NHK大河ドラマ特別展「天璋院篤姫展」

「天璋院篤姫展」「天璋院篤姫展」2

大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前)で「天璋院篤姫展」を観覧して来ました。

当日は団体客が多く、とてもじっくり観覧できないなぁーと感じましたが、じっくり観たかったので、約3時間は粘っちゃいました(笑)

構成は

プロローグ  篤姫のふるさと薩摩
第 一 章  御台所への道のり
第 二 章  婚礼〜将軍家定と敬子〜
第 三 章  江戸城大奥
第 四 章  幕府瓦解 〜徳川家存続への思い〜
エピローグ  明治の天璋院

ってな感じ!

まず、入り口から入ってすぐに、最晩年の天璋院篤姫を正面から捉えた肖像画がお出迎え!篤姫が亡くなった翌年の明治17年(1884)に完成した物そうです。

◇プロローグ 篤姫のふるさと薩摩

篤姫の実家である今和泉島津家を中心に、島津家の由緒や近衛家との関係など、篤姫を育んだ薩摩の風土を紹介しています。

なかでも注目したのは、「鹿児島城下絵図屏風(模本)」でしょうか。天保元年(1830)頃の鹿児島を描いた物だそうです。今和泉島津家小松家の屋敷の場所、或いは西郷吉之助大久保正助(一蔵)らが住んでいた加治木町の場所が示されていました。

また。ある意味、同じこの時期に薩摩藩の藩政改革を成し遂げた調所広郷を描いた「調所広郷画像」も印象的でしたよ。

◇第一章 御台所への道のり

篤姫が13代将軍徳川家定御台所として位置付けられてゆく道筋に起こった出来事を通して当時を回顧しています。

薩摩藩徳川宗家との縁は、島津家第22代藩主、島津継豊に嫁いだ5代将軍徳川綱吉の養女・竹姫から始まったと言ってよいでしょう。

その竹姫の遺言によって、薩摩藩主島津重豪の娘・茂姫ただ広大院)が11代将軍徳川家斉御台所となります。

その茂姫の家系(すなわち、重豪の血縁は)多産系であった事が、13代将軍徳川家定の知るところとなり、家定が「島津の姫を!」と幕閣に打診し、結果として島津の姫を御台所に!と決まります。

そんな中で、分家である今和泉島津家の娘であるかつに白羽の矢が立てられ、島津斉彬の養女となって、名を篤姫と改めるのです。

注目したのは、篤姫自らを「あつ」と称した貴重な書状「安政3年4月付 近衛忠煕宛篤姫口上書」ですね。

さらに注目したのは、島津斉彬の側役を務めた堅山利武が記した「公用控」のうち、斉彬篤姫縁組の成り行きを記した部分である「御一条初発よりの大意」という箇所が展示されていて、そこには篤姫の輿入れによって薩摩藩の武備拡張や密貿易に関わる琉球問題が有利に運べる―という婚姻の政略的目的が綴られていました。(決して、国を憂いた訳でなく、自藩の利益に沿った結果だったんですね!)

◇第二章 婚礼〜将軍家定と敬子〜

安政3年(1856)12月18日、篤姫は22歳で五摂家筆頭である近衛忠煕の養女となり敬子すみこと名を改めた上で、将軍家に嫁ぎます。

敬子の夫になったのは13代将軍徳川家定ですが、早くから政治的能力が疑問視され、継嗣の誕生も危ぶまれていました。しかも、家定に関する史料はほとんど乏しくその実像は明らかではありません。

そんな状況の中から、将軍継嗣問題が浮上します。一橋慶喜を擁する派閥(一橋派)と徳川慶福を擁する派閥(南紀派)の争いですが、敬子の養父・島津斉彬一橋派であり、敬子御台所である事を利用し、大奥での裏工作を期待します。

結果的に家定が強く希望し、その意をくんだ井伊直弼大老に就任する事で、徳川慶福が継嗣に決まりました。

その井伊直弼の側近・宇津木六之丞が同じく側近である長野主膳に宛てた書状(「安政5年(1858)5月9日付、長野主膳宛宇津木六之丞書状」)には、家定の様子について「御賢明」「御仁憐之御方」と評していましたよ。

やがて、安政5年(1858)7月6日に家定が亡くなり、篤姫は1年7か月という短い結婚生活で幕を閉じるのです。

◇第三章 江戸城大奥

家定の死後、敬子は落飾して天璋院と号し、若き将軍家茂の養母として、また大奥の総取締りとして、頑張るのです。

文久2年(1862)、家茂の正室として皇女和宮親子ちかこ内親王が輿入れします。いわゆる公武合体運動のための降嫁ですね。

ここでの注目は、何と言っても「天璋院画像」ですね。出だしにも書きましたが、時代が下がって最晩年の天璋院を正面から捉えた肖像画で、完成は天璋院死去の翌年の事でした。(生前から描き出されていたので、顔の向きは右向きですね!)

