「奇跡の背番号1 仲間がくれたマウンド」

全国高校野球選手権大分県大会1回戦で先発した三重高校の廣田一弥君 夏の高校野球大分大会で登板、ガッツポーズする三重高校の広田投手

先程まで「奇跡体験!アンビリバボー」を観てました。チョット感動モノの企画があったので、筆に執ろうと思います。

番組の最後の方のコーナー「感動のアンビリバボー」では「奇跡の背番号1 仲間がくれたマウンド」といった野球にかけた高校生のエピソードがありました。

今から3年前の平成15年(2003)6月、大分県臼杵市の中学生。廣田一弥君はその長身(179㎝)から投げ下ろすダイナミックなフォームで時速130kmの剛速球を武器に、地区大会を優勝するなどの逸材だったそうです。

そうなると、高校野球の強豪校の監督さんたちもこぞって勧誘に訪れたりましすよね。

大分県立三重高校野球部の監督、上尾あがりお隆一さんもその1人でした。

大分県立三重高校…廣田君の住む町から車で30分程の場所にある普通科の高校です。

地区大会を終えて3日後、学校で軽い頭痛を感じた廣田君は保健室で休んでいました。熱はなかったのだが、後頭部に感じていた痛みが少しずつ前に移動し、ついに大きな痛みになって廣田君はその場に倒れ込んだそうです。

すぐに病院に運ばれますが、意識不明の重態。検査の結果、脳の右半分に血が流れない重い脳梗塞と診断されます。

5日後、ようやく意識を回復し一命は取り留めますが、医師からは左半身の完全麻痺という残酷な宣告を受けてしまいます。

野球どころか問題ではない、まずは歩けるようになることが目標だという―

輝かしい未来が一転、叶わぬ夢へとなってしまいました。

幸いにも、記憶や言葉障害に至ることはなく、数日後には運動機能のリハビリが始まりました。

しかし突然降りかかった現実を受け容れるのは、廣田君にとっては酷な話で、動かなくなった左半身を見ようとはしません…

一方、エースが不在のままチームは県大会に出場。その初戦の日、事情を知らない三重高校の上尾監督は廣田君のピッチングを観戦しようと球場に来ますが、廣田君がいないことに気付き、しかも、客席に車椅子姿の廣田君を見つけます。

廣田君にとって、入院から1か月、初めての外出でしたが、容赦ない周囲からの好奇な視線が彼に否応なく突き刺さります。

しかしながら、上尾監督にはこれで終わりだとは何故か思えなかったそうです。

数日後、上尾監督は病院に見舞いに行き、仲間の応援に行った事などを話していると、廣田君の口からは「野球のことはふっきれましたから…」との言葉が…

「これが彼の本心なのか?いや、そんなはずではない」と上尾監督は思ったそうです。

そして後日、再び見舞いに訪れ、硬式ボールを廣田君に渡し、三重高校に来て野球部に入らないかと切り出します。

「野球は諦めた、無理だ」と答える廣田君に、上尾監督は「それでも、君には右腕があるじゃないか。右腕があればボールは投げられる」と訴えかけました。

翌16年(2004)4月、廣田君は上尾監督のいる三重高校に入学します。

ところが、野球部に入部したものの、左半身にはかなりの麻痺が残っており、走ることもできず1人でリハビリを続ける日々が続きます。

ボールを投げてみても、左足の踏ん張りがきかず、力が入らない。しかも左手が不自由なため、ボールを取ることもできない。

みんなと一緒にキャッチボールがしたい―そんな願いも叶わぬまま1年が過ぎ、孤独な日々は2年目を迎えました。

平成17年(2005)の秋、廣田君にとっては最終学年になる新チームでのこと―

練習試合での事、なかなか勝てないチームは目標が持てず、まとまりを欠いていました。

試合後、主将の安藤君と選手たちは意見の違いから衝突してしまいました。

その時、彼らの目に壁を相手にボールを投げている廣田君の姿が飛び込んできました。

まだ左手が使えず、誰かとキャッチボールをすることもできない。けれど、それでも白球に思いをこめて投げ続ける廣田君の姿に安藤君を含め皆が、言い争うのを止め、そして皆で話し合ってある事を決めて、上尾監督にお願いに行きます―

