“道は好む所によって安し”―“好きこそ物の上手なれ”って言うよね!

こんな記事を見つけました!

「洛東高、『地歴研究の甲子園』で優秀賞 府内初」

といったもの―

歴史や文化財、地理に関する研究成果を競う「全国高校生歴史フォーラム」(奈良大学主催)という催しで、京都府立洛東高校(京都市山科区)の女子生徒4人のグループ「人文社会コース研究会」が、優秀賞を受賞したそうです。

この催しは、“地歴研究の甲子園”とも称され、6回目の今年は全国から75件の応募があったのだとか…

彼女たちが研究したテーマは安祥寺あんしょうじ下寺の所在地」というもの―

彼女たちは地元の安祥寺を見学し、平安時代には上寺下寺があったという記録を基に同校近くにあったとされる下寺の所在地を探求。

専門的な文献や古地図を読み解き、学校のグラウンド内に地番界(住所表記が変わる境界線)がある事を発見し、周囲の地名や史跡を史料と照合した結果、下寺の位置を推定したようです。

受賞の知らせを聴いた彼女たちは、「難しい論文や史料と向き合う研究だったが、調べてまとめる事を学べた」と語り、「歴史の道に進み、将来に活かしたい」とも言っています。

指導した教諭は「内容は学術的にも通用するレベル。研究発表は専門家に聞いてもらう良い機会にもなる。難しい要求に応えてくれた生徒たちに感謝したい」と話しています。

彼女たちの研究成果は、24日に奈良大学で行われる表彰式で発表されます。

個人的には、同じく優秀賞を受賞した大分東明高校(大分県)郷土史研究部の「高田輪中の野鍛冶・入鎌師と水害―輪中集落の歴史・くらし・文化 3―」や、佳作だけど西大和学園高校(奈良県)地理歴史部の「大和郡山城下町の歴史と変遷」も面白そう!!

― ◇ ◇ ◇ ―

実を言うと、私も大学4回生の時、『地方史研究』の発行で有名な地方史研究協議会が主催している「日本史関係卒業論文発表会」の存在を知って、応募してみようかな?なんて無謀な事を考えてた過去があります。

結局、色々と調べていくうちに応募してる学生の殆んどが関東圏の大学生である事に疑問を感じたので、思い直しました。

京都で歴史の勉強をしている以上、京都(京都学派)で認められなければ何の意味もありませんからね…

― ◇ ◇ ◇ ―

吉祥山安祥寺あんしょうじは京都市山科区御陵みささぎにある高野山真言宗の仏教寺院で、定額寺じょうがくじの1つでした。

古代天皇制度下において、官大寺国分寺国分尼寺を含む)に次ぐ寺格を有した仏教寺院を指し、神仏に鎮護国家や皇室繁栄などを祈願して創建され、王家(治天の君)の私寺的色彩が強いのが「勅願寺」、これに対し、有力貴族や地方豪族の氏寺であった私寺のうち官の保護を受けたのが「定額寺」と言います。

嘉祥元年(848)、仁明天皇女御にょうごで文徳天皇の母である五条后藤原順子のぶこの発願により、入唐にっとう僧・恵運によって、山城国宇治郡に創建された。天皇の母に関係した寺である事から斉衡2年(855)に定額寺となります。

しかも、五条后順子の御陵は『延喜式』によると山科の地にあるとされるので、この寺との深い関係がうかがえます。

安祥寺には醍醐寺同様に「上醍醐」「下醍醐」と呼称するように、裏山に「上寺」が、麓に「下寺」が存在したと云います。

恵運が貞観9年(867)に作成した『安祥寺伽藍縁起資財帳』によると、上寺には礼仏堂と五大堂とから成る堂院・東西僧房・庫裏・浴堂などの施設が、下寺には約2万uの寺域内に塔・仏堂・僧坊・門楼などがあったとされます。

しかし、五条后順子が死去した後は朝廷の庇護を失い次第に衰微していったようで、『小右記』では既に上寺に行く参道が非常に荒れている事が記述されています。

その後、上寺の方は延文年間(南北朝期北朝年号、1356〜60、正平11〜16年)まではかろうじて存続していたみたいですが、応仁・文明の乱(1467〜77)により、上寺下寺共に廃塵に帰し、完全に廃寺となります。

江戸時代になり、現在地に移転して本堂、地蔵堂、大師堂、多宝塔が再建されますが、上寺の方は全く再建されず廃絶。明治39年(1906)の多宝塔焼失後、再建されていません。

― ◇ ◇ ◇ ―

このニュースを見て、自分の高校時代を想い出しました。

私自身も、小学校高学年の頃から“将来は歴史の勉強がしたい”という思いで目標を定めていたのですが、いざ高校に入学し課外活動クラブを「古典歴史」クラブと定めて、素地を固めていこうというプランだったのですが、入学した年に「古典歴史」クラブが廃部になり、入部が叶いませんでした。

まぁ、他に「古典文学」系のクラブがあったので、そちらに籍を置いたのですが、私としては大学受験に向けて、個別に独学で歴史の素養を培っていくしかないな、という感じだった訳です。

