとか―

「蝙蝠の安さん」とは、歌舞伎作品の与話よわなさけ浮名うきなの横櫛よこぐしに登場する人物だそうで、役どころがそのままチャップリンの演技に似ている―として引用したのだとか―

これって、例えば、明治19年(1886)に「ハムレット」葉武はむ列土れつとやまとの錦絵にしきえに置き換えた浄瑠璃の作品での主人公・ハムレットを「葉叢丸はむらまる」って名前に置き換えたのと違ってすごく“粋な”感じがしちゃいました。

再放送があります―

「知るを楽しむ」選 私のこだわり人物伝―チャップリン なぜ世界中が笑えるのか―

第1回 「チャップリンの作り方」…7月 5日(水)  午後10時05分〜30分
第2回 「チャップリンの作り方」…7月 6日(木)  午後10時05分〜30分
第3回 「チャップリンの作り方」…7月 7日(金)  午後10時05分〜30分
第4回 「チャップリンの作り方」…7月11日(火)  午後10時05分〜30分


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posted by 御堂 at 00:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:書籍