伏見桃山城、生まれ変わる!

野球場の整備が進む伏見桃山城運動公園

近畿日本鉄道の関連会社でもあった(株)桃山城が経営していた遊園地・伏見桃山城キャッスルランドが、経営不振で平成15年(2003)1月に閉鎖されて以来、「あの天守閣、どーなるんやろ?」と思ってましたが、どーやら、装いを変えて、来年4月1日に「伏見桃山城運動公園」としてリニューアルオープンするようです。

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外野が芝生張りの野球場と、多目的グラウンドが使用可能なスポーツ施設として整備が進められていたようですね。

そして京都市としては、管理・運営は指定管理者制度を活用して民間事業者に委ねるのだとか―(→採算が取れなかったら、前の二の舞だぞー)

また、伏見城を模した同公園のシンボルである「天守閣」の活用方法についても、管理者を選ぶ過程でアイデアを募るらしい…

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公園の西半分については、その「天守閣」を中心とした樹木の多い散策路となるようで…(ジョギング&ウォーキングなどをする人たちにとっては、良い環境かも!…あそこまであがっていくのも結構キツいんやけどね 笑)

※因みに。この「天守閣」について、皆さんはどう呼んでましたか?

 1)やはり、「伏見城」ですか!
 2)それとも、キャッスルランドの影響で「伏見桃山城」ですか?
 3)または、経営していた会社にちなんで「桃山城」とか?

昔、駿々堂という書店があったのですが、そこのブックカバーは京洛の景観図を洛東・洛西・洛南・洛北に分けて描いておられた画家の方のイラストを使ってらっしゃいました。

それで、そこには「桃山伏見城」と記載してあったんですよ。

それを観た時、妙に「なるほど!」と思っちゃいました。だって、最初の伏見城が指月山に建てられた伏見城(指月山伏見城)で、慶長の大地震で崩壊の後、木幡山に建て替えられます(木幡山伏見城)。

その後、関ヶ原の前哨戦で西軍方に攻め落とされ、落城。さらに同じ場所にて建て直されますが、最終的には廃城となり、取り壊されます。

その跡地に桃の木が植樹され、いつしか地元の人がこの一帯を「桃山」と呼ぶようになって、大正時代になり、正式に桃山が地名になります。

そして、昭和39年(1964)に現在の「天守閣」が桃山の地に建ったわけですから、「桃山伏見城」って呼び方も一理あるなぁーと思うのですけどね!

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※(参照)(トピックス)「指月山伏見城、やはりあった!」幻の伏見城、痕跡残る…遺構が初出土場所特定
※(参照)向島と徳川家康

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