(トピックス)昭和20年3月の宇佐空襲−宇佐海軍航空隊−初空襲時の映像が発見される

宇佐海軍航空隊への初空襲で、米軍戦闘機の機銃掃射を受けて白煙を上げる駐機中の機体

太平洋戦争時、宇佐市にあった宇佐海軍航空隊(以下、宇佐空)を空襲した米軍戦闘機が撮影した映像を、宇佐市の地域おこしグループ「豊の国宇佐市塾」のメンバーが入手したそうです。

昨年、同塾が入手した手に入れた宇佐空への空襲を記録した米軍の戦闘報告書と照合した結果、鹿児島県種子島東方沖の空母から出撃した戦闘機の映像である事が判明し、同映像が昭和20年(1945)3月18日に最初の空襲を受けた時のものと特定したのだとか―

これまで宇佐空への空襲の実態は住民の証言などから得ていた情報だけでしたが、今回それが裏付けられた形で、同塾は「空襲について証言、戦闘資料、映像が揃った例は全国初ではないか」としています。

宇佐空は昭和14年(1939)、大分県宇佐郡柳ヶ浦村(現、宇佐市柳ヶ浦)に爆撃機・攻撃機の搭乗員への実機訓練を推進するための飛行場として建設され、練習航空隊が設置されます。太平洋戦争末期には、宇佐飛行場に特攻作戦に参加する実戦部隊が集結・展開したため、戦争終結に至るまで米軍戦闘機の空襲の標的としてあり続け、空襲は昭和20年(1945)3月18日から終戦間際の8月8日まで続いたと云います。


※(参考)宇佐海軍航空隊(宇佐空)
  • 昭和14年(1939)10月 1日…呉鎮守府隷下の実用機訓練部隊として開隊

  • 昭和14年(1939)10月31日…霞ヶ浦海軍航空隊より操縦練習生が転入し、教育訓練が開始

  • 昭和14年(1939)12月 1日…呉鎮守府第十二連合航空隊が発足され、第十二連合航空隊に編入

  • 昭和15年(1940)11月15日…練習航空隊に指定、艦爆、艦攻の実用機操縦と偵察教育などの教育訓練を履行

  • 昭和19年(1944)12月上旬…陸軍航空隊に施設貸与。飛龍靖国部隊の雷撃訓練を実施

  • 昭和20年(1945) 2月16日…特別攻撃隊(のち八幡皇護隊と命名)編成命令が下令される

  • 昭和20年(1945) 4月 6日…神風特別攻撃隊・第一八幡護皇隊出撃

  • 昭和20年(1945) 4月12日…神風特別攻撃隊・第二八幡護皇隊出撃

  • 昭和20年(1945) 4月16日…神風特別攻撃隊・第三八幡護皇隊出撃

  • 昭和20年(1945) 4月17日…第四〜第九八幡皇護隊に対し、特攻作戦から本土決戦準備への下令がなされる

  • 昭和20年(1945) 4月21日…柳ヶ浦飛行場にB29爆撃機編隊(30機)が襲来し、激しい爆撃を受け、飛行場施設が壊滅、死者は航空隊員などの軍属、民間人合わせ約330名以上

  • 昭和20年(1945) 4月28日…神風特別攻撃隊・八幡神忠隊出撃

  • 昭和20年(1945) 5月 4日…神風特別攻撃隊・八幡艦攻隊(振武隊)出撃

  • 昭和20年(1945) 5月 5日…解隊
結果、宇佐空で編成された特別攻撃隊の出撃回数は5回。81機、特攻隊員154名の尊い命が失われました。
4月21日における空襲で、訓練機はわずか4機のみとなり、しかも飛行場には決戦部隊が集結していたので、宇佐空での訓練は継続不可能な状態であった。
以降、基地航空隊の西海海軍航空隊が管轄する飛行場として実戦部隊の退避基地として機能するが、それ故に終戦を迎えるまで空襲による被害は続く事になるのです。


さて、映像は今年4月に塾生が米公文書館の資料収集を代行する会社がインターネット上で販売していた映像資料の中に「KYUSHU AREA」のタイトルで宇佐空襲と見られる動画を見つけて購入されたようですね。

