ゴダイゴの歌は英語で唄いたい!

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「SONGS」(NHK総合)って番組でゴダイゴが出演されていました。

ゴダイゴっていえばやはり「西遊記Ⅰ」(昭和53年~54年:1978~79)でのOP「MONKEY MAGIC」とED「ガンダーラ(GANDHARA)」でしょうか。

番組の中でも「ザ・ベストテン」の映像が流れてましたが、「ガンダーラ(GANDHARA)」は15週ベスト10内にランクインして。最高位が2位という感じでヒットしてました!(その当時、アリスの「チャンピオン」が不動の1位だったため、首位に立てなかったんですよね 笑)

またこの2曲はが特に印象深いのには、当時僕は中学生1年生だったのですが、その時の英語の先生が英語の歌を使って授業をされた方で、この2曲を使用されたんですよね。

それ故に「MONKEY MAGIC」「ガンダーラ(GANDHARA)」も英語の歌詞でないとピンとこないし、カラオケで唄う際も英語の歌詞でって感じ!(←「ガンダーラ(GANDHARA)」の英語版はほとんどカラオケではお目にかかれないけど…)


例えば「MONKEY MAGIC」は、

♪Born from an egg on a mountain top
 The punkiest monkey that ever popped
 He knew every magic trick under the sun
 To tease the Gods
 And everyone and have some fun

 Monkey magic, Monkey magic(Repeat 4 times)

 What a cocky saucy monkey this one is
 All the Gods were angered
 And they punished him
 Until he was saved by a kindly priest
 And that was the start
 Of their pilgrimage west

 Monkey magic, Monkey magic(Repeat 4 times)

 With a little bit of monkey magic
 There'll be fireworks tonight
 With a little bit of monkey magic
 Every thing will be all right

 Born from an egg on a mountain top
 The punkiest monkey that ever popped
 He knew every magic trick under the sun
 To tease the Gods
 And everyone and have some fun

 Monkey magic, Monkey magic(Repeat 8 times)

 

そして「ガンダーラ(GANDHARA)」は、

♪A long time ago when men were all babes
 There was a land of the free
 Fantasy and dreams
 Were its untouched wealth
 And goodness and love were real

 * Each man desires to reach Gandhara
 His very own utopia
 In the striving, in the seeking soul
 Man can see Gandhara

 ** In Gandhara, Gandhara
 They say it was in India
 Gandhara, Gandhara
 The place of light Gandhara

 Though long ago and far
 Beyond the winding road
 Always beyond every bend
 A beautiful land still waits for the few
 Who make it to the very end

 * repeat
 ** repeat 5 times
って感じです。♪Born from an egg on a mountain top ~♪にしても、♪A long time ago when men were all babes~♪にしても覚え易いし、優しい構文でしょ!

僕はこれをきっかけに洋楽の方へ興味を持ち始めたんですよ!


さらに、メドレーで「銀河鉄道999」(THE GALAXY EXPRESS 999)も唄われましたが、2コーラス目を英語の歌詞で唄われていました。すごく感動です!

♪I thought I reached the end
 The end of a long long journey
 Only to find It's not over
 There's so much more to discover

 Somewhere in unknown space
 In the bright sea of stars
 Another star is calling
 To dream on to keep on searching

 As long as there are dreams
 Burning in the hearts of the young
 As long as there's desire
 You'll never tire

 * The Galaxy Express 999
 Will take you on a journey
 A never ending journey
 A journey to the stars

 thought I reached the end
 The end of a long long journey
 Only to find It's not over
 There's so much more to discover

 Somewhere in unknown space
 In the bright sea of stars
 Another star is calling
 To dream on to keep on searching

 As long as there are dreams
 Burning in the hearts of the young
 As long as there's desire
 You'll never tire

 The Galaxy Express 999
 Will take you on a journey
 A never ending journey
 A journey to the stars

 * repeat 6 times
メロディラインは一緒だから簡単でしょ!…何か、カラオケで熱唱したくなっちゃた!!(笑)

