新しいパーパ(教皇)はイエズス会派のフランチェスコ1世!

ローマ教皇であるベネディクトゥス(Benedictus)16世の退位に伴い、“新しいパーパ”ローマ教皇)を選出するためにヴァチカン(Vaticanæ)で行われていた教皇選出会議「コンクラーヴェ(Conclave)」で、アルゼンチン・ブエノスアイレス(Buenos Aires)出身でブエノスアイレス大司教であるホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(Jorge Mario Bergoglio)枢機卿が第266代のローマ教皇に選ばれ、フランチェスコ(Franciscus)1世と名乗る事になりました。

前教皇ベネディクトゥス16世は高齢で教皇の職務の重責を果たせなくなったと退位の理由を述べたが、教皇職は事実上の終身制であり、存命中の退位は極めて異例の事でした。

「自らの意思による退位」は1415年のグレゴリウス(Gregorius)12世以来598年ぶり、また同じく生前退位をしたケレスティヌス(Caelestinus)5世以来719年ぶりとの事。

ベネディクトゥス16世は枢機卿会議の席上で「自身の力不足を理由で退位する」という内容の文章をラテン語で朗読して退位表明をしますが、これはケレスティヌス5世が退位した際と同じ行動です。

グレゴリウス12世の退位の場合は、1378年から1417年の間に生じたシスマ(Schisma:教会大分裂)による3人の教皇が鼎立した状態の解消、すなわち事実上の廃位であって自らの意思とは言い難く、従って、自らの意思で退位するのはケレスティヌス5世の退位以来史上2人目とされます。

今後、前教皇は「名誉教皇(Pope Emeritus)」という称号が与えられ、また「聖下」の尊称で呼ばれる事となるため、「ベネディクト16世名誉教皇聖下」と呼称される事になります。

日本の仏教寺院での僧侶さんたちが「大僧正猊下げいか」と呼ばれるのと同じ感じでしょうか?

教皇選出会議「コンクラーヴェ」
教皇が退位した事に伴い、「空位時期(使徒座空位)」が定められ、前教皇を除く、ローマ・カトリック教会の枢機卿団がヴァチカンに集結します「。世界で最大級の影響力を持つ宗教指導者、ローマ教皇を選出する有権枢機卿たちです。

今回のコンクラーヴェでは、総勢208人からなる枢機卿団のうち、コンクラーヴェの参加資格である「80歳以下の枢機卿」の条件を満たした115人がヴァチカンに集結し、昔の教皇の公邸でもあったシスティーナ(Sistina)礼拝堂において秘密投票がなされました。

教皇の選出には全投票数の2/3の得票である77票以上が必要で、獲得する候補が出るまで投票が続けられ、2日目の5回目の投票で決まり、システィーナ礼拝堂の煙突から新しいローマ教皇の決定を告げる白煙が上がりました。

このコンクラーヴェはこの100年間で、今回も含め9回実施されています。そのうち、最も早く教皇が決まったのが1939年に選出されたピウス(Pius)12世で、2日目に3回目の投票で選出されました。続いて、1978年のヨハネ・パウロ(Ioannes Paulus)1世と2005年のベネディクトゥス16世が2日目に4回目の投票で選出されています。

最も時間がかかったのは1922年に選出されたピウス11世で、何と5日目の14回目の投票で決まったのだとか―

何れにしても、今回のコンクラーヴェにより、ローマ・カトリック教徒の総数11億6786万人(2010年段階)の皆さんの精神的支柱である“新しいパーパ”が決まった訳です。

初のイエズス会派
2日間5回もの投票で選出が決まったのが、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のフランチェスコ1世

今や世界最大のカトリック人口を抱える中南米から初の選出だそうです。

実は、今回のコンクラーヴェでは本命なき攻防だったようで、前回でも有力な候補として名前が挙がり、前教皇の次に得票数を獲得していたと伝えられています。

フランチェスコという名称は、選出された新教皇が自ら決める事となっているのですが、12〜13世紀にイタリア中部のアッシジ(Assisi:現在のイタリア・ウンブリア〔Umbria〕州ペルージャ〔Perugia〕県)を拠点にカトリック改革運動を率いて修道会の1つ・フランシスコ会(フランチェスコ会)の創設者として知られるカトリック修道士、聖フランチェスコ(Franciscus)に由来するそうです。

ローマ教皇は15世紀以降、枢機卿団の中の1人が教皇に選出されていますが、1978年にポーランド人のヨハネ・パウロ2世が就任するまで、約450年にわたってイタリア人の選出が続き、前回(2005年)では、ドイツ出身の前教皇が、そして今回はアルゼンチン人の教皇が選出される形となりました。

ところで―

この新教皇フランチェスコ1世は、戦国時代に日本(※ 主に西日本)にキリスト教を伝えた修道会「イエズス(Iesu)会」(耶蘇会やそかいに所属する方だそうです。

このイエズス会員、現在では112か国で2万人もの会員が存在し、カトリック教会の男子修道会としては世界で2番目に大きい規模を誇るようです。

私たちにとり、この「イエズス会」(耶蘇会)は日本史で非常に馴染み深い用語ですね。

天文18年(1549)、フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)が鹿児島に上陸して布教活動を始め、その後、アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano)ルイス・フロイス(Luís Fróis)グネッキ・ソルディ・オルガンティノ(Gnecchi-Soldo Organtino)ルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida)ジョアン・ツズ・ロドリゲス(João“Tçuzu”Rodrigues)といった会員たちの活躍で大きく発展し、日本(※ 主に西日本)におけるキリシタン信者を増やすと共に天正遣欧少年使節を派遣します。

しかし、最終的には徳川幕府による迫害によって宣教師と協力者たちは処刑・追放され、正保元年(1644)に小西行長の甥・マンショ小西の殉教を最後に日本人司祭も存在しなくなり、日本でのイエズス会(耶蘇会)の布教活動が終焉を迎えます。

イエズス会の活動理念は、主にローマ教皇への忠実という意識が強く、それはウルトラモンタニスト(教皇支持派)と呼ばれます。カトリック教会の中でも最も厳格な規律で知られ、保守傾向の強い派に属しています。

また、宣教事業や社会正義事業と並んで高等教育の普及を目指していました。その成果というか現在、世界各地にイエズス会の高等教育機関(大学を含め)が存在しますが、最も活発なのはインドとフィリピンと云われています。

その後、イエズス会は1773年に当時のローマ教皇クレメンス14世により禁止されると、ポルトガルがイエズス会会員の国外追放を決め、フランス、スペインなども同調し衰退の一途を辿たどります。

そうした中で、ロシアやプロイセンなどはイエズス会会員を受け容れ、結果として国内で啓蒙君主と呼ばれる英明な君主が誕生する素地を創り出します。

やがて、1814年にローマ教皇ピウス7世ようやイエズス会の復興が許可します。

現在、イエズス会の総長(終身制)はアドルフォ・ニコラス師で過去に日本管区長を務め、上智大学で神学を教えていたそうですよ。

※ 主に西日本
主に西日本としたのは、日本への布教活動の前半期はイエズス会の活動が多くみられ、その代表的なものとして天正遣欧使節が挙げられます。一方で、後半期はイエズス会ではなく、東日本を中心にフランシスコ会(フランチェスコ会)の活動が多く見受けらます。例えば、伊達政宗に近づいたルイス・ソテロ、そしてその代表的な活動計画として慶長遣欧使節が挙げられます。


― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)新しいパーパ(教皇)はベネディクトゥス16世→
※(参照)ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世崩御→


    


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posted by 御堂 at 03:23 | Comment(0) | TrackBack(1) | 歴史:コラム
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