10月、監督は選手たちを集めると重要な報告をします。それは、来年の夏の甲子園予選第1戦目の先発ピッチャーを廣田君に任せる、というものでした。

選手たちは廣田と一緒に戦いたい!廣田のために守りたい!と思って決めた事でした。

そして上尾監督もその気持ちを中途半端にしたくないから、試合後半の中継ぎや敗戦処理のようなポジションで投げさせるのよりも先発ピッチャーで!と決断したのです。

“みんなが一丸となって廣田のために戦う”―チームに大きな目標ができました。

大会までの残された期間は9か月。廣田君は仲間や監督がの期待に応えようと、懸命にリハビリを続けます。

普通に考えて、1年足らずでの左半身の完治は難しいと誰もが感じますが、それでも左足の麻痺は少しずつ快方に向かっていきます。

ですが、左手の動きが不自由なため、フィールディング、すなわちゴロが上手くさばけない―

そこで上尾監督は、廣田君が1人でもランナーを出したら交代、長くても1イニングだけの登板―という条件を出しました。

いよいよその日、7月13日、夏の高校野球・大分県大会の1回戦、対高田高校戦がやってきました。

そして、そこには、エースナンバー1を背負ってマウンドに全力で駈けていく廣田君の姿が映ります。

脳梗塞から3年、夢にまで見たマウンドをチームメートがならしてくれます。

スタンドには息子の晴れ姿を見守るお母さんの姿―

そして、運命のピッチングが幕を開けました!

初球、ボール。高めに上ずりますが廣田君には笑顔が見えます。

2球目、3球目もボール。ストライクが入らず、カウントは0-3。

キャッチャーが廣田君に声をかけます―「次がボールならランナーが出て交代だ」

そして、第4球目、力強い球でストライク!中学時代のフォームのような投球リズム…

第5球目、6球目と相手バッターは辛うじてバットに当ててファール。カウントを2-3まで持ってきました。

運命の第7球目。最後の1球はストライクゾーンをはずれます…この瞬間、廣田君の熱い夏が終わりました。

マウンドを降りると廣田君は帽子を取って、応援してくれた人、支えてくれた人みんなに頭を下げました。

試合後、廣田君は「マウンドはとても暑くて気持ち良いところでした」と笑顔を見せて応えてくれました。

医師によると、脳梗塞になると1年ほどでリハビリの限界が見えることが多いとの事ですが、廣田君はまだ日々回復が続いているのだそうです。

“夢”を持ってリハビリを続けていることが、良い成果を出しているのでは―との事。

後日、廣田君を訪れたスタッフや関係者は、下級生に混じってグラウンドで練習する廣田君の姿を見つけました。

廣田君には新たな目標があるそうです。

―これからも野球を続けて、大学に入っても続けてプロを目指す。

ホント、観ていて感動の嵐でした。ガンバレ、廣田君!


― ◇ ◇ ◇ ―


「三重高・廣田投手、脳梗塞乗り越え魂の7球…大分大会」(読売新聞2006-07-14)

→この時の試合を、実際に観に行っておられた「パリの朝市」様の臨場感漂う「最初で最後の先発投手物語」(←「パリの朝市」さま、掲載の許諾ありがとうございました)

→後日談ですが、廣田君がリハビリを行っているトレーニング施設のサイトで廣田君の記事を発見!…廣田君が7月末に3年生と2年生の送別試合に登板した際に、2イニングを無失点(打者8人に対し2三振)。球速もさらに増しているのだそうですよ。周囲の方も家族の方も驚きと喜びがあったそうです。良かったですね!(→こちら

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