「翔け!視覚障害のバイオリニスト川畠成道~世界挑戦!独占密着365日」

BS朝日で放送された「翔け!視覚障害のバイオリニスト川畠成道~世界挑戦!独占密着365日」という番組を親子3人で観ました。

川畠成道という視覚障害を持ちながらもヴァイオリニストとして活躍されておられる人物のドキュメンタリーです。

8歳の時に視覚障害となった彼は、10歳の時、父親でもあるヴァイオリニストの川畠正雄さんからヴァイオリンを勧められ、それをきっかけに音楽の勉強を始められます。

最初、まだかすかに視力があった頃は、大きな模造紙に書いた楽譜を見て暗譜したそうです。今では、ほとんど耳からの情報のみでの演奏されておられるのだとか―

桐朋学園の高校、大学の音楽学部、研究科を経、浦川宜也さんや江藤俊哉さんを師事されたのだとか―(申し訳のない話ですが、僕は全く知らなかったのですが、ピアノを教えている母は江藤俊哉さんと聴いた時に頷いていました…)

その後、英国王立音楽院の大学院へ留学。大学院も首席で卒業されます。

卒業の年、四半世紀に1度開催される英国王立音楽院175周年記念コンサートでソリストとして演奏する栄誉に浴し、同音楽院交響楽団とブルッフの「スコットランド幻想曲」の演奏は賞賛を浴びました。

現在、イギリスを拠点にソリストとして国際的な演奏活動を展開しておられ、イギリスの永住権も獲得されたようです。

帰国後、東京サントリーホールにおいて小林研一郎さん指揮で日本フィルハーモニーとメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」を共演、演奏後のカーテンコールが10分にも及んだそうです。

そんな彼の半生が描かれたストーリーを題材に東京書籍が高等学校英語教科書『パワー・オン・イングリッシュII』に教材として採用したそうです。

番組は、昨年9月、イタリアのボローニャ歌劇場で開催されたボローニャ歌劇場室内合奏団とのヴィヴァバルディ「四季」の共演を中心にした密着ドキュメントの様子を放映してました。

彼の演奏する「アヴェ・マリア」「四季」「春」など、澄んだ音感を奏でている感じでした。

満員の聴衆が総立ちで、彼の演奏を聴き惚れていた様子…テレビで観ていた僕ですが、感動しちゃいました。

京都にはコンサートホールでコンサートがある模様。生LIVEで実感してみたい!そう思いました。

― ◇ ◇ ◇ ―

→※ 川畠成道さんの公式サイト「川畠成道の世界へようこそ」


 

「蝶々夫人」その後…

歌劇「蝶々夫人」を演じている三浦環さんの銅像

NHK-BS2で放送している「NHK BSクラシック倶楽部」で『マダム・バタフライ~オペラ「蝶々夫人」100年の恋~』というのを観ました。

イタリア人のダリオ・ポニッスィ(Dario Ponissi)さん(→NHK教育テレビの「イタリア語会話」や平成13年(2001)に放送されたNHK大河ドラマ「北条時宗」にマルコ・ポーロ(Marco Polo)役で出演されたましたっけ)が平成16年(2004)11月に長崎のグラバー邸で収録されたジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini)の「蝶々夫人(Madama Butterfly=マダム バタフライ)」の歌劇(Opera=オペラ)のシーンに続き、アメリカで見つかった原作者でアメリカ人のジョン・ ルーサー・ロング(John Luther Long)の未発表の続編ドラマの一部が再現されたんですね。