幸い、高校2年生で初めて日本史を習った際の先生も、担任で世界史の先生もどちらかと言えば、暗記、穴埋め式の授業ではなく、文章表現や論文・記述式のテストをなさる方だったので、結果として鍛えられたんですけどね(笑)

例えば、担任で世界史の先生のテスト形式は、すべて記述式で、問題は4問。問1は10マス10文字以内で回答しなければならない、問2は20マス20文字以内、問3は30マス30文字以内、問4は40マス40文字以内…といった感じで、100マス100文字以内に文字を埋めて回答する、というものでした。つまり、誤字脱字など許されないし、感想文やレポートにありがちな、漢字で表記すべきを文字数を増やそうとわざと平仮名で表記してマス目を増やそうとするテクニックなど、通用しないんですね(笑)

御蔭さまで、文章力&表現力が鍛えられました!

その他にも大学受験科目以外に、歴史に必要不可欠な科目は単位修得に関係なくても授業を受けて、古文・漢文、美術(史)、書道(史)など…知識も蓄えていった訳です。

― ◇ ◇ ◇ ―

その甲斐もあってか、大学に入学できましたが、現在いまから想えば、4月の開講時点でうまくスタートダッシュをきれた友人と、少しだけ後方に置いて行かれた感じの友人とにグループ分けされちゃったなぁ、と感じる事があります。

関西私学の大学入試は2月上旬から中旬に集中されます。私などは一般入試で入学した人なので、モチベーションというか、学習意欲のピークが4月の開講時点もまだ残っていた感じなのですが、一方で推薦入試で入学した友人たちは10〜11月がピーク絶頂で、下手をすれば4月の開講時点はモチベーション上げるのに苦労していたようです。

しかし、そうは言っても、皆が歴史の勉強をしたいからと入学して来た連中ばかりなので、周回遅れになる奴などいませんでした。

完全に遅れちゃう人って、とりあえず大学に入学したとか、日本史は暗記モノとして点数が採りやすいから…って感じで、入学したからの目的意識がないっていうか、モチベーションが低かった気がします。

― ◇ ◇ ◇ ―

しかも当時は、バブル全盛期で中学から高校を通じて友人の誰もが、就職時に有利になるように経済学部とか、経営学部、産業社会学部とかを目指していて、そういう連中から私などは「何のために文学部に行ってねん?」って感じで揶揄やゆされたもんです。

「何のために…」って言われてもねぇ…

正直、私は高校までは引っ込み思案で、自己主張しないタイプの人間でした。そんな私が歴史という科目に出逢って、自己主張できるような個性を持てるようになった訳です。

但し、高校までは理数系が得意な連中と同じクラスだったため、なかなか芽は息吹ませんでした(笑)

― ◇ ◇ ◇ ―

大学に入学して以降、歴史の勉強に明け暮れるわけですが、友人の中には、折角4年間の大学生活を歩むんだから、空いた時間に他の学科で面白そうな講義を聴こうよ、って誘ってくれた友人が居ました。

確かに、単位修得の仕方にもよるけど、3回生次や4回生次になると、かなりカリキュラムも空く訳で、他の学科、例えば仏教学科での(仏教学科から視た)禅宗史の科目、或いは国文学科や社会福祉学科(家族社会学など)の講義などを聴講しました。

現在いま想えば、こちらの経験がかなり役立っています。

禅宗史などは、就職・転職などの面接時に禅宗系の学校出身って事で、「只管打座」とか「色即是空、空即是色」の意味を意地悪く聴いて来られた面接官もいらっしゃったので、十分に役立てられたし、歴史学の知識にしても、在学当時は歴史上に名を残した偉人たち、即ち“個”の歴史ばかり追求してた感じですが、寧ろ“個”じゃなくて、史料にも名が残らないような一般大衆たちの歴史、即ち“社会史”の方が遣り甲斐があると感じたんですよね。

やがて、学校事務に就職したのですが、そこで同じく史学科を出られた先輩の方にも“社会史”の価値をよく聴かされたんですね。

その事があってから、図書館へ調べ物に行った際も歴史の書棚(200番台)ばかり物色するのではなくて、社会の書棚(300番台)も注意深く物色するようになったんですよ。

想い起こせば、良きアドバイスを頂いたと想います。

毎年、年齢を重ねるたびに歴史という大衆社会に埋(うず)もれた人たちの叫び声を掘り起こそうとする自分がいる訳ですから…

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)全国高校生歴史フォーラム→

※(関連)「崔杼弑其君光」という文字に込められた意味―歴史への取り組み方を教わったエピソード!→
※(関連)図書館で役立てよう!→
※(関連)高校日本史、自分の時はどーやったかな?→


  


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posted by 御堂 at 01:42 | Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史:コラム
この記事へのコメント
はじめまして
この大会にて、大和郡山について研究した者です
興味深いとのコメント、ありがとうございました!
Posted by るさ773 at 2013年02月17日 00:46
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