その時歴史が動いた「奇兵隊〜幕末に命を賭けた若き庶民たち〜」

「その時歴史が動いた」「奇兵隊〜幕末に命を賭けた若き庶民たち〜」を見ました。

幕末長州藩の風雲児・高杉晋作によって結成された戦闘部隊・奇兵隊。身分より実力を重視し一般庶民の入隊を募った奇兵隊は、徳川幕府を破り明治維新を実現させる原動力となった。

番組では高杉の功績として語られることの多い奇兵隊に、隊士として戦った農民や町人たちの視点から迫る。隊士の日記や彼らが使った日用品などを手がかりに、庶民出身の隊士たちが何を思い、いかに戦ったのかを浮き彫りにしながら奇兵隊の苦闘と勝利の瞬間を描く
というのがテーマ内容だったのですが、僕にとって大事な瞬間だったのは最後のエピローグのシーンだけでした。

すなわち、「脱退騒動」のくだりです。確かに奇兵隊を含め諸隊の人たちは大田・絵堂からの内戦で藩兵(干城隊など)を破り、「正義派」と呼ばれるメンバーが藩内の実権を握ります。

それと同時に、奇兵隊を含めた諸隊の人たちも「諸隊会議所」を形成し、そこから出された案件を政府に異見する仕組みを生み出します。

事実、奇兵隊の創設者である高杉晋作などは、政治に口を出す彼らに対して、ある種の危惧を抱くようになり、正規兵である藩兵(干城隊)の傘下に治めようと画策していたのですから…

奇兵隊にとっては、番組中でも紹介された、庶民を守る部隊であることを宣言した「隊中諭示」のように、“庶民の味方であるべき!”と庶民の立場から意見しようとしているのですが、藩内の政事家や官僚たちから見れば、「何を余計な口出ししやがって!」っいう感じで煙たがられていました。

桂小五郎(のちの木戸孝允)や広沢兵助真臣)は彼らの事を「尾大の弊」と蔑んでいます。

そんな彼らの生活状況が、戊辰戦争の内乱が終結した明治2年(1869)の終わり頃から一変します。

元々、「奇」兵隊とあるように、彼らは長州藩にとって非常な事態の中で創設させられた軍隊の一種。

平時の世の中になれば、正規兵である藩兵(干城隊)以外は必要なく、彼らは現在の言い方で言えば、“税金の無駄遣い”な立場となります。

そういう状況下で「精選」にかけられ、ある者は常備兵として残り、ある者は非常事態以前の元の生活に戻るように強制されるのです。

元の生活に戻るように言われた者は、殆んどが陪臣や農家の次男・三男坊たちでした。

彼らにとっては折角、身分も関係なしに自分の言いたい事やしたい事が実現・発揮できる場があったのにまた元の生活に戻らねばならないのか―という不平不満が生じたのは勿論の事です。

そんな彼らが遂に爆発しちゃったのが「脱退騒動」なわけです。

騒動を起こした彼らにとって、不平不満の対象はあくまで「長州藩」のみだったのですが、木戸孝允井上馨らは「明治政府」への反逆行為として彼らを鎮圧し、見せしめの為に処罰者を斬首します。

番組の中でも、武装蜂起に参加し処刑された隊士の言葉として「国のためにした事が こんな事になろうとは」とありましたね。この隊士にとって「国」とはまさに「長州藩」レベルしにか過ぎなかったのです。

よく奇兵隊近代国民皆兵軍のモデルだとして採り上げられますね。奇兵隊での経験があって、その流れで近代国民皆兵軍が創出される、という感じで―

しかし、実際には長州藩内での内戦から「脱退騒動」に至るまでの奇兵隊諸隊の動きを全く否定して、大きな反省材料として体験した長州人たちの教訓の下に創出されたのが近代国民皆兵軍なのです。

そう考えると、奇兵隊諸隊の人たちはまさに中国・漢楚の頃の韓信の故事じゃないけど「狡兎死して走狗らる」(=必要な時は重宝されるけど、要らなくなれば捨てられる)立場だったんですね。

奇兵隊諸隊の人たちは“勝者の中の敗者”として使い捨てられていったのです―

PS.
番組のラストで「隊中様」が紹介されていたのは嬉しかったですね!

「隊中様」とは、諸隊の中で振武隊に属していた藤山佐熊すけくま正道の墓碑を言うのですが、山口市郊外の鎧ヶたおに建っています。

22歳の藤山佐熊は明治3年(1870)2月9日に長州藩の鎮圧部隊との交戦中にその場所で狙撃死します。

藤山佐熊は軍医として活躍していて、鎧ヶ垰付近に駐屯した時に村人の病気を親切に診てあげた事で尊敬を集めていたといいます。

そのため、村人たちは彼の遺体を葬り、墓を立てて供養するのですが、それがいつしか「隊中様」と呼ばれ、墓に参ると病気が治り、願い事が叶うという噂が広まり、参詣者が増えたのだそうです。

明治5年(1872)、山口県は賊徒(=藤山佐熊)の墓が信仰を集めている事に危惧し、参詣を禁止するなどの布告を出しますが、その後も参詣する人が途絶える事はなかったのだとか―

長州贔屓な僕としては「脱退騒動」は勿論ですが、やっとこさ「隊中様」を紹介してくれた!との感慨がありました。

― ◇ ◇ ◇ ―

→※(参照)「平川に伝わる『隊中様』」(サンデー山口2003-04-06)


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