さらには、和宮親子内親王の写真である「静寛院宮肖像写真」は一番観たいと思っていた写真だったので良かったです。(今までは雑誌や書籍の中での掲載でしか観た事がなかったので…)

「徳川家茂肖像画写真」もあったのですが、陣羽織姿の物と束帯姿の2種類がありました。これらは第二次長州征伐で大坂城に遠征して際に、家茂和宮に贈った肖像画写真なのですが、最初に贈った陣羽織姿の物に対し和宮が武人姿の家茂は嫌だ、と言ってので、束帯姿の物に換えて贈ったそうです。
(陣羽織姿の肖像画写真は天璋院が受け取ったのだとか―この辺り、武家と公家の違いと言えますね!)

◇第四章 幕府瓦解〜徳川家存続への思い〜

幕末の動乱の中、14代将軍徳川家茂は慶応2年(1866)7月、大坂で陣没します。家茂の継嗣に対する意向は田安亀之助でしたが、政局の困難な状況から幕閣たちは一橋慶喜を推し、慶喜が15代将軍となります。

しかし、政局は大政奉還王政復古の大号令と変革してゆき、ついに慶応4年(1868)正月、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発。慶喜も戦場を離脱して江戸へ退き、戦争の大勢は決します。

自らの実家と婚家とが争う事となった天璋院和宮は、何とかして徳川家存続のために尽力しようと明治新政府薩摩藩に対して家名存続斡旋の嘆願書を差し向けます。

注目したのは、東山道先鋒総督岩倉具定に対して、恭順の意を示す事で家名存続を図ろうと宛てた和宮の書状(「慶応4年(1868)3月11日付、総督岩倉太夫(具定)宛静寛院宮書状」)と、天璋院が実家の薩摩藩に向けて徳川家の家名存続を嘆願した書状(「慶応4年(1868)3月付、官軍隊長宛天璋院書状(写)」)ですね。

天璋院が宛てた書状は、慶喜の立場と徳川宗家との立場を分離して考えていて、慶喜の処分は「是非もない」徳川宗家の処分は取り成してくれと依頼しています。

◇エピローグ 明治の天璋院

慶応4年(1868)4月10日、天璋院江戸城を退去します。さらに、嘆願書に込められた願いも虚しく、田安亀之助(後の徳川家達)への徳川宗家相続は認められますが、領地は駿河府中70万石に移封され、家臣団も解体されます。

注目したのは、天璋院がその事に対する無念の気持ちを表した「慶応4年(1868)7月9日付、輪王子宮公現法親王宛天璋院書状(写)」で、天璋院奥羽越列藩同盟の盟主となった法親王に内々に送った書状だそうです。そこには、徳川宗家の駿河移封、家臣団の解体に立腹した天璋院列藩同盟に対し「薩摩追討」「徳川再興」を期待した内容が書かれていました。

天璋院はその後幼い家達の養育に力を注ぎます。明治15年(1882)、家達近衛家の姫・泰子と結婚すると、安堵したかのように翌16年(1883)、生涯を終えるのです。

余談ですが、家達の子・家正島津忠義の娘・正子を妻に迎えています。これも天璋院が築き上げた縁がそうしたのかもしれませんね。

全てを観覧した後、図録(2300円)を購入しました。とても内容の濃かった展示で良かったですよ。昨年の「風林火山」展(参照→)も大阪での展示開催だったし、今年の「篤姫」も大阪で開催された事はすごく幸運だった感じです。

この特別展は、観覧料が大人1000円、高校・大学生750円となっています。6月1日まで開催中ですよ。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(関連)「大河ドラマ『篤姫』」→
※(関連)「(史料紹介)篤姫の実像に迫る日記を発見!」→
※(関連)「『風林火山―信玄・謙信、そして伝説の軍師―』展」→


   


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posted by 御堂 at 00:41 | Comment(2) | TrackBack(1) | 歴史:散策&観覧
この記事へのコメント
indoor-mamaさん、こんばんは!
こちらこそ、TBサンクスです。

音声ガイドは気になってはいましたが、500円は痛い!と思ったのでパスしちゃったのですよ(笑)

昔、京都国博やったか、文博に「新選組展」を観に行った際に島原の太夫さんが解説&ナレーションされてたのは憶えてますが、まさか今回のに幾島(松坂さん)がやってらっしゃったとは…(驚!)

そう考えると、昨年の「風林火山展」の時は音声ガイドあったのかな?って考えちゃいましたよ。
Posted by 御堂 at 2008年05月27日 21:46
御堂さん、トラバありがとうございます。
ちゃかり、私もトタバさせていただきました〜

ところで、あの松坂さんの音声ガイドは聞かれましたか?

私は、ブログに書いた通り、まったく気づきませんでした。
入り口にポスターってありましたっけ?

同じ大阪歴史博物館なので、気になっちゃいました〜ちょっと後悔です・・・
Posted by indoor-mama at 2008年05月26日 09:53
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「天璋院・篤姫展」に行ってきました〜
Excerpt:   一昨日、大阪歴史博物館で開催中の『天璋院・篤姫展』に行って参りました〜。 大
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Tracked: 2008-05-26 09:54
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