元箕島高校野球部監督・尾藤公氏死去!


3月6日午前3時37分、元和歌山県立箕島高等学校野球部監督だった尾藤公氏がお亡くなりになりました。享年68歳―

minoshima-hihghschool_baseball_team_in_1979.jpg

尾藤さんと言えば、公立高校である和歌山県立箕島高校野球部を春3回、夏1回優勝に導いた名将として知られていますね。

私自身、箕島と共に高校野球ファンとしての人生を歩んできたので、尾藤さんの死は自分の中で1つの節目が区切られた感じです。

尾藤さんの教え子といえば、

第40回センバツ(昭和43年=1968)ベスト4まで勝ち進んだ時のエース、東尾修投手(箕島→西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ→西武ライオンズ)
第42回センバツ(昭和45年=1970)に優勝した時のエース、島本講平投手(箕島→南海ホークス→近鉄バファローズ)
第49回センバツ(昭和52年=1977)でセンバツ2度目の優勝を果たした時のエース、東裕司投手(箕島→三菱自動車水島)、二塁手だった上川誠二選手(箕島→三協精機→大昭和製紙→中日ドラゴンズ→ロッテオリオンズ・千葉ロッテマリーンズ)
第51回センバツと第61回選手権大会(昭和54年=1979)で春夏連覇を達成したときのバッテリー、石井毅(木村竹志、箕島→住友金属→西武ライオンズ)、嶋田宗彦(箕島→住友金属→阪神タイガース)
第54回センバツと第65回選手権大会に出場した吉井理人投手(箕島→近鉄バファローズ→ヤクルトスワローズ→ニューヨーク・メッツ→コロラド・ロッキーズ→モントリオール・エクスポズ→オリックス・ブルーウェーブ→オリックス・バファローズ→千葉ロッテマリーンズ)
第66回選手権大会に出場した嶋田章弘投手(箕島→阪神タイガース→近鉄バファローズ→中日ドラゴンズ)

などが知られていますね。

尾藤さん率いる箕島は平成7年(1995)に勇退されるまでに春8回、夏6回甲子園出場を果たされ、以下の戦績をおさめておられます-

◎昭和43年(1968)第40回センバツ…センバツ初出場でベスト4!
 苫小牧東 100 001 000=2
◯箕  島 300 101 00X=5
(苫)熊沢→畑山(箕)東尾

◯箕  島 000 101 000=2
 高 知 商 000 000 001=1
(箕)東尾(高)中川→塩見

 広  陵 000 110 001=3
◯箕  島 220 102 00X=7
(広)宇根(箕)東尾

 大 宮 工 000 200 120=5
●箕  島 210 000 000=3
(大)吉沢(箕)東尾

◎昭和45年(1970)第42回センバツ…北陽高校(大阪府)との延長12回の攻防に決着をつけた島本のサヨナラ安打で優勝!
◯箕   島 001 104 000=6
 東海大相模 000 020 000=2
(箕)島本(東)上原

 三  重 100 000 000=1
◯箕  島 100 210 00X=4
(三)大知(箕)島本

◯箕  島 000 002 010=3
 広  陵 000 000 000=0
(箕)島本(広)佐伯

 北  陽 200 000 100 100=4
◯箕  島 000 120 000 101x=5(延長12回)
(北)永井(箕)島本


◎昭和45年(1970)第52回選手権…春夏連覇を目指すが、好投手・湯口の前に沈黙し、春夏5連勝でストップ!
 北見柏陽 000 000 000=0
◯箕  島 012 032 00X=8
(北)大山(箕)島本


●箕   島 000 010 000=1
 岐阜短大付 200 040 00X=6
(箕)島本(岐)湯口

◎昭和47年(1972)第44回センバツ
●箕  島 010 000 000=1
 倉 敷 工 010 000 01X=2
(箕)奥田→津村(倉)山本

◎昭和52年(1977)第49回センバツ…“二十四の瞳”中村高校(高知県)との優勝争いを制す!
 名古屋電気 000 000 000=0
◯箕   島 000 010 00X=1
(名)鈴木(箕)東

 豊 見 城 000 000 000=0
◯箕  島 002 040 22X=10
(豊)下地→神里(箕)東

 県岐阜商 000 000 003=3
◯箕  島 001 003 03X=7
(岐)関谷(箕)東

 智弁学園 000 000 000=0
◯箕  島 010 001 00X=2
(智)山口(箕)東

 中  村 000 000 000=0
◯箕  島 002 001 00X=3
(中)山沖(箕)東


◎昭和53年(1978)第50回センバツ…連覇を狙ったが、“フェニックス”福井商の前に沈黙!
 黒沢尻工 000 000 000=0
◯箕  島 010 000 00X=1
(黒)千葉(箕)石井毅

