槇島(眞木嶋)氏ノート(その1)―槇島(眞木嶋)昭光

わが街・宇治―

この地域は古代から中世にかけての時期、古畿内(山城・大和・河内)の分岐点であり、緩衝地帯というべき地域でした。

源平争乱の発端となった治承期(橋合戦)、源氏同士の主導権争いとなった寿永期(河合戦)、鎌倉幕府の軍勢による京都侵攻を許した承久期の三度にわたる宇治川の合戦や、南北朝期南朝方楠木正成による焼き討ち、応仁・文明の争乱を経て戦国の争乱へと展開されていくなか、畠山政長義就による内訌、将又細川京兆家内の内訌など、朝廷や武家の中心都市であった京都につながる道筋にあったのが宇治という街であった訳なんですね。

そうした状況の中で、上山城地方(山城国宇治郡・久世郡・綴喜郡・相楽郡、すなわち南山城地域を指す)の拠点として存在したのが槇島まきのしま城(館)であり、そこには宇治郡槇島地域を本貫地とする眞木嶋(槇島)氏が勢力を張っていました。

元々、眞木嶋(槇島)氏は、室町期の後半期には幕府の奉公衆など将軍家直臣団として名を連ねるなどの地位にあったようです。

そうした中世期から近世期への移行期に活躍したのが眞木嶋(槇島)昭光です。

― ◇ ◇ ◇ ―

〔史料1〕槇島城は一色信濃守輝光居城なり、槇島に在城故称槇島氏、其子槇島孫六重利この時の城主也、玄蕃頭昭光と申候、後秀吉公・秀頼公につかへ大坂にても無二の士なり、虚名を蒙り候へとも無程御赦免有之、大坂落城已後忍て豊前に来候間、忠興君より家康公に御断有て無役の知行千石被下剃髪の名言庵と云、…(中略)…槇島家記に、槇島玄蕃頭儀、…(中略)…右義昭公御逝去已後大閤様・秀頼公江御奉公仕候秀頼公御生涯以後、正覚院と申寺中に浪人仕居申候を、三斎様・加藤左馬介殿御両名にて権現様江御免之儀御願被遊、正覚院江三斎様御直ニ御出被遊、御国江被召寄候旨申伝候、…(中略)…又武辺咄ニ云、…(中略)…槇島玄蕃頭と云て義昭公に奉公し、後に大坂の城に籠、其後細川忠興に奉公し、槇島雲庵とて百三十六歳にて死すと云々、…(後略)…(『綿考輯録』巻2)

〔史料2〕一、先祖真木島信濃守輝光儀、本名一色ニ而御座候、光源院義輝公江被召仕、城州宇治真木嶋之城主ニ而罷在候、
一、高祖父槙嶋孫六儀、後ニ玄蕃頭昭光与申候、右信濃守嫡子ニ而、義輝公御側被召仕罷在候、其節忠節之儀有之、為御褒美寝乱髪ゟ申御太刀被為拝領候、…(中略)…右玄蕃頭儀義輝公御生害以後者義昭公江被召仕、昭之并桐之御紋被下之、執権職相勤、三好御退治之上信長公江為上使罷越候処、従信長公来太郎国行之御刀御馬被下之候、右国行之刀于今所持仕居申候、義昭公真木嶋御籠城之節茂玄蕃頭為城主罷在候、真木嶋落城以後義昭公御供仕、中国江罷下、始終御奉公仕居申候、秀吉公御代、義昭公中国路ゟ御帰洛之節玄蕃頭儀御供仕罷登候処、従秀吉公玄蕃頭江者各別為御合力現米弐千石被為拝領候、其以後義昭公ゟ依御願右之御合力米御知行直被下地方ニ而被為拝領之、其節ゟ秀吉公江被召仕御奏者役被仰付、秀頼公御代迄相勤申候、…(中略)…大坂落城以後玄蕃頭儀御勘気有之候付、三斎様并加藤左馬之助殿御両所様ニ而御断被仰上被成御赦免候、左候而玄蕃頭儀剃髪仕、名を云庵と改、右御両所ゟ御合力米被為拝領京都東福寺寺中正覚院江罷出候、其以後左馬之助殿正覚院江御出被成、御国江可被召寄旨仰聞候得共、御断申上罷越不申候、然処、三斎様正覚院江被遊御入、豊前江可被召寄之旨被達上聞候間、罷下可申旨御直ニ被仰付候付罷下候処、御知行千石無役被下置候(永青文庫蔵『先祖附』槇嶋家)

〔史料3〕 御普請衆 御留守居衆
槇嶋云庵 千石 義昭公ニ奉公宇治槇嶋城主、始名孫六郎、後号玄蕃頭昭光大阪ニ籠城し、後ニ御家ニ来ル(『綿考輯録』3「三斎君ニ御奉公御知行被下置面々」)

― ◇ ◇ ◇ ―

昭光は、室町幕府第15代将軍である足利義昭が京都より追放された後も幕臣の1人として付き従い、紀伊由良・同泊から備後鞆の浦に至るまで同行し、帰洛後も出家した昌山(義昭)に出仕し、昌山卒去に際しては葬儀の一切を取り仕切っています。

その後、昭光豊臣家奏者番(2000石)として出仕。大坂の陣にも出陣(和泉堺、河内道明寺など)しますが、豊臣家滅亡後は云庵と号して細川忠興に招かれ豊前にて1000石(無役)を給され、のち中津城御留守居役(元和9年=1623=頃から)を務めている事が判っています。

