六地蔵めぐり

毎年8月22~23日にかけて、昔から京都の町々では子供を中心に地蔵盆が盛んです。なかでも京都への6つの街道沿いに建つお地蔵さまを巡る“六地蔵めぐり”は「疫病退散!頼んまっせ!」という願いが込められた人々の賑わいを魅せています。

『今昔物語集』によれば平安時代前期の仁寿2年(852)、小野篁が熱病を患い夢うつつの中で冥土を彷徨っていたところ、地蔵菩薩と出会いこの世に戻ってくる事ができたそうです。

その際、地蔵菩薩が「私は毎日諸々の地獄に入って衆生済度しているが、私の力でも救えない人がいる。とにかく、縁なき衆生だけは私でも救う事ができない。だから、たとえ一度であっても、私の姿を拝んだり私の名を唱えたりすれば必ず救われるのだから、地獄の恐ろしさを人々に告げて帰依する事を勧めてほしい」と頼みました。

小野篁はその心に感激し、末法の衆生に地蔵菩薩を信心する功徳を広めようと、木幡山の1本の桜の大木から6体の地蔵像を刻み、伏見六地蔵の地に安置しました。(大善寺所蔵『六地蔵縁起』)

その後、後白河天皇が深く六地蔵尊を信仰し、保元2年(1156)、平清盛に勅命を下し、清盛西光法師に命じて、街道の入口6か所に1体ずつの地蔵を分置し、「まわり地蔵」と名付けました。

六地蔵とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という六道のそれぞれで、衆生を救済してくれるという6体の地蔵菩薩を指します。

仏教の思想ではこの世のあらゆる生命が死ぬと、それぞれの業に従って、苦の世界に輪廻転生を繰り返すという考え(六道輪廻)があります。

六道とは衆生が再び生まれてくる6つの迷いの世界を指します。「天上」などは良さそうに思えますが、この世界の生命にも死が訪れる事から、苦から自由ではないらしい―このような六道の考えが日本に入り、独自に形成されたのが六地蔵信仰だと云われます。

“お地蔵さん”と気軽に親しまれていますが、地蔵菩薩は衆生を救済するために、あえて仏にならずに悟りを開く一歩手前の菩薩の状態に留まって、身代わりとなって衆生を救ってくれるという菩薩の1つなのです。

さて、六地蔵のそれぞれとは、

 1.奈良街道からの入口に建つ伏見六地蔵(大善寺)
 2.西国街道からの入口に建つ鳥羽地蔵(浄禅寺)
 3.丹波・山陰街道からの入口に建つ桂地蔵(地蔵寺)
 4.周山街道からの入口に建つ常盤地蔵(源光寺)
 5.鞍馬街道からの入口に建つ鞍馬口地蔵(上善寺)
 6.東海道からの入口に建つ山科地蔵(徳林庵)

です。次にそれぞれを見ていきましょう。

1.伏見六地蔵(大善寺)

伏見区桃山西町。京阪電車宇治線・JR奈良線六地蔵駅下車、徒歩15分。浄土宗の寺院で法雲山浄妙院大善寺(通称六地蔵)と呼ばれて親しまれている浄土宗の寺院で法雲山浄妙院大善寺(通称六地蔵)と呼ばれて親しまれています。

地蔵堂に安置されている地蔵菩薩立像(重要文化財)は仁寿2年(852)に小野篁により作られたものとされている。小野篁が48才の時、熱病で一度息絶えて冥土へ逝き、そこで地蔵尊に出会って蘇った後、木幡山から切り出した1本の木から6体の地蔵菩薩を刻み、この地に納めたことから六地蔵と呼ばれるようになった。

その後保元2年(1156)、後白河天皇の勅命により、平清盛西光法師に命じて、京都の街道の入口6か所に六角堂を建て、それぞれのお地蔵様を祀りました。その西光法師六地蔵を巡られたのが、六地蔵めぐりの始まりなんですよ―と寛文5年(1665)に当時の大善寺の住職が『京の六地蔵めぐり』と題して広めたのが始まりのようです。

2.鳥羽地蔵(浄禅寺)

南区上鳥羽岩ノ本町。市バス18号系統、地蔵前下車、バス停前。浄土宗西山禅林寺派の寺院で恵光山浄禅寺と云う。平安時代後期の寿永元年(1182)、文覚上人の開基と伝えられ、境内に袈裟御前の首塚(恋塚)と言われる五輪石塔がある事から恋塚浄禅寺の名で知られている。

3.桂地蔵(地蔵寺)

西京区桂春日町。阪急電車桂駅下車、徒歩10分。久遠山と号す浄土宗の寺院です。ここに祀られている地蔵尊は一木で6体彫られた内の最下部の部分で世に姉井菩薩と呼ばれています。

4.常盤地蔵(源光寺)

右京区常盤馬塚町。京福電車北野線常盤駅下車、徒歩5分。常盤山を号し、また源光庵とも呼ばれる尼寺で、平安時代前期の弘仁2年(811)、勅旨によって建立され 嵯峨天皇の皇子源常を創業開基とする。のちに後白河法皇が当山に深く帰依され中興開山として源光寺本尊に全ての救済を願われ 宗教宗派に関係のない庶民の信仰の根源地と定めた。毎年、全国地蔵信仰の唯一の総本山天地万霊総菩提寺として春夏秋冬の年4回、源光寺神聖霊場大祭が行われている。

5.鞍馬口地蔵(上善寺)

北区鞍馬口通寺町。地下鉄烏丸線鞍馬口駅下車、徒歩5分。千松山遍照院と号する浄土宗知恩院派の寺院です。平安時代前期の貞観5年(863)、天台宗の僧慈覚大師円仁によって天台密教の道場として千本今出川に創建されたと伝えられている。その後、一時は衰退の一途を辿るが、文明年間(1469~1487)に、改めて天台念仏道場として中興開基され、後柏原天皇の勅願寺として隆盛を極めます。桃山期の文禄3年(1594)、豊臣秀吉の命で寺町鞍馬口に寺域を移し、さらに浄土宗に転じています。地蔵堂に安置されている地蔵菩薩は当初、洛北の御菩薩池(深泥池)の畔に祀られていたものが当寺に移されたとされ、深泥池地蔵とも呼ばれています。

6.山科(廻)地蔵(徳林禅庵)

山科区四ノ宮泉水町。京阪電車京津線四ノ宮駅下車、徒歩15分。柳谷山と号する臨済宗南禅寺派の寺院で南禅寺第260世雲英うんえい正怡しょうい禅師が開山したと云われています。

元々、この辺りは仁明にんみょう天皇の第四皇子である人康さねやす親王(山科宮人康親王)が両眼を患われ、貞観元年(859)に出家され、この地に隠棲された場所(→故に「四ノ宮」という地名が付いたのだとか…)です。

雲英禅師人康親王を先祖とする四宮家出自であり、隠居する際に人康親王の菩提を弔おうと創建したそうです。

東海道の出口にあたり、物詣でや疫神の送り御霊会などの交流から道祖神の信仰となり、地蔵菩薩信仰として栄えました。

以上、これらのお地蔵さまが京都への入口に建ち町の人々を守ってくれているのです。訪れた人々は、6体の地蔵尊を巡って、各地蔵で赤、青、黄、緑、黒、白の6色のお札を貰い、そのお札をお守りとして家の玄関先に吊すと無病息災、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛などの御利益があり、とくに初盆の家はこの供養で故人が六道の苦を逃れられるという信仰があります。

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