最後の六波羅探題・北条仲時

北条仲時画像

幕末期の新選組に次いで女性に人気のある歴史上の人物として最後の六波羅探題北方・北条仲時が挙げられます。

北条仲時は元弘3年(1333)5月7日の六波羅探題陥落の際、北朝の光厳天皇、後伏見・花園上皇を伴い中山道を鎌倉へと東走しますが、近江国番場宿ばんばのしゅく(現、滋賀県米原市番場)にて佐々木京極道誉らに行く手を阻まれ止むなく蓮華寺に籠り応戦したが、5月9日、奮戦空しく本堂前庭で自刃して果てました。

仲時は自害する際、配下の者たちに「我が首を敵に奉じて手柄にせよ」と言い残しましたが、配下の者たちも仲時の後を追うように自害して果て、その数は432名を数えました。

最後の六波羅探題・北条仲時ら432名の慰霊碑

当時の蓮華寺の住職が深く同情し、境内に墓を建ててその冥福を弔い、彼らの姓名と年齢を一巻の過去帳に記しました。それが国宝陸波羅ろくはら南北過去帳』(『六波羅過去帳』)です。中には中学生くらいの年頃の者、姓がなく名のみ記載されている者が多く見られます。

北条仲時以下432名の切腹によって“血の川”が流れたという説明板

毎年5月9日には、仲時以下432名の冥福を弔いに多くの拝観者が参られます。

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック