明宮嘉仁(大正)天皇

嘉仁(大正)天皇ほどその存在が希薄な人はいないでしょう。

幼き頃より病弱な事が「力強き元首」のイメージを損なうとして元老や近臣から煙たがられ、しいては病状の悪化をわざと表面化させ政務が困難になったと言って人格そのものを無視されてしまいます。

ところが、嘉仁天皇は自由闊達で人間味あふれる人物でした。御学問所での詰め込み教育への反発、有栖川宮や大隈重信、原敬といった人達との自由な交流、皇太子時代には体力が優れないにもかかわらず全国を歴訪し、民衆と接する時も他愛もない普通な会話を楽しみ、皇后である節子妃(貞明皇后)のピアノ演奏に合わせて親王宮たちと一緒に唱歌を楽しむ様子はまさしく「人間・天皇」を先駆けた姿といえます。

しかし、「天皇制」というシステムは嘉仁天皇の優れ持った感受性を否定し、また天皇も自身の性格を変える事を拒んだため、ストレスが病弱な身体をさらに害していったのです。

嘉仁天皇の死後、節子皇太后は朝夕必ず嘉仁天皇の画像がある部屋に入っていたと言います。午前中のほとんどをこの部屋で「生ける人に仕える様に」過ごしました。

夫の命を縮めた「天皇制」というシステムへの無言の抵抗がそこには映し出されてはいないでしょうか。


  

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