 小  倉 000 000 100=1
◯箕  島 010 000 21X=4
(小)大石(箕)石井毅

◯箕  島 000 101 000=2
 PL学園 000 000 000=0
(箕)石井毅(P)西田

 福 井 商 013 400 010=9
●箕  島 000 010 020=3
(福)板倉(箕)石井毅→上野

◎昭和53年(1978)第60回選手権…紀和大会(紀和=奈良・和歌山)で天理など奈良の強豪校に全国大会への出場を阻まれていたが、「1県1校制」に出場枠が増えたために出場を果たす!
 能  代 000 000 000=0
◯箕  島 100 000 00X=1
(能)高松(箕)石井毅

 広 島 工 000 000 100=1
◯箕  島 000 000 60X=6
(広)津田(箕)石井毅


 中  京 002 000 030=5
●箕  島 002 100 100=4
(中)武藤(箕)上野→石井毅

◎昭和54年(1979)第51回センバツ…牛島-“ドカベン”香川のバッテリー&名将・広瀬監督率いる浪商高校(現大体大浪商、大阪府)とのノーガード・ガチンコ対決を制し、3度目の優勝!
◯箕  島 000 501 202=10
 下 関 商 100 010 200=4
(箕)石井(下)山本

 倉 吉 北 000 000 100=1
◯箕  島 111 010 10X=5
(倉)矢田(箕)石井

 PL学園 100 020 000 0=3
◯箕  島 000 100 002 1x=4(延長10回)
(P)中西→阿部(箕)石井

 浪  商 100 003 201=7
◯箕  島 102 101 21X=8
(浪)牛島(箕)石井


◎昭和54年(1979)第61回選手権…箕島の代名詞“サーカス・スクイズ”で決勝点を挙げ、公立高校史上初の“春夏連覇”を達成!
◯箕  島 201 120 001=7
 札 幌 商 000 003 000=3
(箕)石井(札)鈴木→金山

 星  稜 000 100 000 001 000 100=3
◯箕  島 000 100 000 001 000 101x=4
(星)堅田(箕)石井

 城  西 000 100 000=1
◯箕  島 201 100 00X=4
(城)安倍→渡辺(箕)石井

 横 浜 商 000 010 010=2
◯箕  島 101 010 00X=3
(横)宮城(箕)石井

 池  田 100 110 000=3
◯箕  島 100 001 02x=4
(池)橋川(箕)石井


◎昭和55年(1980)第62回選手権…センバツ優勝の“球道くん”率いる高知商を打破するも、箕島のバント戦法を“バントはアウトをプレゼントされたもの”と冷静に無視した横浜野球にあと一歩及ばず、連覇ならず!
◯箕  島 000 021 002=5
 国  立 000 000 000=0
(箕)宮本(国)市川

◯箕  島 111 000 002=5
 高 知 商 000 000 000=0
(箕)宮本(高)中西

◯箕  島 010 201 001=5
 美濃加茂 010 000 020=3
(箕)宮本(加)池戸→奥村


 横  浜 111 000 000=3
●箕  島 000 011 000=2
(横)愛甲(箕)宮本

◎昭和57年(1982)第54回センバツ
◯箕  島 100 300 020=6
 上  尾 000 002 000=2
(箕)上野山(上)日野

 明  徳 000 000 000 000 21=3
◯箕  島 000 000 000 000 22x=4(延長14回)
(明)弘田(箕)上野山

●箕  島 000 000 000=0
 PL学園 001 000 00X=1
(箕)上野山→吉井(P)榎田

◎昭和58年(1983)第65回選手権
 吉  田 001 010 000 000 1=3
◯箕  島 000 000 101 000 2x=4(延長13回)
(吉)三浦(箕)吉井

