(トピックス)新陰流の創始者・上泉伊勢守が木像に

室町後期の新陰流の創始者・上泉伊勢守の復元木像

日本の代表的な剣術流派「柳生新陰流」の原型を編み出し、「剣聖」と称される上泉かみいずみ伊勢守信綱のぶつなの生誕500年祭が10日、前橋市上泉町で催され、上泉伊勢守のテレビドラマの実現に向けて活動する「上泉伊勢守ドラマ化推進委員会」が、伊勢守の木像を完成させたそうです。

伊勢守の銅像は、伊勢守が自ら考案した割れ竹を革袋に入れた「袋竹刀」を手に、どんな状況にも応じられる「無形の位」の立ち姿の50歳位の伊勢守で強さの裏に優しさを備えた「剣聖」を意識したもの。

設置された場所は、前橋市上泉町1区集会所の庭で、木像は全長は約180cm、重さは300㎏ほど、持ち運びが可能でお祭りやイベントなどで展示できるように造られたようです。

上泉自治会館にある上泉伊勢守の銅像

同委員会は、桂萱地区にのぼりばたを立てるなど、伊勢守の映像化に向けて活動されていて、平成20年(2008)の生誕500年祭には伊勢守の銅像(全長約215cm、重さ約400㎏で黒御影石の台座に乗っている)が造られ、上泉町自治会館の庭に建っています。

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上泉伊勢守信綱は、上野こうずけ国勢多郡桂萱かや郷の上泉(現、群馬県前橋市上泉町)を拠点とし、同郡の大胡おおご郷(現、群馬県前橋市堀越町)にった大胡氏の一族( 『前橋市史』第1巻)である上泉氏の第4代目の城主です。一族は城主であると共に、代々が兵法家として知られ、陰流、神道流、念流などの諸流派を学ぶなかで、新陰流を創始します。

大胡氏は藤原秀郷の子孫で藤原姓足利氏("橋合戦”での田原足利忠綱が有名)の庶流にあたります。平安時代から大胡城を拠点として、鎌倉、室町時代にかけて勢力を張りますが、戦国の騒乱の中で衰微してゆき、室町幕府の重臣・一色いっしき家がその名跡を継ぎ(←恐らく、幕府か関東公方の傘下に入り、旗本株を一色家が買ったのでしょう)、大胡氏宗家を立て直した後に上泉に拠って上泉氏を興したものと考えられます。

その後、大胡城は後北条氏からの攻撃を受けて陥落。大胡氏宗家は後北条氏の傘下に組みしますが、上泉氏は群馬郡厩橋まやばし(現、群馬県前橋市)に拠った長野氏に仕え、武田信玄・北条氏康の大軍を相手に奮戦し、“長野の16人の槍”と称えられ、上野国一本槍の感状を長野業盛からもらったと云います。

長野氏の本拠である箕輪城落城後は、長野氏旧臣を取り立てようとする武田信玄からの再三にわたる仕官の勧めにも応じず、新陰流を普及させるため門弟たちと共に諸国流浪の旅に出たそうです。

上洛した際、公家の山科言継ときつなとは交流があったようで、言継が書いた日記(『言継卿記』)に「大胡武蔵守」もしくは「上泉武蔵守(信綱)」との記載が多々みられます。

伊勢守は剣聖とうたわれ、多くの流派の祖とされ、宝蔵院流槍術の宝蔵院胤栄や新陰流の柳生石舟斎にその技と心を伝えるのです。

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そんな上泉伊勢守信綱を扱った時代劇ってないのかな、って調べてみると面白うそうな作品が見つかったので、以下に照会しておきますね!

上泉伊勢守信綱を映像化した作品(主役級)
「日本剣客伝」第3話「上泉伊勢守」(配役:長門勇さん)
昭和43年(1968)5月29日~6月19日放送、NET(現、テレビ朝日)制作
→池波正太郎『上泉伊勢守』(『日本剣客伝』1所収)をベースに制作されたもの
「雲のごとく水のように 剣聖 上泉伊勢守信綱」(配役:若林豪さん)
平成4年(1992)3月28日放送、群馬テレビ制作
←余談ですが、映画「二百三高地」で若林豪さんは上泉伊勢守信綱の11世子孫である上泉徳弥海軍中佐を演じてられています。何か因縁めいてますよね!

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