(トピックス)世界最古?15世紀のブラジャー、オーストリアで発見!

15世紀に作られたブラジャー

オーストリアのインスブルック大学は19日までに、オーストリア西部に広がるチロル(Tirol)州の古城から15世紀に作られたブラジャーが見つかったと発表しました。

同大学が東チロル(Osttirol)側にあるチロル州レングベルク(Lengberg)城で2008年(平成20)7月から始めた考古学調査で、城内の床板の下から長く放置されていた大量の布を発見。その中に現在のブラジャーの形態のようにストラップ(肩紐)や2つのカップが付いたブラジャーらしきものが複数が含まれていて、一部にはカップの下も覆うタイプもあったとかで、何れもレースなどで装飾されていたのだとか―

その後、同大学の考古学者がスイス・チューリッヒ(Zürich)にあるスイス連邦工科大学で放射性炭素年代測定法(炭素14法)によって繊維を測定し、作られた時期を特定した結果、生地はリネン(亜麻布)製で、1440年~85年頃のものと判明。「これまでに発見された世界最古のブラジャーだ」と地元メディアに語ったそうです。

同大学の考古学者はブラジャーの考案時期について、中世の書物からは「胸用の袋」「袋付きシャツ」「胸用の帯」といった記述が散見されるものの、カップ付きのブラジャーはこれまで19世紀前には存在しなかった、と認識されていたと指摘し「15世紀に現代と同じようなブラジャーが存在した事は大きな驚きだ」と話しているという。

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さて、ブラジャーの語源ですが、フランス語の「brassière(ブラシェール)」から来たものと云われています。

但し、この「brassière(ブラシェール)」を意訳すると、「女性のバストのための下着」ではなく、「女性や赤ちゃんが使っていた袖付きの胴着」を指すそうです。

しかも、「bras(ブラ)」の語意は「胸」ではなく、「腕」を指し、直訳した場合、「腕の防護具」となるんだとか…

その歴史を辿ってみると―

ブラジャーのようなものを身に着けた女性の姿は古代ギリシャ時代においては、ミノア文明期(クレタ文明期ともいう、紀元前2000~1500年頃)のクレタ島やスパルタクスで着用されていた「ゾナ」と呼ばれる一枚布の下着で胸部を覆う姿が知られています。

時代が下がって、古代ローマ時代になると、女性はバストを衣類で覆ってしまいます。

中華人民共和国内モンゴル自治区東南部に位置する赤峰(シーフォン:Chìfēng)市寧城(ニンチェン:Níngchéng)県で遊牧民族系で山東系漢族と旧渤海系遺民を融合した遼(契丹)の時代の人が眠る墳墓(王族か上級身分でしょうね!)から現代のブラジャーに似た女性用下着の一部が発掘、出土されました。下着は絹製で精巧な刺繍が施されており、現代のブラジャーのようにストラップ(肩紐)やベルトに相当する部分(背中の帯)が付いていたのです。しかし、これはカップに相当する部分がまだありません。

16世紀頃、宮廷の女性たちはコルセットでウエストを締め上げ、バストを持ち上げるようになります。

ブラジャー「胸部を覆い、乳房を保護し形を整えるための女性用の下着」と定義すると、19世紀後半になってようやく、現代のブラジャーの原型らしきものが出てきます。

世界最古の寄せて上げるブラジャー?

世界最古の“寄せて上げるブラジャーがロンドンにある科学博物館で発見されます。鑑定された結果、1880年代の頃(→そうなると、ヴィクトリア朝でしょうね!)のものと考えられているそうです。

1889年、フランス人のエルミニー・カドル(Herminie Cadolle)という女性が最初のものを発明。

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1893年、イタリア人のマリィ・トチェック(Marie Tucek)という女性が「ブレストサポーター」という名前でブラジャーの特許を取得。

1907年にはファッション・ライフスタイル雑誌『VOGUE(ヴォーグ)』に初めて「Brassiere」という用語として登場し、認知されていきます。

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1913年、アメリカ人のメリー・フェルプス・ヤコブ(Mary Phelps-Jacobs)(グラマラス・カレス・クロスビー)によって発明されたものが、翌1914年に「Backless Brassiere」という名前でブラジャーの特許を取得。これが現在のブラジャーの原型として知られています。

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日本におけるブラジャーの歴史はさらに浅く、大正末期から昭和初期の1920~30年代、すなわち“モボ・モガ(モダンガール)”の時代に最先端ファッションとしての洋装が日本に輸入されてきます。

大正15年(1926)、「乳房バンド」という名称での広告が掲載されたのが初見でしょうか?

