(トピックス)大坂城鎮守社・玉造稲荷神社に豊臣秀頼の銅像がそびえ立つ

玉造稲荷神社の境内に建てられた秀頼の銅像


豊臣=羽柴家の家督を継ぎ、大坂おおざか夏の陣(慶長20年=1615)で大坂城落城時に数え年23歳(満年齢21歳9か月)で生害した豊臣秀頼の復権を図ろうと、大坂城の鎮守神である玉造稲荷神社(大阪市中央区)境内に秀頼の銅像が建立されました。

秀頼の銅像が立つ玉造稲荷神社は大坂城の三の丸だった場所に在り、秀頼や淀殿も参拝に訪れた場所―

境内には、秀頼を出産した際の淀殿の胞衣えな(=胎児を包んでいた膜や胎盤などを指す)を祀る「胞衣よな塚大明神」が鎮座していたり、慶長8年(1603)に秀頼.から奉納された鳥居が現存する形で今も残っています。

ちょうど今年は復興天守(大阪城天守閣)が昭和6年(1931)に大阪市民たちの寄付金により再建されてから80周年に当たり、それを記念した事業の一環で計画が進められてきたようです。

同神社では所縁の秀頼を顕彰し、太閤さん時代の大坂城下のにぎわいを取り戻そうやないかと銅像建立を計画。

豊臣秀頼の銅像の原型

制作にあたっては、以前に豊國神社に立った陣羽織姿の豊臣秀吉の銅像を製作された彫刻家の中村晋也さんに依頼。

銅像は台座を含めて高さ5・3m。身長195cm、体重100kgを超える体格に衣冠束帯いかんそくたい姿の精悍せいかんな姿になっています。

アトリエで豊臣秀頼の銅像の制作に取り組む中村晋也さん

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豊臣秀頼といえば、女丈夫で“大坂城の女主おんなあるじ”とまで言われた淀殿の陰に隠れて存在感が希薄なために“ひ弱でマザコンのイメージ”が強いようですね。(徳川家康などは大坂の陣の際、味方を鼓舞する意味で、秀頼の事を「乳臭」やから”と言っていますが…)

これは、秀頼の画像として最も知られている少年期の直衣のうし姿を映した養源院(京都市東山区)所蔵の画像からくるイメージが大きいところ…

結局のところ、“そんなんやから、御家の繁栄を維持できなかったんや”と言わしめんがために歴史の勝者である徳川幕府の創作だった訳です。

しかし、実際の秀頼は幼い頃より当代の博識から種々の帝王学を学び、「カシコキ人ナリ、中々人ノ下知ナト請ヘキ様子ニアラス(=たいへん賢い人なので、他人の臣下となってその命令に従うような人物ではない)」(『明良洪範』)という様に頭脳明晰で人望も厚かった人物であり、再評価を求める声も―

実際の秀頼「大兵にて御丈六尺五寸余り(=約195cm)」(『明良洪範』)の並外れた体格の持ち主で、『当代記』慶長8年(1603)7月28日条には「秀頼十一歳、常之十三四ばかり之比也」と、実際には11歳だが、パッと見で13、4歳ぐらい…と感想が書かれています。

また、慶長12年(1607)細川忠興の家臣だった米田こめだ監物けんもつ(米田興季)が大坂に入場して秀頼に謁見した際、秀頼は着用していた小袖を脱いで監物に賜与したのですが、この小袖を監物が着用してみると、秀頼の帯の跡が監物の膝の辺りに位置したといいます。

そういう意味では、青年期の束帯姿を描いた東京芸術大学美術館所蔵の画像(※参照)が広く知れわたってもいいのではと思います。

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昔、NHK大河ドラマ「春日局」で渡辺徹さんが秀頼を演じられたのですが、まさに青年期の束帯そくたい姿にピッタリ!なくらい(笑)…

今回の銅像建立で本当の秀頼のイメージが芽生えればいいな!と感じますが…

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※(参考文献)井上安代(私家版)『豊臣秀頼』
※(参考文献)大阪城天守閣特別展図録『生誕400年記念特別展 豊臣秀頼展』

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※(参照)豊國神社の秀吉像
※(参照)豊臣秀頼画像

この記事へのコメント

  • 御堂

    豊臣ポポさん、こんにちは!

    大坂城、ホント圧倒されちゃうでしょ!!

    もし、ポポさんに時間的に余裕があった時でもいいんで、今度は大坂城が建っていた時期の惣堀(=三の丸より外側)から天守閣を見渡して観て下さいな、スケールのデカさに言葉を失っちゃうくらい…感動モノですから!!
    2011年10月11日 14:52
  • 豊臣ポポ

    大阪城はすごいですね
    2011年10月11日 14:20
  • 御堂

    さのすけさん、こんばんは!

    大阪城天守閣とセットで見に来られたらいいと思いますv(^▽^)
    2011年09月27日 19:39
  • さのすけ

    秀頼の銅像の事は知人に聞いて、知っていましたが、一度、見に行きたいと思っています。
    2011年09月27日 07:23
  • 御堂

    しばやんさん、こんばんは!

    そーなんですよね!私自身も豊臣秀頼の生誕400年記念で開催された特別展で確認するまではどちらかと言えば痩せおもてで虚弱体質のイメージしかありませんでした。(大抵の秀頼を扱った役者さんも少年期の直衣姿をそのまま成長させた痩せおもてな秀頼でしたからね。

    そんな中、「春日局」で渡辺徹さんが秀頼を演じられたのですが、最初は「何これ?イメージギャップあり過ぎ!」ってな感じ(笑)でしたが、上記の特別展で秀頼の肖像画を観たら、「渡辺徹さん、いっちゃん(一番)近いかも!」という感じだったのです。

    加えて、秀頼にとって祖父にあたる浅井長政の肖像画を改めて観察したらば、まさに「隔世遺伝やん!」って感じだったんですよ!

    それ故、秀吉に似てるか似てないか、とか父親は誰なんやろ?という考え方よりは母方(淀殿、浅井家)の遺伝子が隔世遺伝で秀頼に出現したんや!と考える生物学(遺伝子学)的見地から見た方が面白いかも!と思うようになっちゃいました。
    2011年09月19日 19:51
  • しばやん

    豊臣秀頼がそんなに巨漢だったとは初めて知りました。
    秀吉はそんな大柄な男でなかったとの印象がありますが、実際はどうだったのでしょう。
    秀吉の子供だったかどうかも怪しいような気がします。
    2011年09月19日 15:02

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