 駒大岩見沢 100 000 002=3
◯箕   島 030 011 00X=5
(岩)大西(箕)吉井

●箕  島 010 100 000=2
 高 知 商 241 001 00X=8
(箕)吉井→嶋田(高)津野→岡村

◎昭和59年(1984)第66回選手権


 取 手 二 000 000 050=5
●箕  島 110 000 100=3
(取)柏葉→石田(箕)嶋田→杉本

◎平成3年(1991)第63回センバツ
 旭川竜谷 000 010 000=1
◯箕  島 012 002 00X=5
(旭)笹木(箕)山路

●箕  島 101 020 000=4
 大阪桐蔭 100 010 04X=6
(箕)山路(桐)背尾→和田

-以上のように、春センバツに8回出場して指揮をとられ、優勝3回、22勝5敗。夏選手権に6回出場して指揮をとられ、優勝1回、13勝5敗。通算35勝10敗という戦績を遺されました。


尾藤さん箕島、とくればほとんどのファンやマスコミが昭和54年(1979)夏の選手権大会の3回線、vs星稜高校(石川県)戦での延長18回の死闘を挙げるようですが、当時、“箕島野球命”で小学5年生から中学2年生だった私としては、春センバツでの箕島の戦いぶりの方が印象的です。

まずは、






第49回センバツ(昭和52年=1977)の決勝、vs 中村高校(高知県)戦で東裕司投手が3安打完封した試合。東投手といえば、当時箕島にカリキュラムとして存在した定時制課程の生徒で、“部活動・勉強・勤労”3足の草鞋わらじを履きこなしていたんですよね。伝聞した話だと、尾藤さんと同じ工場に務めていて、仕事が終わると尾藤さんが運転する車で一緒に学校に行っていたそうなんですけど、1年生の時、制球力がなくて試合に負け、その次の日から働いていた工場と学校の間、往復20kmを走って足腰を鍛え、その成果としてこの大会では4試合中3試合に完封勝ちという内容で優勝投手となるんですよね。ましてや、定時制に通っていたという事実が、昼間の普通科でのうのうと過ごして来た私にとっては一番衝撃的な現実でした。頑張ればできるんだ、って事を教えてくれた選手であり、試合だったのです。

さらには、

第51回センバツ(昭和54年=1979)の準々決勝、vs 倉吉北高校(鳥取県)で大会記録となる1試合10犠打を記録。なかでも、3番バッター・上野山善久選手は全打席犠打のため、スコア記録は“0打席(打数)”私が面白いなぁーと思っている試合展開は打って勝つ野球ではなくて、地味でもボディボローのように効くバント、走塁、ミスにつけこむ野球が好きなので、まさに理想的なゲーム展開がなされた試合だったと思います。しかも、そうしたバントも投手(ピッチャー)と一塁手(ファースト)と二塁手(セカンド)が守る定位置のちょうど中間点に打球を転がすプッシュバントが得意だったので、記録上は犠打野戦って形でバッターランナーも一塁に生きて、相手方の好投手&堅陣な野手たちへの攻略にはもってこい、な采配だったんですよね!

そして最後に、

]

第51回センバツ(昭和54年=1979)の決勝、vs 浪商高校(大阪府)でのガチンコ勝負!前の試合まで12打数2安打(打率.167)と全く不振だった4番バッター・北野敏史選手(箕島→松下電器)を“お前が箕島の4番だから”と使い続けた尾藤さん。その期待に応えた北野選手は、この試合でセンバツ史上初のサイクルヒットを記録!その最後の打席の時(状況は8回裏、7-6で箕島が1点リード。二死二塁)、浪商ベンチ=広瀬監督は敬遠の指示を伝えますが、牛島-香川のバッテリーはガチンコ勝負に徹します。果たして勝負は、北野選手がツーベースを放ち、点差を広げたという伝説の攻防!こうした追いつ追われつの打撃戦に当時はワクワクしちゃってました。


最後に、箕島高等学校の校歌を書き記します。唄える方は斉唱してみましょう―

♪冬吹きやまぬ西の風
 海からとび立つ黒雲に
 あたりはおどろの闇となる
 さあれ新緑光浴び
 有田の谷にほとばしり
 この学舎に溢る香は
 きびしい冬に耐えて来た
 われらおのこの凛烈の意気
 凛烈の意気♪

尾藤公さん、あなたの甲子園での雄姿はいつまでもあなたが描いた箕島野球と共に私の脳裏にいつまでも輝き続けるでしょう。謹んで、生前のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りします!

