“児童虐待はいけません”―幽霊絵馬のお話!

杉板に手鏡がはめ込まれ、おふみの姿が描かれた幽霊絵馬

江戸時代も後半のお話です。

文化13年(1816)の京、竹屋町通柳馬場にて質屋がありました。

そこの主人・八左衛門は強欲非道で、考えることは“金”のことばかり…近所の人々からも“鬼の八左衛門”という蔑称がある程―です。

この八左衛門に子どもが生まれ、生活とは裏腹に、子どもは立派に育てたいと子守り捜したところ、近江(滋賀県)から来た百姓娘「おふみ」が子守りをする事になりました。

おふみは10歳で、子ども好きな事もあり、鬼八左衛門の子供も直ぐになつきました。

3年が過ぎ…

八左衛門は、おふみに対し、さして不満はなかったが、1つ気にかかるのが、子供を連れて、近くの“革堂こうどうさん”にしょっちゅう行く事でした。

“革堂さん”とは行願寺ぎょうがんじと云って、天台宗延暦寺派の末寺で、千手観世音を安置する西国三十三か所第十九番霊場になっています。

おふみにすれば、“革堂さん”の境内は静かだし、善男善女が西国十九番の、この札所を訪ねてくる様子も楽しく目に映っています。

子守り歌を知らないおふみは、子どもがむずがると近くの“革堂さん”から聞こえてくる、巡礼者たちが詠む御詠歌を覚えては子守歌代わりに唄い聞かせます。

そうすると、子どもも、ニコニコと笑って機嫌が良くなるからです。

ある日、おふみは、いつものように御詠歌を子守り歌に唄いながら子どもを背負って革堂から帰って来ました。

ところが、八左衛門にとっては、日頃からおふみが唄う御詠歌がたまらなく気にくわなかったのです。

それというのも、八左衛門は熱心な法華宗(日蓮宗)の信者であったため、天台宗のお寺である“革堂さん”の御詠歌を唄い聞かせるなどもっての外の事です。

八左衛門は怒り心頭しておふみの襟髪をつかみ、殴る蹴るは…の折檻を働いた挙句、遂には、おふみは息絶えてしまいました。

驚いた八左衛門はおふみの亡骸を家の庭に埋め、国許のおふみの父親に「おふみは男と逃げた…」と嘘の知らせを届けます。

この知らせにおふみの父親は慌てて上洛し、八左衛門に謝り、おふみの行方を捜し回ります。

道すがら、おふみはよく“革堂さん”で子守りをしていた、と聞いたおふみの父親は“革堂さん”に詣でて観音様に「どうか、おふみの居所をお教え下さい」とお祈りをし、そのままお堂に泊まる事にしました。

その夜中のことです…

お堂で寝ていたおふみの父親の目の前に、おふみの姿がぽっ!と現れ、
私は御主人様に殺され庭に埋められています。ここに鏡を置いておきますから、どうぞ一緒に弔って下さい
と頼み込むではありませんか。

おふみが置いて行った鏡はおふみの母親が持たせやった手鏡でした。

夜が明ける、おふみの父親は奉行所に駆け込み、おふみの亡骸を掘り出して、懇ろに菩提を弔ってあげると共に、不憫な娘の供養の意味をこめて、自分が見たおふみの亡霊姿―おふみが子守りをしている姿―を絵馬に描かせて、手鏡を添えて革堂に奉納します。

おふみ絵馬はいま、本堂一面観音の横に納められています。縦1・5m、横1mの杉板に、鏡がはめ込まれ、おふみの姿が描かれていますが、現在ではすっかり色褪せてしまい、殆んど輪郭さえつかめない位にかすかに見える程度です。

絵馬はお盆の時期の毎年8月22日~23日に、本堂にて公開されています。

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