「盟友―石田三成と大谷吉継―」展

久々に長浜城歴史博物館に出向きました。現在開催中の企画展「盟友―石田三成と大谷吉継―」と特別展示「一豊と秀吉が駆けた時代―夫人が支えた戦国史―」の第11回テーマ展「山内一豊と掛川」を観るために―です。

まず最初の「盟友―石田三成と大谷吉継―」展は敦賀市立博物館で開催中にはいけなかったのですが、今回長浜城の方に来たので観ることができました。

幾つか目に付いたものは、
  • 「称名寺宛、天正十一年十二月廿三日付大谷紀之介書状」

    天正11年(1583)12月23日に大谷吉継から領内の称名寺に発給された書状です。吉継は天正13年(1585)に形部少輔に補任され、それ以降は「大谷刑部」と署名しますので、「大谷紀之介」として署名されている貴重な古文書といえますね。

  • 「西福寺宛、天正十七年十二月付大谷刑部書状」

    天正17年(1589)12月に大谷吉継から領内の西福寺に発給された書状で、この年、吉継は前敦賀城主・蜂屋頼隆の死去によって後任として敦賀城主として赴任してのですが、混乱にならないように蜂屋が執った政策を追認していることがわかります。

  • 「天正十一年三月十三日付石田三也書状」

    天正11年(1583)3月に石田三成が称名寺に出した書状で、賤ヶ岳の戦いの直前に発給されたもの。緊迫した湖北地方の情勢が伝わってきます。更には、署名にて「石田佐吉 三也」とあり、稀少価値があります。

  • 「真願寺宛、(年未詳)十月廿二日付秋田実季書状」

    出羽秋田城主の秋田実季の書状ですが、上杉景勝しかり、最上義光しかり、日本海側の諸将が北陸方面ルートを通じて、上方(京、大坂)との最短ホットラインがあったことを示していますね。それに対し、伊達氏や大崎氏など、三陸側の奥州の諸将にとっては陸路、というよりか北条氏の存在が情報収集の伝達を遅くさせた要因なんだな―と改めて気付かしてくれる史料と思います。

― ◇ ◇ ◇ ―

続きまして、「山内一豊と掛川」展については、これまであまり掛川城下のことを知らなかったので、是非知識を増やそうと展観しに来たのです。収穫としては、「御天守台石垣芝土手崩所絵図」「遠江国掛川城地震之節損所之覚図」を観ることができたことですね。

「遠江国掛川城地震之節損所之覚図」は、嘉永7年(1854)11月に起きた大地震の被害状況を、幕府に報告するために製図したもので、一豊が築いた掛川城の縄張を知ることができる史料です。

「御天守台石垣芝土手崩所絵図」は、嘉永4年(1851)に掛川城の天守閣北側の石垣と芝土手が崩れた状況を、幕府に報告するために製図されたもので、一豊が築いた天守閣の面影はないにしても、現在復元されている掛川城の大ヒントとなった図面だそうで、じっくりと観ちゃいました!

チョット、残念なのは、僕にとっての山内一豊は槍働きでの武辺者というイメージよりかは、土木技術を駆使したテクノクラート、すなわち実務官吏としての一面が好きなんですね。

それで、一豊が掛川城主時代に行使した最大の功績として有名な“天正の瀬替え”と呼ばれた大井川の築堤工事に関する史料も観たかったと思います。

“天正の瀬替え”というのは、駿府城主だった中村一氏と協力して大井川の本流を西向きから東向きに替えたもので、一豊堤(増岡堤)を築造したことで、領内での新田開発や洪水被害のの防止を促した政策として知られています。

それがなかったのは、チョット寂しいかな…

さて、来週23日からは第12回テーマ展示「豊臣秀次家臣団と一豊」が開催されます。こちらも注目度は大!(僕にとっては“秀次衆”はメーンテーマだし…)

ps.
北近江博覧会と併行して開催中なので、大型バスでのツアー観光客さん達が多かったです…その分、じっくりと観れなかった。(人が多いのは嫌いです…)

帰りの電車を長浜駅で待っていると、突然、♪ピンポン パンポーン、こちらは長浜市です。今朝発見された熊は捕獲されました♪とのアナウンスが聞こえてきました。山あいに散策してたら出くわしてたりして…

この記事へのコメント

  • 御堂

    あほやんさん、どーもです。

    熊出現にはビックリ!しかも帰ってから地図やニュースで確認したら、長浜と次の虎姫のほぼ中間地帯…まともに市街地でした。山あいならまだしも、市街地ですもんねぇー。

    大谷吉継、確かにマイナーで史料も乏しいですね。エピソードの全てが関ヶ原での自刃に集約してますから…

    長浜城、客足多いです。僕は普段から展示資料の解説文を1つずつチェックするタイプなのですが、さすがに場の雰囲気に圧倒されて、観たい物もじっくりと観れなかったデス(寂!)
    2006年10月19日 01:48
  • あほやん

    こんばんは、あほやんです(・ω・)ノ

    クマに出くわさず、良かったですね。ネタ的には出会ってたほうがおいしいかもo(^-^o) (o^-^)o♪

    大谷吉継ですか・・・関が原で活躍した話は良く聞きますが、それ以外の彼の事績ってよく分からん。。。。(〃_ _)σ∥
    上記をみてますと、領内の対寺社政策が主なのかな(・o・ ))(( ・o・)?

    聞いた話によると、大河ドラマのおかげでかなり長浜城歴史博物館は混んでるそうですが、やっぱり混んでましたか?
    2006年10月18日 22:44

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