(トピックス)白石城初代城主・片倉小十郎景綱の銅像が建立、除幕 右手に愛用の横笛を持ち、城下町を見詰める姿

建立された片倉小十郎景綱の銅像建立された片倉小十郎景綱の銅像

戦国時代に伊達政宗を支え、幕藩体制期に白石しろいし城主を代々務めた初代城主・片倉小十郎景綱の銅像が、片倉家歴代城主の菩提寺である傑山寺(宮城県白石市南町)境内に建立されました。

銅像は台座を含めた高さが約4m、小十郎景綱の部分の高さが約1・8mのブロンズ座像。

銅像は右手に愛用の横笛「潮風」を持った姿で、城下町の発展を見詰める格好に仕上げられています。

銅像は文化勲章を受章されている彫刻家の中村晋也さんが制作。

中村さんは「景綱は平和を好んだ人物だと考え、居丈高、好戦的にならないよう、鎧兜でなく平服姿にした。景綱は笛の名手として知られているので、笛を強調した」と話されています。

列席した片倉家第16代当主で青葉神社(宮城県仙台市青葉区)の宮司を務める片倉重信さんは「(景綱が)今も慕われているからこそ、銅像が造られたのでしょう。景綱が生きた時代には達成できなかった平和な世界を築く力になって欲しい」と話されています。

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建立された片倉小十郎景綱の銅像

小十郎景綱は、出羽国置賜郡長井庄(下長井村宮、現山形県長井市宮)に在った米沢八幡宮(※)の社家の出自で、異父姉であり、後に伊達政宗の乳母となる片倉喜多によって養育されます。

伊達輝宗(政宗の父)に才能を見い出され、輝宗の徒小姓として出仕。

その後、遠藤基信の推挙によって、政宗の近侍となり、終生伊達家に仕えた重臣。

慶長7年(1602)、白石城を拝領。以後明治維新まで片倉家が歴代城主を務めた。

※ 米沢八幡宮
→候補が3つあるようですね!
 1 成島八幡宮(山形県米沢市広幡町成島)
 2 八幡宮片倉前社(山形県川西町上小松の塩ノ沢地区)
 3 安久津八幡宮(山形県東置賜郡高畠町大字安久津)
→なかでも、小十郎景綱の父が、川西町の小松・黒沢に領地を持っていた事、小十郎景綱を推挙した遠藤基信が小松城(川西町)を領していた事を考えて、照らし合わせると、(3)が一番有力のようですよ!


菩提寺である常英山傑山寺は臨済宗妙心寺派の寺院として同13年(1608)に小十郎景綱が建立。境内には小十郎景綱の墓標とされる「一本杉」が残されており、敵にあばかれないようにえて墓石を造らず、1本の杉を墓標にしたとされます。

杉の木は、小十郎景綱の生き様を感じるが如く、天に向かって真っ直ぐ堂々とそびえ立っているかのようです。

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