長さは約2分40秒間ほどあり、米軍戦闘機が撃墜記録用に、戦闘機の主翼の機銃横に取り付けたガンカメラから撮影されたもので、そのうちの約30秒間に宇佐空の駐機場に待機している飛行機や、空中を逃げ回る飛行機を機銃掃射している様子が映し出されていたのです。

実際、画面からは文字情報はなく、地名などは判明しなかったが、同塾が昨年8月に国立国会図書館で入手した、米軍の戦略爆撃調査団資料のうち、宇佐に関する戦闘報告書(マイクロフィルム)を複写し、分析したした結果、米軍戦闘機グラマンF6Fが3月18日午前10時に種子島東方沖の空母ヨークタウンなどから出撃し、午後0時20分に機銃攻撃した事が判明し、マイクロフィルムの文書に書かれたコースと宇佐市の「御許山おもとさん」などの山並みを映した映像から宇佐空への空襲と判明したのです。

解析した戦闘報告書からは、この日の空襲では3隻の空母から計46機が宇佐方面に襲来、ロケット弾59発、12・7o弾6万3135発が撃ち込まれた事が判明できた事から、B29の爆撃を受け、基地に大型爆弾を撃ち込まれ、航空隊員や一般住民ら約330人以上が死亡した同年4月21日の空襲の様子ではなく、機銃攻撃を中心にした同年3月18日の初空襲のものと断定。


※(参考)宇佐空襲
  • 昭和20年(1945)3月18日…宇佐空が、グラマンなどの米軍機から初めて攻撃を受ける

  • 昭和20年(1945)4月21日…宇佐空はB29爆撃機編隊による激しい爆撃を受け壊滅。三州国民学校(現・柳ヶ浦小学校)、柳ヶ浦高等女学校(現・ 柳ヶ浦高校)等が炎上。航空隊員などの軍属や民間人など約330人の死者が出た

  • 昭和20年(1945)5月 7日…B29爆撃機編隊が宇佐空に投弾直後、陸軍飛行第四戦隊・村田勉曹長が操縦する屠竜が編隊の先頭機に正面から体当たり攻撃を敢行。両機共に墜落し、村田曹長と米軍側8名、計9名が戦死

  • 昭和20年(1945)8月 8日…米軍機による空襲で、宇佐空周辺の畑田地区・江須賀地区が大きな被害を受ける
これまで同年3月18日の宇佐への初空襲については、元航空隊員の方による「昼過ぎ、宇佐空の戦闘機が攻撃され炎上し、14人が戦死した」との聞き取り調査での証言だけが頼りでしたが、これで被害の全体像がより明確になった訳ですね。

同塾では「他の空襲被害地域でも同様の資料が得られる可能性があり、研究が進めていけば、戦争被害の実態をより正確に知る事ができる」と話されています。

映像は今月14日に催される「第7回宇佐航空隊平和ウオーク」のコース途中にある教覚寺(宇佐市森山)で午前9時から資料と共に一般公開されます。また、8月19日から福岡県大牟田市で催される「空襲・戦災を記録する会 第41回全国連絡会議大牟田大会」で今回入手した映像及び資料を基に調査結果を発表する予定だそうです。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考)宇佐海軍航空隊 (1)「妙満寺(大分県宇佐市)へようこそ」より→
※(参考)宇佐海軍航空隊 (2)「妙満寺(大分県宇佐市)へようこそ」より→
※(参照)【宇佐新聞】米軍空襲の実態 後世に 犠牲者調査開始へ「大分合同新聞 oitatv.com 地域新聞」より→

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)宇佐航空隊の世界→
※(参照)空襲・戦災を記録する会全国連絡会議→


 


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posted by 御堂 at 03:14 | Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史:コラム
この記事へのコメント
ナガオカさま、来訪&コメント有難う御座います。

早速ながら、こちらからの不躾なお願いをお聞き届け頂き、誠に有難う御座いました。

これからも宇佐地方における“温故知新”を目指して頑張って下さい!
Posted by 御堂 at 2011年05月11日 23:40
ご連絡ありがとうございます。

「豊の国宇佐市塾」平田氏に連絡させていただきました。

もちろん「有難いこと」だと。

よろしくお願いいたします。
Posted by ナガオカ at 2011年05月11日 22:30
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