昭和4年(1929)には「乳房バンド」以外に「乳バンド」「乳房ホールダー」「胸美帯」「乳おさえ」などの名称で広告や通信販売欄に掲載され、薬局や小間物店、デパート等で売られていました。

日本においてブラジャーという名称が初見されるのは1930年代に入ってからの事です。

しかし、高価な輸入ブラジャーを着用できる女性はごく一部の階層で、一般の多くは自家裁縫によって類似した形態のものを作って着用するしかなかったのです。

その状況が変化をみせるのはやはり敗戦後で、昭和25年(1950)に和江商事株式会社(現在のワコール)によって、ブラジャーの生産が開始されます。

したがって、日本におけるブラジャーの歴史は、せいぜい60年ほどしか経っていない事になりますね。

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レングベルク城

次に15世紀、それも1440年~85年頃のものという点に注目します!

現在から約600年ほど前、時代背景としてはちょうどイタリア・ルネサンス(Renaissance)に影響を受けた北方ルネサンスの真っ只中ですね。

発見されたレングベルク城があるチロル地方は、中世期を通じて、銀、銅、そして岩塩が大量に採掘され、支配していたハプスブルク(Habsburg)家に因んで“ハプスブルク帝国の財布”と呼ばれるほど長い間ヨーロッパ経済の中心として重要な役割を果たしていた場所です。

細かく観れば、1438年にアルブレヒト(Albrecht)2世が、次いで1440年にフリードリヒ(Friedrich)3世がドイツ王になり、王位をほぼ世襲化する事となった時期に該当し、ハプスブルク家が神聖ローマ帝国皇帝としてまだヨーロッパ世界を席巻する前、ドイツにて力を蓄えていた時期になりますね。

ところで、チロルという地名は、現在のイタリア共和国北部に位置するトレンティーノ=アルト・アディジェ/南ティロル(Trentino Alto Adige/Südtirol)特別自治州ボルツァーノ(Bolzano)自治県のメラーノ(Merano)の郊外にあるチロル村に起源を持っているそうです。

余談ですが、「チロル」と聞いて何を連想されますか?平成生まれも含めてこの質問をすれば、大抵の人は「チロルチョコチョコレート」を思い浮かべるのでは!

実際、「チロルチョコチョコレート」を製作・販売するにあたって、チョコレート会社の社長さんがこのチロル地方に訪れたそうで、イメージ戦略としても適用しているそうですよ。

また、少数派かもしれないのですが、昭和生まれ限定では「チロリアン」って聞いた事がありませんか?

「チロリアン」は洋菓子の老舗「千鳥屋」が製作したもので、こちらは正にチロル地方に古くから伝わっていたロールクッキーをアレンジして作ったものだそうです。TVのCMで「♪チローリアーン」ってフレーズで流れてましたね。あれって、昭和43年(1968)に実際にチロル高原にて撮影されたんですって…

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さて、話を元に戻して―

その地を支配していたチロル伯は算出銀の力で付近の領地を次々と吸収し、さらにオーストリア西部に進出します。

こうして領土の広がったチロル伯領ですが、14世紀の中頃に直系男子が断絶し、血筋が途絶えてしまいます。

そして、唯一の相続者であるチロル女伯マルガレーテ(Margarete von Tirol)は1363年、その領地をハプスブルク家に譲渡します。

こうして、ハプスブルク家はチロル地方の新しい領主となったのです。

1402年、チロル地方はオーストリア公フリードリヒ4世に相続され、1420年には首都機能がをメラーノからインスブルック(Innsbruck)に遷されます。

1463年、フリードリヒ4世の子・ジギスムント(Sigismund)がチロル地方の領主の地位を相続します。

そうした時期にインスブルックの北東、チロル地方の谷の中にあるシュヴァーツ(Schwaz)で銀山が開発され、1477年にはハル・イン・チロル(Hall in Tirol)に銀貨の鋳造所を造ります。

ジギスムントはインスブルックの城塞を大幅に拡張し、現在のホーフブルク宮殿の基礎ができあがり、そうした彼の許に優れた芸術家たちが集まったのだとか―

その後、ジギスムントは失政と数々の素行不良がもとで、皇帝フリードリヒ3世により領主の地位を失います。

チロル地方の住民たちもフリードリヒ3世の提案を支持し、1490年、フリードリヒ3世の子で次期皇帝であるマクシミリアン(Maximilian)がチロル地方の領主となり、インスブルックはハプスブルク本家の領地となります。

さらに、神聖ローマ帝国皇帝となったマクシミリアン1世はインスブルックに移り住み、ここを神聖ローマ帝国の首都としたそうです。

まとめ

○従来、服飾史の観点からみて、現代のブラジャーの原型は、20世紀の初頭にコルセットが放棄された後に発明されたもので、19世紀より以前には存在しなかった、と云われてきましたが、今回の発見のように15世紀に現代と同じようなブラジャーが存在したという事は、20世紀のブラジャーは再改良だった可能性が強くなりますね。

○また、それが発見された場所であるチロル地方が“ハプスブルク帝国の財布”と呼ばれ、ヨーロッパ経済の中心として重要地だった事、そうした拠点が芸術や文化の中心として繁栄するのは“世の常”であり、当時のトレンドだったのかもしれないブラジャーの原型が発見されたのも必然性が大いにあったと思われます。

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