「蝶々夫人」は、1890年代の長崎が舞台で、日本の芸者がアメリカ海軍士官の「現地妻」となり、やがて裏切られるという悲しい恋の物語。

アメリカ海軍士官のピンカートンは、現地妻として蝶々さんと結婚します。

蝶々さんは15才の芸者。長崎大村の武家の家に生まれたが、家庭の事情で没落し、芸者となっていました。

結婚生活も束の間、ピンカートンがアメリカに帰ってしまってから、3年が経過、

蝶々さんは彼の帰りをひたすら待ち続けています。2人の間にできた3才の子とともに―

長崎の港にピンカートンが所属する軍艦が入港してきました。蝶々夫人は彼の来訪に心待ちにしています。

ところが、彼は帰って来ません。

翌朝、蝶々さんが子どもと寝室で休んでいると、ピンカートンとその妻ケートが訪ねてきます。

ケートは子供を預かると言ってきました。

蝶々さんはピンカートンが迎えに来るなら渡すと言います。

そして、ピンカートンが駆けつけたときには、すでに彼女は父の形見の短刀で自害し果てます…

というのが「蝶々夫人」のあらましですが、続編では、

それから20年の後の話、蝶々夫人は短刀で自害を試みましたが、傷は浅く、一命を取りとめ、旅館の女将として暮らしています。

ピンカートンは第一次世界大戦に出征し戦死していました。

ある日、1人の若い海軍士官が日本人の女性を連れて宿泊に来ました。

その面影に蝶々夫人はピンカートンと自分の子どもであるピンカートンJrだと気付きます。

もちろん、ピンカートンJrは自分の母が蝶々夫人であるとは知りません。

ピンカートンJrは一緒にいる日本人の娘スミレと結婚すると言っています。

しかし、その娘は成金上がりで、以前から蝶々夫人に横恋慕していたヤマドリ公爵の娘でした。

ヤマドリ公爵はスミレを取り替えさんとやって来て、ピンカートンJrを殺そうと息巻きます。

蝶々夫人はピンカートンJrの命乞いをするのですが、ヤマドリ公爵は蝶々夫人が自分の許に来るのなら…と条件を出します。

蝶々夫人はピンカートンJrにスミレは諦めて、軍艦に帰るように諭します。

ピンカートンJrは聞き入れて軍艦に帰ります。

それを見届けた蝶々夫人はピンカートンの遺影に語り掛けるように、服毒自殺をするのです―

というのが、続編のあらましでした。やはり悲劇的な結末を迎えるのですね。

PS.画像は歌劇(Opera)「蝶々夫人(Madama Butterfly=マダム バタフライ)」で蝶々夫人を演じて以来、まさに蝶々夫人という冠を代名詞とした三浦環さんの銅像(長崎、グラバー園内)です。

「全盲の天才少年ピアニスト ショパンコンクールに挑戦!」

BS朝日で放送された「全盲の天才少年ピアニスト ショパンコンクールに挑戦!」というドキュメンタリー番組を観ました。

全盲のピアニストの少年の名は辻井伸行さん。現在、東京音楽大学附属高校に通う17歳の少年です。

辻井さんは生まれつき目が開いてなかったそうです。お母さんもインタビューでその運命を呪ったり、悲しみにくれたそうですが、生後6か月経ったある日、部屋に音楽が流れていて、ふと見ると、辻井さんがそのメロディにあわせて体を動かしていたんだそうです。

それで、お母さんがこの音楽は何の曲だろうと確認してみると、それがフレデリック・ショパンの曲だったそうです。

そこから辻井さんのピアニストとしての道がスタートしたんですね。以降、リサイタルもいくつか公演し、カーネギーホールでのリサイタルも経験。

彼には楽譜というものが存在しません。しかし、一度鍵盤の上に指を置いた途端、感情豊かな音が流れ出します。目が見えない状態で 奏でられる豊かなメロディに思わず感動です。

そんな辻井さんがなんとフレデリック・ショパン 国際ピアノコンクール(ショパンコンクール)の第15回にエントリーしたのです。

フレデリック・ショパン 国際ピアノコンクール(ショパンコンクール)というのは、昭和2年(1927)から始まったピアノ部門オンリーのコンクールで、今年は10月2日から21日までの期間中、ポーランドのワルシャワで行われた世界で最も難関と言われたコンクールです。5年ごとに開催され、今年で第15回目を迎えます。

僕自身、このショパンコンクールスタニスラフ・ブーニン小山実稚恵さんなどがエントリーしていた第11回大会(昭和60年=1985)をNHKが特集して放送した際に、入賞者のガラコンサートライブの演奏をFMで流していたのを録音したり…

そーなると僕は完璧を求めるので、フルに全曲聞いちゃうんですよね。それに僕もポロネーズが好きなので、自然にフレーズが耳に入って、結果メロディ事態憶えちゃってるし、その憶えたフレーズを元に鍵盤で叩いて1曲完成させちゃったり…(笑)

さて、楽曲はもちろんショパンの曲のみの演奏で予選では独奏曲、本選ではオーケストラとの競演で行われます。

予備予選への演奏参加者が257名、そこから第1次予選通過者が80名、さらに第2次予選通過者が30名(今年は32名が通過だったよう―)、本選へは12名が通過し、入賞者6名が決まる、といったコンクールの流れです。

さて辻井さんは予備予選→第1次予選→第2次予選と通過しましたが、残念ながら本選へはいけませんでした。しかし、その2次予選では、ショパンコンクールでは異例の4回のカーテンコールという観客からの評価=“ブラボー!”という喝采を浴びました。

本選行きは逃しましたが、辻井さんは「ポーランド批評家賞」を受賞!良かったですね。

その後もワルシャワ滞在中に幾つかリサイタルなどのオファーがあったとの事ですが、辻井さんは殆んどを断り、たった1つだけ行いました。それはワルシャワにある盲学校の生徒たちの前での演奏です。「うんうん、そうそう」と1人納得していた僕でした。