ヒューマンドキュメンタリー「ふたりの14歳~ボッチャ 自立への階段~」

ボッチャの練習をする高阪大喜くん(左)と松永楓さん(右)

何気にTVのチャンネルを押すと、いきなりこんなタイトルの番組が―

ヒューマンドキュメンタリー「ふたりの14歳~ボッチャ 自立への階段~」(NHK総合)

重度の障害や難病のある子どもを抱え、苦悩の日々を送っていた親子が、障害者のために考案された競技―ボッチャに出会った事で、希望を見い出し成長していく日々を見つめた番組です。

― ◇ ◇ ◇ ―

2組の親子がいました。14歳、中学2年生の高阪大喜くんの親子と松永楓さんの親子です。

大喜くんは生まれながら筋肉が固くなっていく病気である筋ジストロフィーで、日々マッサージが欠かせません。

大喜くんは生まれて間もなく、姿勢が悪いのに気付き、病名を告げられます。最初は大喜くんを歩く事ができる様にとご両親も頑張られます。しかし、ある時から在るがままの大喜くんを育てようと気持ちを変えられたそうです。

楓さんは脳性麻痺という難病を抱え、日常生活の殆んどにおいて、お母さんの介助を必要とします。

お母さんと一緒に学校に通い机に向う。生まれて直ぐに脳に障害がある事が判り、一時は一緒に死のうかと思ったそうです。

こんな2人がボッチャ(Boccia)という競技に出会ってから、外に出るようになったというのです。

ボッチャとは、障害者、取り分け脳性麻痺などの運動能力に障害がある競技者向けに考案された種目で、現在はパラリンピックの公式種目となっており、全世界で40か国以上に普及している競技スポーツです。

競技としては、個人戦、ペアないしは3人1組のチーム戦があります。

コイントスで決めた赤又は青の皮製のボールを手や足を使って、的であるジャック(jack)と呼ばれる白いボールにどれだけ近づけられるかを競うもので、車椅子カーリングのボール版といった感じ。

1ゲーム4エンドで行われます。ボールを動かす際、手や足を使えない重度の障害を持つ競技者の場合には、ランプスと呼ばれる補助器具を用いることもできる。

競技対象者は以下の区分に分かれます。
  • BC1~BC2…脳性麻痺

  • BC3…脳性麻痺+α/投球不可のため、介助者によりランプスを使用し競技を行う者。(脳性麻痺以外の障害も含む)

  • BC4…重度障害/機能障害がある脳性麻痺以外の重度四肢麻痺者(頸髄損傷、筋ジストロフィーなど)

― ◇ ◇ ◇ ―

さて、ボッチャという競技を通して大喜くんと楓さんは一緒に練習するうちに直ぐに打ち解けました。

ボッチャの練習をする高阪大喜くん

ところが、大喜くんは病気が進行して右手で投げられなくなり、左手に替える事になります。それでも右手ほど遠くへは投げられません。

実戦に即した練習を行なう中で、大喜くんのお父さんが、大喜くんのコントロールの良さを活かして白いボールの前に壁を作る作戦を考案します。

一方で、楓さんはBC3クラスにあたるために介助の役をお母さんが担います。

楓さんが指示を出し、介助役のお母さんが調整して、ボールをランプスから的である白いボールに向けて転がす、といった投球動作なのですが、楓さんのお母さんにとっては、ずっと付きっきりだった生活で、甘やかしていたので自立心が育たないのではと心配されていました。

ボッチャという競技では、試合時間という制限の中で全て自分で判断して行動しなければなりません。

ましてや楓さんは介助であるお母さんに対し、作戦などの指示に時間がかかってしまいます。

でも、お母さんはボッチャという競技をやる上で、自覚が芽生えてくれたら…と期待をかけているようです。

― ◇ ◇ ◇ ―

東京2009アジアユースパラゲームズでのボッチャ競技の様子 東京2009アジアユースパラゲームズ・ボッチャ競技での松永楓さん

9月、東京2009アジアユースパラゲームズ(Tokyo 2009 Asian Youth Para Games)という大会が催されました。アジアのパラリンピック委員会加盟国35か国以上の14歳から19歳までの選手700人とコーチ、役員などのスタッフ300人、計1000人を迎えて行われる、国際障害者スポーツの祭典です。

