温泉マーク発祥地は安中・磯部温泉 江戸初期、幕府公文書に描写

onsen-mark.jpg

道後、草津、別府、etc…全国でも名だたる有名温泉地は年間1000万人以上の観光客で賑わっています。

その中でも、群馬県といえば自他共に認める“温泉王国”ですよね―

そうした温泉地を訪れる客を出迎えてくれるのが、“温泉マーク”ですよね。

地図記号や絵文字でお馴染みの“温泉マーク”ですが、実は群馬県安中あんなか市の磯部温泉が発祥の地ではないか、と云われています。

同市の南西部に位置し、天明3年(1783)の浅間山大噴火の影響でさらに湧き出す量が増したと云われる磯部温泉界隈を訪れると、そこかしこに「温泉マーク発祥の地」と書かれた案内看板が立ち並んでいます。

何故、磯部温泉に発祥の由来があるのか―

江戸時代の万治4年(1661)3月25日、上野こうづけ碓氷うすい郡の各村々の百姓たちが草刈り場の入会権をめぐって争った際、江戸の評定所がその収拾をつけるために下した裁定である評決文「上野国碓氷郡上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚」群馬県立歴史博物館所蔵)には、いさかいを収めた後の境界線が明示されていました。

その覚書おぼえがきに添付されていた絵図(裁許絵図)上で磯部温泉と記された箇所に温泉を表すための記号、すなわち“温泉マーク”らしき記号が2か所描かれていたのです。

昭和56年(1981)、『磯部温泉史』の編集委員がその記号の存在に気付き、専門家に鑑定を依頼したところ、記号は磯部温泉を示し、その形は温泉が流れる泉から湯気が上がっている様子を具象化されている、とされ、“温泉マーク”としては日本最古のものではないか、と判断したそうです。

日本温泉協会によると、“温泉マーク”明治時代に、当時の内務省の地理調査などで使用され、泉質によって様々な形があったが、「最も分かりやすい形」として、明治後期頃、現在の形になったと云います。

JR磯部駅近くの磯部公園内にある赤城神社には「日本最古の温泉記号」と書かれた石碑が建ち、同じく駅前近くに設置されている足湯の傍らには「上野国碓氷郡磯部村と中野谷村就野論裁断之覚」の裁許絵図に描かれていた“温泉マーク”がデザインされた石碑と共に発祥の由来の説明をした案内板が設置されています。

◇温泉マーク なぜ変える?

ところが、この“温泉マーク”のデザインを見直そうという動きがあるようです。

外国人にとっては、この“温泉マーク”を見てもそれとは判らないと反応する人たちが多いのだとか―

昔に比べて、多くの外国人が日本各地を訪れる事が増えたから、それに対応していこうとの考えでしょうが、「日本ではこうなんだよ!」って日本が発信して世界に根付かせるって考え方があってもいいんじゃないかな?


下記のブログランキングに参加しています。
記載された内容が目に留まった際には、クリックをお願いします!
人気ブログランキング
にほんブログ村 歴史ブログ
posted by 御堂 at 01:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:コラム
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/442698497
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック