「黄真伊(ファン・ジニ)」

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現在、CSの衛星劇場で放送中のファン真伊ジニについていささか書き記します。

ファン真伊ジニという女性は、李氏朝鮮王朝の第11代国王・中宗チュンジョンの代から第13代国王・明宗ミョンジョンの代に実在した女性で、朝鮮で最も有名な妓生キーセンの1人です。彼女が活躍した時代背景としては、「チャングム」の後、「ホジュン」の前あたりかな…

本名は黄ジン(または、真娘チンラン)。妓名は名月ミョンウオル松都ソンド(現在の開城ケソン)に生まれ。父親は両班ヤンバンの出自で、母親は衙前アジョン(下級官吏)の家柄でした。

その当時の身分制度として「奴婢ノビ随母法」というものがあったのですが、父親が両班であっても、子供はその母親の身分を引き継ぐ事になっていました。(「ホジュン」でもそうでしたね…)

彼女は、相当な教育を受けていたようで、幼少の頃より四書三経を読み、9歳の時には既に漢文の古典を読みこなし、漢詩が作れるほどの才能であったようです。

その要因として、彼女の母・玄琴ヒョングムの実家は下級官吏の家柄で、外叔父は官衙の公文書を草書で下書きする仕事である書吏ソリという職務にあったようです。

書吏は文書の記録と管理を担当する衙前で、文書解読、作文、筆写などに長けていた人材が就いていました。つまり、書吏は両班以外の身分で書物と身近に接する機会にある唯一の存在だったわけです。

そんな訳で、彼女の才能もこうした幼い頃からの環境が手助けをしていたようです。(『松都記異ギイ』より)

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妓生は、遊女・遊び女・浮かれ女・芸者・芸妓などを指す蔑称である「解語花ヘオファ」、すなわち“言語を解する花”(『朝鮮解語花史』より)と呼ばれていました。

一般的に、中国では「妓女」、朝鮮では「妓生」、日本では「遊女」と称されているようです。(私などは京都に住んでいる事もあって、祗園の芸妓さんだったり、舞妓さんを直ぐイメージできちゃうのですが、「遊女」としかイメージできなかった日本人のインテリジェンスの無さにはホント、興醒めしちゃいますよね、嘲笑)

高麗王朝期から始まったとされ、教坊(房)という、妓生たちに教養を習わせる養成学校が作られ、宮廷の年中行事などの際に、彼女たちの優雅で華麗な詩や舞が多くの上級官人たちを魅了しました。

平壌にあった教坊(房)でその一生を見てみると、

童妓として教坊(房)に入って詩を習い、舞を学び、卒業すれば宮中の宴に出たり、貴賓たちのもてなしをします。また、自宅で客を取ったり、あちこちに営業に出向いたりして、30歳くらいで退妓する―

といった感じだそうです。

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妓生は、朝鮮王朝時代の階級社会では賤民チョンミンに属すため、王族や両班などの間で売買される身分でした。

ただ、同じ賤民の奴隷などとは違い、宮中の言葉遣いや読み書き、音楽、書画などの芸術や教養を身につけているため、ファン真伊ジニのような王族や両班と対等に渡り合うような気位の高い女性もいたのです


そうした妓生には、「一牌イルペ」「二牌イペ」「三牌サンペ」の3つの等級に分かれていたようです。

「一牌」とは、宮中において女楽として王様の御前で伝統的な歌舞音曲を披露する妓生で、宮中に仕えていた官妓。現代風に置き換えれば国家公務員の立場であったというべき身分で、「売唄不売淫」が鉄則でした。

「二牌」とは、官庁や官僚(両班など)の家に出入りする妓生で、歌や踊りを見せるだけでなく密かに身を売っていた妓生もいた。そのため、「慇懃子ウングナイ」と呼ばれていた。この「慇懃子」には、過去に妓生(官妓)出身者であったり、男の妾であったりと生活のために密かに身を売っていたようで、“妓生崩れ”なとど蔑称されていました。

「三牌」とは、身を売る事が目的の酒場の酌婦をしていて、遊女を意味する「搭抑謀利タバンモリ」と呼ばれていました。その大部分は私妓だったようです。日本でいえば、水茶屋の酌婦がこれに当たるでしょうか。

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そのような妓生たちのの円熟した文化が最も華やかなりし時期が皮肉にも李氏朝鮮王朝の燕山君ヨンサングンの代だったんですよね。

そうした時期に、彼女は妓生の世界に身を投じるのです。

最も、彼女の母・玄琴も風流伽羅琴プンニュカヤグム(雅楽など高尚な音楽に使用される伽羅琴)を弾きこなす松都でただ1人の絃手ヒョンスとして声望を集めていた名妓でした。

美人で、歌・踊り・楽器演奏・漢詩など全てに優れた妓生という彼女の噂は国内全土に広まり、特権階級の官僚や学者たちは競って彼女を求めたと云い伝えます。

なかでも、儒者である敬徳ギョントクや仏教僧・知足チジョク禅師との交流、あるいは王族のピョク渓守ケスとのロマンスなどが有名ですね。

「松都三絶」という語があります。

「三絶」とは、3つの優れたものを指すのですが、松都、すなわち開城での「三絶」は「花潭ファダム(徐敬徳の事)、真伊、朴淵瀑布パギョンポクポ」と云われています。

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画像は私が「黄真伊」を観て、ドラマを通して「黄真伊」ってこんな女性だよ!って表現するのに適した姿を載せてみました。

少女時代のジニは、仏教寺院での修行時代に教坊の外から見た妓生たちの踊る様に憧れ、自ら教坊の門をくぐります。それは“踊りたい”という初心からでした…

大人になった黄真伊は、名月と名乗った妓生の時代を経て、“踊りたい”という境地に辿り着きます。それは踊りを踊りたい人とのふれあいだったのです―

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