「伊達騒動」を違った観点からアプローチ!

江戸時代前期に仙台藩を揺るがした「伊達騒動」の遠因は、藩主が患っていた背骨の病気だった―

これは、ある整形外科医によって自然科学の分野、すなわち医学的観点からアプローチされた説です。

「伊達騒動」とは、万治3年(1660)、伊達家3代目の藩主、伊達綱宗が21歳の若さで突如、幕府から隠居を命ぜられたことに端を発した藩内抗争=御家騒動で、山本周五郎氏の『樅ノ木は残った』は、この「伊達騒動」を採り上げた作品です。

伊達綱宗が隠居させられた理由としたは「酒と女に溺れ、家臣の忠言にも耳を傾けなかった」など言われていますが、真相はまるで薮の中です。

要は、伊達家家中で、藩主の下に集権化を目指す吏僚グループと、独立性の強い分権派グループの抗争と考えればよいでしょう。戦国大名から近世大名への移行期に起こるべくして起こったものと言えます。

整形外科医である室捷之さんは、脊椎せきつい外科の専門医で、歴史上の人物の背骨の研究を続けてこられました。

綱宗隠居の謎に注目した室さんは、1980年代に綱宗の墓が発掘調査が行われた際の遺骨の写真を診断し、背骨の写真に注目されたそうです。

写真では、正常なら真っすぐ後方に向けて突出しているはずの背骨が右に傾いていており、かなり重い突発性の脊柱せきちゅう側弯そくわんと診たそうです。

脊柱側弯症というのは、主に成長期に背骨が変形して左右に曲がる病気。多くは原因不明で、重くなると肺や心臓が圧迫されて心肺機能が低下するのだとか―

仙台市博物館が所蔵する綱宗の肖像画を観てみると、綱宗は上体をやや右に傾け足を崩して座っており、脊柱側弯症を十分に証明しているとの事。

そこで、1つの仮説が―

伊達家は武勇を尊ぶ家風で知られていますが、綱宗が重度の脊柱側弯症だったとすれば、武道や乗馬などの激しい運動は難しかった可能性が高い?

そうなると、

・身体が思うように動かない苛立ちや、藩主としての責務が十分果たせないことへの負い目から、酒や女に溺れる生活に逃避していったのでは?

つまりは、綱宗が体の不調から放蕩に走ったという解釈…

これに端を発して、「伊達騒動」が起こってしまったと述べられています―

いかがです?歴史学の史料論的アプローチからは計りし得ないものがあるけど、こうした自然科学的アプローチや諸々のアプローチの方法もあるんですよね。

― ◇ ◇ ◇ ―

→(参考)室捷之『一整形外科医が綴る 脊椎日本史18話』


この記事へのコメント

  • あほやん

    こんばんは、あほやんです(・ω・)ノ

    <医学的観点からアプローチされた説
    おもしろい見方だと思いますo(^-^)o

    <伊達綱宗が隠居させられた理由としたは「酒と女に溺れ、家臣の忠言にも耳を傾けなかった」
    <・身体が思うように動かない苛立ちや、藩主としての責務が十分果たせないことへの負い目から、酒や女に溺れる生活に逃避していったのでは?
    ただ、「苛立ちや負い目から酒や女に溺れる生活」になったというのは微妙に納得いかないような・・・。
    むしろ「綱宗が重度の脊柱側弯症」という病気であるから、幕府はこのような人物を出仕させられないし、伊達家中もまとめられないので隠居させた。「酒や女に溺れる生活」になったのは結果論のような気もします。
    元康さんも述べておられますが、「酒や女に溺れる生活」というのが、どれほど信憑性のある史料に挙がってるのか疑問です。

    というような妄想をした方が「医学的観点からアプローチされた説」が活きそうな気もしますが如何でしょうかo(^-^)o
    2007年03月29日 22:13
  • 御堂

    訂正です…

     × 家光が死ぬ前の年
          ↓
     ○ 家光が死んで10年

    …経ってました。
    2007年03月29日 05:00
  • 御堂

    元康さん、こんばんは。

    幕府も遠慮が…というよりは、事が起こったのが家光が死ぬ前の年、次は幼い家綱って事で、それなら危険度の高いトコ(大名)は茶々入れとこか―って感じじゃないでしょうか(笑)

    まぁ、付け込む隙を与えた綱宗の側のミスもありますが…

    僕も以前は史料オンリーな文献史学で凝り固まった感じでったんですが、職場の上司で、同様に史学科出身の方がいらっしゃって(その方は社会大衆史から観た歴史観の人で…)「こーいう観方もあるんだよ!」って教示を受けたんですね。

    それ以来、あらゆる、違った角度からのアプローチを心掛けて(るつもりで…)います。新しい発見がいっぱいありますよ!
    2007年03月28日 23:37
  • 元康

    伊達家3代というと、政宗の孫・・・。
    さすがに孫の代になると、幕府も遠慮なくなるようですね^^;

    医学的なアプローチというのは新鮮ですね。
    史料の正確性はある程度以上は確かめようがありませんが、
    今だからできるアプローチによって、新たな真実が発見できるかも・・・
    やはり歴史は奥深いですね~^^
    2007年03月28日 20:29

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