大喜くんと楓さんにとっては初めてとなる国際大会の舞台です。

大喜くんの相手は日本チャンピオンの強豪、藤井くん。白いボールの前に壁を作る作戦で競り合いますが、6-7という接戦で敗退し、メダルは取れませんでした。

楓さんの初戦は序盤からなかなか思うように試合が運べません。加えて、追い込まれちゃうと余計弱気になっちゃいます。

しかし、最終セット―楓さんは大逆転で勝利すると、嬉しくて大号泣です。

続く試合、楓さんはイランの選手とメダルを掛けた試合に臨みますが、相手の選手に傾いた流れをなかなか変えられず、リズムに乗れません。

この1球にこそ!という時、楓さんは審判員に対し、相手の選手の介助の方が座っている椅子が投球の妨げになるから動かしてほしいとアピールをするのです。

東京2009アジアユースパラゲームズ・ボッチャの試合が終わって大号泣の松永楓さん

試合には敗退します。楓さんは悔し涙が溢れます。でも母は楓さんが自分の意思で椅子を動かすようアピールした事に娘の成長を感じて喜んでいました。

― ◇ ◇ ◇ ―

10月、地元の大会に大喜くんと楓さんのの姿がありました。そこに映る2人はボッチャという競技に出会った事で、試合で負ける悔しさや勝つ楽しみ、そして友達ができた喜びを感じている―

といった内容の番組でした。是非これからも頑張ってほしいですね!

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考)ボッチャの競技紹介→(障害児・者、肢体不自由児・者のフリーフォーラムから生まれた情報・コミュニティサイト『WAHHO!(ワッホー)』より)
※(参考)日本ボッチャ協会→

“3度目の正直”成安女子バレーボール部、春高バレー初制覇!

CSのフジテレビNEXTで「春高バレー40周年記念SP!決勝プレイバック!」という企画が放送中なのですが、今月は一番“春高バレー”(全国高校バレーボール選抜優勝大会)にハマっていた時期の決勝戦のシーンなので期待でワクワクしています。

その中でも、成安女子高(現在は京都産業大学附属高)といえば、僕が同世代時期の頃は京都を代表するバレーボールチームでした。

その成安女高バレーボール部が一番盛り上がった時期が、昭和54年(1979)~翌55年(1980)の“春高バレー”2年連続決勝進出だと思います。

先ず昭和54年(1979)の第10回大会では、香川高校(山口県、現在は宇部フロンティア大学附属香川高校)と対戦し、

      15-9
香川高-3 15-7 0-成安女高
      15-9

(香川) 攻 ブ  サ  失
 三輪 04 00 01 00
 土谷 03 01 03 01
 岡崎 02 01 01 01
 中原 07 01 01 02
 斉藤 00 01 00 00
 中田 00 02 00 01
 安田 00 00 00 00       
 大森 00 00 00 00        
――――――――――――
 計  16 06 06 05

(成安) 攻 ブ  サ  失
 佐野 02 00 01 04
 池田 00 00 00 01
 川崎 02 02 02 04
 川口 02 02 03 03
 西山 00 00 01 02
 宮本 00 01 00 02
 畑  01 01 00 01
 木曽 00 00 00 00
 高田 00 00 00 00
――――――――――――
 計  07 06 07 17

と敗退してしまいます。お互いにコンビ・バレーのチーム・カラーだったのですが、成安女高にとっては、ミスの多さが優勝に手が届かなかった要因でしたね。

― ◇ ◇ ◇ ―

翌年の昭和55年(1980)の第11回大会では、前年度の準優勝メンバーから、センターの西山、ツーセッターの川崎、宮本が残り、レギュラー全員が170cmという大型チームという特徴でした。

準決勝では前年度優勝校の香川高(前年度優勝推薦・山口県)を接戦の末下して雪辱し、決勝戦に進出し、

       15-13
成安女高-3 15- 5 1-宇都宮女商(栃木)
       10-15
       15- 9

(成安) 攻 ブ  サ  失
 石川 00 01 01 02
 西山 02 01 03 00
 宮本 03 00 01 00
 川北 03 05 00 04
 渕上 05 01 02 06
 川崎 10 00 01 01
 高田 00 00 01 00
 桧野 00 00 00 00
――――――――――――
 計  23 08 09 13

(宇女) 攻 ブ  サ  失
 沼尾 01 01 01 03
 生井 01 01 01 02
田部井 05 00 02 02
 影山 05 04 00 02
 鈴木 05 01 01 03
 高橋 00 00 00 03
 清宮 00 00 00 00
――――――――――――
 計  17 07 05 15

宇都宮女子商(栃木)を破って、見事に3度目の決勝戦進出で初優勝を成し遂げました。同校校長でもあった南元昭治監督が胴上げされ、1年遅れの学校創立60周年を記念する優勝が叶えられた訳です。

またこの年、成安女子高は全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー:3月開催)、全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会(インターハイ:8月開催)、国民体育大会(国体:10月開催)の全てに優勝し、“高校三冠”を果たします。

― ◇ ◇ ◇ ―

この“高校三冠”に関してはちょっとした異変が?

