主君「押込」

戦国期から近世初期にかけては、主君=個人への忠義が第一とされていました。(「忠臣蔵」での浅野内匠頭あさのたくみのかみに対する“赤穂浪士”たちが良き例ですね!)

しかし近世中期以降、武士社会が安定するにつれ、主君=個人よりも御家大事という意識が芽生え出す。

つまりは特定の主君の命令に忠実である事よりも、御家に対する忠義が第一だという考えが浸透していった。

そうした状況の中、主君の間違った行動や理不尽な命令に対し、事態を収拾する1つの方法が生まれました。押込おしこみと呼ばれる行為です。

押込おしこみとは拘禁する、という意の刑罰の一種です。家長が家の人間に対する懲戒の意を込めた行為で、逆に家長、とりわけ大名家の当主が放蕩であり暴虐であった時、この押込おしこみが発動されました。

一例を挙げれば、筑後久留米城主有馬家の第6代・則維のりふさは財政再建と藩政改革を推進したのだが、あまりに強引すぎて家中・領民の間から怨嗟の声が湧き起こり、遂には領内一円に5700人余からなる百姓一揆が勃発し、収拾不能の混乱に陥りました。

そこで事態の収拾をはかるため、一連の失政の責任者である藩主・則維のりふさを強制的に隠居せしめ、危機を救ったのです。

すなわち押込おしこみとは、決して謀叛とか、悪逆行為ではなく、家臣の側の正当な職務権限として認知されていたのですね。

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※(参照)「大名」
※(参照)家格―「国持」大名の身分格式

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