― ◇ ◇ ◇ ―

さて、歴史小説『槇島昭光』を著された松村信次さんという方が、熊本市に住む槇島家の直系の子孫の方を訪ね、昭光の墓碑を確認されたそうです。

昭光の墓は、熊本城の西の外れにある禅定寺(熊本市横手町)にあるのだとか―

この禅定寺には、他に加藤清正の重臣飯田覚兵衛並河志摩守三宅角左衛門といった面々の墓があります。

槇島家の墓はその墓地の西端にあるのですが、何でもその場所は熊本県が計画している新幹線開通に伴う道路拡張工事のために、撤去される運命にあるらしいとか…

墓の上部は槇島家の家紋とみられる丸に三つ引き両(→丸に三つ引き両紋は、足利氏一門の支流紋という事なので、下賜された可能性がありますよね?)が彫られていて、その脇の墓碑には、昭光を家祖として20数名の一族の戒名と俗名が刻まれているのですが、昭光の戒名は、「一空宗也居士」だそうです。

また、禅定寺には槇島家の家系図も所持(←住職さんは槇島氏直系の子孫の方のようで…)されており、そこに記載された内容から、
  • 昭光の妻は、上野清信の姉であった

  • 昭光の没年は「正保三年正月二十日行年百十余歳」であった
  • 事が判ったそうです。「正保三年」といえば西暦1646年ですね。昭光「百三十六歳にて死す」(『綿考輯録』巻2)という史料も存在しますが、墓碑に刻まれた「行年百十余歳」からすると、あながち110歳以上の生涯であった事に間違いはないようですね。

    因みに「行年百十余歳」の「百十余歳」の「余歳」は漢文表現でいうところの「よさい(よとし)」と読みますので、イコール110歳で亡くなった訳ではありません。

    数式で表した場合には「110+α(アルファ)」となり、「110歳とちょっと」という表現が一番適切です。同様の表現に「百十有余歳」というのもあります。「有余歳」は「〜ありよさい(よとし)」と読みます。

    ― ◇ ◇ ◇ ―

    (参考文献)
  • 源城政好「槇島昭光―流浪将軍義昭を支え続けた側近」(『宇治をめぐる人びと』宇治文庫6〔1995〕、のち『京都文化の伝播と地域社会』思文閣出版〔2006〕に「真木嶋昭光―流浪将軍義昭を支え続けた側近」として収録)

  • 木下昌規「真木嶋昭光の地位形成についての基礎的考察―天正元年以降の将軍足利義昭側近として―」(佐藤成順博士古稀記念論文集刊行会編『佐藤成順博士古稀記念論文集・東洋の歴史と文化』、山喜房仏書林、2004)

  • 木下昌規「鞆動座後の将軍足利義昭とその周辺をめぐって」(『戦国期足利将軍家の権力構造』、岩田書院、2014)第三部第三章

  • 高田泰史「信長・秀吉・家康に怖れられた槇島玄蕃頭昭光―最後の将軍足利義昭の忠臣―」(熊本歴史学研究会『史叢』第15号、2011)


  • ― ◇ ◇ ◇ ―

    ※(関連)山城国宇治郡と久世郡の境界線―中世期の平等院は宇治郡だった!―→

    ※(参考)禅定寺 熊本藩重臣各家の墓(熊本市中央区)(「ぶらり歴史旅一期一会」のブログサイトより)―→

    ※(参考)槇島(眞木嶋)氏ノート(その1)―槇島(眞木嶋)昭光(2)―→

    ※(参照)槇島(眞木嶋)氏ノート(その2)―昭光以前の眞木嶋氏―→


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    posted by 御堂 at 23:52 | Comment(6) | TrackBack(0) | 歴史:コラム
    この記事へのコメント
    松村さま、新たなる作品を期待致します。頑張って下さいませ!
    Posted by 御堂 at 2008年03月28日 00:13
    拙い本をご購入ありがとうございます。いつか晩年の昭光を書きたいと思っています。お互いがんばりましょう。
    Posted by 松村信二 at 2008年03月27日 06:40
    松村さま、こんばんは。僕も宇治の人間なんですよ。実家は宇治大谷ですが、僕は五ヶ庄に居しています。松村さんの著書は宇治書店で購入しましたし、他に洛タイでの執筆記事を拝見し、昭光について調べてみようかな、と思って書き上げました。現在は、昭光以前、または以後の「眞木島氏」について調査中です。地元で、あまり知られていない部類の人物を調べるのって可能性があって楽しい限りです。
    Posted by 御堂 at 2008年03月26日 20:27
    御堂さんは宇治の方ですか?槇島家が宇治に来る前の履歴、家系図に書いてあったと思いますがメモすんのん忘れてました。昭光の熊本時代いろいろドラマがありそうですよ。郷土史家の方がいろんな資料を送ってくださいます。勉強熱心なことに驚きます。
    Posted by 松村信二 at 2008年03月26日 09:54
    松村さま、感想有り難う御座います。少しでも地元の歴史を知りたい、探りたいと思って調べるうちに、色々な史実が見つかると嬉しいものですよね!
    Posted by 御堂 at 2008年03月25日 23:03
    槇島昭光その1 興味深く読ませていただきました。よくお調べになってますね。
    Posted by 松村信二 at 2008年03月25日 19:40
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