日本左衛門―日本で最初の全国指名手配犯―

日本左衛門日本で最初に全国指名手配となった盗賊団の首領の名前です。

最もこれは世間がつけた異名で、本名は浜嶋庄兵衛と言って、遠江国金谷の尾州七里(飛脚)役所の足軽の子として生まれたが、酒・女・博奕など放蕩三昧の暮らしのため、父親に勘当され、人別帳から外されて無宿となり、天竜川の西方、遠江豊田郡貴本村(貴平村?、現在の静岡県浜松市)に住みつき、近郷近村の資産家を荒らしまわり、いつしか手下も200人に増えて、盗賊団を形成し、その首領となります。

庄兵衛とその手下たちは、美濃、尾張、三河、遠江、駿河、伊豆、甲斐、相模の8か国を股にかけ、旋風の如く荒らし回り、金持ちの百姓、町人はもちろん、東海道筋に網を張って、諸大名・諸商人の現金輸送も襲いました。

一味の手口は、押し入った先々で家中の者を縛り上げるが、決して殺傷はしない―「盗みはすれど非道はせず」という“義賊”を意識した行動哲学でした。

とくに庄兵衛一味が根城にしていた遠江一帯は、数多くの旗本領が入り組んでいて、警察力が非常に乏しい状況でした。この事が一味がなかなか捕まらなかった大きな理由でもあったのです。

そうした中で延享3年(1746)9月3日、北町奉行所に訴えがありました。訴訟は早急に幕閣に上げられ、老中から火附盗賊改に捕縛命令が下ります。これは“御下知物”といい、特別の警察権がありました。

さらに幕府は、人相書を手配し、全国に配布します。内容はこんな感じ―

  重右衛門事 濱島庄兵衛
 一せい五尺八九寸程(=177㎝ぐらい)
   小袖、くじらざしにて三尺九寸
 一年二九歳見かけ三一二歳に相見え候
 一月額さかやきこく引疵ひききず一寸五分ほど
 一色白く歯なみ常の通り
 一鼻筋通り
 一目の中細く
 一かお面長く
 一びん中少そり元結もつとい十ほど巻き
 一ゑり右のかたへ常にかたぶき有り
  右の外逃去候節着用の品々
 一こはくびんろうじ綿入小袖 但紋所丸に橘下単物ひとえものもえぎつむぎ白郡内じゅばん
 一脇指長二尺五寸つば無地金もようさめ真鍮しんちゅう筋金有り、小柄なな子生物色々、切羽○金鞘黒、小尻銀○
 一鼻紙袋もえぎ羅紗らしゃ、裏金入
 一印籠、鳥のまきゑ
 
右の者、悪党仲間にては異名日本左衛門と申候、其身は左様に名乗不申○、右のもの於有之は其所に留置、御料は御代官、私領は領主地頭へ申出、夫より江戸大坂京向寄奉行所へ可申達候、尤見及聞及候はば、其段可申出候、若隠置き、後日脇より相知候はば、可為曲事くせごと

という様に、延享3年(1746)10月16日に庄兵衛わが国初の全国指名手配犯となりました。

さすがの庄兵衛も身の置きどころがなくなったのか覚悟を決め、延享4年(1747)1月7日、庄兵衛京都東町奉行所に自首します。

  異名日本左衛門 
    無宿 十右衛門事
        浜島庄兵衛
          二九歳

このもの儀、同類大勢申し合わせ、美濃・尾張・三河・遠江・駿河・伊豆・近江・伊勢・右八ヶ国にて所々押し込み、金銀多く強盗いたし候段、重々不届至極につき、町中引廻の上、遠州見付宿において獄門(『徳川禁令考』)

庄兵衛は江戸に護送され、1月28日、江戸小伝馬町の牢屋敷に収監されます。そして、3月11日に江戸市中引き廻しのうえ、小伝馬町の牢屋敷で首を斬られ、その首は遠州見付宿に運ばれ、三本松の刑場に晒されたのです。


この記事へのコメント

  • 来夢来人

    遠府の住人さま、ご指摘ありがとうございます。

    日本左衛門の処刑の場所については、僕が読んだ本には「江戸の伝馬町で処刑され、その首は遠州見附に晒された―」とあったのでそう記載しました。

    遠府の住人さまが仰るように、処刑の場所自体が遠州見付―と書いた本もあるのですね。

    もっと詳しく調べてみたいと思います。
    2005年11月13日 02:22
  • 遠府の住人

    遠江豊田郡貴本村とは、貴平村の誤りだと思われます。貴平村は、現浜松市貴平町です。天竜川が広範に蛇行していた当時は、豊田郡に属していました。
    また、日本左衛門の処刑の場所は、遠州見付宿。現在は、磐田市見付富士見町に鈴ヶ森刑場跡があります。処刑されたのは延享4年3月のこと。そこでさらされていた首を、愛人が持ち去り、遠州金谷宿(今の島田市金谷)の宅円庵に葬ったとされています。墓はこの宅円庵と見付の見性寺の2箇所にあります。
    2005年11月13日 00:30

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