春高バレーが平成23年(2011)から1月開催になる?との情報を耳にしました。

何でも、日本バレーボール協会が毎年3月に開催している春高バレーについて平成23年(2011)の第42回大会から1月開催に変更する動きがあるとの事。

3月開催だと、春高バレーは1年生と2年生のみの出場資格にすぎなかったのが、1月開催だと3年生の出場が可能になる―というのが目的のようですね。

バレーボール界の活性化を狙った感じの目論見でしょうが、今度は違った問題が生じそう…

その昔、12月後半から1月前半にかけて開催される高校ラクビーで進学校が勝ち進んだのですが、その学校の主将の生徒が、決勝戦当日がちょうど大学の推薦入試の日にちに当たり、特別に変更してもらった―というニュースを思い出しました。

大学事務(入試担当)経験者の立場で言わせてもらえば、こんなケースは本当に稀なケース。

主将をやっていた生徒にとって、そこが本命だったら、どうだったのでしょうか?

僕はスポーツは体育授業の評価の延長としか考えていないので、あまり好感は持てませんね!

大文字駅伝は柊野小学校が初優勝!

第23回京都市小学校「大文字駅伝」が京都市北区の衣笠小校前を始点に、左京区の岡崎公園野球場をゴールとする10区間16・495kmのコース(男女混合で1・3・4・7・9区を男子が、2・5・6・8・10区を女子が走ります)で行われました。

各支部予選を突破した47校と、小規模校連合(フレンズ)、国・私立代表、民族学校代表の3チームを加えた計50チームが洛北の都大路を力走します。出場校の顔ぶれは、

(北区上)
柊野小 9年連続11度目
大宮小 11年ぶり7度目
(北区下)
紫明小 初出場
金閣小 2年連続13度目
(上京区)
京極小 2年ぶり3度目
西陣中央小 8年ぶり2度目
(中京区)
御所南小 5年連続13度目
朱雀第三小 2年連続12度目
朱雀第四小 2年連続13度目
(下京区)
洛央小 6年ぶり11度目
淳風小 12年ぶり3度目
(南区)
東和小 2年連続6度目
祥豊小 3年連続4度目
大薮小 4年ぶり11度目
(左京区北)
明徳小 9年連続16度目
岩倉南小 7年ぶり11度目
(左京区南)
北白川小 初出場
下鴨小 9年ぶり3度目
修学院小 11年連続16度目
(東山区)
白川小 2年ぶり3度目
今熊野小 5年ぶり5度目
(山科区)
山階小 4年連続6度目
勧修小 2年連続6度目
百々小 7年連続11度目
大宅小 5年ぶり8度目
(右京区北)
嵯峨小 11年連続15度目
嵯峨野小 10年連続14度目
御室小 2年連続8度目
(右京区南)
太秦小 2年ぶり21度目
南太秦小 2年連続8度目
安井小 2年連続6度目
西院小 3年連続12度目
(西京区東)
樫原小 2年連続10度目
松尾小 6年連続8度目
桂小 4年連続4度目
桂徳小 8年連続12度目
(西京区西)
大枝小 初出場
桂坂小 2年連続11度目
(伏見区中)
深草小 3年連続8度目
砂川小 2年連続5度目
桃山小 8年連続11度目
(伏見区東)
春日野小 2年連続11度目
北醍醐小 2年ぶり5度目
(伏見区西)
下鳥羽小 2年連続6度目
向島南小 6年連続12度目
久我の杜小 11年連続13度目
羽束師小 3年連続10度目
(小規模校連合)
フレンズ(雲ヶ畑小・中川小・静原小・鞍馬小・花背小・宕陰小の合同チーム) 7年連続7度目
(国・私立代表)
教育大附属京都小(教大附京都小) 2年連続8度目
(民族学校代表)
京都朝鮮初級学校(第一・第二・第三の連合チーム)7年連続11度目

の50チームが出場し、競技の結果、入賞チームは以下のとおり、

 優勝 柊野小    55分38秒(↑前回2位)
 2位 嵯峨野小   56分44秒(↑前回5位)
 3位 久我の杜小  57分08秒(↑前回4位)
 4位 樫原小    57分24秒(↑前回11位)
 5位 深草小    57分31秒(↓前回優勝)
 6位 修学院小   58分09秒(↑前回16位)
 7位 御所南小   58分24秒(↑前回9位)
 8位 向島南小   58分37秒(↑前回33位)
 9位 教大附京都小 58分50秒(↑前回25位)
10位 桃山小    58分56秒(↑前回14位)

となり、柊野小学校が11度目の挑戦で初の栄冠に輝きました。おめでとうございます!

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)柊野小、2度目の栄冠!―第25回京都市小学校「大文字駅伝」大会
※(参照)松尾小、優勝!―第24回大文字駅伝
※(参照)深草小、初V!―大文字駅伝
※(参照)嵯峨野小、4連覇!―大文字駅伝
※(参照)大文字駅伝は嵯峨野小がV3!
※(参照)大文字駅伝は嵯峨野が2連覇!

京都、2度目の5連覇&13度目のV!―都道府県女子駅伝

20090111ekiden-kyotoV.jpg

全国都道府県対抗女子駅伝が行われ、わが京都チームが5年連続13度目の優勝を果たしました。

毎年思う事ですが、陸上好きな僕にとって、1年の慶は「京都チームの優勝にあり!」という感じなので今年も良き都市になりそうな予感かな?(笑)

今年もまた、選りすぐられた9人の代表選手が見事なたすきリレーで、2時間15分39秒という記録で優勝できましたね。

20090111ekiden-kyoto-team000.jpg

各区間の京都の代表メンバーの成績をチェックしてみますと、

○第1区=6km(西京極陸上競技場→平野神社前)
木崎良子選手(ダイハツ) 19分14秒(前回より7秒▽) 区間2位

○第2区=4km(平野神社前→烏丸鞍馬口)
早狩実紀選手(京都光華AC) 13分03秒 区間28位

○第3区=3km(烏丸鞍馬口→鵜丸太町河原町)
久馬悠選手(綾部中) 9分21秒(前回より7秒▽) 区間1位

○第4区=4km(丸太町河原町→北白川山田町)
小崎まり選手(ノーリツ) 13分12秒(前回より9秒▲) 区間7位

○第5区=4・1075km(北白川山田町→国立京都国際会館前)
夏原育美選手(立命館宇治高) 13分11秒(前回より5秒▽) 区間1位

○第6区=4・0875km(国立京都国際会館前→北白川別当町)
近藤好選手(立命館宇治高) 12分59秒 区間2位

○第7区=4km(北白川別当町→丸太町寺町)
伊藤紋選手(立命館宇治高) 12分26秒(前回より4秒▲) 区間1位

○第8区=3km(丸太町寺町→烏丸紫明)
久馬萌選手(綾部中) 9分41秒(前回より18秒▽) 区間1位(区間新

○第9区=10km(烏丸紫明→西京極陸上競技場)
小島一恵選手(立命館大学) 32分32秒(前回より28秒▲) 区間2位

といった感じです。

20090111ekiden-kyoto-team002.jpg20090111ekiden-kyoto-team004.jpg20090111ekiden-kyoto-team003.jpg

今回の優勝については、昨年度の大会より以上にジュニア世代の育成に力を入れた京都府内の陸上競技に関わった指導者の方々の成果が実った優勝ではなかったのではないしょうか。

20090111ekiden-kyoto-kyuma-sisters.jpg

実際、3区と8区での中学生区間に走った双子姉妹、久馬悠選手&選手(綾部中)の活躍は見応えがありました。 

小学校レベルから、京都市内の小学校を中心とした大文字駅伝を筆頭に、府内各地でも小学校レベルでの駅伝競走が盛んに実施されています。ややもすれば、京都府全域の小学校が参加した競技大会の開催も今後あるかもしれませんね。

更に、沿道に詰め掛けて応援されたファンの皆さんの声も勇気を与えたと思います。とくに京都を応援される地元の皆さんの一体感はすごいと思いますよ。

ともあれ、代表選手の皆さん、お疲れ様でした。また来年も期待させて下さいませ!



― ◇ ◇ ◇ ―


※(参照)「京都、大会新で2度目の4連覇!―都道府県女子駅伝」
※(参照)「京都、2度目の3連覇!―都道府県女子駅伝」
※(参照)「都道府県女子駅伝は京都がV!」
※(参照)「都道府県女子駅伝、京都優勝!」